●思い出の曲とエピソード●


このコーナーでは、舟木さんの歌にその当時聞いたりしていた曲が思い出として心に残っていませんか?
私も思い出の曲がたくさんあります。他の人は一体どんな思い出があるんだろうと興味を持ち始めたのが
このコーナーを作ったキッカケです。歌にドラマありですよね。
今回はそんな思い出の曲と・エピソードを掲載していきます。皆さんの投稿を募集しております。

詳しくは「投稿募集」ページをご覧下さい。


「学園広場」

高校三年生は、私が、まだ小学生で、映画を見ることはできませんでした。やっと、見れたのが、「学園広場」でした。学園広場のような、高校生活を夢みていましたが・・・高校生になったとたん、、軍隊のような、寮生活がはじまりました。一生のうちで、一番つらい高校生活になってしまいました。でも、今、34年すぎて、高校同期のHPができ、高校時代、話もしたことのなかった人と友になり、青春を楽しんでいます。今、まさに、私の「学園広場」です。

2006/3/20 いい風ふかそさん


「涙の敗戦投手」

私が中学1年の時、同じクラスに舟木さんそっくり八重歯がありはにかみ屋さんで これも似ていてずっと思いをよせていました。たくさんのライバルがいまして腹をたて たりもしました。彼が私の方を見ていたとか言っていました。
 美人で勉強の出来る人でした。彼の片思いだったみたいですけどその人がうらやましかったです。
 彼は野球部で毎日放課後練習をしていました。私と友達と用もないのに遠くから彼を見ていました。それだけで幸せでした。胸キューんです。野球の試合があって負けてしまい泣いていました。私も辛かったです。
 この歌が大好きだし聞くたび彼を思いだします。今の彼がどう変わっているか見たい気もするし43年前の彼だけを思っていた方がいいか微妙です。でも遭いたいなあ。テレビでやっていたそっくりショーにでたらと皆が言ってました。
 舟木さんが彼に似てるから好きになったのかかれが似ているから好きになったのか友達
 のよく聞かれました。本当にそっくりでした。彼は、今どうしているのかなあ? ああやはりあいたいです。

2006/2/14かおりさん


「高校三年生」

私たちの クラスに舟木さんにそつくりとは言いませんが ほつそりして面影は似ていました たちまち学校中に噂になり 私も密かに思いを寄せていました 夏休みにクラスで上高地へキャンプに行くことになりました キヤンプファイヤーも終わりに近ずいた頃 先生が次は 舟木一夫の 高校三年生 を歌おうと彼方を指さして言われました 彼は両手で顔を隠しとてもはずかしいそうに うつむいてしまいました 先生も知つていたのですね 舟木さんもとてもテレや彼との仕草がオーバーラツプして40年以上たつてもはつきり脳裏に焼きついています 今は少し太りぎみの彼ですが 舟木さんを思う気持ちと同じで彼もすきです

2006/2/9 田舎の小雪さん


「君よ振り向くな」

 立ちどまるな 振り向くな 走り続けろ君よ 力のかぎり
 この曲がコンサート会場から流れて来ると勇気と頑張りの気持ちを頂く事が出来ます。
 慣れない仕事のストレスで自分自身を追いつめてしまい精神的、肉体的に苦しんでいた頃でした。スタンデングにて身体を動かしているうちに、悲壮心は和らぎ、身心も軽く、舟木さんの歌声が励ましのお心かの様に伝わらせて頂けました。どうする事も出来なかった我が心を救って下さったのは、家族でも自分自身でもない舟木さんの存在でした。(後8年は頑張ります)というお気持ちを伺えた事は今後の私にとりましても励みです。何故ならば私の赤い・・・・・。その日まで振り向かず! 立ち止まらず

2005/11/6  トウ子


「東京百年」

 曲名どおり昭和40年発売の青春歌謡とは少し趣が異なる歌です。この歌が出て程なく放送禁止になりテレビでは殆ど聞かれなくなりました。私は運良く?レコードを購入してましたので今でもプレーヤーがあれば聞くことができます。歌詞の中に反戦の詩が入っているのが理由だったようです。杉田二郎も‘戦争を知らない子供たち’を歌う時はいろんなモノが飛んできたと言ってましたネ。戦後60年そろそろ復権できたらと思う今日この頃です。あれから40年!舟木一夫さん勇気を出して声高らかに歌ってください。池永投手も今年はれて復権出来ましたから。

2005/7/28 花木和雄さん


「高校三年生」

 高校三年生・・・この曲を聴くと、甘く、切ない日々が想い出されます。当時は恋に恋する高校1年生、同じクラスの男子から生まれて初めてウチアケラレ、嬉し・(* v v)。 ハズカシ・・・本当に純情そのものでした。その頃テレビで’’ロッテ・歌のアルバム’’という番組で日曜日のお昼からの放送がありました。突然、お出ましになったのが、今でも大好きな「舟木一夫様」です。彼に舟木さんは八重歯のところから目のあたり鼻筋、身長、も・・・よく似ているのです。しかし今はどのようなお顔になられたのかわかりません・・・。当時クラスで大騒ぎされたのが、舟木さんと彼でした。しかしその後は自然消滅私はステキな主人見つ結婚、舟木さんは私の永遠の心の恋人となりました。「高校三年生」は一押しです。

2005/7/27 誓いの言葉さん


「北風のビギン」

私は、まだファン暦3年です。舟木さんがデビューした時、私は中学2年でした。周りには熱烈な舟木ファンが溢れていたのに,私は特に感じていませんでした。3〜4年前、気晴らしに行ったコンサートで,こんなに歌がうまかったのか、と思いました。空の星の様にキラキラ輝いて見えました。やはりスターだと思いました。
  コンサートが終わって帰ろうとした時,ビデオの販売をしている人に「買ってください」と頼まれて、買いました。ビデオを1度見るとまた見たくなり、もう1度みるとまた見たくなり、どんどんはまって行きました。他の曲も聴きたくなり、図書館でCDを借りました。その中にあったのです。「北風のビギン」が。なんという素晴らしい声。なんという素晴らしい歌い方。そして曲もステキ。女心が震えます。あの歌詞のように言って貰えるのが女性の究極の望みではないかしら。しかも,「春が来る」と私の名前を何度も呼んでくれるんです・
  そのCDが欲しくなり,長いこと探しましたがどこにもありませんでした。そしてとうとうB面コレクションが出たのです!本当に嬉しい!
  他に好きな曲は、『津和野川」『春哀し」「いつでも青春」「都井岬旅情」「青春の鐘」「初恋」「さんざしの花咲けば」「東京は恋する」―――他にもいっぱい。実際、舟木さんの歌う歌なら、なんでもステキ。好きな曲ではなくても舟木さんの声がステキだなと思ってしまう。
 「赤とんぼ」をCDで聴いた時はうなってしまいました。とんぼが飛んでいる里の情景が浮かんできたのです。声楽家が美しい声で歌うのを聴いても、そんなことはないのに。舟木さんの歌唱力、表現力はすごいと思います。
  デビューしたての人気絶頂の頃より、20代後半からの歌がすごく良いと,私は感じます。
  私の同級生は、ファン暦43年。私は3年。まだ3年しか楽しんでないんです。ここは是非,舟木さんに健康に気をつけて頂いて、私のファン暦を長く長く伸ばして頂きたいと念願しております。

2005/7/23 春子さん


「木挽哀歌」

舟木さんのデビュー当時からのファンだった僕が毎日レコードをかけていてそばにいた母が一緒に聴いていてくれた曲がこの曲でした。舟木さんの歌の中でも好きな曲だと言ってくれていました。子供のころから苦労続きの母がこの曲に込められた日本的なひなびた哀感のなかに昔の日本のふるさとが見えたのでしょうか。その母も10年前に逝きこの曲を聴けば亡き母が想いだされて懐かしさがこみ上げます。それにしても舟木さんの歌のうまさはいかばかりでしょうか。

2005/7/14 よしひろさん


「高校三年生」

舟木フアンの皆さま、ご記憶にありますでしょうか。デビューの年の紅白、売れ過ぎて疲れていたのでしょう、声が十分でずとても苦しげだったのを。40余年経過した今もなぜかあの時の映像が鮮明に残っているのです。
 舟木の高校は私の高校の近く、年代も差ほど違いません。「舟木、気の毒だったな」年が明けて集まった私たちは同情したものです。当時私たちは大学三年生、この時の四人、正月には必ず集まり40余年、お互いの伴侶がよくもつづいているものと今では感心しています。

2005/7/10 万年高校三年生さん


「高校三年生」

「高校三年生」は私たちの学級の「学級歌」です。2年に一度の学級会を開いてもう20年近くになります。フィナーレは、この歌で、涙涙のお別れです。2年後また会えるのに。 今年は9月北海道の小樽で開きます。たくさんの元気をもらってきます。2年後は、地元で(福島県浪江町)還暦学級会です。それまでは、とにかく元気でがんばるつもりです。 「離れ離れになろうともクラス仲間はいつまでも」「道はそれぞれ別れても越えて歌お うこの歌を」 これからもこの「学級歌」を歌い続けたいと思います。

