32 植物の世界「里帰りの植物たち」
植物の世界「里帰りの植物たち」
参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
[園芸界に寄与した日本の植物たち]
人間が食用に利用したことのある植物は,約1万種が知られています。しかし,その
中において重要な食用栽培植物は数百種しかありませんし,中でもカロリー源として主
食に利用される穀物やイモ類は,数十種が専ら栽培されているに過ぎません。
ところが花や葉を観賞に利用する園芸植物は,次々に変わったものが登場して来ます。
今まで身近になかったものの方が貴重で,珍奇で,珍しがられて,園芸界においては評
価が高くなります。同じようなものでも,外国原産の植物の方が値段も高くなります。
〈エキゾチックか佇タタズまい〉
オランダのライデンは,わが国の植物を研究する者にとっては聖地の一つです。江戸
時代の後期,シーボルト(1796〜1866)がわが国から送った標本や生きた植物は,現在
もライデンの王立植物標本館や植物園において大切に保管され,栽培が続けられていま
す。
その標本館における一日の仕事を終えて,北国の夜が来るまでの長い夏の夕方,街の
中を散歩してみますと,いろいろな日本の植物たちに出会うことが出来ます。ツルアジ
サイが宿舎のレンガの壁に這わせてあったり,植え込みの下草(グランドカバー)にフ
ッキソウが植え付けられています。そして幼稚園の小さな庭には,タケニグサが茂って
いました。このケシ科のタケニグサは,わが国においては見向きもされない植物の一つ
ですが,エキゾチックな雰囲気を漂わせている奇妙な草です。「公園の植え込みに利用
したら,一寸良い植物なのに」と日頃考えていましたら,先日,東京の渋谷の公園の中
に1株残され,開花しているのに出会いました。何処から飛んできた種子が芽生えて大
きくなったのか,引き抜かれずに育ったものらしい。
わが国においては民間薬として重宝されながら,抜いても抜いても絶滅出来ないので
嫌われている雑草の一つのドクダミも,外国においては花壇の植え込みや植栽木の縁取
りに利用されています。考えてみますと,ドクダミの花も綺麗ですが,葉も面白い形を
しています。わが国においては何処にでも見られますので観賞植物にはされませんが,
もしそうでなければ,丈夫な観賞植物の一つです。事実,わが国においても園芸品種の
八重咲き,五色,斑入りのドクダミが知られています。
このように,原産地の日本においては嫌われたり,見向きもされていない植物が,欧
米においては重要な観賞植物とされている例は挙げれば幾らでもあります。欧米の植物
園においては,植物の名札によく整備されていますが,日本名は書かれていません(学
名が書かれています)。そこで,わが国から欧米に見学に出かけた研究者が,植物園の
植物を見て「これを日本に持ち帰ったら」と思ったものが,実はわが国原産の植物であ
ったと云う,笑い話にもならないお粗末なことも起こります。
〈テッポウユリは日本が故郷〉
そして,わが国においても園芸的に利用されていましたが,それが欧米に渡って品種
改良され,わが国に戻ってもてはやされている植物も,いろいろあります。その典型的
な例は,切り花に多く用いられているユリの仲間でしょう。純潔のシンボルでもあるテ
ッポウユリは,ヨーロッパか米国が原産であると思い込んでいる人が案外に多いようで
す。鹿児島大学理学部生物学科の臨海実習のとき与論島に出かけ,至る所に生えている
テッポウユリを見て,学生等は栽培ユリが野生化したものと思い込んでしまいました。
実はテッポウユリは南西諸島の原産で,既に17世紀にヨーロッパには知られていたの
でしたが,ツンベルク(1743〜1828)が正式に学会に報告し,そして1829年,シーボル
トが生きたテッポウユリを最初に導入したのです。この株は開花に至らず枯死して,
1840年になって再度送られた球根が初めて開花します。存在が知られてから,生きたも
のの開花を見るまで150年程も経過しています。
当時,わが国の植物を生きた状態でヨーロッパにまで運ぼうとしますと,赤道を越え,
南アフリカの喜望峰を回ると云う大変な事業でした。そしてテッポウユリは,あっと云
う間にそれまでキリスト教の宗教行事の用いられていたマドンナリリーに取って代わり,
大量に利用されるようになります。キリスト教と結び付いたためか,わが国においては,
テッポウユリはヨーロッパの花の香りのするユリになってしまいました。
〈欧米において姿形を変えて〉
最近になって,わが国においても切り花として多く栽培されるようになったものの一
つに,オリエンタル・ハイブリッドと呼ばれる数多くのユリの品種群があります。[カサ
ブランカ]に代表される,大型で芳香が強い花を咲かせるこの品種群の親になったのは,
実はヤマユリ,カノコユリ,ササユリ,オトメユリ,ウケユリ,タモトユリなど,全て
わが国原産のユリなのです。
カノコユリの存在は,既に1692年にマイスターによって知られていましたが,1690年
に来日したケンペル(1651〜1716)は,1712年に「Kanokko Juri」の名前でこのユリの
紹介をしています。生きた球根をヨーロッパにもたらしたのもシーボルトで,1832年に
開花した大センセーションを巻き起こし,ユリの王様と呼ばれました。
カノコユリ以上に立派な日本のヤマユリの,生きた植物が欧米に知られ開花しますの
は,それより遅れて1860年代になります。そして,驚いたことには,その1860年代に両
種の交配により最初の園芸品種の育成が行われました。わが国の南西諸島に特産するウ
ケユリやタモトユリが欧米に知られるのは,もう少し後です。これら日本列島に特産す
るユリは,大型で明るい花,強烈な芳香によって特徴付けられ,世界に類を見ない美し
いユリの一群を形作っています。
このわが国特産のユリを園芸的に改良する試みは,欧米において盛んに行われ,1950
年代になりますと次々に新しい交配品種が育成されて来ます。それがわが国に紹介され
て,それに刺激されて,わが国においても種間雑種から育成された品種が次々に発表さ
れるようになるのは,1980年代になってからです。オランダにおいて育成された[カサ
ブランカ]は,切り花として輸入され,1980年代の後半にわが国においても売り出され,
現在では各地において栽培されるようになりました。既述のようにその親になったのは,
全てわが国原産のユリです。
このオリエント・ハイブリッドは,本当はジャパニーズ・ハイブリッドと呼ぶべきもの
だと主張されますが,それも尤もなことなのです。それと共に,ウケユリやタモトユリ
を含めて,これらわが国のユリは江戸時代の園芸書に既述が見られます。それでいて,
残念なことにオリエント・ハイブリッドの育成の中心は,長く欧米にあったことも確かな
ことです。
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