竹生島(ちくぶしま)
【解題】 謡曲『竹生島』の章句をそのまま歌詞としたもの。竹生島を訪れた延喜の帝の臣下が、湖畔から舟に乗り、竹生島に渡る。その夜半、弁財天が現れ、妙なる舞楽に乗って天人の舞を舞う。その後、海中から竜神が現れて、帝臣に金銀財宝を捧げるまでを歌っている。 【解析】 延喜の帝(醍醐天皇)の臣下(廷臣)が竹生島に詣でるため、従者二人を連れて琵琶湖の湖畔にやって来る。そこにこの浦里に住み慣れた漁師の翁(漁翁)と海女(あま)の二人が乗った釣り舟が通りかかる。 ○頃 は弥生の|半ばなれ| ば 、波もうらら に海の 面(おも)、かすみ 渡れ | る|朝ぼらけ| 、 季節は弥生の|半ばな |ので、波もうららかに湖の表面 が、 一面に| |霞ん |でいる|明け方 |である。 ○静かに 通ふ| 舟の 道、 げ に|面白き | 時 |とかや。 静かに湖面を通る|一艘の舟の航跡、本当に|気持ちのよい|季節|だなあ。 ○廷臣「いかに 、あれ| な る|舟に|便船| 申さ | う |の 。」 「もしもし、そこ|にある|舟に|同乗|させて頂き|たい|なあ。」 ○漁翁「おお 召され|候へ 。」 「はい、お乗り|下さい。」 ○廷臣「嬉し や 、さて は| | 迎への舟、 法 |の力と|覚えたり。」 「嬉しいなあ、それでは|これは|竹生島への迎えの舟、 |また、|彼岸 への迎えの舟、仏様|の力と|思います。」 ○漁翁「今日はことさら| |のどかにて、心に掛かる風もなし。」 「今日は 特別に |気候が|のどか で 、気に掛かる風もない。」 ○ |山々の 春 |なれ|や 、花はさながら白雪の|降る か 湖の周りの|山々の、春景色| だ |なあ、花はまるで 白雪が、降り積もっているのか、 ○ |残る | か 、 | 時 | |知らぬ、峰は、 それとも、消え|残っている|のかと見違えるほど山を覆って咲いている、あの|季節|を|知らない峰は、 ○ 都の 富士 |なれ や。 |なほ|冴え返る春の日に、 京の都の近くの富士と呼んだらよい|の だろうか。春になっても|まだ|冷え込む春の日に、 ○比良の|根 颪(おろ)し |吹くと ても、沖 こぐ舟は| よも |尽き|じ 。 比良の|山からの山 おろ しが|吹くといっても、沖を漕ぐ舟は|まさか|尽き|ないだろう。 ○旅の習ひ |の 思は ず も、雲 井|の | よ そ に|見し人も、同じ舟に 旅の慣わし|として、思いがけなくも、宮 中、 |雲の上|のような|手の届かない所に|見た人も、同じ舟に乗って ○馴れ |衣 、 浦|を|隔てて| 行くほどに、竹生島に|ぞ|着き|に| ける 。 親しく|衣を触れ合い、入り江|を|離れて|漕ぎ行くうちに、竹生島に|!|着い|た|ことだ。 ○廷臣「 |承り 及び |たる|よりも、いや |まさりて|有り難し。 「来てみると、| かねがね| |伺って |いた|よりも、遥かに|優れ て|有り難い。 ○ |不思議やな この島は女人禁制と|承りて|あり|し|が、 それにしても、不思議だなあ、この島は女人禁制と|伺って| い |た|が、 ○あ れ| な る|女人は 何とて | 参ら| れ | 候ふ|ぞ。」 あそこ|にいる|女人は、どうして|お参り|なさって|いるのです|か。」 ○漁翁「それは |知ら|ぬ |人の申すことなり。かたじけなくも|この島 は、 「それはこの島の由緒を|知ら|ない|人が申すことです。勿体 なくも|この島の本尊の弁財天は、 ○九生如来の|御 再 誕 |なれ| ば 、まことに女人こそ|参る |べけれ 。」 九生如来の|御生まれ変わり|な |ので、本当は 女人こそ|参詣す|べきなのだ。」 ○海女「のう、それ |まで| |も|なき|ものを。弁才天は女体にて、 「ねえ、そんな難しいこと|まで|言う|必要|も|ない|ですよ。弁財天は女性 で 、 ○その神徳も|あらた なる、天女と |現じ |おはしませ | ば 、女人 と て その神徳も|あらたかな 、天女となってこの世に|現われて|いらっしゃるの|だから、女人だからと言って ○隔て | なし。 ただ | 知らぬ 人の|言葉 | な り。」 差別は|しない。女人禁制だなどとは、まさに|何も知らない人の|言うこと|である。」 ○漁翁「げ に、 |か ほど|疑ひ も| 荒 磯 島 」 |の松陰を|たよりに |寄する| |あら (ば)」 「本当に、あなたが|これほど|疑いを!