勢力図

足利公方成氏しげうじと上杉氏の対立は亨徳の乱(1454)となり関東を二分する合戦が継続されることになる。足利成氏は鎌倉から下総古河こがに逃れ、利根川を境にして上杉氏と対峙し、利根川沿いの各地で武力衝突が起こった。この時は豊島氏は上杉方として上野や下野にまで遠征している。

山内上杉氏の家宰職をめぐる後継者争いに敗れた長尾景春は足利成氏と結びついて上杉氏に対して長尾景春の乱(1476)を起こす。長尾景春方として、武蔵・相模の比較的有力な武士が参加し、上杉方はまったく二分してしまう状況になった。武蔵守護山内上杉・相模守護扇谷上杉の支配に対する、在地の伝統武士層の不満があったからである。豊島氏も、伝統武士としてこの反乱に参加する。これは、上杉氏や大田道灌の支配からの独立を宣言する行為だった。