ロマン・ロランの革命劇をめぐって 鶴 見  俊 輔

      
 (哲学者)



  ソビエット連邦が無くなった今、社会を作り変えようとする理想そのものが衰えている。その事実をはっきり見たほうがいいと思います。
 ソビエット連邦が無くなると、社会を作り変える理想が、日本で衰える。これはアメリカがくしゃみをすると、日本が風邪をひくという関係に似ている。その意味を考える必要がある。
 日本では社会改造の情熱は、ソ連が代表する世界史の法則はこうなっているという必然性への信仰なのです。日本では、社会改造の情熱は、ソ連という国家の存在に支えられていたんです。いい悪いは別です。事実です。
   ある国の、政府によって支えられている社会改造への情熱というのはなんでしょうか。そういう情熱とは、日本という国家が、それを許している時代(大正時代)はすごく盛んだったんですが、一九三〇年代の、とくに昭和六年以後、日本の国家が、軍国主義に回って変わっていった時には当然衰えます。
   国家がつっかい棒なんですから、ロマン・ロランの人気のピークは、日本では大正十年頃です。皆がロランを読んだ。『ジャン・クリストフ』は大変よく売れた。豊島与志雄の翻訳で、そのドル箱は、ユーゴの『レ・ミゼラブル』に匹敵する。で、昭和六年以後、急速に衰えてくる。社会改造の理想主義が、国家に支えられてもらっていたからです。国家が軍国主義に回ってくると、もういけない。その時に、ロランのもう一つの長編の訳者になったのが、宮本正清。このころにはそんなに収入にならないです。昭和一七年に完訳。舞台はすでに回っていた。 ロラン自身は、大正から昭和にかけて、ソ連を支持する理想家として評価されている。それは完全に間違っているとはいえないが、ちょっとその評伝には? を付ける必要がある。ところが、日本の政府は大正時代にはそれを許してむしろ理解がある。国際連盟などに結び付けて。軍国主義になると、大正時代のロランに捉えられた社会主義者、ロランに魅せられた自由主義者、平和主義者、その多くは、軍国主義の下に思想の衣替えをしていく。名前を挙げて言えば、尾崎喜八、高橋健二、高村光太郎、倉田百三、武者小路実篤ら。同じ種頬の問題を今、我々は持っている。ソ連消滅の時にどうなるのか。同じこの問題が今も生きている。
   勿論、今挙げた人達は、日本の純文孝者であり人道主義者を代表する人たちです。この人たちは自分の立場を軍国主義の中で変えていく。でも日本人がすべてそうなった訳ではない。戦争中に宮本正清が『魅せられたる魂』を訳し続けて、大政翼賛会が始まった昭和十五年から、岩波文庫で出し続ける。これは壮挙です。この他に私が知っている人達は、武谷三男、会ったこともない片山敏彦など。皆さん意外に感じられるしれないが、大仏次郎もそうです。
   大仏次郎は、大学を出てすぐの大正十一年、私の生まれた年一九二二年、二十五歳にまだならない二十四歳の時、ロランの『クレランボー』を訳してるんです。一高、東大の仏文の出です。『クレランボー』というのは、第一次世界大戦時の反戦運動家を主人公にしている。ロランにこの頃傾倒していたという記憶は、大仏次郎の内部では、満州事変以後も生き続ける。
   満州事変から六年経った年に、彼は『トルコ人の手紙』というのを書いた。自分の皮膚の色は黄色でヨーロッパ人ではない。しかしヨーロッパの影響を受けている。自分は日本の中のトルコ人というふうに『トルコ人の手紙』を書いた。これを見ると、「考えてみれば、自由主義というのも、便宜上ちょっと握らせてくれた玩具だったらしい。もっとも日本のインテリゲンチャである僕らは、自分で何分かの努力をして獲得したのではない。二月も六月もない。バリケードの経験もない。もらったから、子供のようにいい気になって喜んでいたのだ。」(これは敗戦後に書いたのではないんです。昭和十一年です) 「取られるとなっても文句を言う方法を知らない」 (日本歴史は今繰り返しています) 「市民権と言っても名ばかりのものだったのである。日本には世論に反抗した反社会的な文芸作品など現れた例がない。右翼の天下には右翼だ。どちらの成長のためにも不幸だったのだが、リベラリズムに生活的根拠が薄弱だった証拠とみなしうるだろう。」