2005/6/29 タカコさん


「学園広場」

 舟木さんとの出会いが遅かったので、皆さんのように「この曲を聴くと・・・」というのではなく、コンサートに行く度に思い出が出来ます。
 唯「学園広場」は、出会う数年前、車を運転している時にラジオから流れ、聴き入ってしまいました。
 お声は50代の感じで、音域のスケール大きさに、うっとりしてしまった。
 うっとりと言えば、他にもたくさんありすぎて、「高校3年生」筆頭に「哀愁の夜、むらさきの人、つばさ、想春等・・・」プラス感動の曲、きりがない。

2005/5/11 スワンさん


「高校三年生」

  昨日、舟木一夫特別公演に行ってきました。
 歌はもちろんお芝居も最高でした。赤ツメコンサートでは赤い詰襟がとてもステキでした。私が中学生の時、舟木さんに良く似た2年先輩にあこがれた当時を思い出し、とても懐かしく家に帰っても興奮状態でした。

2005/5/6 カイリさん


「学園広場」

 新橋演舞場に行ってきました。舞台 ”瞼の母”もう少し泣ける場面があったらなが感想です。
 コンサートでは、赤い詰襟での登場、噂には聞いていたもののビックリし60才まだまだ若い舟木さんにもビックリ。ラストに唄われた学園広場を聞くといつも涙してしまいます、6年前に亡くなった父が昔、お風呂に入りながらよく唄っていたからです。思い出すのは辛いけれど大好きな一曲です。

2005/5/5 ジョーさん


「高校三年生」

 このあまりにも有名な曲がはやったのが丁度高校2,3年生の頃。赤い夕日が校舎をそめて・・・
 このフレーズ、まさに校舎に夕陽がさしている教室で卒業近い友らといろいろ語り合った
 そんな記憶がありなつかしく思い出されます。偶然このコーナーをみつけて、思わず投稿してしまい
 ました。

2005/4/22 sakurakoさん


「その人は昔」

 中学生だった私が初めて買ったLPでした。いいえ もちろん親に 買ってもらったものです。
 嬉しくて嬉しくて 何度も何度も 聴きました。私の住んでる北海道を 舞台にしている物語でラストシーンでは 涙が こぼれました。
 今は 2人の 子供も 結婚したり 仕事で家を離れ 夫婦2人の暮らしですが 現在も 私の大切な物として 持っています。
 舟木さんとは 自分勝手ですが 永い付き合いで 今では 他人というより 古いよき友人と・・・・いう感じです。 申し訳ありませんが・・・。
 これからも ますます お体に 気をつけられて下さいませ。
 心より 願っております♪♪♪

2005/2/14 恵ちゃん


「若き旅情」

中学生にときから一緒に舟木さんを応援していた兄が、結婚することになり、心にぽっかり穴があいたように淋しい毎日を送っていたとき、この歌のレコ−ドを何回も何回もまわしていました。ひさしぶりに聴いて・・・あのときの自分にもどりました。歌詞がぴったりなんです。

2005/2/2 あおいさん


「高原のお嬢さん」

中学時代兄の友人に片思いと知りつつ、ずっと憧れていた私
 
 学校の授業中にもよく『高原のお嬢さん』のメロディが頭の中に浮かんできて、窓の外を
 
 ぼんやり見つめてる事が多かったのを、記憶しています。「あの人に逢いたい・・・」

2005/1/24 夢想舟さん


「高校三年生」

 今から14・5年前、離婚して家のローン、子供教育費、生活と昼夜働いて入る時、舟木一夫の歌謡ショーを見て高校生の頃の無心、純真だった頃の自分に戻れて非常に元気を貰って帰ったのを覚えています。今では子供達も社会人になり自慢の娘達に成長しました。

2005/1/9 工藤 明子さん


「ブル-トランペット」

好きな曲はたくさん有りますが.この曲は父が元気だった頃にレコ-ドプレ-ヤ-でよく聞きました。もう37〜38年位前になると思います。舟木さんの歌は.いつまでもあきないですね。今もウオ-クマンで聞いたり.カラオケで歌ったりします。「ブル-トランペット」を
 聞くと懐かしい頃を想い出させてくれますね。「舟木さん。新しいヒット曲も待ってますよ

2004/11/23 SEIKOUSYAさん


「高校三年生・北国の街」

 舟木さんのデビューされた時、私は中学一年生自慢ではないのですが・・靴箱に毎日の様に手紙がはいっており、今思えばちょっと高飛車になっていた頃でした。舟木さんを見た時体から電流が走る様な衝撃でした。一件普通で皆が着ている学生服でかなりシャイ・・・なのに内面から出る魅力に大・大ファンになり現代にいたっています。いやー昔よりかなり強くなっているかも。だってあんなに素敵に歳を重ねておられる方あまりおられないのでは??と思ってしまうぐらい魅力的ですよね〜この間「尼崎アルカイックホール」に行ってきました。も〜満員立ち見の方もおられ当日券を手に入れるためにかなりの方が並んでおられました。あの甘い歌声には、”ウットリ”しますよね・・舟木さんの曲は全て好きですが、特にこの二曲を聞くと高校時代三年間告白も出来ずにず〜と思い続けて来た方の事を鮮明に思い出しこんなに歳月が経っても思い出してしまい、今どうされてるのかな〜と考えたりします。でもとてもいい思い出です。これからもず〜と応援していきたいと思います。

2004/11/4 k-sakiさん


「高校三年生」

学生服のあの人が、あなたに似ていてとても好きだった・・・。もう、何年前の遠い昔のことです。いろいろなことがあって、もう、わたしも50歳をとうに過ぎました。あなたは永遠の恋人です。

2004/11/3 ひろさん


「学園広場」

もう、40年も前、・・・初恋のひとにいているのですっかりファンになりました。学園広場を聞くとあのころの自分がよみがえり、涙がでてきます。永遠の恋人です。

2004/10/18 ミミさん


「その人は昔」

 舟木さんの声で聞く歌は全部大好きです。思い出といえば−その人は昔−ですね
 あの頃は、LP番が高くてとても買うことが出来ませんでした。(レコードも買えなかったですけど)
 デパートの、レコード゛の売り場でレジ゛のバイトをしていました。その時お客様の要望が無い時に販売係方にお願いをして 何回も何回もかけてもらいました。舟木さん大好きとしれるとすべて曲がかかるようになりました。今日も、明日も、レコード売り場のレジになるように願っておりました。
 映画を見て流れる曲を聴いて、絶対百人浜行きたい、行くぞ-とズート思っていました。
 やっと、37年ぶりに念願かなって行って来ました。とても美しい公園になっておりました。
 口ずさみながら、心地よい風に揺られて映画ワンシーンに想いをはてました。

2004/9/18 ころもさん


「君へ心こめて」

北国の街の頃から、結婚したいほど好きでした。舟木さんが、業界から姿を消されて、・・・とても寂しくて・・舟木さーん・・といつも心で叫んでいました。・・・・・時は、ながれて、・・舟木さんのコンサートを、見つけました。・・コマ劇場や、演舞場も、通うようになり、・・・君へ心こめてを聴き、身震いするほど感動しました。つらい時、悲しい時に聴くと、ジーンときます。・・・3番の、俺が、心こめる唄のひとひら春をつげろ君に届け・・・俺が、心こめる唄のひとひら、春をつげろ君のそらに、、 の歌詞に感激です。
 舟木さんの真心を感じます。-------他には、エンドlove・蜃気楼・ありがとうもさようならも・が、舟木さんの、優しさが、かんじられます。
 素敵な歌と、messe-ji    ありがとう、いつまでも、お元気で、素敵な舟木さん、ご一緒のたび、がいつまでも続きますように・・・

2004/7/31 ゆうすげさん


「山のかなたに・はやぶさ」

テレビ毎週みていました。いまでも、思い出す懐かしい場面〜
 コンサートではやぶさ・山のかなたにの主題歌歌ってほしいで〜す。

2004/6/22 とも・ともで〜す。


「さんざしの花咲けば」

 33年前、2部の大学が決まり、昼は経理の仕事のため、1人名古屋に行くことになりました。
 知り合いの居ない不安な土地で山梨から入社した人(女姓)と友人になりました。ある時、さんざしの花咲けばの歌が好きなことがわかり、二人で一緒によく歌いました。お互いのアパートに行ったり来たりその後,退社するまで楽しい日々を送ることが出来ました。
 高校時代に一時,フォークソングに夢中になった時期が合って,最近久しぶりにテープを聞いたのですが,ただ懐かしいと思っただけでした。舟木さんの歌は毎日聞いても あきずに自分でも不思議です。そして 今,この不安な社会の中で,舟木さんの歌を聞いれば 穏やかな 幸せな気持ちになれる自分がいます。舟木さんに感謝したいとおもいます。

2004/6/17 ミヨコさん


「高校三年生」

 四十年以上前になるでしょうか 平凡か明星か 忘れましたが貸し本屋さんで 借りて応募した東京見物で大好きな舟木さんと バスで 一緒に乗り色々と 周り夢ごこちで 歌ったのを。思い出します。今も  追いかけて 色々みに 行ってます。

