平石鉱山跡の石垣(一番下の石垣で長さ約80m、上はトロッコ道)
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神河町川上の東に位置する平石山。この山腹に、長さ約80mにも及ぶ石垣が残されている。平石鉱山跡である。
平石鉱山は、大正期に稼行していることはわかっているが、開山や閉山の時期など詳しいことはほとんど記録に残されていない。しかし、かつての繁栄は、石垣の遺構として今へと伝えられている。
※平石鉱山跡の詳細については、「平石鉱山の遺構と鉱物」を参考にして下さい。
川上集落から平石鉱山跡を訪ね、そこから稜線に出て平石山へと足を伸ばした。
集落の奥に架かる小さな橋の近くに車を止め歩き始めた。橋の下には水が音を立て流れ、ボタンヅルやアカソが花を付けていた。
まだまだ暑い日が続いているが、それでもこのあたりの秋の訪れは早い。
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ボタンヅル |
アカソ |
防獣ゲートを抜け、杉木立の下の舗装路をゆるく登っていった。林床はシカの食べないミツマタばかり。マツカゼソウの小さな花の白が、暗い林内に際立っていた。
ときどき、道の脇に露頭が現れた。露頭の岩石の中に、細くて黒い脈があった。ルーペで見ると、その脈は閃亜鉛鉱の結晶でできていた。道に転がる石の中からも、黄鉄鉱が見いだせる。鉱山近しの様相が漂ってきた。
道が大きく曲がったところに、お堂が建っていた。その左にかかっている滝が黒滝である。落差は5mぐらい。水は突き出た岩の上で二つに分かれ、音を立てて勢いよく流れ落ちていた。
滝の上には、不動明王と地蔵菩薩の二体の古い石仏。しめ縄も張られていて、今もこの滝が地元の人たちに大切に祀られていることがわかる。
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黒滝 右上に二体の石仏が見える |
黒滝から土の道となった。地面はコケにおおわれ、その上にチドメグサがびっしりと生えている。ふかふかとやわらかい道は、気持ちよく歩けた。
ヒガラやエナガの声が聞こえてきた。道の脇の草むらから、一羽のヤマドリが飛び立ち猛烈なスピードで逃げていった。その大きな音にびっくりして立ち止まると、同じところからもう一羽が飛び立って、またびっくりした。
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鉱山跡への作業道 |
道をおおうチドメグサ |
作業道の終点から、急な斜面に細い道が斜めについていた。スギの落ち葉を踏みながら登っていく。朝日が斜めに射し込み、木の影が長く伸びている。モントビヒメシャクがチラチラと飛んで、フタリシズカの葉に止まった。
三度、大きく折れて登っていくと、道の先に石垣が見えた。平石鉱山跡である。主要な石垣は2段からなっている。この隠された産業遺産を記録するために、メジャーで測ってみた。
下の石垣は、長さ78m。両端が崩れかけているので、実際にはもう少し長いかもしれない。高さは、一番高いところで3m20cm。これも下が土でおおわれているので、実際にはもっと高い。石垣の上には、奥行き2m余りの平坦面が長く続いている。ここには、トロッコのレールが敷かれていた。このトロッコで、排石を北の谷に運んでいたと考えられる。
上の石垣は、長さ47m。高さは1~1.5m。中ほどに切れ目があって、そこに石垣の上に登る道がつけられている。石垣の上には、奥行き5mほどの平坦面が広がっている。作業場だっと思われるが、ほとんど何も残されていない。ただ一つ、58×24cmの厚い鉄製の容器が横たわっていた。
この平坦面のうしろは、高さ5mほどの急な斜面で一部に石垣が組まれている。この斜面の上に、細い道が南東へ延びている。かつては、谷ぎわの坑口近くに木製のレールが残されていたというから、そりのようなもので鉱石を運んだ道だと考えられる。
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平石鉱山跡の石垣(下1段目、上2段目)
2段目は一ヵ所が途切れていて通路になっている |
急な斜面に水平に続くこの道を進んだ。右下の木立の向こうに、連続した岩盤を水が勢いよく流れ下っている。
道が沢にぶつかったところにも、高い石垣が築かれていた。沢の脇が大きくえぐれている。このあたりに坑口があったようだが、もう埋まっていて確認できなかった。
周囲には、排石(ズリ)らしき角張った小石が広がっている。ここで、閃亜鉛鉱・黄銅鉱・黄鉄鉱・硫砒鉄鉱や孔雀石・珪孔雀石、鉄電気石・方解石・水晶などを採集することができた。
ここで、道は途絶えた。ここから沢に沿って、ほとんど真っすぐに登ることにした。
少し登ると、また大きな石垣があった。長さ36m。石垣の上は、奥行き最大5m50cmの平坦面。さらに沢に沿って登っていくと、沢から少し左に離れたところに、こんもりと組まれた石垣が見えた。その石垣に近づいていくと、道跡がかすかに残っていた。道跡を進むと、二段の石段があってその先が下から見えた石垣の上だった。