   『鞍馬天狗』を書いている人が、この文章を昭和十一年に書いた。立派な文章です。闘争の経験すらないリベラリズムだから、縁日の植木より根がもろく、非現実的だという。歴史の鉄則だけはそれとは無関係に、ドンドン動いて舞台を回してきた訳です。この頃、大仏次郎は『プーランジュ将軍の悲劇』というのを書いた。これは、フランスのファシズムの台頭、十九世紀末の事です。それを書いたのです。ちょうど日本では、軍人が文部大臣に、荒木文相、それと機を一にする。自由主義の衰退期にやるだけのことをやってるんですね。
   私はこの人について大変記憶が鮮やかなのは、昭和二十年戦争の終わり近くに朝日新聞に彼の連載した『乞食大将』という時代物です。後藤又兵衛を主人公に。主君と対立して浪人して大阪夏の陣に加わる話。これを読んでいると、どう見ても石原莞爾が主人公です。石原は京都の師団長をしていて、今度の戦争は負けると言って東条と対立して、追っ払われて、しまいに予備役に編入になって。どう考えてみても、その軍隊全体をグループとして抑えた東条へのこの作品は批判だった。そのように私はその時読みました。
   よく書けるなあ、と思って見てたんですが、一日一日と見てたんですが、結局終わりまで書けたんです。検閲に目がなくて、それ、昔の事書いているからいいじゃないという事ですね。これは白昼強盗という感じがしました。驚くべき人物という気がしました。だから、これを考えると、純文学と大衆文学の垣根はもろい。大正時代だったら『鞍馬天狗』書いてる大仏次郎より、詩を書いている高村光太郎の方が、高級と思われていた。ところが、いっぺん戦争という砥石にかかったら、どちらが自分なりの思想を持っていたか明らかでしょ。その事は厳密に言えば、戦争反対、戦争賛成の区別を越えると思う。自分が熟慮して戦争賛成と言うのも、それは話が別なんです。だけど、ふわっとした人は、戦争に負けると又ロマン・ロランになりますからね。その区別は、知識人か知識人でないか、大学を出ているか出ていないか、そういう学歴を越える面白い側面を持っている。
   ロランの作品そのものに大衆性がある。彼の作品は大正時代以来、実にたくさんの人によって、大衆性に訴えてしみ通った。戦争ということになるとロラン読者の中で東大出の人間だけが抵抗したというのではない。ロランの大衆性は、ロランの思想そのものが甘いからと解釈される場合がありますね。その甘さは様々なものがあって。甘口、辛口というのは、私は酒を飲まないから知りませんが、酒の通は辛口を好むと思う。それは自由のために闘うか闘わないか、全く関係ない。飲んべいが全部自由のために闘ったら、たいしたものですが。ロランの文学は甘口です。甘口である事は低俗で、付和雷同性を持っていると言えないでしょう。日本の中でロランから大仏次郎の『鞍馬天狗』、そして『乞食大将』へ向かう一筋の流れを見れば明らかでしょう。
   こういう個別例から離れて、日本の社会主義・理想主義というのは、大まかにソビエット連邦の代表する一枚岩の思想、つまりソビエット政府の発表する声明が、一九二九年テーゼ、一九三二年テーゼそれが全部正しいとして、そこから日本史をみていく現在を見ていく。その考え方に常に賛成していく、そこから離れる者は異端としてリンチしていく、抹殺してしまうという考え方。そこにいくらか水を割って、もう少し飲みやすくしたものが、日本の社会主義であり進歩主義であるという風に言って、統計的に間違いないと思います。戦後にもそうです。進歩的知識人の思想はそういうものだった。そういうものとして、戦後の進歩思想・平和主義、社会自由主義が捉えられていって、統計的には間違いないでしょう。こういう考え方と、ロマン・ロランの思想とは同じでしょうか。それが私の出したい問題です。
   ロランは、民衆の可能性に光をあてる文学を残した。可能性に光をあてる、それは英雄主義の文学です。ロランの残した数ある伝記の中で、私はトルストイの伝記が好きです。ロランは、トルストイから知的に受けたものはゼロに近い、と言っている。しかし芸術としては大きな影響を受けた。ロランは、トルストイの仕事の中で『戦争と平和』を高く評価している。しかし、それを越えるものとして晩年の『民話』を挙げている。ここにロランのトルストイ評価の独創性があると思っています。