2004/6/7 けいこさん


「君へ心をこめて」

 再び青春時代に戻れたらどんなにいいか。そんなことを思い始めていた頃、妻がこのCDを買ってきてくれました。「悲しみをうらみを 抱いて生きるな 何よりも君には それを願う」という同じ時代を生きてきた、等身大の友の友情が感じられる、人生の応援歌を感じました。妻と一緒に舟木さんのコンサートに年3回行きました。CDも買いました。青春時代のエネルギーがよみがえってくるようでした。大学を中退した私も今度は何とか卒業し、本年3月25日には思ってもみなかった国立大学の大学院を卒業することができました。また、勉学に取り組む様子を見ていてくれた上司の推薦で昇任もできました。大学を中退し、社会や人生をうらんでいた自分に、再び活力を取り戻してくれた歌「君へ心をこめて」に感謝し、舟木さんと舟木さんを送り出してくれているプロダクションに感謝します。そして何よりも、自分の歩いた人生の風景の中に舟木一夫の存在があったことを感謝します。

2004/6/6 青春さん


「高原のお嬢さん」

 高原のお嬢さんを初めて耳にしたのが、小学5年生のときです。
 こんなにすばらしい唄を歌えたらいいなと子供の頃思いました。もう少しで50才になりますが、舟木一夫のようになりたくて十代の頃夢見た歌手を諦め、歌手になりそこねた僕には定番の曲になっています。

2004/5/27 竜一さん


「旅路」

 母の教育のおかげで、気づけば舟木ファンになっていた大学4年生です。私が好きな歌は
 レマンのほとり・北国の町・友よ・あげればきりがない。同級生からはオジサン好き?なんて言われているが、皆さん素敵な人は何歳であれ素敵ですよね?ちなみに私の父は本当に若いころから舟木一夫にそっくりだと言われていました、(写真見て驚きよ)今現在の舟木さんにもうり二つで、周りからよく言われます。そっくりさんに出したい。
 曲のことを書き忘れてました。エピソードはないけれどあの歌・雪の雪のさいはて行く汽車は〜激しく燃えた愛の部屋愛してる愛してる君のこと・・・とても暗くドロドロした歌かと思ったらいきなりあっけらかんと明るくあの人は人妻と、あなたはB型ですかと言いたくなる能天気というか開き直りにすごく驚いてしまいました。悪口じゃないんです、嫌な事があるとこの歌を思い出して、いいさ・負けるもんかと思えてしまうんです。
 おかげ様で実はぼう大企業の面接で、男性の面接官と舟木話で盛り上がり就職決まりました(本当に大企業です)。私を舟木漬けにした母に感謝。そして舟木さんに感謝。かな?(笑)

2004/4/20 一力さん


「たそがれの人」

 私が、中学三年生の時に「高校三年生」がヒットしていました。それから、リアルタイムで舟木さんの歌と一緒に青春を過ごすことができて、大変幸せであったと思います。
 舟木さんの歌は一連の学園ソングも好きですが、「北国にひとり」や「紫の人」も好きです。また、B面の「少女」「さんざしの花咲けば」「はやぶさの歌」なども好きな曲す。一番好きな曲は「たそがれの人」です。イントロのメロディが美しいしっとりとしたバラードで、当時、たそがれを見てよく口ずさみ「たそがれの美しい日に、逢える気がする、あの人」と言う歌詞に憧れ、淡い恋を夢見て一人センチメンタルになった青春のあの頃が、懐かしく思い出されます。

2004/4/16 H.Nさん


「高校三年生」

 この曲は予備校へ行ってる時に流行ったな。高校時代フオークダンスで女の子の手を握れるので楽しみだった。特に綺麗な子の近くになるとドキドキしてもうすぐ握れると思って踊ってたな。私は進学校で理科系だったから3年生のときは男ばかりのクラスに入れられ詰まらなかった思い出があるな

2004/3/27 あっきーさん


「北国の街」

S,40年4月、希望を胸に抱き、夢ふくらませて、勤労学生として、第一歩を踏みだし
 ました。4月4日 16才の、誕生日を 迎えた、春でした。
 25日、初給料で 買った、レコードは 大好きな舟木一夫さんの、「北国の街」はじめて、観た映画も 北国の街でした。・・・・・
 当時の私には、青春賛歌そのものであり、貧しくとも 時代を、満喫していました。
 S41年1月7日山梨県民会館(現在はありません)にての、舟木一夫ショーで、聞いた北国の街・・・・私にとって、エール!!だと、思い 何かにつけ、励みにに、なりました。年を重ねた、今でも 色あせない 想春歌となっています。

2004/3/24 乙女椿さん


「高原のお嬢さん」

 今から38年前、高校生だった私は気の合う「仲間たち」級友5人と共に蓼科高原に、初めてだったこともあって、それはそれは楽しい一夏でした。そこで愛知県瀬戸の「高校三年生」の女子「花咲く乙女たち」と知り合い、その夜キャンプファイヤー、次の日、乙女滝、蓼科湖等々「高原のお嬢さん」達と一諸に、高原を散策しました。そして別れの日、白樺湖でボートに乗り、その後帰路に向かう彼女達のバスが「山のかなた」に、消えるまで湖畔のほとりで、いついつまでも見送り、夕映に消え行く乙女達、その光景はまさに「夕月乙女」であり「ああ青春の胸の血は」そのものであり、今でも私の脳裏に鮮明に思い出されます。その彼女達も、そろそろ夕暮れの向こうに黄昏が・・・・・。彼女達のあの日あの時の微笑が「まだ見ぬ君を恋うる歌」そのものであり、万年雪の如く私の心に「残雪」としていつまでも、甘くせつなく想い出に満ち足りることでしょう。私の青春に「君たちがいて僕がいた」

2004/3/15 水色の人さん


「レマンのほとり」

 おはようございます。今朝は何故か早く目がさめてしまい、舟木さんのホームページにお邪魔しています。この部屋の書き込みを読んで、自分の青春時代をダブらせ、涙している私です。この曲はまだ最近なのですが、舟木さんのコンサートに行く日、NHKのお昼の歌謡曲で舟木一夫特集をしていて、車の中で一足先に舟木さんの歌を聞くことが出来たのです。「舟木一夫コンサートに行く日に、特集をやっているなんて、縁がある、ラッキー!」と、とても幸せな気分に包まれました。勿論コンサートは最高でした!!
  レマンのほとりもそのとき流された歌の中の1曲でしたが、じーんときました。昔の歌も勿論大好きで、殆どの歌は歌えると自負していますが、熟年のアイドルになってからの歌にも名作がいっぱいいっぱいありますね。こんな素晴らしい歌手と青春を共にし、彼の 歌とともに人生を歩んでこれたこと、本当に幸せです。

2004/2/26 エミリーさん


「仲間たち」

18才でふるさとを離れ上京、慣れない東京生活のなかで岡林信康の「友よ」というフォークが私の胸を揺さぶりました。ジョーンバエズの「勝利を我らに」や「悲しみは駆け足でやってくる」なども懐かしい歌たちです。いつしか私も学生運動のシンパの一人になっていました。学業もそっちのけで学生集会に行ったり、学内で討論しあったり「永続革命論」や「わが生涯」などを読んでは革命の到来を待ち望んでいました。生活は荒れいつしか大学は権力のための供給源としての役割しか果たさないから、いつまでも学内にとどまるべきではないと中退に傾いていき、自分を送り出してくれた両親とも口論することになりました。そんなとき、ふるさとの友人から長い手紙が届きました。君の両親はどんなに苦労して君に送金しているか知っているのかという、厳しい内容ではあるが激励の手紙でもありました。結局、友人の手紙に感謝しながらも自分のわがままを通し、学歴の大切さを知るのは実社会に入ってからでした。今もその時の友人の暖かい励ましの手紙を読んだとき、知らず知らずの口ずさんでいた曲を鮮やかに思い出します。その歌は学生時代の友人たちに好きと言っていぁw)スビートルズでもカーペンターズでもなく、舟木一夫さんの「仲間たち」だったのです。借り物の思想と同様、表面は時代や世相に遅れまいと洋盤を聴きつつ、心の中には私の青春時代を彩った舟木歌謡がマグマのごとく渦巻いていたのを実感しました。「記念写真はとぼけていても」との歌詞の一節が流れると、友人たちと撮りあった記念写真の数々と共に、若い日の夢に燃えていたころの自分が懐かしく思い出されるのです。舟木さん、青春歌謡ありがとうとお礼を云わせてください。

