明 石
【解題】 源氏物語明石の巻の色々な場面を、六つの章句に分けて歌詞としたもの。物語の内容を正確に再現しているわけではなく、筋や場面を漠然と踏まえ、自由な詩の形式にまとめ、読者が物語の世界を想像し、また思い出すように仕向けている。 【解析】 第一歌 ○ 所から| |名にし負ふ|明石の浦の秋の頃、 場所 柄 |趣の深いことで|有名な |明石の浦の秋の頃、 ○月 冴え渡り 寄る 波に 映ろ ふ | 影の|面白 や。 月が冴え渡り、寄せる波に、映っている|月の光の|風情あることよ。 第二歌 ○この頃は|いとどしく |都の方の恋しき に 、 近 頃は|ますますひどく|都の方が恋しいので、 ○かかる |所の人 心(ひとごころ) |憂(う)き を|慰む |今宵 かな。 こういう寂しい|所の人の心 に|つらい 心を|慰める|今宵であるなあ。 第三歌 ○いつとなく|長き 夜を |語り|明石の |うらなくも、いか で | いつになく|長い秋の夜をあなたと|語り|明かしてしまった| |明石の | 浦 、 |隠さ ず に、何とかして|あなたに| ○ 岩 根 の|松の葉 の | |契りは| 末 も|変はら| じ | 。 言は(む) | 言お う | 岩 根に生える|松の葉の色のように、私たちの|約束は|将来も|変わら|ないだろう|と。 第四歌 ○ |幾夜 |明 石 | |の浦の波 |寄せては返り 浮き沈み| | あなたを思って|幾夜泣き|明かし|たことだろうか| |明 石 | |の浦の波のように|寄せては返り、浮き沈み|して来た| ○哀れ を思ふ|折からに 哀れを|添へて|鳴く千鳥。 哀れな身の上を思う|その時に、いっそう哀れを|加えて|鳴く千鳥。 第五歌 ○庭の落葉か村雨か| |かき鳴らす ことの音か 庭の落葉か村雨か、源氏の君が明石の君との別れに|かき鳴らした 琴 の音か。 ○よそに知られぬ |我が袖に|余りて|洩(も)るる|涙 か や。 人 知 れず濡らす|私の袖に|溢れて|洩 れる|涙であることよ。 第六歌 ○四智円明(ゑんみやう)の|明石潟 | |迷ひの雲も| うち |晴れて| 四智円明 の|証しのように風光明媚な| |明石潟 |の風景に、迷いの雲も| |疑いの雲も|きれいに|晴れて| |晴れて| ○八重 咲き出(い)づる|九重 の|都に帰る嬉しさよ。 八重桜の咲き誇る |宮中がある|都に帰る嬉しさよ。 【背景】 いとどしく 都の方の恋しきに 『源氏物語・須磨の巻』で、源氏が都から海路明石に向かう途中、難波でのこととして、次の記述がある。 ○なぎさに寄る 波の、 |かつ|返る を| 見たまひて、「うらやましくも」と 渚 に寄せる波が、寄せては|また|返すのを|ご覧になって、「うらやましくも」と ○うち誦(ずん)じ|たまへる 、さる 世 の 古ごと |なれども、 口ずさみ |なさった詩句は、それは世間で言い古されたこと|であるが、 ○ |珍しう |聞きなされ 、悲し と| のみ |御供の人々 |思へ|り。 こんな場合は|耳新しい|印象を受けて、 |御供の人々は| |悲しいと| | |思う| |ばかり|だっ |た。 上の文章の「うらやましくも」の句は、さらに『伊勢物語・第七段』の次の話を踏まえている。 ○昔、男 ありけり。京にありわび て、あづまに|いき|ける| に、 昔、男がい た 。都に住みづらくなって、 東 に|下っ| た |時に、 ○伊勢、尾張のあはひの海づらを行く に、浪の| いと |白く立つ を見て、 伊勢・尾張の 間 の海 辺 を歩いていると、浪が|たいそう|白く立つのを見て、 ○いとどしく|過ぎ ゆく| |かた|の|恋ひしきに| ひどく |過ぎ去ってゆく|都の| 方 |が|恋しいのに、私は帰ることができない。 ○ |うらやましく| も |帰る 浪 | かな 《返る》《浪》 それなのに、うらやましい|ことに、 |浪は| |帰る |ことだなあ。 ○と|なむ|詠め|り|ける 。 と| ! |詠ん| だそうだ。 かかる所の ○須磨には、いとど | 心づくしの 秋風に 、海は少し遠けれ ど、行平の中納言の 須磨では、いっそう|あれこれと悲しい思いをさせる秋風に乗って、海は少し遠い けれど、行平の中納言が ○「関吹き越ゆる」と|言ひ| けむ |浦波 、夜々 は|げ に|いと 近く聞こえて、 「関吹き越ゆる」と|詠ん|だという|浦波の音が、夜はいつも|ほんとうに|たいそう近く聞こえて、 ○ またなく|あはれなる|ものは、かかる 所|の|秋なり けり。 この上なく|趣のある |ものは、こういう|寂しい所|の|秋なのであった。 (源氏物語・須磨) 上の「関吹き越ゆる」は、 ○旅人は袂涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風 (続古今集・在原行平) を指しているらしいが、「浦波」とはなっていない。在原行平ではなく、壬生忠見の歌に、 ○秋風の関吹き越ゆるたびごとに声うち添ふる須磨の浦波 (新古今集・巻第十七・壬生忠見・1599) があり、本文の「げに」とも対応するので、むしろ忠見の歌の引用と思われる。 四智円明(しちえんみょう) 四智とは、次の四つの智恵である。 1.大円鏡智(だいえんきようち):全てのことを、鏡に映るごとく明らかに観ずるもの。 2.平等性智(びやうどうしようち):我と他、此れと彼の差を見ず、平等一如の観を言う。 3.妙観察智(みようかんざつち):正邪を弁別し、説法断疑を司るもの。 4.成所作智(じようしよさち):自利自他の妙業を成就するもの。 眼、耳、鼻、舌、身、意などの感覚から生起する意識が迷いを生むが、人は四智によって、迷いを超越することが出来る。「円明」は、悟りの世界が円満で透明であること。唯識派で説く。 |
作詞:不詳 作曲:生田検校 【語注】 かかる所の⇒背景 かかる所の人 源氏が明石で出会った明石の君このと。 慰む マ行四段の連体形。ここは他動詞なので、下二段の「慰むる」が正しい。 かき鳴らすことの音 源氏物語明石の巻に、明石を離れる前夜、琴をかき鳴らし、明石の上の箏と合奏したことが書かれている。 四智円明⇒背景 のみ 語順を変えて訳すとよい。 返ると浪は縁語。 |