【 四の歌 】
「 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に
雪は降りつつ 」
田子の浦に・・・・・・・・・たごのうらに
うち出でてみれば・・・・うちいでてみれば
白妙の・・・・・・・・・しろたへ(え)の
富士の高嶺に・・・・・・・ふじのたかねに
雪は降りつつ・・・・・・・ゆきはふりつつ
たしか、昔学校でならったのは、「万葉集」の歌で
「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に
雪は降りける」 というものでした。
これが、<二の歌>の、春すぎて・・・の歌と同様に、新古今集に転載
されたときに変えられたようです。 「真白にぞ」という直接的な表現を、「白妙の」という飾った言い回し
に変えています。
「雪は降りける」よりも「雪は降りつつ・・・」のほうが、詠み手には、
響きが快いかもしれませんが。 いずれにしても、この改悪は、<二の歌>と同様評判がわるいようです。
作者は、山部赤人(やまべのあかひと)です。
柿本人麻呂と並び称される、万葉集の歌人です。清らかな自然をよんだ
歌が多いようです。
< 歌の意味 > ( ある年の冬、赤人は上役のおともで、東国に旅をしました。)
○ あしたはいよいよ駿河の国に入る。 そこには、富士山という高い山があるそうだが・・・・・。
○ おおっ、あれが富士山か!なんと美しく雄大な・・・。
○ 赤人よ、都へ帰って帝にお見せする富士山の歌をつくっておけよ。
● はい!。
田子の浦あたりの海岸の、海や空の広々とした青さを背景に、富士の
嶺の雄大な形姿が、雪の白さによって清く荘厳にせまってくる・・・
そんな、まるで風景画をみているような歌ではありませんか。
・ 田子の浦・・・駿河国(静岡県)にある海岸。今でも同県富士市に
田子の浦と呼ばれている地がある。
・ うち出でて見ると・・・出てみると
・ 白妙の・・・純白の布から転じて、ここでは純白の意。