2004/2/21 青春さん


「夕笛」

 青春の、甘く、せつない・・そんな思い出が、この曲聞く度、口ずさむ度、蘇ります。
 今では、ほろ苦い一曲です。

2004/2/14 ゆうりさん


「高校三年生〜残雪」

 高校三年生、修学旅行、学園広場、仲間たち、ああ、青春の胸の血は、君たちがいて僕がいた
 花咲く乙女たち、北国の街、あありんどうの花咲けど、高原のお嬢さん、山のかなたに、哀愁の夜
 友を送る歌、絶唱、夕笛、さんざしの花咲けば、残雪、初恋、レマンのほとり、
 これらの曲なら、すぐワンコーラスなら歌えます。
 最近の若者の歌のように、覚えにくい、歌いにくい(とてもアカペラでは歌えない)こともなくて
 これらの曲を聞いただけで、当時の僕の青春が蘇ってきます。
 中学校、高校時代の友達や彼女の顔が、まぶたに浮かんできます。
 まさに、二度と帰らぬ青春が、舟木一夫さんの歌には閉じ込められています。
 そして、いつまでも、新鮮なまま、わが心のうちにありつづけるのです。
 このようにすばらしい歌に出会えた我々は、幸せと言うほかありません。
 ありがとう、舟木さん、ありがとう、みんな。
 このサイトのおかげで、こんな言いたいこともいえるわけですから、(ほかに言うところない)
 管理人さんありがとう。
 
20042/12 くろひこさん


「高原のお嬢さん」

 舟木さんは私にとって青春そのものです 舟木さんの曲を聞くと「わが青春時代」あの日あの時の出来事が 私の脳裡を走馬灯の如く駆け巡ります

2004/2/8 誠さん


「君よ振り向くな」

 この歌が大好きだった、私のP.F、Oさんは、3年前の春、亡くなりました・・・・       私も、舟木一夫復活のシンボル曲のようで、お気に入りの1曲ではあったのですが、彼女ときたら
 「〜どこそこのコンサートは全然良くなかった」と言うので「なんで?舟木さん、ステキだったでしょう?」ときくと「だってー、スタンディングする人、ほんの少しなんよ、ノリわるくってつまんなかった!」というくらい。      ・・亡くなる前年でしょうか?再演のお芝居だし、はるばる関西の地まで出かけてくのはおっくうだったのですが、彼女が幾度も誘うので、初めての遠距離追っかけ!?、極寒の2月というのに、飛行機で行くことにしました。 ところが機は雪で遅れに遅れ、とうとう開演時刻には到底間に合わなくなってしまいました。私は彼女にTel.して、1番前ど真ん中の私の席にすわってるよう、少しでも歌聴ける時間に到着したらあなたの席(おなじく1番前だけど左端)に腰おろすから見つけてねと。(その日が初対面)  私はハーハー息をきらし、やっとコンサート数曲目に席に着くことができ、舟木さんがこちら向いてない時は彼女にサインを何度もおくりました、でも全ぜん気がつかないんです、もうノリノリのはしゃぎまくり!  
 コンサートが終わり、私は花道に這い蹲るようにして、Oさ〜ん!Oさ〜ん!!Oさんってばっ!?
 やっとこさ、遠来の友の存在に気付いてくれたわけですが、私としては(スペシャル席も譲ってるのにィ)呆れるやら、おかしくって、もう2人で大笑いしました。
 その後、京都、東京と何度もおあいしてるんですが、とてもおっとりした、明るくって、無邪気なひとでした。ずーっと一緒に舟旅するはずの友でした。    ・・・    「それじゃ、私お先に行ってきま〜す」の最後の電話の、明るい声がまだ耳についてはなれません。(私は、東京の方にいくから)大阪のふれコンに、先に行くと電話をくれて、その当日朝、ご主人と家を出て・・覚悟の、ご主人についていかれたのです、大阪ふれコンには行けなかった・・・私はそうとも知らず、またお手紙出したりしてました。10日も過ぎてから知ったのですが、4〜5日は思い出しては泣いてばかりおりました。ショックでした。私と、家族構成も、境遇も色々似てる方でしたしー当分関西にはいけなくなりました。同じ劇場に行くと、あの席で彼女がはしゃいでる姿が見えそうで・・・      でも彼女は、舟木さんより大事なご主人を一人で逝かせず、「夫婦」をまっとう?したのですから、私なんかより幸せだったかな〜なんておもったりもします。
 今は時々「日本海」に乗って、大阪や京都方面にも出かけて行くようになった私ですが、列車の窓から琵琶湖がみえてくると、カセットテープで必ずこの歌と、新曲をかけて、彼女と一緒に聞いています。            

2004/2/5 ジョーモン姫さん


「高校三年生」

 この曲の存在は中学以前から知っていましたが、舟木一夫という歌手が唄っていることや、興味を持ったのは奇しくも高校3年生の時で、その後専門学校在学時に縁あってカラオケに行く機会があり、私的にはカラオケの定番曲のような感じがしました。
 それ以来、カラオケの十八番として現在に至っています。

2004/1/27 総武線沿線在住さん


「高校三年生」

みんな好きでもこの歌一押しさわやかであなたは私の青春です永遠にネ

2004/1/26 小雪さん


「仲間たち」

 30年近く高校教員やってますが、3年生を送り出すこの時期には必ず自分が当事者だった頃を思い出します。時代は流れ、「贈る言葉」も、「さくら、さくら」もいいですが、胸の内では「仲間たち」が一番です。

2004/1/24 morrisさん


「北国の街」

 青春時代といえば、にっかっの、映画を、見るのが大好きで、特に舟木さんの映画は、全部見たような、気がします。この北国の街は、今も覚えているのですが最後のシーンで、舟木さんが、線路で泣くところでこの歌が流れました子供も大きくなり、9年前新歌舞伎座に結婚して初めて入ったときの、オープニングが、この歌だったんです。ものすごく感激して、それからは、ひとりでいつもみにいっています。舟木さんは、年がいくほど歌がうまくなっていかれるようなきがします。今年も名古屋、大阪、東京、京都、行きます。そのためには、働いて旅費と、チケット代頑張らないといけません。ごめんなさい。名古屋はいってきました。

2004/1/19 あつぷるさん


「蜃気楼」

 両親と弟の家族が、うまくいかなくて悲しい思いをしている時、コンサートで聞いた【蜃気楼」の歌詞のなかで”思いがけず、母の胸に顔をうずめ泣いた日々をかげろうの・・・”のところで小さい頃の弟を思い出し涙が出てきて止まりませんでした。それ以来、コンサートで聞くたび思い出し、また、カラオケに行くと歌います。「いい歌やねー。だれのうた?」と聞かれて【舟木さんよ。」と、言うときが舟木さんのフアンでよっかた。とおもいます。心にしみるうたをたくさんありがとう!!。これからも、ゆっくりですが応援していきます。

2004/1/18 junnkoさん


「銭形平次・修学旅行」

 40年生まれの私にとって、父と母は舟木様のお歌で青春しました。いつもいつも「あんたは銭型平次が流れるとコタツに上って歌い踊りだす。」といわれていました。今でも実は大好きな曲です。元気がでますよね!
 「修学旅行」は小学校の6年の修学旅行の前に担任の先生が作文ノートの歌詞を書くようにいわれたのがこの曲でした。家に帰って歌ってみると母が大喜び。一緒に母と歌った歌です。私の母は「絶唱」好きでよく口ずさんでいました。全部歌える母と共有できてうれしいです。

2004/1/13 ちいたんさん


「仲間たち」

 私は京都で観光タクシーのドライバーをしています。3年前熱烈なファンをお供してから私もとりこになりました。車の中でも常にテープを聞いています。毎日がドラマのような人間社会です。時には涙したり時には笑ったり、本当に生の社会勉強です。そんなわけで舟木さんの歌は私
 の心のビタミン剤です。時には励まし時には慰めてくれる舟木さんの歌声ますます元気でみんなの心に栄養を与えてほしいですね。皆さんも疲れたとき京都のお寺でもめぐり舟木さんの歌を聞きましょう。

2004/1/13 京都まことさん


「仲間たち」

 高校2年生のとき、家庭の事情で学校をやめなければならないクラスの仲間がいて、九州への修学旅行の最後の日、クラスのみんなが1つの部屋に集まって舟木さんの「仲間たち」を歌いました。
 たぶん、修学旅行への参加も、先生方のご厚意と配慮があったように思います。
 最初は、みんな元気に歌っていたのが、2番3番と進むうちに涙になり、泣きながら歌いました。
 いまでも、仲間たちの歌をきくとそのときの事が思い出され、涙があふれます。

2004/1/11 浮舟さん


「学園広場」

 舟木さんの歌で好きな歌は たくさんいっぱいありますが 思い出の歌は学園広場です 肩くみあって 友と歌った若い歌の歌詞を 永い間 堅く見合ってと思って 歌っていました それと初めて買ったレコードは哀愁の夜です 絶唱の映画を見に行った時に 好きだった人も見に来ていました 声はかけませんでしたが(かけられませんでしたが)あの時のことは何時までも忘れないと思います 夕笛の映画も忘れられません 哀愁の夜の映画はまだ見たことがありませんが ビデオを買ってぜひ見たいと思います 残雪は見ました
 今好きな歌は さんざしの花 君に心こめて 京の恋唄 あありんどうの花咲けど 春の坂道 古城の月 はやぶさの歌 等です でもやっぱり哀愁の夜が一番ですよね1月25日中日劇場公演見に行きます 