そこには、花崗岩製の手水鉢がひとつ残されていた。正面に「奉納」、側面に「大正七年五月一日(二日?)」の日付と「鉱主」の下に三名の名が刻まれている。平石鉱山の歴史を伝える貴重な断片である。手水鉢の存在は、ここに山神社が祀られていたことを推察させる。
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鉱山跡に残る手水鉢 |
再び沢に戻って、急な斜面を登っていく。沢のガレ石や、脇の黒土の上をほとんど四つん這いになってよじ登った。木々の幹や地表に現れた根、飛び出した岩などがつかめるところはよかったが、つかむものが何もない所は、一歩踏み出してもズルズルと下へ滑った。
まだ上にも、石垣があった。二股の上まで登ると、沢の水は途切れがちになった。標高940mに最後の石垣が現れた。その石垣の上は、ガレ石や倒木で埋まっていた。
このあたりでも沢の石を割ってみると、黄鉄鉱や鉄電気石が出てきた。
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谷を登っていく |
まだ石垣が築かれていた |
最後の石垣の上も急な斜面が続いた。標高980mを越えるとようやく谷が広がり、スロープが穏やかになった。スギ林は途切れて、あたりはクリやミズナラなどの自然林となった。ウラゲエンコウカエデが生えていた。
コナラの幹にもたれかかって、ここで一休みした。樹上でヤマガラが鳴いていた。
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谷が広がり稜線が近くなった |
谷から右手に見える小さな尾根に出た。尾根の落ち葉を踏み、イワヒメワラビを分け、アセビを縫うと、南北に連なる主尾根に達した。
主尾根にはアセビが生い茂り、切り開きの踏み跡を隠していた。身をかがめてアセビの間を通り抜けると円く開けたところに出た。点名スイタニ、1056.4mのピークである。4つの保護石の中に、四等三角点の金属標が取り付けられていた。
東に、千ヶ峰から飯森山への稜線が浮かんでいる。西には、暁晴山と砥峰高原が近く、北西遠くには日名倉山から後山、三室山そして氷ノ山へ続く稜線がかすんでいた。
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1056.4m三角点(点名スイタニ)
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三角点から東の眺望
(左に千ヶ峰、中央に白岩山、右に飯森山) |
ここから尾根を北へ、平石山をめざした。密生したアセビを抜けると、尾根が開けた。
尾根は高低差があまりなく、ゆるく起伏を繰り返していた。リョウブやネジキなどの落ち葉の間に、コケが黄緑色で、ぽっ、ぽっと丸く盛り上がっていた。
地面に落ちたクリの実も、まだ小さくて色も淡い。ウリハダカエデの葉は、枝についているものも地面に落ちたものも、どれも穴がたくさん開いていた。
平石山の山頂が近づくと、尾根に岩が多く現れ始めた。岩と岩の間に、シコクママコナが群れて咲いていた。
山頂まであと少しというところで、尾根は再びアセビにふさがれた。地をはうように伸びたアセビの枝を上から踏みつけながら、すき間をつくって進むと、一本のクリの木に「平石山」の山頂プレートが掛かっていた。
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シコクママコナ |
平石山山頂 |
山頂のアセビを北に抜けたところに、イワヒメワラビが群生した見晴らしの良いところがあった。段ヶ峰からフトウガ峰への稜線がほとんど水平に広がっている。空には底のぼやけた積雲が列をつくるように並び、その上には巻雲が広がっている。薄日の射すこの草むらに、ツマグロヒョウモンやアキアカネがいくつも飛んでいた。
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イワヒメワラビの草むらから見る段ヶ峰(左)、フトウガ峰(左) |
平石山山頂からの下りも、アセビにふさがれて進みたい方向へどうしても行けない。とにかくアセビの群落を抜け出して大きく迂回し、北西尾根に出た。千町ヶ峰の大きな山体を正面に見ながら、尾根を下った。
コルまで下ると、「川上」と書かれた小さな赤い道標があった。道標に従って踏み跡を斜めに進み、支尾根に出たところから真っすぐに下った。
下草がほとんど生えていないスギの植林地を、どんどん下る。ヤマジノホトトギスが咲いていた。
やがて、左右からの谷が合流したところでその尾根は尽きた。そこから、谷に流れる沢に沿って下った。
沢の脇に踏み跡らしきものが現れたかと思ったら、すぐにまた途切れた。そのたびに、沢のガレ石の上を下った。
朝からずいぶん時間が立っていた。日の射し込まない谷間は、その暗さを増していった。地形図の破線路にとっくに入っているが、道はまだなかった。
ようやく広い道に出た。何種類かのシャクガが足元から飛び立って、前方の草むらの中に身を隠した。
水の音が大きくなり、黒滝の上に祀られた二体の石仏の後姿が見えた。
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ヤマジノホトトギス |
スギタニシロエダシャク |