書写山(371m) 姫路市 25000図=「姫路北部」
建ち並ぶ伽藍とシイ・カシの森
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書写山東坂参道 登り口付近で石英斑岩を観察 |
一千年の昔、九州から新たな霊地を求めて旅に出た性空(しょうくう)上人の行く手に、一行を導くように動く紫色の雲があった。
姫路にさしかかった時、その雲が止まり、山をつつんで動かなくなったという。上人は、これを仏の導きだと思い、この山に入っていった。
これが、姫路市の北西部に位置する書写山である。その山頂一帯には、性空上人によって開かれた天台の古刹“円教寺”の境内が広がり、多くの伽藍が建ち並んでいる。
今日は姫路科学館の自然教室「播磨の地質・岩石を調べよう」に参加した。総勢21名のうち、半分が子供。なかには、虫取り網を持って来ていた子もいたが、お寺の山なので生き物をとってはいけないということを聞きがっかり。
東坂の住宅地を抜けて山に入ると、すぐ山陽自動車道のトンネルの上を越すことになる。尾根通しの道は、岩石がむき出しの部分が多く、その岩盤の上を登っていく。
途中、観察ポイントで立ち止まって説明を聞いたり、標本を採集したりした。岩石は、白亜紀後期の石英斑岩や溶結凝灰岩など。その上に、アカマツを主とする貧弱な植生が広がっていた。
東坂参道の道(岩石は溶結火山礫凝灰岩)
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汗が吹き出る酷暑の中、小さな子供が採集した岩石を入れた袋を大事そうに持って登った。
ロープウエイ山上駅でちょっと遅めの昼食をとった後、今日の観察のまとめをして自然教室は解散。私と息子の二人は、一行と別れてここから円教寺そして書写山最高所をめざした。
コジイ・アラカシなどが樹影をつくる巡礼の道を、仁王門をくぐり、寿量院、十妙院と登っていった。スギの大きな木が多くなった。権現坂を下ると、壮大な舞台造りの摩尼殿が岩壁に浮かんでいた。
摩尼殿の横にある広場のベンチで休んだ。生徒と共に写生大会に来たこと、結婚したばかりの正月に妻と二人で初詣に来たこと、家族三人で西坂から登ったときのこと……いろいろと思い出した。
円教寺摩尼殿
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摩尼殿の裏から書写山山頂付近の白山権現まで自然探勝路が続いていた。アラカシ・ウラジロカシ・コジイ・スダジイなどに、ヒノキやモミ・ツガが混じるうっそうとした森の中の道である。
参拝客や観光客でにぎわう下の境内とはうって変わって、静まり返った木々の中に小鳥の声がする。
木の根階段の急坂を登り、勾配が緩くなるとそこには白山権現が佇んでいた。祠は、この峰で一宿をとったとされる素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀っていた。
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白山権現への木の根道 |
かつて、この山は「素盞の杣(すさのそま)」と呼ばれていて、これが書写山の名の由来となった。
白山権現のすぐ裏が標高371mの書写山最高所である。標石のない静かなこの山頂に、古い山名プレートがひそやかに置かれていた。
ロープウエイからの姫路の街
(正面の小丘は八丈岩山)
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最高所を西に降りて、格調ある大建築の三つの堂を見て、金剛堂の先の展望所に立ち寄った。播磨灘が一望できるこの展望所から、この日は工場が建ち並ぶ海岸線が白く見えるのみであった。
観光馬車が通った道(今年の3月廃止)を、ロープウエイ山上駅まで帰った。
山行日:2000年7月9日
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