2004/1/11  しょうちゃんさん


「高原のお嬢さん」

 中学時代、初恋に心をときめかしていた頃の思い出の歌です。
 今でも歌詞を全部覚えています。恋の始まりから別れまでを、リズミカルなメロディで歌い上げる、普通失恋の歌は悲しいメロデイラインだと思い込んでいたのですが、歌詞とメロディがぴったりと合うんですよね。もちろん映画も見に行きました。
 二人が愛を確かめ合った蓼科高原の滝にいつか行ってみたいと思いながら、
 いまだに実現していません。あの滝の名前どなたかご存じだったら教えて下さい。

2003/12/24 seraさん


「学園広場」

 子供心の楽しみ 軽井沢のふもと中仙道の街 3月1日雛いちがたつて上町から下町まで露店通り私の家の前はだるまが山積みでした。健康で活躍 古き良き思い出 中学生 ソフト部部長 運動会の鼓笛隊(ドラム)器楽部(県代表)疾送 今でもこの当時頑張つた事が基本になつて影響しています。

2003/12/18 mrsえいこさん


「高校三年生」

 タイムスリップした気持ち 私が中1の時 高校三年生で舟木さんがデビューされました。部活で(前も後ろもまつ黒よ)と日焼けした顔に母がそういつてました。あの頃は私も八重歯が光つていたのに  あの頃は舟木さんはあ こ が れ 現在もあ こ が れ(永久課題)もつと普通に逢つて普通にお話できる存在だつたら とても嬉しいのに。

2003/12/08 おーちゃんさん


「高校三年生」

昨年新歌舞伎座お見に行き、40 年振りに舟木一夫さんを見て、感動しました。私達の時代は、今みたいに、簡単に見に行ける時でわなかっかたので、とても懐かしさと嬉しさが交差して、その夜は寝れませんでした。

2003/11/7 ふみさん


「高校三年生」

デビュー以来初めて、歌舞伎座で舟木一夫さんを見に行ってそのときの興奮が忘れません。それ以来、近辺でコンサートがあるたびに見に行ってます。ファンを大切にする舟木さんは関心しました。これからもファンを大切にして下さい。

2003/11/6 みーこさん


「高校三年生」

 私が高校を出て就職した年、彼は「高校三年生」で華々しくデビューしました。詰め襟の学生服、キュートな八重歯、さわやかさと甘さがミックスした声、いっぺんにフアンになりました。
  私の就職先はダムの事務所で、愛知県と岐阜県の県境にある山村にありました。そんな村にも何故か映画館が有り、舟木一夫の歌を幕間に、村中に響く音で流していました。
  私の青春は舟木一夫と一緒にあったのです。それから40年の歳月が流れ、ずーっと
 フアンであり続けてきた私です。高校三年生を聞くと、10代の頃の自分が生き生きと
 蘇って来て、胸がキュンとなります。

2003/10/14 ラララ・エミリーさん


「学園ソングすべて」

 舟木さんが四国へ来られる前、ラジオに出演されファンとの電話コーナーがありました。、どういう訳か私が当たってしまい、突然の電話に何をどう質問し話したのか解らないほど舞い上がってしまったことをその当時の歌を聴くと思い出します。

2003/9/28 おはなはんさん


「はるかなる山」

みんな思い出の曲ですが、「はるかなる山」は、いつも私をはげましてくれました。
 淋しいときはあこがれた、はるかなる、はるかなる山をこえていこう!どんな時も山をみてうたって、生きる力を、はげましをもらいました。どの曲も、その言葉のひとつひとつが人生のはげましですよね!ありがとう!あなた。

2003/9/20 さっちゃんさん


「センチメンタル・ボーイ」

 同名の映画を見て兄がやや興奮して帰って来ました。 「身分ちがいの恋」今の自分と一緒だと 告白?され,まだ12か13歳の私はビックリ! 舟木さんがデビューされてから下の兄と3人でこ 使いを出し合いレコードや雑誌を買い楽しんでました。少ない給料で「センチメンタル・ボー  イ」の舞台・梅田コマまで連れて行ってくれ、たぶん2階の席で舟木さんがすごく小さくて,目 を パチクリして終わったのを思い出します。(兄は映画と内容が違いガッカリ)  その兄二 人も 15年前,相次いで他界・・下の兄は結婚もしないで・・三人分私が舟木さんを応援し三人 分しあわせになってます。 そんな三人のよき理解者・母も去年11月兄のもとへ・・三人を不機 嫌そうに見ていた近所に引越しして来た父親は今も続く私の舟木病に目をつむり元気に頑張って います。公認?の舟木サン病に主人も子供も理解?してくれ、母の死も癒してくれる舟木さん・ ・・ 今,ステキに輝く舟木さんを応援してる私を「あほやな〜〜」と空から見守っておくれ〜 〜♪  こんな話今,初めてさせてもらいました。  恐縮です♪ 聞いていただいて 本当にありがとうございます。 何だか胸が軽くなりました・・・・

2003/9/9 NONKOさん


「仲間たち」

 特にこの曲が一番好き、ってわけでもないんだけど、とにかく舟木一夫の初期の頃の曲を聞くと、どうしても初恋のT.M.さんを思い出します。当時同級生だった彼女も同じ舟木ファンだったのでよく歌の話題で盛り上がっていたのが懐かしく思い出されます。舟木一夫の歌は、最近よくカラオケでも歌っていますが、僕たちの年代にとって、やはり青春の歌だとしみじみ思います。どんどんテレビにも昔みたいに出てほしいものですね。

2003/9/8 せーちゃん


「修学旅行」

 高校3年生の修学旅行でのこと。九州の熊本城にいきました。見学がすみバスに乗って外を見ているとその当時舟木さんのトレードマーク の[舟木カット」をされていた学生さんがたっていたんです。「どき!!」それを、おもいだします。その、方もきっと舟木さんのフアンの方だったのでしょう。30年たってもその光景を今でも、思い出します。本当に舟木さんに良く似ていて、胸が熱くなるできごとでしたよ。

2003/8/28 junnkoさん


「北国の街」

 今ブライダルカウンセラーの仕事をしています。この「北国の街」を聴くたびに昔懐かしい初恋を
 思い出します、それは本当に舟木さんそっくりの学生で私が高校入学し電車通学し始めて2〜3ヶ月経った頃偶然電車の中でお会いしました。毎日毎日彼の顔を見れるだけで、とっても幸せでした同じ学校であつたらどんなに幸せだったろうか・・・と何度も思いました。そうこうー しているうちに・・ただ見ているだけでなかなか時代が時代だけに行動に移せず2年が経ってしまい・・彼は卒業し名前だけは聞いたのですが・・何一つ告げる事なく今だに「どうなさっているのかな〜」とあの当時の淡いまま心の中にあの気持ちのまま残っているのです。そんな時に北国の街の映画を見て私に勇気がなかったことが悔やまれ涙してしまいました・・・今頃になっていい思い出にはなっているのですが・・よくビデオをみてはあの頃の切ない・・思いが甦り自分でもおかしいのですが・・・タイムスリップした感じになります・・舟木さんのコンサートでこの歌を聴くたびに・・
 ああ〜舟木さんのファンでよかったと・・・感謝していますそして無理をなさらずにいつまでも歌い続けて下さる事を願っています。

2003/8/28  k-sakiさん


「高校三年生」

 8月12日 お盆前日。M高校3年2組のいつもの仲間9人が集まりました。卒業して32年もたつのに千葉からS君、東京からH君等が帰省するたびに、「集合!」がかかります。
 見かけはおじさんおばさんでも、当人たちは高校生のまま。そして、いつも「高校3年生」から「修学旅行」「仲間たち」と続きます。初恋の人を舟木一夫に重ね、歌詞を憧れた恋に重ね、青春がよみがえります。

2003/8/19 みっチャン


「浮世まかせ」

 この歌は、コンサート見に行った時初めて聞いてアーアいい曲だなあ、私の心にしみこんで目が潤んでしまった歌、、、、そしてあの時ステージで歌ってる舟木さんが目に浮かんできます。今は、私にはむずかしいけど、カラオケで友達と歌っています。そしてカラオケボックスのテレビ画面で舟木さんを拝見しています。

2003/8/3 山鶴玲子さん


「今日かぎりのワルツ」

 博物館の学芸員の彼と解説員の私。二年も経ってから、ぎこちない交際がはじまりました。仕事帰り、いつもの喫茶店で待ち合わせ、電車の時間まで他愛ないおしゃべり、毎晩のように電話がきて・・・彼の専門分野と私の趣味も一致していたので、なんだか先生と生徒のようでもあり、恋人同士というにはまだちょっとはやいようなお付き合いでした。数ヶ月して私のバースデー、彼の初めてのプレゼントは、とても個性的な七宝やきのイアリングとネックレス、そして生まれて初めて(といっても私は23〜4才、オクテー!!)ナイトクラブ?のようなところに連れてってもらいました。ムーデイな音楽とお酒、初めての大人の?デート。明日からは本当の恋人同士・・・の予感ーー  でもそれから数日もしないうちに、彼に昔の恋人出現!(笑)優柔不断な彼の話など聞く気にもならず、私のほうから手紙を書いて交際を絶ってしまいました。それでいて展示室で涙ポロポロこぼしながら、土器や土偶!?の説明をしていた私・・・半年後、「お見合い」させられ、平凡な結婚をして、、ン10年になりますが、  なぜかこの歌をきくとあの日のことがきまってうかんでくぁw)驍フです。ぶきっちょな私は、たぶん 今日だけ(結果的に)のワルツは踊ってないとおもうのに・・・ホントに「恋」をしていたのかもわからないのに・・・・・大好きな歌のひとつです。