   たしかにロランは、ロシアの革命に共感を持って、このように出来た国を支持し続けた、死ぬまで。同時に、トルストイ、タゴール、ラマクリシュナ、ヴィヴェカナンダ、ガンディーへの共感をも保ち続けます。そのような見方は、ソ連政府の声明を全く異議なく、受け入れて、ただ一つの正しい立場として支持する考え方とはちがう。
   ロランにとっては、それぞれの地域の民衆の作った伝統に沿って、社会を作り直そうとする努力への共感と支持があった。そこには、民衆の心の内部に、相矛盾する様々の思想的可能性があって、それら相矛盾するせめぎあいの可能性に対する共感がある。それは論理的に一つの一貫した命題に還元する事は出来ない。これは一種の神秘主義です。『ジャン・クリストフ』を読むと、神秘主義が出てくる。その神秘主義に根ざして、彼はソ連への支持を続けたと考える事が出来ます。
   『ジャン・クリストフ』のあと、もう一つの長編『魅せられたる魂』がある。女性を主人公にして、女性の直感と生き方に、大きな期待をかけている。一九三〇年代のヨーロッパがファシズムに向かう(一九二〇年代から三〇年代、ファシズムがイタリアから始まる)その時代に女性像を書いたというのは、ロランが新しい重大な視野をこの同時代に拓いたということです。日本に対する影響の深さは、『ジャン・クリストフ』よりも『魅せられたる魂』の方が確実にある、と言えるかもしれませんね。
   レーニンの後、ソ連の政治全部を掌握したスターリンに対してロランは疑いを持って、会った時にも様々な事を要請し、後何度も手紙を書いている。この研究所の機関紙『ユニテ』一九号に出ています。タマーラ・モトゥルオーバという人の調べた調査資料です。この中で、ロランの手紙と日記が引かれています。(一九三七年の日記)
   「私は今ここで、ソ連に関する私自身の心境を述べる必要がある。私は心の中では、ソ連に対する忠実な擁護者であり、この国の不屈の信条、力強く堅実な発展を称賛し愛している。ソ連の中には、人間性の社会的発展に対する最も確かな希望が見られる。それゆえ私は、ソ連と共にあって、それを脅かす全ての敵と闘う。……私が擁護しているのは、スターリンではなくソ連だ。ソ連の指導者が誰になろうとも。スターリンであろうと、ヒットラー、ムッソリーニであろうと、個人崇拝はど危険なものはない。私が同意するのは、自己の運命を支配する自由な諸国民の大義だけだ。」(一九三八年三月、ジャン・リシヤール・ブロックへの手紙)
   「モスクワでの苦難は、私にとって苦痛以外の何物でもない。……ソ連に最も近しい友人こそが、今や早急にソ連邦政府当局にあてて、人民戦線や共産党員にとって、死刑(粛清) の宣告が、どんなに残念な結果をもたらすかを考えるように頼む手紙(公にされない個人的な手紙)を送るべきだと思いませんか」。ロラン自身が何度も個人的な手紙を送っているが答えがない。スターリンからは答えがない。そういう記録があります。
   こういう脈絡の中で、革命劇というものを考えたいです。革命劇はこの全集で二冊あります。今、私たちはソ連崩壊後にロシア革命を見る、という状況にあります。どう見るか。その見方を助ける視野を、このロランの『フランス革命劇』は準備するように思えます。一八九八年の夏、前世紀の、まだ第一次世界大戦もソビエト・ロシアも、第一次の革命さえ起こっていない。この時ロランは、スイスのジュラ山地にいて、ある夜、星明かりの森の中でフランス革命の終わりからこの革命を見る見方の訪れを経験した。それが、獅子座の流星群です。森の中は暗い。空が見えている。星が流れていくのが見える。その時突然フランス革命全体を終わりから見る見方が彼に訪れた。
   長編というのは、最初の一ページからずっと書いていくと思われるのですが(ここに今江祥智さんのような長編作家もおられますが)必ずしもそうではないらしい。ヒンデミットという作曲家がいます。ヒンデミットの文章の中に出てくるが「ひとつの交響楽が、ある時バッと全部が見える。その木の枝の葉っぱの一つ一つの葉脈まで全部が見えるように見えた。」そういう時がある。大作を書くごとにそういう事が出来ればいう事がない。自分の仕事について、あらゆるものにそう出来れば大したものですが、ロランにとってこの『フランス革命劇』二冊は、そのように始めに浮かんだんです。その一瞬。終わりから。
