千里(ちさと)の梅

【解題】

 菅原道真公の飛梅の伝説を歌った歌である。若き日の道真公の英才ぶりに母君が大いに期待を掛けた逸話から始まり、太宰府へ左遷され、後に天神として天満宮に祀られることになった道真公が深く梅を愛されたこと、また、忠義を象徴する梅の花の徳が歌われている。

析】

○とことはに|吹かせ|て し がな |         |  家の 風 |           、
 永遠に  |吹かせ|て欲しいものだ、この学問の家である|菅原家の家風を|という母君の願い通りに、

○世 を経て   |  仰(あふ)ぐ|      文(ふみ)の道     、広 き|恵みを|思ふ、
 世々を経て人々が|        |      学問   の道標として 、
         |ふり仰    ぐ|道真公。その学問   の道 のように|広大な|恩恵を|思う、

○そ   の|   心 づくし   や|千里   まで匂(にほ)ひ |   おこせし|梅の花      。
 道真公への|忠節の心をつくすあまり!、千里の遠くまで匂    いを|送ってよこした|梅の花の故事を偲ぶ。

○心をそむる  ひと枝を|ただそのままの|手向けに て、天満神(あまみつがみ)の   |まにまに    と、
 心を込めた梅の 一 枝を|ただそのままの|お供えとして、天満神        のみ心の|ま まに|受けて
                                               |頂きたいと、

○          |行くての|袖の|かをる   まで|          |思ひを運ぶ|思ひ川 、
             《手》《袖》

 願って参詣する人々の|行く先の|袖が| 香 るほどにまで|芳しく香って、人々の|思いを運ぶ|思い川の、

○水のそこひも|  深緑   。  掬(むす)ぶ手に吹く|春風は、けふ   |如月の|神業(かんわざ)に、
 水の 底  も|  深く   、
       |色も深緑である。水を掬(すく)う手に吹く|春風は、今日やって|来た |
                                      |如月の|神祭り     で、

○夜  の鼓  の|すみ登る、真如の月も|          所がら   、和       光   の陰に
 夜神楽の鼓の音が|澄み  、
         |澄み登る|真如の月も、菅公をお祀りしている所だけあって、和らげた穏やかな光だ。その陰に、

○片      敷きの      |  花の   枕に|                   夢 結ぶ 、
 一枚の衣だけを敷いて一人寝をし、|梅の花の香りを枕に|芳しい香りを放つ美女と酒を酌み交わした夢を見たが、

○     |  えにしは|知らぬ |道    芝   の        、露と   乱れ      ん、
                       
《芝》           《露》
 実はそれは|何の 縁 も|  ない|行きずりの人だったという伝説があるが、
      |人の 縁 は|知らない|道端の  芝に置く         |露のように乱れることもあろう。

○    刈萱の関 守(も)る       人も|心せよ      。
 だから、刈萱の関を守   るような真面目な人も|気を付けた方がよい。そうすれば、

○神も情けは|深き      |夜の闇  にも|しるき       |梅が香            。
 神も情けは|深く、その恩恵は|
      |深い      |夜の闇の中でも|はっきりそれと分かる|梅の香りのように明らかなものだ。

○そも  |この  花は、万  木にさきがけ  して 、かばかりの形・色香の花   |なけれ ば 、
 そもそも|この梅の花は|多くの木に先駆けて花を咲かせ、これほどの形・色香の花は他に|ない ので、

○おのづから|御神も|    |愛で|させ|たまひ、花もまた|      心ありけり  、
 自然   |天神も|この花を|愛し| あそばし 、花もまた|ご主人の心を知っていたので、都から筑紫まで

○飛びかよひ、あるじ 忘れぬ |いさをし       を 、  知る   人ぞ  知る   |
 飛び 通 い、ご主人を忘れない| 忠誠 を尽くしたこと は、  知っている人はよく知っている。
                             |その知る   人ぞ  知る   |

○        |言の葉の、しげき 林 に  |とり添へ  て、
 「東風吹かば」の|歌  は|
         |詩歌 の|多くの古典の中に|  加えられて、詠み手の菅原道真公は、神となり、

○ 君が千歳   を|守る    | なる   、 君が千歳   を|守る     なる、
 大君の千歳の繁栄を|守護している|ということだ、大君の千歳の繁栄を|守護しているという|

○梅のにほひや、天(あめ)に|満つ  |      らん。 
 梅のにおいは、天    に|満ち溢れ|ているのであろう。

【背景】

 吹かせてしがな家の風

○菅原の大臣|かうぶりし|侍り|ける|夜、母 の|詠み|侍り|ける| 。
      |元服いたし|まし| た |夜、母君が|詠み|まし| た |歌。

 あなたがこうして元服したからには、将来、官吏登用試験に合格して、

○久方の月     の桂    も  折るばかり|   家      の 風をも|吹かせてしがな
    月に生えている桂の木の枝も吹き折るほど |学問の家である菅原家の家風を |高め てほしい。
                             (拾遺集・巻第八・雑上・473・菅原道真の母)
 匂ひおこせし梅の花

