晶子短歌抄
【解題】 明治の女流歌人で、浪漫派の旗手であった与謝野晶子の、代表的な六首の歌を歌詞としたもの。 【解析】 ○春曙抄に伊勢 を重ねて | |かさ 足らぬ |枕は|やがて|崩れ|ける |かな (春) 春曙抄に伊勢物語を重ねて枕にしたが、その|高さが足りない|枕は、やがて|崩れ|てしまった|ことよ。 春曙抄といい、伊勢物語といい、古典文学の世界に耽溺していた晶子がその場にいることを暗示する。その「かさ足らぬ枕」を崩したのが晶子本人だとすれば、それは、一つの美人画のような世界だろう。またその場に晶子の恋人もいれば、「崩れけるかな」は恋愛的行為を暗示する。しかし、そういうテーマを、直接的な言葉をまったく使わず、間接的に、むしろ優雅で耽美的に表現し得たところに、晶子のたぐい稀な才能が表れていると言える。晶子は源氏物語にもに通暁しており、全編を現代語訳した『全訳源氏物語』は名訳として知られ、現在でも角川文庫として出版されている。 ○春雨 や|わが落ち 髪を|巣に|あみて|育ちし雛の鶯の |鳴く (春) 春雨が降る!。私の落ちた髪を|巣に|編んで|育った雛の鶯が美しい声で|鳴いていることよ。 「わが落ち髪」は「抜け毛」でもなければ「ほつれ毛」でもなく、健康で美しい晶子が櫛を入れる時の、日常の落ち髪である。それを捨てた庭先のあたりに鶯が飛び歩いたり何かをついばんだりする光景を晶子は見たのかも知れない。晶子は、美しい私の髪で編んだ巣で育った鶯だから、美しい声で鳴くのは当然だと言いたいのだろう。鶯を褒めながら、自己賛美、自己美化も同時に行っているのだ。 ○鎌倉や|み仏 なれ ど|釈迦牟尼は|美男におはす | 鎌倉!|み仏ではあるけれど、釈迦牟尼は|美男でいらっしゃる。 ○ |夏木立 かな (夏) その大仏と高徳院の中庭をを取り巻く|夏木立も、青々と美しいことよ。 (『恋衣』(明治38年1月刊)) 鎌倉の高徳院の大仏を拝観に行った人は、まず、大仏の御前である中庭に立ち、敬虔な気持ちで大仏に手を合わせ、祈りを唱える。さて宗教的行為である拝観が一段落すると、普通の俗人の日常の姿勢と精神状態に戻り、カメラを取り出したり散歩したり、また、みやげ物を物色したりしながら、改めて大仏を一つの風景として鑑賞する。そしてこの晶子の短歌を思い出し、大仏は「美男におはす」という晶子の品定めを、本当にそうかなあなどと考える。多くの人は晶子に賛同するのではないだろうか。大仏は、少なくとも、醜男(ぶおとこ)でないことは確かである。そして、夏であれば、中庭を取り巻く夏木立をゆっくりと眺め、古都鎌倉を訪れたことを実感し、改めて満足する。 信仰の対象であるべき大仏を美的対象として扱い、その上、「美男」という、恋愛感情に近い見方で表現した点、また、阿弥陀如来である大仏を釈迦如来と誤って詠んでしまった点は、歌が発表された当時、歌壇や文学評論の世界にジャーナリスティックというか、スキャンダラスというか、ともかく議論を巻き起こした。 ○ほととぎす | 嵯峨へは一里|京へ 三里|水の| 清滝 | 夜の|明け やすき (夏) ほととぎすが鳴く。ここから嵯峨へは一里、京へは三里、水の| 清らかな | |この清滝の里の|夏の夜は| 早く | |明ける |ことよ。 嵯峨から桂川の支流清滝川をを一里ほど遡った所に、嵯峨清滝町などの地名がある。歌の通り水が綺麗なのでゲンジボタルが生息し、少し上流に神護寺などがある。夏の鳥として最も代表的なほととぎす、短夜、水の清らかな山里を配して、夏の朝のすがすがしさを描写している。嵯峨、京などの地名の美しさも、さりげなく活かされている。枕の草子によれば、平安時代の貴族たちも、ほととぎすの声を求めて山里を訪ね歩いた。読者を平安時代の世界へ誘ってくれるような、爽やかな一首である。 ○ 雲 な れど|秋の初めの| 光をば| 空に浮かんでいる雲であるが、秋の初めの|空の光を!| ○ 身に | 現せる|白毛(びゃくもう)の獅子 (秋) その身に集めて、空に姿を現した|白毛 の獅子|のような勇壮な姿である。 秋空に日の光を浴びて浮かぶ勇壮な雲塊に見出した巨大な獅子の姿。空の雲を何かに見立てる体験は、誰もがすることだが、その荘厳さの表現に於いては、晶子のこの短歌を待たねばならなかった。 ちなみに、「白毛の獅子」という言葉は、東西の古典にはあまり見当たらない。「金毛の獅子」なら、東洋では文殊菩薩の乗り物であり、禅の用語としても重要である。また、西洋では金毛の獅子エスカリという魔獣がいて、その金毛はいかなる武器も受け付けなかったが、聖なる武器ニーブレムを神から貸し与えられた英雄アイアロスに討たれたという話がギリシャ神話にある。 ○金色(こんじき)の小さき鳥のかたちして銀杏散るなり夕日の岡に (秋) 銀杏の黄葉・紅葉(こうよう)と落葉の美しさは、万葉集以来歌に詠まれてきたが、その一枚の葉の姿を「小さき鳥」と表現した最初の詩人は与謝野晶子である。この歌が教科書などに載り、多くの人によく知られるようになって以来、人々は銀杏の落葉をそのように見立てるようになった。晶子は、日本人の銀杏の落葉の画像的イメージを変えた、または新しく作ったのである。清少納言は枕草子初段に「春は曙」と書いたが、春と曙を結びつけて美とした表現は、文学史上これが初めてである。また、芭蕉が「古池や」の句で、「蛙(かはず)」と「古池」を結びつけるまでは、「蛙」は「山吹」と取り合わせられることが多かった。優れた文学作品は、人々の心の中の風景の構図を変える力を持っているようだ。 ○ |霜月や| 恋の |つもる に|なぞらへて | 寒さの深まり行く|霜月!|私の恋が一つ一つ薄絹のように|積み重なってゆくのに|似せる ように、 ○衣 重ぬる 夜 と|なりし| かな (冬) 衣を一つ一つ重ね着して夜を過ごす季節と|なった|ことだなあ。 「恋のつもる」というイメージと「衣重ぬる」というイメージを重ね合わせた点に、晶子の比喩表現における才能が遺憾なく発揮されている。 ○白 よりも紅(べに)の椿の |寂しさ を| 知りて 嘆け ば 白い椿よりも紅 の椿の方に|寂しさがあるということを|私は知っていて、その思いを嘆いて吐露したら、 ○君 も |なげきぬ (冬) 恋人も共感して|嘆い てくれた。 悲しみの象徴に使われることも多い白より、一見華やかで、喜びの象徴とされることの方が多い紅の方が、その奥に寂しさを湛えているという。これも実は晶子の自己讃美かも知れない。――表面はこんなに美しく華やかに見えるかもしれない私ですが、実は、心の底には深い寂しさを湛えているのです、それを彼に打ち明けたら、彼も共感してくれました…。 |
作詞:与謝野晶子 作曲:上原真佐喜 【語注】 春曙抄 「枕草子春曙抄(まくらのそうししゅんしょくしょう)」とも言う。枕草子の注釈書で、著者は江戸初期の著名な古典学者北村季吟(1624〜1705)。延宝2年(1674年)に成立。12巻。刊行以来、明治にいたるまで版木が摩滅するほどに版を重ね、近代になってからも『枕草子』のもっとも信頼すべき注釈書としての名声を保ち続けてきた。短歌の中に『春曙抄』の言葉を置くことによって枕草子に描かれた華麗で優雅な宮中生活の様々な場面を読者に想像させ、ロマンチィックな情緒をかもし出す効果を生んでいる。 伊勢 伊勢物語のこと。平安時代初期に実在した代表的なプレイボーイ、在原業平の恋の遍歴を記した歌物語。これも短歌の読者を耽美の世界へ誘うものである。 霜月 旧暦では冬は「神無月・霜月・師走」だから、霜月は冬の盛り、また一夜一夜と寒さが深まり行く月である。 |