2003/7/21 つばささん


「みんな旅人」

 2番の歌い出しが特に好きで、青山のビデオでは、いつもこの曲を10回くらい聞き返しています。
 星野富弘や相田みつをの詩を飾る人がたくさんいますが、私が1番飾りたいのはこの曲です。
 舟木さんの情のあるお人柄がよく表れていると思います。
 日本語を大切になさっている舟木さんと伸びやかな歌声の小太郎さんとで、いつか童謡を作っていただきたいです。

2003/7/14 渡辺佳子さん


「修学旅行」

 私達の修学旅行は夜行列車で東京に行きました。列車の中舟木さんの歌で盛り上がった事  昨日の様に思い出します。皆  おじさん  おばさんになりましたが舟木さんの歌は私達  青春そのもです。いつまでも若い舟木さんでいて下さいね。私は電車通勤です。若い頃の舟木さんにそっくりな若い男性といつも一緒です。少しだけドキドキのこの頃です。そして舟木さんの歌とても元気になりますCD  聞きながらなので舟木さんとだぶって若い男性が好きになりそうです。

2003/7/12 ブルーベリーさん


「高校三年生」

 56歳自営業男性です。昔むかしって感じ私は、三田 明ファン彼女は舟木 一夫さん大好き少女19歳トランジスタグラマーのかわいい子?(古い〜)
 昭和44年12月15日ゴールイン、あれから30数年子供男子二人、孫5人
 昨年歌舞伎座へ妻につれられ、女房の若いこと高校三年生一緒に歌っておおはしゃぎ 楽しいひと時ありがとう

2003/5/27 カアーコとハーコさん 


「哀愁の夜」

 我が田舎に舟木さんがやってきた。それは私が高校生の頃、ラッキーにも二列目
 の席が取れたのです。芸能人それも大好きな舟木さんとあってもう完全に舞いあ
 がっていたはずなのですが・・・質問コーナーでなんと手を上げ指名されてしま
 いました。「絶唱」の撮影が終わり坊主頭だった毛が伸びかけの舟木さんに私は
 「和泉雅子さんをどう思いますか?」の単純な質問、「僕は顔が長いけど彼女は
 丸いから丁度良いコンビですね」やさしく答えて下さったのです。益々舟木さん
 が好きになった瞬間でした!!私にとって和泉雅子さんとのコンビは最強です。
 「北国の街」「高原のお嬢さん」ETC・・・そして「哀愁の夜」歌も一番好き!!

2003/5/16 佐由利さん


「高校三年生」

 高校を卒業して、九州の田舎から東京へ出てきて38年間必死に生きてきました。本当に苦しいと
 き悲しいとき、いつも心のなかにこの歌がうかんできて、ようし負けるものかとがんばってきました。
 齢56歳になってもカラオケで、舟木一夫さんの高校三年生・修学旅行・君たちがいて僕がいた、等々マイクをはなさず歌っています。
 今,これらの歌を歌うとき,同世代のみんなが手拍子で応援してくれますので、恥も外聞もなく必死に歌っています。
 舟木一夫のフアンの方々青春はお年ではありません。
 いつまでも若々しく元気に活きましょう。

2003/5/8 吉田 寛さん


「高校三年生」

 高校の数学教師です。昨年は文化クラブ発表会で吹奏楽部をバックに「高校三年生」をフルコーラス歌わさせてもらいました。後から生徒が何人も「先生、もう一度聞きたい」と言ってくれました。4月25日は進路指導部(私は部長)の歓送迎会で、2次会ではカラオケで「初恋」「星の広場へ集まれ」「ブルートランペット」「哀愁の夜」「花咲く乙女たち」などをワンマンショーさせてもらいました。28日の月曜日に私より一つ年上の53歳の女先生が「いい歌を聞かせてもらいました」と言ってお礼にとチョコレートをくれました。舟木さんの歌は今の生徒にも「いい影響」を与える歌だと思います。なにしろ「夢や希望」を持った若者が少ないです。皆こじんまりとした元気のない生活を送っているように思います。いつも私は舟木さんの歌に励まされて仕事をしています。「数学をしながら舟木さんの歌を歌うこと」人生最高ですね

2003/5/5 やまぶんさん


「北国の街」

 高校生の時、「北国の街」を観に行きました。5年前、テレビで偶然また「北国の街」を見ました。それからです。また舟木さんに、はまってしまったのは。どうしたら後援会に入れるか分からず、電話の104でやっと調べて入ることが出来ました。今、私は本当に幸せです。舟木さん、ありがとう。

2003/4/21 みゆうさん


「仲間たち」

  はじめてお便りいたします。
  今の時期は、毎日のようにうぐいすの鳴き声でめざめます。
  私の住んでいる所は東京の青梅市です。青梅マラソンで、ご存知の方もいらっしゃると
  思います。そんな私の思い出の曲は仲間たちです。
  生まれは東京の三鷹市ですが、中学卒業の謝恩会の出し物で、私達のクラスでは
  男女10人で仲間たちを、歌いました。りんごの歌詞がでると、りんごをかじり、帽子の歌詞の
  時は,帽子をまるめ、下駄を履きながら一人の男子生徒が,演出を、してくれました。
  あれから???年この曲を聴くとあの時が浮かびます。4クラスしかない学年でしたので、
  クラスが違っても顔は知っていますので、いまだに数名とは仲間です。
  毎年男女20名余りで、1泊旅行を実行しています。
   これがわたしの中学時代の仲間たちです。

2003/4/19 大澤やよいさん


「人生半分」

 舟木さんより9才年下の私。小学四年生で一目惚れして、生の舟木さんに逢うことを
 夢見ていました。夢が叶うのに10年の歳月が・・。想いが強すぎたのと、私が幼すぎた
 のとで〜舟木さんの辛さとか、苦しさを理解できずにさよならを・・。
 
 それでも、名前を見たり聞いたりすれば気になる存在でした。
 5年前に再会して、これ程ハマってしまうとは我ながら驚いています。
 ♪遠回りをして来たけれど〜“人生半分”の歌詞そのままに、再び巡り逢えたことに
 感謝しています。
 
 もうこれからは、どんなことがあっても、舟木さんとの“旅”をご一緒します。
 この年になれば、高校三年生と小学四年生の差はありませんよね。やっと追いつきました(笑)

2003/4/19 たまちさん


「仲間たち」

岸和田のコンサート・高槻・八尾など追っかけ優等生です。もちろん歌舞伎座は1カ月後援に2度行っています。これからもマスマス頑張ってください。

2003/4/17 大阪おとめさん


「北国の旅情」

 今から3年前の事ですが、舟木さんの映画をたくさん撮った西河克己監督にお会いする事ができ、「北国の旅情」を西河さんが作詞されたときのお話をしていただきました。
 先生は「この歌はあまり歌われないみたいだよ・・・・」と言っておられましたが、40周年コンサート(中野サンプラザ)では舟木さんが軽快に歌っており、とっても嬉しかったです。

2003/4/13 北の旅人さん


「その人は昔」

 この曲は、友人に借りたLPの歌詞を、勉強をしている振りをしながらノートに書き写し、テープレコーダーに曲を入れ、すべて暗誦しました。(この位勉強に熱が入れば良かったのですが・・・)
 40分以上ある大作でしたので若かったあの頃でも覚えるのは大変でした。
 また、少ないお小遣いの中からLPを買った時はこの曲がとても愛しいものに感じ、大事に大事にしていた事を思い出します。
 当時は、暗誦したことにより私の中で<青年とその人>のイメージがすっかり作られてしまったものですから映画は見ませんでした。
 今でもまだ7割ぐらい覚えています。時々病院で長い間待たされている時は『その人は昔 海の底の・・・・』と心の中で言い始めるんです。そうすると長い待ち時間も短く感じられるのはメリットですね。

2003/4/5 チャーコさん


「北国の街」

 何となく、晩酌をして、舟木のビデオを見ていたら、和泉雅子の絶頂期の姿が出ていました。絶唱、哀愁の夜、このころの彼女は、とてもきれいで、改めて惚れ直しました。そしたら、2,3日前になにかの番組で、山内賢と2人で出ていましたが、まるで別人のようで、月日の流れというものは、かくも人を変えるのかと感慨にふけるひと時でした。

2003/3/28 海彦さん       


「絶唱」

 舟木さんのLPレコードは全て保存してあります。最近映画のビデオも殆ど揃えました。なかでも絶唱が好きで繰り返し見ております.(木挽き歌も良い)
 ”絶唱”と言う活字に即反応する癖があり、山口百恵と三浦友和の絶唱も見てしまいました。台詞はまるっきり同じ。やっぱり舟木さんの順吉と和泉雅子の小雪が最高でした。
 感情表現が月とスッポン。舟木さんて結構,演技派だったんですね。