 菅原道真は、承和十二年(845)生まれ。貞観四年(862)若くして文章生になり、元慶五年(881)には文章博士となった。仁和三年(887)宇多天皇が即位されると、蔵人頭に、ついで参議に抜擢された。寛平六年(895)遣唐使廃止の建白をして許された。寛平九年(897)宇多天皇が譲位、醍醐天皇が即位。昌泰二年(899)道真は右大臣、藤原時平は左大臣に昇進、そのわずか二年後、延喜元年(901)正月二十五日、大宰権師に左遷された。都を出発される時、御前の梅花をご覧になって、

○     東風(こち)吹か   ば|匂ひ |おこせよ  |梅の花 
 春になり、東風が   吹いたならば、匂いを|送ってよこせ、梅の花よ、

○あるじ |なし   と  て|春を忘る な
 主人 が|いないからといって|春を忘れるなよ。(拾遺集・巻第十六・雑春・1006)

と詠まれた。以後二年道真はこの配所でひたすら謹慎生活を送り、延喜三年(903)五十九歳で没した。その慰霊祭が二月二十五日に行われた時、その前夜一夜のうちにこの梅が京から博多の安楽寺まで、千里の距離を飛び来たったと言う。題の「千里の梅」はそういう意味であり、この梅を「飛梅(とびうめ)とも言う。また、菅公の京の邸宅には桜の木もあったが、お言葉がなかったので、悲しみのために枯れたと言う。

 天満神のまにまに

○朱雀院の|奈良におはしましたりける時に、手向け山にて|詠みける| 。
 朱雀院が|奈良に行幸なさった   時に、手向け山 で |詠ん だ |歌。

○このたび は|           |ぬさ   も|とり あへ  ず  |  手向け山 | 
 この 度 の
    旅  は|急なことで、お供えする| 幣 の準備も|出来ておりませんので、
                          |さしあたって    、この手向け山の|

○もみぢの|錦      |            |神   の|まにまに|
     |色とりどりの |
  紅葉         を|供え物のといたしますので、神のみ心の|ま まに|お受け取り下さい。

                              (古今集・巻第九・羇旅・420・菅原道真)

 思ひ川

 福岡県太宰府天満宮の境内を流れる御笠川のこと。染め川、逢い初め川とも言う。

○筑紫 な る|    思ひ染め川 渡り   |な|  ば|
 筑紫にある|      染め川を渡るように、
      |あなたを思い初め       |た|ならば、 

                 ┌──────────────┐
○    | 水 |      |や|まさら|   |ん   |
     
|見 つ|                      |
     | 水 |     が| |まさる|ように、     ↓
 あなたと|逢った|ということが| |増える|   |でしょう|か、

○       |淀む時 なく   |
 川の水   が|淀む時がないように|
 あなたとの仲も|淀む時がなく   。(後撰集・巻第十四・恋六・1046・藤原さねただ)

 掬ぶ手に吹く春風

○         |袖 |  ひちて|  掬(むす)びし|水の     凍れ  る       を|
                     《結    び》

 夏に野山に遊んだ時、袖が|水に濡れて|手に掬(すく)った|水が、冬の間は凍っていただろうが、それを、

           ┌─────────────┐
○春立つ|今日の 風 や|とく |らむ     |
            
《解く》         |
 立春の|今日の春風が     |今頃は    |↓
            |融かし|ているのだろう|か。(古今集・巻第一・春上・2・紀貫之)

 きさらぎの神業

 『公事根源』に「二月二十五日天満大自在天神のかみわたり給ひし(お亡くなりになった)御日也、夢の告げありて鳥羽院の天仁二年より吉祥院にて菅家のともがら集まりてこれを行ふ」とある。現在も、二月二十五日に梅花祭並びに飛梅講社大祭が行われる。

 和光

 「和光同塵(わこうどうじん)」という老子の言葉を引用したもの。「光を和し、塵に同ず。」と訓読する。「光を和し」とは自分の持っている高い道徳的品性と秀れた才智の輝きを光に喩え、それを和らげる、即ち、表に出さないこと。「塵に同ず」は、ちりやごみに汚れた現実の娑婆世界に同化すること。つまり全体で、聖人君子がその知徳を和らげて、つまり隠して俗塵の世界に入って衆生を済度することを言う。

 花の枕に夢結ぶ

 隋の時代に、趙師雄という人が羅浮山(広東省)に遊び、芳しい香りを放つ美人に出会い、共に酒を酌み交わしながら談笑しているうちに眠くなり、そのまま寝入ってしまった。目覚めて気がつくと美女は消え失せ、そのいた場所に梅の樹があるだけだった。羅浮山は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する博羅(Bo Luo)にある。古くから、『中国道教十大名山之一』として名高い山だという。この伝説がもとになって、『羅浮之少女(おとめ)』、『羅浮之夢』という言葉が中国で一般的に広まったという。この故事は、日本の著名な画家も題材にしている。
1.菱田春草『羅浮山』(信濃美術館蔵)
2.安田靫彦(ゆきひこ)『羅浮仙女』(松岡美術館=東京・白金)