   ですから、『獅子座の流星群』というのは、大変に重要な革命劇の部分です。ここで、この革命劇の全体、時代に沿って全部発表されて今並んでいる。この革命直前に出会い対立する二人の人は、この『獅子座の流星群』でもう一度会う。片方は五十八歳、片方は六十歳。会うところはスイス。つまりロランの中に全体が浮かんだところで、同時に主人公二人の亡命地です。フランスから追放されている。なお対立するものとして、はとんど殺し合いの関係が生まれる。二人にはそれぞれに子供がいる。その子供はすでに『花の復活祭』に出てくる。子供として今その子供は、かなり大きくなっている。革命家の方には娘と少年。公爵の方には自分の跡取り息子。息子は伯爵ですでに領地を持っていた時代がある。父の公爵の方は、子供時代にすでにヴォルテールやルソーを読んでいる。これは意外に革命を用意した文字や思想が広く入っていた。百科全書が刊行を差し止められようとした時に、国王の妾のマダム・ドゥ・ポンパドゥルは「これは白粉の作り方が書いてあるからいい」と言った。それで刊行継続の一つの力になった。
   その時の大法官はマルゼルブといって、これは偉い。警察が捜査に行く時、前もって知らせておいて、自分のところに引き取っておいて繊滅を避けさせる。マルゼルブってのは、物凄く偉い人で、こういう人を革命運動は殺してしまう。王の処刑に賛成か反対かという争点で、王の処刑に反対する一点で、五十年間の彼の努力を全く認めないで殺してしまう。これがフランス大革命です。そして音頭をとった人々も、次々に党派の争いでマラー、ダントン、ロベスピエールも殺される。それがフランス大革命です。
   この主人公、架空の人物ですが、これも又そのようにして追い払われて、スイスに亡命してきている。公爵の方は、若い時からルソーもヴォルテールも読んでいる。面白い事にこれは世界的規模で広がっているカナダとアメリカの戦争、つまりイギリスとアメリカの戦争ですが、ウルフという三十代の少将ですが、イギリス軍を率いてフランス軍と戦うのです。フランス側の将軍はモントカーム侯爵です。ケベックの戦いで両方が死ぬ。将軍両方が死ぬというのは珍しいのです。その時のカナダ・ケベックのフランス側の総司令官がモントゥカームという侯爵で、ケベックの自宅に百科全書を持っている。百科全書を愛読している。ルソーもディドロも読んでいる侯爵です。そういうものが全部ロランの中に入っていて、革命劇の中の公爵をして、ルソーのフランスの賛美者たらしめている。
   私はメキシコにいたのですが、メキシコ最初の独立の狼煙を挙げたイダルゴという神父の家に行くと、大きくない家ですがそこに百科全書が置いてある。すごいです。百科全書というのはそんなに部数が出ていなかったんですが…メキシコの独立の声を挙げたこの神父は最後に首をはねられる。百科全書はカナダにもメキシコにも広がる力を持っていたんですね。
   共通の根があったことは確かですが、しかし革命の中で、公爵と革命指導家とは対立する。ルニョーという革命指導家がいて、その娘のマノン・ルニョーと公爵の息子の伯爵とがお互いに思想的な激烈な対立があって、しかも最後に二人は近づいていく。その対立の根は仲々深い。このマノンは、公爵の弟が庭番の娘に産ませた子供。ですから公爵の血が入っている。子供は知らないんです。血縁から言えば、両方につながっている娘です。彼女は革命派の信念をフランスから追放されても持っている。公爵側とルニョー側とはお互いにフランス人として別れて戦った訳ですが、片方は連合軍の一部として、片方は祖国防衛戦線でした。

  マノンという娘が言う「どちらの側の人々も祖国の為に生き、又死ぬ権利しか持ってはいません」これはそうでしょぅか。つまり、この命題が今問われているんです。そういう事になったら、ユーゴでこれからも闘争が続く。原爆がその人達の手に渡ったら、世界に波及して地球が破裂するまで戦う事になる。マノンという娘が言っている民族自決、民族国家の為に死ぬ権利しかないと言っている人間には。そうすると息子の伯爵が言う。「どこに、自由な国家などという国家が、あるのですか。自由を守ろうとする人間が、その為に死ななきゃならない祖国というのは、どこにあるのですか。」