2003/3/26 栄子さん


「全ての曲」

 私が高校1年生の時広島に舟木さんが来られて〜大感激でコンサート〜終わり、さて 帰ろうと、したら 友達と二人道がわからなくなって 父に迎えに来てもらい 父が一言
 「楽しかったか?」 叱られる と 思っていた私 感激が倍になりました。
 その父は今はいないけど 舟木さんの歌聞くたび あのころの 舟木さんと父の顔が
 目にうかびます  同世代の ひこ さんより

2003/3/18 博子さん


「高原のお嬢さん」

髪の毛にも白いものが混じるようになりました。世の中は不景気で私の会社もご多分に漏れず業績悪化でリストラ、賃金カットなどいやなことばかり。でも沈んでばかりいられないし若い者にも負けてられません。そこで50の手習いで始めたのがパソコン、そこでこのホームページを知り懐かしさと切なさで感動しています。男性ファンもおられるので思い切って投稿しました。30数年前この歌を始めて聞いたとき胸にジーンとくるものがありました。それ以後この曲のとりこになり信州の高原を歩き回りました。映画のロケ地の蓼科やなぜだったか舟木さんと関係のある妙高を始め開田、美ヶ原、霧が峰、栂池、志賀高原など数え切れません。それから数年たって片思いの女性が神戸の港で歌ってくれた歌が何故か高原のお嬢さん!恥ずかしながら涙が止まりませんでした。

2003/3/7  YIWさん


「絶唱」

 30数年前 小学生だった私。町の小さな映画館に青春スターの映画がくるたびに
 観にいきました。特に絶唱は大人気でギュウギュウの立ち見。一回観ただけでは
 観た気がせず 二回も観に行きました。和泉雅子さんを抱いて歩くシーンは 今でも
 印象的な場面として記憶に残っています。

2003/2/16 もこさん


「ららばい」

 笹舟さん 白雪姫さん ありがとうあれがららばいなのですね
 ユニーでショーがあると知り当時2歳と4歳の子を連れ舟木さんに会いにいきました。
 新曲のコーナで「−−−ついて来るかい」のうたごえにハイと涙していたわたし。
 義父の借金におわれ辛いときでした あれから20数年いつか孫を連れ
 舟木さんの笑みのあるららばいを聞いてみたくなりました。

2003/2/9 みちこ 昔マコさん


「高校三年生」

 5歳の時、我が家に初めて歌謡曲のレコード盤が来ました。「高校3年生」子供心に、大感動したことを思い出します。何回も何回も、擦り切れるのではと思う位、聞いては歌詞を覚えました。中学、高校の卒業式のときには全員で大合唱しました。今はカラオケにある曲を「高校3年生」にはじまりメドレーで歌っています。また市民会館のカラオケ大会で歌って大喝采をもらったことが一番の思い出です。


2003/2/6 裕ちゃん


「哀愁の夜」

 この曲には思い出があります。
 35年前主人も舟木さんの大ファンです。上野駅で別れる時に渡された手紙の文章が哀愁の夜の
 歌詞でした。主人の母も子供の影響をうけ舟木さんファンです。
 これからも家中で応援して行きたいと思います。  群馬の文夏より

2003/1/5 文夏さん


「右衛門七討入り」

大河ドラマも時代劇も初めて真剣に最後までみました。これ以来赤穂浪士にはまり 歴史が好きになり大学も文学部へすすみました。中1の時 舟木さんに出会わなかったら違う道だったかもしれません。今も泉岳寺に行った時は 右衛門七さんのお墓には誰よりもたくさんお線香を供えます。

2003/1/5 右衛門七さん


「立ち話」

 この歌を聴くたび、初恋の彼とはこういう再会の仕方をしたいと願ってしまいます。
 「一つの青春、今は二つの物語」・・・・・いいですねえ。

2002/12/25 ねねさん


「紫のひと」

曲というより、レコードジャケットの思い出なのですが〜
 「紫の人」のジャケット写真の舟木さんの衣装・・ちょっと違ったでしょ?
 私は特に靴下が・・・子供心に「ええっー女の人のストッキングみたい。」と
 ショックでした(T_T)
 ステージでは滅多に聴けない曲ですが、今年プログラムなどでジャケット写真を
 目にする度に当時を思い出し・・苦笑してしまいます(笑)

2002/12/23 たまちさん


「哀愁の夜」

 コンサートでこの曲を聞く度、学生時代の“初恋”を想いだします。
 文通のような形で始まったお付き合いも、両親の許可が得られず、
 ほとんど進展することはありませんでした。
 そして、残念なことにその方は若くして他界されました。
 この「哀愁の夜」のような素敵な恋がしたい・・・と、
 “恋”に恋をしていたような時代です。
 最近、コンサートで舟木さんが歌って下さるときは、『青春時代に帰れたら、こんな恋が
 してみたい』と、想像しながら聴いてしまいます。
 素敵な恋の経験ができなかった私ですから・・・。

2002/12/16 和子さん


「花咲く乙女たち」

私は、生まれつきの、脳性小児マヒです。40年前の事ですが、初めて舟木さんがテレビに出た時に、『可愛いくて、おとなしそうで、素敵な人だなァ・・・』と思い、その時からの人目惚れで、舟木さんがデビューして、2年目に岩手から、東京の日劇劇場に、父と母2人に連れってもらいました。その時の新曲が「花咲く乙女たち」でした。
 それからは、後援会にも入り、舟木さんが、寒い日も今まで、ずーと、応援をしてきました。これからも、ずーと、舟木さんが頑張って居る内、私の出来る限り応援をして行きたいと思って居ります。

2002/12/15 マーガレットさん


「修学旅行」

 高校の修学旅行で九州の港から出航するとき、ドラの音と共に耳に入って来たのが
大好きな舟木さんの歌“修学旅行”。 センチメンタルになっているところに流れて
きたので涙がでてきて抑えるのに苦労したことを、昨日のように思い出します。もちろん数十年前のお話ですが・・・。

2002/12/4 碧さん


「北国の街」

 高校を卒業して、1人横浜に就職した初めての休日、友達も無くさびしく見た 北国の街
故郷にいる、恋人をあの時ほど想ったことはありませんでした。田舎の駅とダブリ、1人涙しました。
昭和40年 4月のことです 

2002/12/3 藤田 肇さん 


「修学旅行」

 わたしが小学校6年の修学旅行の時,バスの中でこの曲が流れていたことをおぼえています。
 時々その時の事が,懐かしく思い出されます・・
 そう 
 あれから,○十年!!
 でも「舟木さんの声は,今も変わらない!!」
 わたしが,生きてる限り舟木さんは「青春のシンボル」情熱の人。

2002/11/7 うさこさん


「君たちがいて僕がいた」

 この曲を聴くと7キロの通学路をみんなで歌を大声で歌いながら通った中学時代を懐かしく思い出します!みんな仲間で支え合った青春時代でした。舟木さんの歌は一生の宝物であり、心の支えです!一曲を選ぶのに苦労しました!(笑)

2002/11/2 下境田(旧姓)博子さん


「夕笛」

 私は1954年2月生まれ、舟木さんとは9才の年の差があります。
 私の田舎には映画館もありませんでした。
 ところが、TVで「夕笛」が放送されると知って、私の喜びようと言ったら・・・。
 けれど、TVの映り具合が、天候で左右される時代でした。
 
 TVの映りが悪く、何とかしようと山の中へ・・。
 案の上、アンテナは雪の重みで曲がっていました。
 そぱの枝木で、アンテナの雪を落とそうとしたところ・・何と!アンテナが
 折れてしまったのです(T_T)
 母には叱られるわ、肝心の「夕笛」は見られないわで、散々な目に(>_<)
 
 しっとりとした「夕笛」を聴く度に、悔しい想いが蘇ります(^_^;)

2002/10/12 たまちさん


「高校三年生」

 高校3年生のイントロを聞いたら涙が出てきます。小学校5年生の時でした。なくなった母に叱られながらファンレターを出してたあの頃をおもいだしてしまいます。少ない小遣いを貯めて次から次レコードを買いプレーヤーで擦り切れるほど聞いていました。田舎でプロマイドを集め亡くなった父にこれまた見つかり怒られ大変な思いをしてファンを続けていました。都会の子がうらやましくて 明星 平凡 の月刊誌の付録が楽しみでした。これから 子どもの手も離れ生活も落ち着いてきましたので 今度は堂々と戻りファンで応援したいです。
 
2002/10/3 エペレさん


「哀愁の夜」

 「哀愁の夜」の映画を見て私も大人になったら、こんな恋愛をしたいなぁと思いました(笑い)ムードのある曲だから家でも口ずさんでいます♪

2002/9/29 洋子さん


「夕笛」

 舟木さんが哀愁を込めて唄った夕笛が心に残っています
 松原智恵子さんとの悲恋物語だった映画も
 1回の上映だけでは席を立てず
 2度見て感激した青春の1日でした。

