筑波山

筑波駅から見た筑波山 筑波山(女体山)山頂からの眺望

 筑波山は遠い昔から「西の富士、東の筑波」と並び称され親しまれてきた。
 筑波山の頂上は、男体山(860m)と女体山(876m)の二峰に分かれ、男体山は伊邪那岐命いざなぎのみこと、女体山は伊邪那美命いざなみのみことが祀られている。男体山と女体山の中間の鞍部にある御幸ケ原を少し下ったところの岩間から、清水が湧き出ているが、そのささやか渓流は、山麓を流れる桜川にそそいでいる。この渓流が、小倉百人一首の歌によって知られる男女川みなのがわである。

筑波嶺のみねより落つる男女川みなのがわ 恋ぞつもりて渕となりける(後撰集巻11 陽成院)


万葉集には、筑波山のかがいを歌った高橋虫麻呂の長歌が収められている。

筑波嶺に登りてかがひする日よめる歌
鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津もはきつの その津の上に あどもひて 未通女をとめ壮士をとこの 行きつどひ かがふかがひに 人妻に 我もまじはらむ 我が妻に 人もこと問へ この山を うしはく神の 昔より いさめぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事もとがむな(万葉集巻9-1759)
反歌
男神ひこがみに 雲立ち登り しぐれ降り 濡れ通るとも 我帰らめや(万葉集巻9-1760)

(現代語訳)
筑波山に登って歌垣(かがい)をする日に作った歌
鷹が住むほど険しい 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ、地名、神に謹んで裳をつける場所)のその泉のほとりに 誘い合って 乙女や男が集まって 遊ぶ歌垣(かがい)で 人妻に 私も言い寄ろう 私の妻に 他人も言い寄よりなさい この山を 支配している神様が 昔から お許しになっていることです。 今日だけは (他人が言い寄ることを)痛々しいなどと思って見てくれるな。 また、このこと(私が言い寄よること)もとがめるな。
反歌
筑波の男体山に雲が立ち登り、しぐれが降って、びしょ濡れになってしまっても、私は帰ろうか、帰りはしない。

(解説)
 東国では、歌垣のことをかがいと言う。歌垣は広辞苑によると「上代、男女が山や市などに集まって互いに歌を詠みかわし舞踏をして遊んだ行事。一種の求婚方式で性的解放が行われた。」となっている。この歌の作者、高橋虫麻呂は都から常陸に赴任してきた役人である。筑波山で行われている歌垣の珍しい習俗を、都の知識人の目からみてうたっている。虫麻呂は、歌垣の官能的な美の世界に対する、讃美の心をうたっている。

 筑波山が男女の縁結びの山であることを調べ、2002年9月1日に東京駅から高速バスを利用し筑波山にでかけた。帰りは、高速バスの接続が悪く、土浦に出て常磐線で上野に戻った。

東京駅八州南口 − 筑波駅 − 筑波神社前 − 御幸ケ原 − 男体山(860m) − 御幸ケ原 − 女体山(876m) 
7:20発(高速バス) 8:55着 9:02発(バス)  9:10      10:55    11:10着 11:25発     11:35    11:55着 12:15発

− 弁慶茶屋 − 筑波神社前 −      筑波駅     −      土浦     −    上野
    12:50   13:50着 14:02発(バス) 14:10着 14:20発(バス) 15:10着 15:21発(特急)   16:05着 
男女川の源、ここでかがいが行われたのだろうか
男体山山頂(860m) 女体山山頂(876m)
今から400年ほど前、永井兵助という百姓が、ガマの油に目を付け、それを江戸に運んで一儲けしようとガマの口上を考え付いたところ 今にも落ちそうな岩の下をくぐる「弁慶の七戻り」

常陸国風土記 筑波のこほり
 昔、親神(神祖かみおやみこと)が、各地の神々のところをめぐっていられた。たまたま、親神が駿河の福慈ふじやまのもとにいた時、日も暮れたので、一夜の宿を乞うた。だが福慈ふじの神は、「新粟わせ初嘗にいなめのため家中で諱忌ものいみをしているので、今日のところはお許し下さい」といって親神の宿泊するのを、すげなく断ってしまった。そこで、親神は、大変恨みに思い、福慈ふじの神に呪詛じゅそされた。私はお前の親だぞ。それなのに一晩も宿らせぬとはけしからん奴だ。今後、お前がいる山は、一生涯、冬も夏も雪を降らせ霜をおき、冷寒さむくして人びとを一切登らせない。また人びとがお前に飲食を供えられないようにしてやる。
 続いて、筑波のやまに登って、筑波の神に一夜の宿を乞うた。筑波の神は、今夜は新粟わせ新嘗にいなめですので、物忌みの期間にあたっています。ですが、親神の宿を貸せとの、たっての願いを拒否するわけにはいきません。と答えて、飲食を親神にさしあげ、鄭重にもてなした。そこで親神は、大変歓ばれて、次のように歌ったという。

愛乎我胤いとしいわがこよ 巍哉神宮たかいかみのみやよ 天地波斉あめつちとともに 日月共同ひつきとともに 人民集賀ひとらつどいよろこび 飲食富豊たべものゆたかに 代々無絶よよたえず 日日弥栄ひましにさかえ 千秋万歳とこしえに 遊楽不窮あそびきわまらじ

 このため、今もって福慈ふじやまは常に雪が降りつもっていて登ることができない。それに対し、筑波のやまは、人びとが往き集い歌い、酒を飲みものくらうことが、今日までずっと続いているというのである。


 2009年1月4日に6年4ヶ月ぶりに筑波山に登りました。
秋葉原駅からつくばエクスプレスでつくば駅まで快速で45分(1150円)、つくば駅からシャトルバスで筑波神社入口まで40分(700円)で到着でき、以前より筑波山へのアクセスが良くなりました。電車やシャトルバスの窓から筑波山の双耳峰が段々に近づいてくるのを眺めることができ気持ちが浮き立ちました。筑波山への登り口である筑波神社の境内ではガマの口上が行われていました。登山ルートは、前回と同じ筑波山1日ハイキングコースを歩きました。以前と変わっていたのは、「弁慶の七戻り」にあった弁慶茶屋が廃業していました。江戸時代から約270年続いた茶屋が2006年9月3日に廃業しました。理由はケーブルカーやロープウエーが開業すると、茶屋の需要がしだいに減っていったことによります。
 また、男体山と女体山の鞍部の御幸ケ原には新しいきれいな水洗トイレができていました。山頂近くの御幸ケ原の売店やトイレの水がどこから供給されているのか気になりました。御幸ヶ原からは、関東平野を一望し、はるか先に雪を頂いた富士山がそびえていました。


筑波神社でのガマの油の口上の公演

筑波山ガマ口上保存会によって公演が
行われていた。

御幸ヶ原からの富士山

関東平野の先に浮かぶ富士山。