   この対立。これは今も、日本の中にあるその争点です。ロランが構想した百年前の終わった争点ではない。その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦があって、人類全ての労働者の祖国であると称したソ連が、自分の一国の政府のために尽くして、色んないいがかりを付竹て、政府に反対する人を殺してしまった事件の後に、同じセリフを読むという事は、もっと考えさせられますね。
 この二人が、対立しながら近づいているという事に、親たちが気が付く。親たちはお互いに、今でもはとんど殺し合いにむかう程までの憎しみを持っている。皮肉な事に亡命中は隣同士です。その公爵は、革命家に言う「あなたは、この憎しみはこれからも生き始めようとする人達、あの子供たちの心の中に生き、蘇る事を望みますか。」
   この間いです。いくらでもはてしはない。革命家には自分が育てている二人の子供がいる。一人の娘は、自分の子供ではない。実は公爵の弟(死んでいる)と庭作りの娘との間に出来た子供。その母親と革命家が結婚した。娘は自分の親は、その革命家であると信じている。もう一人もっと小さな男の子がいる。心臓が悪い。もうすぐ死ぬ。この劇の終わりまでに死ぬ彼は、子供の頃から革命諸派のセクト相互の殴り合い殺し合いをずっと見ている。対立に対して否定的、悲観的な考え.方を持っている。
   この子供は公爵と血がつながってはいない。昔の公爵と庭作り娘と、革命家ルニョーとの間に出来た子供。その子供に公爵は「わが子!」と呼びかける。この子供は、ジャン=ジャック・ルソーの名を採っていて、ジャン=ジャックと言う。「なぜ僕の事を、あなたの子とお呼びになるのです?」十五歳の子供は問い返す。すると公爵は「君は私の子になるだろう…」 「それは何の事ですか…それは本当なんですか!…そうだ僕には判るような気がします。」

   確かに歳をとってくると、世代感覚がだんだんひろがって、そこにいる子供が、自分の子供に感じられて来る事がある。若い時には、そういう感覚というのはなかったんですが。公爵は五十八歳でその年齢に達していると考える事が出来るでしょう。この少年は死んでしまう。土鰻頭を山の上に作って、そこに眠っている。そして、伯爵とその娘とは、ナポレオンが攻めてきたので、このスイスの町は寝返って、その亡命者二人、反対勢力なんですが、それを全て追放する決議をする。死んだ少年をのぞいて、生き残った亡命者四人全部が、ここを立ち去らねばならない。最後、山の上に来て四人が会話を交わす。
 革命家は言う。「運命は前進している。」公爵は「その鎖を切って放したのは、あなただ。」山の下では、うわッと歓声が挙がっている。スイスは革命気分に沸き立っている。ナポレオンが代表するフランス革命ですよ。そうすると、革命家が言うんです。「あなたも、幾分かそれには責任があろう。」公爵は「ないとも言わぬ。」 つまり、一人の人間の思想で歴史のプロセスが決定するのではなくて、対立するものの絡み合いで歴史のコースは出来る。対立するものの双方がその歴史の結果に対する責任がある、という歴史観が、フランス革命の始まりから、ほとんど三十年経って登場人物の両陣営からここに現れているんですね。
   革命家は「あなたは、微笑んでいますね。」この辺りは、何十年かけた成熟が訪れているという兆しが見えている。下では、ナポレオンの暴力が勝つ。ナポレオンに追放される人がいて、スイスの町でも変動が起きる。ルニョーが「火の玉は飛び出してしまった。」それに対して伯爵が言う。「それを投げ跳ばした腕には何んて力があったろう。」ヴァイタリティーに対する賛美である。革命家は「それは、我々の腕です」。革命家集団です。運動の力です。
   公爵はこう言う。「しかし、白状しようではないか、我々は少しも狙いを定めなかったことを。」大変面白いんです。ここでは必然性の歴史観から、すでに離れているんです。この対話は。つまり、ある人の設計図に基づいて、何も行われた訳ではない。革命家も公爵も、その設計図は自分が持ってなかった。「この、白状しようではないか、我々は少しも…」ここが、とても面白いんです。必然性という考え方は、ここでは採用されていない。このことを一つとってみても、ソ連の公式の歴史観とロマン・ロランとは、全く違う考え方を採ってきているのは明らかでしょう。ここには、チャンスが現実にあるという考え方なんです。
