海人小舟(あまをぶね)
【解題】 この曲は古い九州系の地唄で、幕末の久留米の宮原検校高(孝)道一(?~1864)から伝承されてきた三絃の地歌に、宮原の孫弟子にあたる熊本の笹尾竹之郁(1855~1938))が箏の手を付けたとされる。歌詞は、天草の海士(あま)と恋仲になった長崎の蘭方医の娘が、気に染まない相手と結婚させられて、かつての恋人を懐かしみ、再会を願う気持ちを歌ったものと伝えられている。演奏時間が十二分ほどのしゃれた小品である。 【解析】 ○ |雁は北 、 人は|南 に|帰る |海 、 春になると、雁は北へ、私の恋人は|南の天草に| |海を渡って| |帰って行く。 ○おのが|小舟に掉 差して、涙の雨に濡るる| |海人(あま)、 草 の| < 天 草> 自分の|小舟に棹を差して、涙の雨に濡れて|私と別れて天草に帰って行く恋人の|漁師 、粗末な| ○とぼその| |古里へ、行く春 |惜し む| |恋 衣 、来 |つつ | 扉 の|家のある|故郷に、行く春を|惜し み、別れを| |惜しんで、 |恋人同士がそれぞれの衣を|着ては|いつも| ○慣れに し|妻 重ね| |幾夜 仮寝の旅枕| 、 慣れ親しんだ|妻の重ね| |褄 |が懐かしいことよ。あれから私は|幾夜、仮寝の旅枕|を重ねたことだろうか。 ○ |交はせしことの数々を| 、関の |空音(そらね)も |鳥 もがな、 あなたと|交わした言葉の数々を|胸にして、関の戸を開けさせる|鳴きまね もする|鶏の声があれば! ○また | 逢坂の| |折りを待ち、秋 澄む 月を二人 眺め ん。 またあなたと| 逢う | |その逢坂の|関を越える|時 を待ち、秋の夜の澄み切った月を二人で眺めたい。 【背景】 着つつ慣れにし妻 ○唐衣 着つつ | |なれ |に|し|つま| |し|あれ| ば はるばる| 《衣》 《褻れ》 《褄》 《張る》 唐衣を着ていると、 |糊が取れて|柔らかくなる| |私には| |慣れ親しんで|き|た| 妻 |が|!|いる|ので、遥 々と| ○ き| ぬる |旅を|し|ぞ| 思ふ 《着》 こんな遠くまでやって来|てしまった|旅を|!|!|感慨深く思うことだ。(在原業平・伊勢物語・九段) 関の空音 中国の戦国時代に、斉(せい)の孟嘗君(もうしょうくん)が秦から逃げた時、函谷関を通ろうとしたが、関の戸は一番鶏が鳴くまでは閉ざされていた。孟嘗君は一芸に秀でた者を多く食客として養っていたが、中に物まねの名人がいた。その男が鶏の鳴き声を真似たところ、それにつられて本物の鶏も鳴き始め、関の戸は開かれて難をのがれたという故事による。(史記・孟嘗君伝) 清少納言も、枕草子に、この故事を踏まえた歌を詠んだ挿話を載せている。 ┌────────┐ ○ |夜| を|こめて|鳥|の|そら音(ね) |は|はかる |と ↓ も| たとえあなたが|夜|であることを|隠して|鶏|の|鳴きまね|をして| |だまそう|と|は|しても、 ┌───────────┐ ○ |よに | | 逢坂の関| | |は|許さ|じ | | | 逢ふ | | 函谷関ではないので、決して|あなたと| 逢う 、 ↓ |その逢坂の関|の戸|を| |開く|つもり |は| |ありませんよ 。 |
作詞:不詳 作曲:不詳 箏手付:笹尾竹之一 【語注】 帰る海 北の長崎から南の天草(熊本県)に天草灘があり、そこを小舟で渡って恋人の漁師が帰る。 海人 漁師。 海人、草の 「天草」の地名が隠されている。 とぼそ 戸の枘(ほぞ)。開き戸の枢(とまら)を受ける穴。転じて、扉を意味した。 恋衣 後朝(きぬぎぬ)の衣。恋人同士が互いに衣を重ねて共寝した翌朝、別れるときに身につける、それぞれの衣服。 着つつ慣れにし妻 「着」「慣れ」「褄」は「衣」の縁語。ここは、「唐衣着つつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」を引く。⇒背景 妻重ね 重ね褄のこと。着物を何枚も重ねて着ること。褄は着物の端の、裾の少し上あたり。 関の空音⇒背景 唐衣着つつなれにし… 「褻れ」「褄(着物の縁)」「張る(着物を洗い張りすること)」「着」は「衣」の縁語。 「唐衣着つつ」は「なれにし」以下を呼び出すための序詞。 |