31a 植物の世界「花の色のメカニズム」
〈青色の研究〉
花弁の細胞のpHは普通弱酸性なので,ヴィルシュテッターの説の通り,赤(酸性)
から紫(中性)の花色においての微妙な変異にはpHが影響しています。また開花後,
日数が経つに連れて花色が青から紫へ,更に紫から赤へと赤味が増すことがありますが,
これも細胞液のpHが有機酸の蓄積によって酸性になって行くと云うことで説明出来ま
す。
しかし,青の花色は柴田教授の指摘の通り,ヴィルシュテッターのpH説では説明出
来ないため,花の色の研究は,主に青の発色のメカニズムの解明に向けられて来ました。
この問題を解明するには,青色を発現する色素を自然状態で取り出して調査する必要
があります。アントシアニンは酸性の状態で安定するため,一般に酸を用いて取り出し
ますが,それでは青い色素も赤い色素に変わってしまいます。自然の色調を変えずに色
素を純化することは,色素が変性しやすく難しいが,1957年に旧東京教育大学植物生化
学林幸三教授は,ツユクサの青い花弁から青色色素を結晶として得ることに世界におい
て初めて成功しました。これによって,この分野の研究が急速に発展しました。
これまでの研究においてツユクサ,ヤグルマギク,サルウィア・パテンスの青は柴田教
授等の金属錯体説のように,赤色のアントシアニンと淡黄色のフラボンやマグネシウム
や鉄などの金属元素からなる複雑な複合体によって発現していることが分かって来まし
た。
またアジサイの青は,アントシアニンと有機酸の一種及びアルミニウムからなる複合
体によって発現しています。例えば酸性の土壌においては,アルミニウムがアジサイの
根から吸収されやすいので花の色は青くなりますが,吸収されるアルミニウムが少ない
と赤くなります。アルミニウムが十分に吸収されていても,有機酸が少なかったり有機
酸の働きを阻害する成分を持っている品種においては青色になりません。アジサイの他
に,コピグメントの共存によって青から青紫の花色が発現しているものにはアイリス,
パンジー,スイートピー,フクシアなどがあります。
またキキョウ,リンドウ,シネラリア,ロベリア,アサガオ,トリカブト,デルフィ
ニウムなどの花においては,アントシアニンに結合している糖の部分に芳香族の有機酸
と糖からなる長い鎖が結合しており,結合している有機酸がコピグメント的に作用して,
青から青紫の色が発色しています。このように自然界においては,実に巧妙な仕組みに
よって美しい花色が作り出されているのです。
〈花の色と紫外線〉
同じ種類の植物でも,高い山地に咲く花の色は,平地のものより色が濃く鮮やかなこ
とが多い。これは高地の花の方が色素を多く含むためで,花に含まれている色素成分の
組成は変わりません。
高地の方が色素が多いことには,おそらく気候や太陽光に含まれる紫外線が関係して
います。高地においては昼間は空気が平地より澄み切っているので,適度に紫外線が当
たり,また夜間は平地よりも冷え込みます。こうした紫外線や低温が,植物にストレス
として働き,色素の合成を盛んにするのです。
紫外線が色素の合成を促進するのは何故でしょうか。紫外線は植物にとって有害であ
り,DNAを変性させて突然変異を起こしたり,細胞を死に至らせたりします。フラボ
ノイド系のアントシアニン,フラボン,フラボノールなどの色素は,紫外線を吸収する
性質を持っています。これらの色素は,花弁や葉の表層の細胞に偏って存在し,紫外線
を吸収して内部へ進入するのを防御しているのです。最近の研究においては,紫外線が
色素の合成に関係している遺伝子の働きを活性化し,その結果合成された色素が,有害
な紫外線の防御物質として働いていることが分かって来ました。植物の示す一種の環境
適応反応と云えましょう。
〈多彩な花を持つ品種の作出〉
園芸植物においては,花の色の異なった品種同士で交雑し,今までになかった色の花
が咲く品種を作る試みが,古くから行われて来ています。近年では更に,花の色素分析
の結果を踏まえた交雑やバイオテクノロジーの導入などが盛んに行われ,これまでには
出来なかった花色を持つ花が実に多く見られるようになっています。
中でもバラの育種には非常に長い歴史があり,古くからヨーロッパを中心に品種の改
