さすがに30も半ば近くなってくると
と、書いてから闇雲に日々は過ぎ
40近くなってくると、になってしまいました
置いといて
以前より「アレ欲しい、コレ欲しい」がなくなってきたような気がします。
が、このエデン・ベベを手に入れた25歳の頃はビスクドール命!でした。
まさしく字の通り、寝ても覚めてもビスクドールの事ばかり。
高価な(洋書で専門書だから)人形の本におこづかいを費やし、
英文は自分流に読み飛ばし、
展覧会・即売会には足繁く通い、ソフビ人形は処分しと、なりました。
夢の中にも、ビスクドールが、何回も出て来ました。
出てくる光景はいつも同じ、学校の教室らしい部屋に
これでもか!
と、いう数のアンティック・ビスクドールが並べてあるのです。
私・・・これは何故か25歳の私
は、手にしたお財布からお金を出して人形を買おうとします。
が・・・お財布はあるのに中身はカラッポで人形が買えません。
いつも、そこで目が覚めてしまいます。
後日、その話を知人にした所
「それは買えなくて良かったよ。買えていたら、あちらの世界へ行っていたよ」
ひ〜っ(汗)
どうやら人間、願いがかなってしまうと危ないそうですわ (^_^;)
怖っ!
さてさて、この人形はそんな状態の私が2回目の海外旅行で見つけてきました。
この時はフランス−イギリスのみの旅行でドーバー海峡をフェリーで渡りました。
ユーロスターの出来る前の話です。
ビスクドールの師匠と私が勝手に思っている神谷 圭子先生が
お持ちのエデン・ベベという人形がとてもかわいく、
神谷先生からいただいたエデン・ベベの写真を手に
「こんなエデンがいたらいいなぁ」と、出かけました。
クリニャンクールも随分と歩いたけれど、前回のジュモウ8号でさすがに大きい人形を買うのは懲りました。
予算に合う人形もなく、ここではミニョネットばかりを購入しました。
ミニョネット(9.5cm〜21cm) |
リュクサンブール公園の近くにメゾン・ド・プッペという人形屋があるのは、
神谷先生から伺っていましたが正直、期待はしていませんでした。
メゾン・ド・プッペのショーウィンドウ | 店内の様子 |
相変わらずのボディランゲージとカタコトのフランス語で、
先生からいただいた写真を見せながら「コムサ」(このような)エデンがいないかと聞いてみた所・・・。
一段高くなった所から「エデンあるわよ」と、いとも簡単に持ってきてくれたのがこの人形でした。
顔アップ | オープンマウス4枚歯 | あまり見る機会のない横から |
息を呑むという言葉がありますが、人形との出会いがまさしくそれです。
約90年前の人形が子供と遊ばれながらも割れないで、いやそれ以前に二度の戦争を潜り抜けて、
今、ここに存在しているという、それも私の事を待っていたかの様な錯覚さえおぼえさせるその瞬間。
その瞬間がある限り私の人形熱も冷める事はないと思うのです。
目は石膏で固定されています | ヘッドマーク EDEN BEBE PARIS 7 |
全身42cm | 後姿 |
人形はドレスも下着も靴もない裸ンボの状態でしたが
とりあえずマダムのお見立てで、あるものを着せてもらい、
(神谷先生のエデンベベとは、また違うタイプの顔立ちでしたが)
私にとっての最初のエデン・ベベがこうして手元に来ることになったのでした。
ウィッグを取った方が、顔立ちがスッキリと、わかります
今までにエデン・ベベのボディを数十体、見てきましたが
この関節部分が斜めにカットされているのが
この会社のオリジナルボディでは?と思います。
ここがカットされているのでお座りがとても容易に出来ます。
またこのボディは「パパ・ママ笛」が入っております。
左脇の紐を引くと「パパ!ママ!」というより「ミュッ!ミュッ!」というちょっと表現しずらい音を出します。
凝ったデザインでは、ないけれど・・・ イイ! |
生地がいいのよ〜! | 下着と靴下 |
ウィッグをとると・・・ | こんな感じです |
その年に作った年賀状 傘は1875年頃のもの |
クリニャンクール
ゴチャゴチャしてるのって、わくわくします | ドイツ人形とジュモウ(後期) |
ブリュ・テトゥール | ゴーティエ | スタイナー・ドイツの男の子 右の豚さん、買ってくれば良かった! |
ルーブル・アンティケール
ゴーティエとジュモウ2体・右は珍しい1号サイズ |
そのころのロンドンの人形屋さん
オートマタ・ジュモウ・ベア | ドイツ人形 |
ジュモウ3体(ドレスは今出来のもの) | ジュモウBOX入りとベア |
余談ですがこの頃、パリやロンドンで見た人形を
数年後、日本の人形屋さんで見ましたわ〜。
1989年・9月・パリ
メゾン・ド・プッペにて購入
作成年月日1999年1月28日
2002年5月30日 全面改定