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ソビエット連邦が無くなった今、社会を作り変えようとする理想そのものが衰えている。その事実をはっきり見たほうがいいと思います。
ソビエット連邦が無くなると、社会を作り変える理想が、日本で衰える。これはアメリカがくしゃみをすると、日本が風邪をひくという関係に似ている。その意味を考える必要がある。
日本では社会改造の情熱は、ソ連が代表する世界史の法則はこうなっているという必然性への信仰なのです。日本では、社会改造の情熱は、ソ連という国家の存在に支えられていたんです。いい悪いは別です。事実です。
ある国の、政府によって支えられている社会改造への情熱というのはなんでしょうか。そういう情熱とは、日本という国家が、それを許している時代(大正時代)はすごく盛んだったんですが、一九三〇年代の、とくに昭和六年以後、日本の国家が、軍国主義に回って変わっていった時には当然衰えます。
国家がつっかい棒なんですから、ロマン・ロランの人気のピークは、日本では大正十年頃です。皆がロランを読んだ。『ジャン・クリストフ』は大変よく売れた。豊島与志雄の翻訳で、そのドル箱は、ユーゴの『レ・ミゼラブル』に匹敵する。で、昭和六年以後、急速に衰えてくる。社会改造の理想主義が、国家に支えられてもらっていたからです。国家が軍国主義に回ってくると、もういけない。その時に、ロランのもう一つの長編の訳者になったのが、宮本正清。このころにはそんなに収入にならないです。昭和一七年に完訳。舞台はすでに回っていた。 ロラン自身は、大正から昭和にかけて、ソ連を支持する理想家として評価されている。それは完全に間違っているとはいえないが、ちょっとその評伝には? を付ける必要がある。ところが、日本の政府は大正時代にはそれを許してむしろ理解がある。国際連盟などに結び付けて。軍国主義になると、大正時代のロランに捉えられた社会主義者、ロランに魅せられた自由主義者、平和主義者、その多くは、軍国主義の下に思想の衣替えをしていく。名前を挙げて言えば、尾崎喜八、高橋健二、高村光太郎、倉田百三、武者小路実篤ら。同じ種頬の問題を今、我々は持っている。ソ連消滅の時にどうなるのか。同じこの問題が今も生きている。
勿論、今挙げた人達は、日本の純文孝者であり人道主義者を代表する人たちです。この人たちは自分の立場を軍国主義の中で変えていく。でも日本人がすべてそうなった訳ではない。戦争中に宮本正清が『魅せられたる魂』を訳し続けて、大政翼賛会が始まった昭和十五年から、岩波文庫で出し続ける。これは壮挙です。この他に私が知っている人達は、武谷三男、会ったこともない片山敏彦など。皆さん意外に感じられるしれないが、大仏次郎もそうです。
大仏次郎は、大学を出てすぐの大正十一年、私の生まれた年一九二二年、二十五歳にまだならない二十四歳の時、ロランの『クレランボー』を訳してるんです。一高、東大の仏文の出です。『クレランボー』というのは、第一次世界大戦時の反戦運動家を主人公にしている。ロランにこの頃傾倒していたという記憶は、大仏次郎の内部では、満州事変以後も生き続ける。
満州事変から六年経った年に、彼は『トルコ人の手紙』というのを書いた。自分の皮膚の色は黄色でヨーロッパ人ではない。しかしヨーロッパの影響を受けている。自分は日本の中のトルコ人というふうに『トルコ人の手紙』を書いた。これを見ると、「考えてみれば、自由主義というのも、便宜上ちょっと握らせてくれた玩具だったらしい。もっとも日本のインテリゲンチャである僕らは、自分で何分かの努力をして獲得したのではない。二月も六月もない。バリケードの経験もない。もらったから、子供のようにいい気になって喜んでいたのだ。」(これは敗戦後に書いたのではないんです。昭和十一年です) 「取られるとなっても文句を言う方法を知らない」 (日本歴史は今繰り返しています) 「市民権と言っても名ばかりのものだったのである。日本には世論に反抗した反社会的な文芸作品など現れた例がない。右翼の天下には右翼だ。どちらの成長のためにも不幸だったのだが、リベラリズムに生活的根拠が薄弱だった証拠とみなしうるだろう。」