良が続けられて来ています。現在においては白から黄,橙赤,ピンク,赤に至るまで多
彩な花色が見られます。
しかし,「ブルーローズ」と云う英語に「ありそうもないこと」と云うような意味が
ある通り,青いバラの作出は,バラの育種家の夢と云われています。
これまでの研究から考えますと,ツユクサやヤグルマギクに見られるような複雑な青
い錯体は,それぞれに特有のアントシアニンとフラボンを持っており,バラにおいてこ
の二つの色素を同時に生み出すように交雑種や突然変異を作ることは殆ど不可能でしょ
う。しかしバラの花にデルフィニジン型のアントシアニンを導入することが出来れば,
バラの花にはフラボノールが含まれるので,コピグメンテーションによって青いバラが
作出出来るかも知れません。
一方,花の色素の生合成についての研究も進んでおり,色素の合成に関与している遺
伝子のクローニングも行われるようになっています。ペチュニアにおいては遺伝子組み
換えによって,これまでに見られなかった橙赤色の花を咲かせることに成功しました。
また,デルフィニジン型のアントシアニンにする反応に関わっている遺伝子が,ペチュ
ニアからクローニングされ,これを他の植物に導入する試みも既に始まっています。花
の色のメカニズムが,遺伝子レベルで解明されるようになって来ていますので,その面
からの品種の作出もいろいろと試みられましょう。
[花色と色素の構成]
主波長 色素系の示す 代表的な植物と花色 主要な色素成分
花色 色相領域
(色相)
・・・
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ バラ(クリーム色) フラボノール
フ カ オ カ ベ バラ(黄色) カロチノイド
573 ラ ル ・ ロ タ ボタン(黄色) カルコン
〜 ボ コ ロ チ レ キンギョソウ(黄色) オーロン
578 ン ン ン ノ イ ダリア(黄色) カルコン・オーロン
黄色 ・ イ ン マツバボタン(黄色) ベタキサンチン
フ ド
ラ
ボ
ノ
・・・ ・
ル マツバボタン(橙色) ベタキサンチン・ベタシアニジン
586 ↓
〜
597 ↑ キバナコスモス(橙赤色) カルコン・オーロン・シアニジン・ペオニジン
橙色 ア バラ(橙赤色) カロチノイド・シアニジン・ペラルゴニジン
ン コオニユリ(橙赤色) カロチノイド
ト ↓ ゼラニウム(橙赤色) ペラルゴニジン
・・・ シ バラ(褐色) シアニジン・ペラルゴニジン・カロチノイド
608 ア ↓ バラ(朱赤色) シアニジン・ペラルゴニジン・カロチノイド
〜 ニ キク(赤色) シアニジン
500c ン バラ(赤色) シアニジン
赤色 オシロイバナ(赤紫色)ベタシアニジン
↓ マツバボタン(赤紫色)ベタシアニジン
・・・ ハマナス(赤紫色) シアニジン・ペオニジン
527c コスモス(赤紫色) ペオニジン・シアニジン
〜 ジャーマンアイリス(褐色) デルフィニジン・キサントン・カロチノイド
462 クロユリ(黒褐色) シアニジン
紫色 ↓ チューリップ(黒褐色)デルフィニジン
パンジー(紫色) デルフィニジン
・・・ シネラリア(青紫色) デルフィニジン(ケイ皮酸エステル)
キキョウ(青紫色) デルフィニジン(ケイ皮酸エステル)
469 ハナショウブ(青色) マルビジン・ペチュニジン+(キサントン)
〜 ヤグルマギク(青色) シアニジン+金属+フラボン
484 アサガオ(青色) シアニジン・ペオニジン
青色 ツユクサ(青色) デルフィニジン+金属+フラボン
アジサイ(青色) デルフィニジン+金属+有機酸
・・・
490 チョウマメ(水色) デルフィニジン(ケイ皮酸エステル)
〜 メコノプシス(水色) アントシアニン(シアニジン?)
497 ワスレナグサ(水色) デルフィニジン
水色 ↓ アジサイ(水色) クロロフィル・デルフィニジン+金属+有機酸
・・・
↑ バラ(緑色) クロロフィル
511 ク シンビジウム(緑色) クロロフィル
〜 ロ カーネーション(緑色)クロロフィル
547 ロ アジサイ(黄緑色) クロロフィル
緑色 フ
ィ
ル
↓
・・・
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