成 山(52m) 洲本市 25000図=「由良」
ハマボウ咲く成ヶ島の砂州を歩く
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成山山頂より成ヶ島を望む |
ハマボウの咲く頃、成ヶ島を訪れた。
由良の桟橋から、渡船に乗って約1分、あっという間に成ヶ島に着いた。
船着場には小さな神社があって、あたりは広場になっていた。神社に参り、近くの案内板などを見ていると、次の渡船がやってきて大勢の人たちが下りてきた。定時便は1時間に1本だが、人が集まるとどんどん渡してくれるありがたい渡船である。
はじめに、島の北端にこんもりと突き出た成山(なるやま)に上ることにした。登山口には標識が立ち、そこから成山の森に入った。木々がうっそうと茂り、森の暗さに目が慣れるまで少し時間がかかる程だった。
ところどころに、成層した砂岩や泥岩が表れた。この山は、白亜紀の和泉層群の地層からできている。
道が緩くなり、その先の石段を上ると、もうそこが成山の頂上だった。
成山の山頂は、広くきれいに整備されていて、江戸初期にあったという由良成山城の面影はどこにもなかった。
展望台に立つと、南に成ヶ島の全貌を望むことができた。もやがかかった水色の海に、砂州がSの字を引き伸ばされたような曲線を描いている。砂州の先端には高崎の高まりがあって、その高崎と淡路島本島との間に開かれた今川口から一そうの船が白い尾を引きながらゆっくりとラグーン内に入ってきた。
目を東に移すと、由良瀬戸をはさんで友ヶ島が浮かび、その先遠くに紀伊半島の山並みが薄くスカイラインを引いていた。
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成山を対岸より見る |
成山山頂 |
成山の山頂から北へ下った。山の北側は急崖で海に落ちている。山道から見下ろすと、ウバメガシやトベラの幹の間に、海の青が見えた。
道は西へ回りこみ、シイの森を抜けて狭い低地に下りていった。道は、草むらから海岸へと続き、元の船着場に戻った。
休憩所でお茶を飲んで、しばらく暑さをしのいだ。今度は、そこから外海側に出た。海岸の手前には、ハマゴウが咲き誇っていた。枝の先に、紫色の花を数多くつけている。勢いよく伸び、大きなものは高さが人の背丈ほどもある。茎が砂の上を放射状に伸び、浜辺にどんどん広がろうとしていた。
浜辺には丸くなった砂岩の小石がならんでいた。砂岩の色がさまざまでおもしろかった。
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ハマゴウの群落 |
外海 |
そこから南に進んだところに、ハマボウの自生地があった。ハマボウの群落に足を踏み入れると、あたり一面の黄色い花に囲まれた。5枚の花弁は、ふわりと柔らかく、夏の日差しを浴びて優しく咲いていた。
ハマボウは、朝開いて夕方咲き終わる1日花。風に吹かれてゆるく揺れ、ときどき枯れた花がぽたりと落ちた。
ハマボウは、兵庫県のレッドデータブックAランクに指定されている。今では、海岸の開発によって消滅し、群生地として残っているのは兵庫県ではここだけである。
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ハマボウの群落 |
ハマボウ |
ハマボウの自生地から内海側に出ると、塩沼湿地が広がっていた。そこには、緑の葉でこんもりと丸くなったハママツナが生えていた。ハママツナも、Aランクの貴重な塩性植物で、群落の周りにはネットが張られて保護されていた。秋には見事な赤色に染まるという。
砂州の中の道を、南へ進んだ。外海側には防波堤が伸び、内海側には湿地が広がっている。道の両側は、トベラの木。砂の上には、ハマゴウが茎を伸ばし、ノラニンジンの小さな白い花が幾何学模様をつくっていた。
防波堤が切れたあたりで、砂州の幅が少し広くなった。砂の上にハマゴウを分けて道が続いている。ウバメガシの林に入っていくと、その中にもう一つのハマボウの自生地があった。
ハマボウの花のトンネルをくぐるように歩いた。あたりには、花の甘い香りがかすかに漂っていた。カワラヒワがキリキリと声を上げて、足元から次々と飛び去った。
自生地を内海側に出ると、塩沼があって、その周りにもハマボウが生えていた。海水に浸かるハマボウは、温帯のマングローブとも呼ばれている。
そこから、小石や砂を上を歩いた。ところどころに、ハナウドが茶色に枯れて立っていた。砂州は狭くなり、砂はテトラポットと防波堤と石積みの下に隠れた。防波堤のコンクリートの上を、真夏の日差しを浴びて歩いた。
ウミウが、翼をバタバタと海面に打ち付けて飛んでいった。コンクリートのすき間にハマボッスが茶色の実を付けていた。
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塩沼湿地のハマボウ |
防波堤の上を高埼に向かう |
防波堤の上を1kmほど歩いただろうか、ようやく成ヶ島南端の高崎のふもとに達した。草が生い茂った道を上ると、その道はまたすぐに下って海岸に出た。海岸を進むと、先端の手前で、細い道が山に上っていた。
テイカズラなどのつるが木々にからんでジャングルのようになって、その道は消えかかっていた。頭から突き進むと、古い石段があって石垣が組まれていた。幕末に外国船への備えとしてつくられた砲台跡である。その上に、白い高崎灯台が立っていた。
灯台の周りは木々に囲まれ展望は開けていなかった。灯台を見上げると、そこだけポッカリと開けた空間に電線が伸びて、その上に青い空が広がっていた。
※成ヶ島の地質については、「陸繋島の間にできた砂州、成ヶ島」をご覧下さい。
2008年7月20日