   チャンスは一体現実の中にあるかというのは、非常に古くから哲学者の考察の対象になっていまして、パスカル以来、数学で確率の計算がありますね。百年前のアメリカの哲学者パースは、数学の出身でありまして、現実にチャンスはあると考えたのです。もう一遍、数学に基づいて近頃、プリゴジンがチャンスを復権している。チャンスはあるんです。プリゴジンの枠組みですと、バイファケーション・分岐点があって、ある分岐点と分岐点の間では、かなり必然性の法則が当てはまるんです。ところで、その分岐点が起こるかどうかというと、それはチャンスによって起こるんです。革命は分岐点なんです。この考え方は、根本的にソビエットロシアの採用した歴史観と対立します。それがここにあるんです。ここに現れている歴史観は。
   ついに、この一家は土鰻頭の中にある少年を残して、彼らは全部スイスを越えて亡命していくんです。伯爵とマノンは結婚して、アメリカへ行くつもりです。アメリカに希望があるかのように書いているんですが、しかし公爵はこう言うんです。「彼らは、やがて他の偏見を建設するだろう。」さらに「アメリカに行って別の偏見を建設するだろう。」まさに現代も、このロランの掌の中に入っています。
   「小さな娘さん」革命家の娘に公爵はいうんです。「ヨーロッパ全体が火で焼かれ、沢山の王座と数世紀とが破壊され、我々が苦しんだり苦しめたりしたのは、してみると貴方の為だったのかな?」 これとっても、面白い考え方です。結局、自分のためかもしれないんですよね。そういう見方はあり得る。革命家は「飛び散っている収穫の実は、一体どこにある?」と言うんです。その下では、ナポレオンを迎えて、松明があってその火の粉がバッと飛んでいる。マノンというその革命家の娘と自分では信じているその娘が言う。「私たちの中に」 つまり、生きている自分の中に火の粉があるんです。それは、チャンスなんです。
   すると公爵は「この可愛い小さい娘さんは、我々の厄災の全部を結局我々に愛させる事になりそうだ。」これ、歴史の皮肉を抱え込んだ面白い愛情なんです。苦い甘さです。ロランは甘いと言えば甘いのですが、やっぱり苦みがあるでしょう。ある程度、歳をとらないとミツバとかウドとか言うのはうまくないんです。子供にとっては迷惑です。
   河合雅雄の回想記に『少年動物史』がある。子供の時、鰻と格闘する。結局、逃げられショックを受ける。兄弟と話をするんですが、川の中で「ウドみたいやったなあ」と言うんです。その鰻の傷口から見えた白い肉が、お化けみたいなウドを連想させる。ウドを食べさせられて、それが嫌でたまらないんですね。だけど、老年に入ると、それが一種の香料みたいになってきて快く感じる。それを伴う甘さみたいなものが、舌に馴染んでくるんですね。ロランの甘さというのはそんなもので、砂糖をまぶした甘い菓子のようなものではない。
   ここに、火の雨か降ってくる。これが『獅子座の流星群』なんです。下の町にも松明の火の粉が、空にも『獅子座の流星群』で火の雨が降ってくる。これから「さあ、ルニョー、我々は大きな旅を始めるのだ。」ルニョーが(革命家)は「亡命を」というと、公爵は「いや、征服を。古いフランスとは互いに支持し合って世界中に種を播きに行く。」つまり、フランスがフランスを越えるという事です。両者は亡命していて、フランス語を話し合うという事は非常に喜びであって、殺し合う程になっていても、フランス語を話し合うというのは大変な喜びだった。そこは面白いし、思想の種を世界に播きに行くという希望を持っている。
   「あの若い脚が我々と交替するのだ。」伯爵とマノンのことですね、そうすると革命家ルニョーは「全人類が人間の祖国だ。」この言葉は、抽象的なんですが、この前にこれだけの具体的葛藤があると、希望はかなり説得的に、革命劇の終わりに置かれているのではないでしょうか。これにヒントを与えたものが、スイスの山の中でロランが発見した墓碑銘にあった。 二人のイギリス人がここに亡命してきて、碑文として残している。それは「強きものにとりては、いたる所これ祖国なり」 これがヒントです。