 刈萱の関

 西鉄大牟田線都府楼駅から徒歩5分ほどに「刈萱の関跡」という石碑が立っており、「関屋」という地名が残っている。「天智天皇三年対馬、壱岐、筑紫などに関守を置く」と「日本書紀」にあり、大宰府警固のために関を置いたことは確かだが、「刈萱の関」の名があるわけではない。古代には「刈萱の関」はなく、中世室町時代に作られ、戦国時代には廃止されたという説もある。菅原道真の次の歌が有名だが、これも「刈萱の関」の存在を前提としなくても、次のような解釈が出来る。

○刈萱の|関守   にのみ |見えつる    は|人も許さぬ          |道べ   なり けり
 刈萱が|関守のようにばかり|見えて後ろ暗いのは、人も許さぬ大罪を犯した私の歩く|道べだからなのだなあ。
                                   (新古今集・巻第十八・雑下・1698)

 確かな史料としては、室町時代、苅萱関で通行料を徴収していたことを示す文書があり、また、1410年にこの関を通った連歌師宗祇は「筑紫道記」に「かるかやの関にかかる程に関守立ち出でて我が行く末をあやしげに見るもおそろし」と書き残し、次の歌を詠んでいる。

○数なら  ぬ      身を|いかに   とも|事問は|じ
 取るに足りない私のような者を|どうのこうのと!|尋問し|ないで欲しい。

             ┌──────────────┐
○  |いかなる 名 を|か|かるかやの関|      |
 誰に|どのような名目を| |借りた   |      ↓
              |かるかやの関|だと言うの|か。

 闇にもしるき梅が香

○春の夜の闇    は|あやなし          |梅の花 |   色|こそ|見え|ね |
 春の夜の闇という奴は|筋の通らないことをするものだ。梅の花の|美しい色| は |見え|ない|が、

      ┌-────―──
○香(か)やは|隠るる|   ↓
 香り   は|隠れる|だろうか、いや、隠れない。(古今集・巻第一・春上・41・凡河内躬恒)

 知る人ぞ知る

                 ┌──────
○ 君 |なら| で |  誰に|か|見せ| む↓   梅の花 |
 あなた| で |なくて、他の誰に| |見せ|ようか、この梅の花を、いや、あなたにだけ見せたい。

○  |  色  をも|香     をも|知る人       ぞ|知る
 その|姿の美しさ も|香りの美しさ も、知る人、あなただけが!|知っているから。

                                  (古今集・巻第一・春上・38・紀友則)

○梅の花 |匂ふ春べは|くらふ山 闇 に越ゆれ  ど              著(しる)くぞありける
            《暗》

 梅の花が|匂う春 は、くらふ山を闇夜に越えたけれど、香り高い匂いで花のありかがはっきり分かったことだ。

                                  (古今集・巻第一・春上・39・紀貫之)
作詞:不詳
作曲:山田検校



【語注】

吹かせてしがな家の風⇒背景






匂ひおこせし梅の花⇒背景


心をそむる 「心を染む」はマ行下二段活用で、「深く思いを寄せる」意。
天満神のまにまに⇒背景
思ひ川⇒背景
は縁語。


掬ぶ手に吹く春風⇒背景
きさらぎの神業⇒背景



真如の月 「真如」とは仏語で、一切の迷いから解脱した悟りの世界のこと。「真如の月」はそれを澄みきった月の光に譬えたもの。
和光⇒背景
片敷き 男女が共寝するときは、二人の衣を重ねて敷いたので、一人寝の時は「片敷き」と言う。
花の枕に夢結ぶ⇒背景
道芝 道端の芝草。は縁語。
刈萱の関⇒背景

闇にもしるき梅が香⇒背景









知る人ぞ知る⇒背景







なる 断定の助動詞ではなく、伝聞推定の助動詞の連体形で、「梅のにほひ」を修飾している。






かうぶり 「初冠(うひかうぶり)」とも言う。元服。道真は貞観元年(859)、十五歳で元服した。
月の桂も折る 「月の桂を折る」とは、官吏登用試験(科挙)に合格して、進士(文章生)や秀才(文章得業生)となること。晋の郤幀(げきしん)が及第した時、その心境を皇帝に問われ、「桂林の一枝、崑山の片玉を得たに過ぎない」と答えたという故事による。「折桂」とも言う。
大宰権師 普通「太宰」と書くが、『大鏡』には「大宰」とある。
東風 春風。春は東、秋は西、冬は北、夏は南という陰陽五行説に基づく。同時に、西国の太宰府に東風が都の梅の香を送ってくるという方角感覚も踏まえている。
春を忘るな
 「春な忘れそ」という本文も多い。



朱雀院 宇多上皇。
手向け山 道の袖で神に手向けをして通る山の総称。ここは奈良山だと言われている。
ぬさ 神に捧げるもので布や紙を小さく切り、木の棒に付けたもの。旅行者が安全を祈るため、道祖神に供えた。幣帛。


























結び解くは縁語。


























































春の夜の 歌自体はいろいろの寓意を含んでいるが、ここでは、梅の香りが非常に芳しいので、何も見えない暗闇の中でもはっきりその存在を知ることが出来るという意味で引用されている。

















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