『鞍馬天狗』を書いている人が、この文章を昭和十一年に書いた。立派な文章です。闘争の経験すらないリベラリズムだから、縁日の植木より根がもろく、非現実的だという。歴史の鉄則だけはそれとは無関係に、ドンドン動いて舞台を回してきた訳です。この頃、大仏次郎は『プーランジュ将軍の悲劇』というのを書いた。これは、フランスのファシズムの台頭、十九世紀末の事です。それを書いたのです。ちょうど日本では、軍人が文部大臣に、荒木文相、それと機を一にする。自由主義の衰退期にやるだけのことをやってるんですね。
私はこの人について大変記憶が鮮やかなのは、昭和二十年戦争の終わり近くに朝日新聞に彼の連載した『乞食大将』という時代物です。後藤又兵衛を主人公に。主君と対立して浪人して大阪夏の陣に加わる話。これを読んでいると、どう見ても石原莞爾が主人公です。石原は京都の師団長をしていて、今度の戦争は負けると言って東条と対立して、追っ払われて、しまいに予備役に編入になって。どう考えてみても、その軍隊全体をグループとして抑えた東条へのこの作品は批判だった。そのように私はその時読みました。
よく書けるなあ、と思って見てたんですが、一日一日と見てたんですが、結局終わりまで書けたんです。検閲に目がなくて、それ、昔の事書いているからいいじゃないという事ですね。これは白昼強盗という感じがしました。驚くべき人物という気がしました。だから、これを考えると、純文学と大衆文学の垣根はもろい。大正時代だったら『鞍馬天狗』書いてる大仏次郎より、詩を書いている高村光太郎の方が、高級と思われていた。ところが、いっぺん戦争という砥石にかかったら、どちらが自分なりの思想を持っていたか明らかでしょ。その事は厳密に言えば、戦争反対、戦争賛成の区別を越えると思う。自分が熟慮して戦争賛成と言うのも、それは話が別なんです。だけど、ふわっとした人は、戦争に負けると又ロマン・ロランになりますからね。その区別は、知識人か知識人でないか、大学を出ているか出ていないか、そういう学歴を越える面白い側面を持っている。
ロランの作品そのものに大衆性がある。彼の作品は大正時代以来、実にたくさんの人によって、大衆性に訴えてしみ通った。戦争ということになるとロラン読者の中で東大出の人間だけが抵抗したというのではない。ロランの大衆性は、ロランの思想そのものが甘いからと解釈される場合がありますね。その甘さは様々なものがあって。甘口、辛口というのは、私は酒を飲まないから知りませんが、酒の通は辛口を好むと思う。それは自由のために闘うか闘わないか、全く関係ない。飲んべいが全部自由のために闘ったら、たいしたものですが。ロランの文学は甘口です。甘口である事は低俗で、付和雷同性を持っていると言えないでしょう。日本の中でロランから大仏次郎の『鞍馬天狗』、そして『乞食大将』へ向かう一筋の流れを見れば明らかでしょう。
こういう個別例から離れて、日本の社会主義・理想主義というのは、大まかにソビエット連邦の代表する一枚岩の思想、つまりソビエット政府の発表する声明が、一九二九年テーゼ、一九三二年テーゼそれが全部正しいとして、そこから日本史をみていく現在を見ていく。その考え方に常に賛成していく、そこから離れる者は異端としてリンチしていく、抹殺してしまうという考え方。そこにいくらか水を割って、もう少し飲みやすくしたものが、日本の社会主義であり進歩主義であるという風に言って、統計的に間違いないと思います。戦後にもそうです。進歩的知識人の思想はそういうものだった。そういうものとして、戦後の進歩思想・平和主義、社会自由主義が捉えられていって、統計的には間違いないでしょう。こういう考え方と、ロマン・ロランの思想とは同じでしょうか。それが私の出したい問題です。
ロランは、民衆の可能性に光をあてる文学を残した。可能性に光をあてる、それは英雄主義の文学です。ロランの残した数ある伝記の中で、私はトルストイの伝記が好きです。ロランは、トルストイから知的に受けたものはゼロに近い、と言っている。しかし芸術としては大きな影響を受けた。ロランは、トルストイの仕事の中で『戦争と平和』を高く評価している。しかし、それを越えるものとして晩年の『民話』を挙げている。ここにロランのトルストイ評価の独創性があると思っています。
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