   祖国と祖国脱出。別の言葉で言えば、漂泊と定住です。この二つのセット。一つの道すじに追い込んで行くのではない。広い展望が開かれている気がする。ロランは、革命劇においても、民衆の内部に潜む英雄に光を当てている。これは、革命の指導者を理想化して描くというのとは、ちょっと違う。内部にある様々な英雄に光を当てて描く。
 私が三十年来、愛読している人がいて、イギリスのJ・M・トムソンです。日本ではあまり読まれていないんで、トムソンというと、新左翼のもう一人のトムソンになる。J・M・トムソンというのは、オックスフォードの講師で歴史家だった。『フランス革命の指導者』(Leaders of French Revolution)という本を書いている。彼は要約している−。
   フランス大革命は、顕微鏡の役割を果たす。ダントン、ロベスピエール、マラー、サン・ジュスト。この人達は町のどこにでもいる。八百屋さんの誰、肉屋さんの誰というのと同じだというんです。それが革命という拡大鏡によって、ぐーつと大きくなって世界史の中で見えるようになった。この人達は、その当時、同時代に生きていた優れた人達ではない。偉い人というのは、むしろ革命によって殺されたマゼルブで、王の処刑に反対して殺された。ラ・ヴォアジェ、この人はケミストリィ (化学) の歴史で言うと屈指の人。フロジストンという架空の物質を否定した。それから、歴史家であり、教育制度を設計したコンドルセ。これも追放されて革命によって殺された人です。独創的思想家です。だけど、ダントンやロベスピエール、サンジュストはそういう人でない。その人びとが革命の最高責任者だった。
   これは、イギリス人の皮肉な見方というより、現実的見方です。私は、歴史家としてはトムソンの歴史観はフランス大革命の現実によく合っていると思う。それは、フランス革命の同時代人エドマンド・バークが『フランス革命の省察』という論文の中で、フランス革命に反対した論文にある。これはイギリスの議会の演説を基にしていて、現実的考察を含んでいる。反革命と言うのでは割り切れない、保守主義の知恵を出している。バークはアメリカ革命の時は賛成していて、日本での保守反動とも進歩的知識人とも違う。
   バークはすでに明治時代に大きな影響を日本に持っている。バークのように、同時代にすでに見る目がイギリスにあったという事は、イギリスは二つの革命、特に後の名誉革命を成功した民衆の力と結びついている。フランスのよぅな大惨事なしに来るという面白いイギリス人の政治的知恵を見せている。これは、バークからトムスンに至る考え方です。
   ロランは歴史を書いた訳でなく、一つの文学を書いた。文学は形象化する訳で、その方法は英雄化。英雄化というのは、それ独自の歪みを作る。英雄主義特有の歪みがあるがある、と考えていいと思う。しかし、彼はフランス革命の全過程を終わりから見るという構想を立てる事によって、トムソンの皮肉な現実的見方と相触れる所がある。ロランはトムソンの見方も、内に含む所があるように思える。フランス大革命の失敗は、フランス人のその後にどのように受け継がれたかという問題を、ロランは革命劇を通して一九三〇年代のフランス人の前に置いた。
   ここで、私たちが、一九九一年にロシアが消えたという事をもって、共産主義、社会主義が駄目だった。やっぱり資本主義でなくては駄目だ、という風にだけ考えるとすれば、私たちのこれまで日本人の大正以来の進歩思想、反戦思想への努力は、結局あれはソ連の国家主義に翼賛するだけのものだったという事をうらづけする。それだけのものです。つまり阪神タイガースの応援団のようなもの、それだけのものです。
   ひるがえって見れば、私たちの自由主義というのは、同じ筆法で言えば、日本の政府とアメリカ合衆国の政府とが、自由を守り拡げるという熱意を持っていた間だけ、それに拍手する自由主義ではないのか。応援団的なものですね。日本の知識人は、結局は応援団なのかという問題でしょう。それが我々の前に置かれている。そういう危険の中に、私たちが今いる。そう私には思えるんです。
                                   (おわり)
                                                                                                (一九九二・一〇・三〇)