|お持ちならば 」と言って、 | 荒 磯 島 | |の松陰を|目当てに漕ぎ|寄せた| ○海女 小舟(あまをぶね)、 「我は人間に |あらず」と て、社壇の扉(とびら)を押し開き、 海女の小舟から 、海女は突然、「私は人間では| ない 」と言って、神殿の扉 を押し開き、 ○御殿に|入(い)ら|せ|給ひ|けれ| ば 、 翁も水中に入るかと見えしが、白波の| 《波》 御殿に| | お | | はいり | になっ | た |ところ、漁翁も水中に入るかと見えたが、白 波 が| ○ |たち かへり 、我はこの海の|あるぢ|ぞと言ひ捨てて、又も|波間に|入り|給ふ 。 《立ち》《 返 り》 |立ち 返 るように| 水中から| 帰 ってきて、私はこの湖の| 主 |だと言い捨てて、又も|波間に| |お | |入り|になった。 竹生島の神官が登場し、廷臣に竹生島明神の縁起を語り、宝物を見せ、岩飛びを見せる。その後、通夜(夜通し祈ること)する廷臣の前に、社殿が揺らぎ、弁財天が姿を現す。 ○不思議や 、虚空に音楽 |聞こえ、 花 |降(ふ)り下る春の夜の、月に輝く 乙女の|たもと 、 《たもと》 不思議だなあ、虚空に音楽が|聞こえ、空から花が|降 り下る春の夜の、月に輝く弁財天女が|たもとを| ○かへすがへすも|面白 や 。 《 返 す》 返 す姿は 、 かえすがえすも|趣があることだなあ。 ○夜遊(やゆう)の舞楽もやや時 過ぎて、月 澄みわたるうみづらに、波風 しきりに鳴 動して、 夜の遊楽 の舞楽もやや時が過ぎて、月が澄みわたる湖の表面に、波風がしきりに鳴り響いて、 ○下 界|の竜神 現はれ出で 、光りも輝く金銀珠玉を、かの|まれびと に捧(ささ)ぐる|景色 、 海中世界|の竜神が現われ出 て、光り!輝く金銀珠玉を、あの|客人(廷臣)に捧 げる|様子は、 ○ありがたかりける| 奇特 かな。 尊い ことである|不思議な出来事だなあ。 この後、天女は退場、竜神は衆生済度、国土安穏の誓いの舞を舞い、湖水に飛行し、波を蹴立て、竜宮に帰り、能を終わる。 【背景】 時知らぬ峰 『伊勢物語・第九段・東下り』に、主人公在原業平が、富士を眺めて歌を詠む場面がある。 ○富士の山を見れば、さつきの|つごもり| に、雪 |いと 白う降れ | り。 富士の山を見ると、五 月 の| 月 末 |だというのに、雪が|たいそう白く積もっ|ている。 ○時 |知らぬ |山 は|富士の嶺(ね) 季節を|知らない|山といったら |富士の嶺 |だろう。 ┌────────────────────────┐ ○ |いつ |と て|か|鹿の子まだら に雪の降る| らむ |↓ 一体今を|いつだ|と思って、 |鹿の子まだらの模様に雪が積っ|ているのだろう|か。 九生如来 筝曲では、この『竹生島』の他に、箏唄・浄瑠璃掛け合いの『祝歌』(いわいうた)の終わりの方に、次のように「九生如来」の名が見える。 ○…このて柏の二流れ、守らせ給ふ神垣や、九生如来は女体と現じ、弁財天とあまざかる、鄙も都もおしなべて、天の下知る恩恵み、殊に和合の道広く… 虚空に音楽聞こえ… 謡曲『羽衣』にも、次のような一節がある。 ○我三保の松原に上り、浦の景色を眺むる処に、虚空に花降り音楽聞え、霊香四方に薫ず。これ常事と思はぬ處に、これなる松に美しき衣懸かれり。寄りて見れば色香妙にして常の衣にあらず。 |
作詞:不詳 作曲:千代田検校 【語注】 弥生の半ば 現在の四月末頃。「弥生」は旧暦の三月。 迎への舟 ここは、竹生島への迎えの舟を、彼岸(ひがん・あちら側の岸・悟りの世界・極楽浄土)への迎えの舟と掛けて、仏のおかげだと言った。現世は「此岸(しがん)」と言う。 時知らぬ峰 富士は夏でも雪が積もっているので、「季節を知らない峰」である。⇒背景 ここは、琵琶湖の周囲の峰々を覆う花を雪に喩え、春の暮れに雪が積もっている峰は、富士のように季節を知らない峰なのかと表現した。 冴え 「冴ゆ」(ヤ行下二段)の連用形。 九生如来 きうしやうによらい。どういう仏か不明。この名前は、古典文学大系などの本文には、謡曲『竹生島』にしか出てこない。一説に「九生」は九品浄土のことで、極楽浄土の九つの階級で、九生如来はその極楽浄土を司る阿弥陀如来のことだという。⇒背景 まことに 謡曲では、「殊に」となっている。 波・立ち・返りは縁語。 我はこの海の主ぞ この漁翁は、ここで正体を明かし、後で「下界の竜神」の姿になって再び現われる。 虚空に音楽聞こえ…⇒背景 たもと・返すは縁語。 珠玉 「珠」は海に産する珠、真珠。「玉」は山に産する玉、翡翠(ひすい)、瑪瑙(めのう)、大理石など。 五月(さつき)のつごもり 旧暦五月の末は、現在の七月の初旬ごろ。 |