2002/9/26 れもんさん


「修学旅行」

勤務している中学校の修学旅行で,生徒の保護者から預かった手紙を宿舎で生徒に渡したとき、ある女生徒が父親からの手紙を見せてくれました。その手紙に修学旅行の歌詞が間違いなく書かれていて、これは『乾杯トークソング』の思い出の曲コーナーのねたになるとひらめいて,手紙を書くと、ばっちり採用されました。一夫さんが私の手紙が読まれるのを笑顔で聞いて下さり、サイン入り色紙を頂いて,大変嬉しい思いをしました。

2002/9/19  トコさん


「修学旅行」

 もう、ずいぶん前になりますが、高校の修学旅行の時が、一番楽しかったのです。電車のホ-ムでも、ホテルでも、この(修学旅行)の歌で歓迎や見送りがあり、良い思い出になってます。これからも、歌い続けてください。

2002/9/1 カンママ 敬子さん    


「君よ振りむくな」

 ある事情によりファン復活組の私。
 舟木さんに再会したのは「坊ちゃん奉行」の地方公演でした。
 その時、素敵に歳を重ねた舟木さんを見て、本当にビックリしたのです。
 生意気な言い方ですが、デビュー10周年の頃の舟木さんを、9才年下の私が
 ハラハラ心配して見ていた記憶があります。
 それが、肩の力が抜けたと言うか、楽しんで舞台に立ってる舟木さんを見て
 想いが再燃したのです。
 
 その時に初めて聴いたのが“君よ振りむくな”でした。
 何て素敵な曲かしら?と一度で気に入ったのですが、スタンディングされた人たちを
 唖然と眺めていました。昔のステージでは考えられないことでしたから。
 今では率先して!?立っていますけど(笑)
 
 この曲を聴きながら、一緒にスタンディングする度に、再会の喜びを噛みしめています。

2002/8/23 たまちさん


「高校三年生」

 中学生になって初めて手にした一枚のレコード、それが『高校三年生』。詰め襟姿のさわやかな舟木さんを見た瞬間、言葉では言い表せないような“憧れ”を抱いた青春です。田舎住まいの私にとって“舟木一夫さん”は別世界のスターでしたもの・・・。せめて、レコードだけは手に入れたいと思い、少ないお小遣いをためては、買い集めて聴き入った懐かしい時代です。舟木さんの歌はみんな好きですが、やはり私にとって、高校三年生があって今の舟木さんがあるのです。今年“四十周年”を迎えられました。本当におめでとうございます。そして現在、舞台に立っていらっしゃる姿を直に観られることを幸せに思います。これからも、できるだけ長く私たちの前にいて下さいね。ずーっと応援し続けます。

2002/8/10 和子さん


「高原のお嬢さん」

小学校5年生の時。午後のホ−ムル−ムの時間、反省会というのがありました。
 規則を守れなかった級友を名指しで注意をするのですが、注意をされた生徒は、罰ゲ−ムを
 みんなの前でやるのがル−ルでした。
 とはいってものどかな時代、今のようないじめとは無縁で、活発な男子と女子の幼い討論の
 時間としてそれはそれでクラスメ−トを繋ぐ潤滑油の役目を果たしていました。
 ある日、和男君が手を上げて自己申告したのです。
 このホ−ムル−ムに少々飽きていた私は、椅子をギ−コギ−コさせて早く終わって欲しいと
 思っていたその時、自らの罰ゲ−ムに「高原のお嬢さん」を歌いだしたのです。
 当時から何故か舟木さんの隠れファンだった私は、椅子を静止させうつむいてしまいました。
 和男君は舟木さんの真似をしていましたが、明らかにファンだと確信した私はその日から
 何故か一人で照れくさくなりました。
 不幸な事に、彼の自己申告は何度か続きその度に舟木さんの歌を歌う和男君の顔を見るのが
 辛くなりました。
 今、和男君は舟木さんの事どう思っているかな-。
 会社の慰安旅行で今でも歌っているのかなあ・・・。

2002/8/10 ゆりかごさん


「浮世まかせ」

 今日は楽しい、日でした。山形県民会館で。舟木一夫オンステージを見て来て、まだ、体から、自然と出てくる、舟木さんのやさしさに、酔いしれています。最後歌った、浮世まかせ、とてもいい曲でした。私の心にしみ込んできました。そして素晴らしい歌声、この曲は、私の思い出の曲となりました。

2002/8/9 山鶴玲子さん


「花咲く乙女たち」

 この曲が流行っていた頃、私はまだ小学五年生でした。小学四年生で舟木さんに一目惚れ・・
 その大好きな舟木さんが、近くの町に来る!ポスターを見て、母にコンサートを見に行きたいと
 頼んだけれど「行きたかったら自分で働けるようになってから行きなさい。」と冷たい返事。
 泣いて頼んでもダメでした。時代も今とは違うけれど、どんなに悔しい想いをしたことか。
 結局、舟木さんにお逢い出来たのはそれから8年も経ってからでした。
 明るい歌なのに、この曲を聴くと何故か切ない当時の想いが蘇ります。

2002/8/6 瞳ちゃん


「修学旅行」

 今から39年前、高校の修学旅行で箱根に行きました。その旅館で、一目ぼれしたのが今の主人。九州と箱根の文通が続き、高校を卒業し、近くに行きたいと上京、いろんな事があって、やっと結婚にこぎつけました。この歌を聴くと懐かしさでいっぱいです。今日、東松山のコンサートに行って来ました。追っかけおばさんになりそう

2002/8/4 愛子さん 


「その人は昔」

 私の母が、舟木さんの大ファンでよく一緒にコンサートに行ったり、(今でも、時々一緒に行っているけど)自宅でレコードやCDを聞いています。
 私の子供たちも、テレビに舟木さんが出ていると「ふなきかずお?」って聞いて、おばあちゃんに
 でている事を電話で教えています。
 本当に舟木さんの曲は何でも口ずさめるんですが、中でも『その人は昔』が一番好きです。
 何かあると、『そのひと〜はむ〜かし』と歌っています。

2002/7/26 さぁちゃんさん


「高校三年生」

 テレビを見ながら受験勉強をしていたら舟木さんが高校三年生を歌いながら涙を流している姿が今でも忘れられません 
 新人賞授賞の時のいい思い出です

2002/7/26 愛子さん


「哀愁の夜」

 なーんて 素敵な夜ーだろう 
 
 と 数十年前に 歌いながら 片思いの君の 後をつけた思いでが あります。
 
 若かった!!楽しかった!!青春の思い出です。

2002/7/24 美由紀さん


「学園広場」

 デビュー以来から大好きでコンサート・舞台・・・
 学園広場は父が口ずさんでいました。コンサートで学園広場を聞くと
 今はいない父の事が思い出されて涙が出てきます

2002/7/19 ジョーさん


「高校三年生」

 私は右目が見えません。6歳の時ナイフで自分の目をつきました。両親が苦労をして高知県から九州の大分県の個人病院へ連れて行ってくれました。今、私は高校の数学教師です。その個人病院で直るようなケガではありませんが、昭和39年時代ではやむおえないと思います。
  この病院で、私より1歳年上の人が「高校三年生」を歌っていて、私が「その歌はなんと言う歌?」と聞いた所「高校三年生よ」と言って教えてくれたのが「高校三年生」です。
  今、数学教師をしながら、「修学旅行」、「学園広場」、「仲間たち」、「嗚呼、青春の胸の血は」、「花咲く乙女たち」、などをベクトルや微積分の一段落すんだ後に歌っています。
  年齢51歳、身長157cm、体重60kgでハゲ頭の私ですが、現在の舟木一夫さんの歌よりも私の方がうまいと思っています。今の舟木さんは「絶唱」、「初恋」、「ああ、りんどうの花咲けど」、「夕笛」等に関しては、感情が弱く、昔の舟木さんの声は私の方が似ていると思います。
  教員生活29年ですが、ずっと舟木一夫さんの歌を授業中に歌っています。
  一度、舟木さんと昔の歌をデユエットで歌いあいこをしたいですね。
  どうすればよいのでしょうか。
  誕生日は舟木さんと近い、S25、12,12です。

2002/7/18 山田 文基さん


「全曲」

 10年前、主人の海外勤務でバンコクに行ってました。暑いのと日本が恋しくて、毎日
 舟木さんのテープを聞いていました。当時小学3年生だった子供もいっしょに歌ってましたので今でも子供は舟木さんの歌はほとんど歌えます。特に学園広場を聞いていた時、(お母さんこの曲いい歌だねえ)としみじみ言った言葉がなつかしいです。そして、子育てに手が離れた今,今度は,かわいい我が家のトラネコと寝る時イヤホーンでいっしょに舟木さんの歌をきいてます。トラがもしも人間の言葉が話せたら舟木さんの歌はほとんど歌えると思います。

2002/7/9 トラの母さん


「哀愁の夜」

 ホントに美しかった頃の和泉雅子との共演映画、見ましたよ19歳の頃。
 大学に受からなくて、やけぱっちになっていた頃でした。
 舟木より、和泉雅子に惚れていました。この世にこんな美しい人がいるのかと。。。。

2002/7/4 藤原経清さん


「今日限りのワルツ」

 私は18〜19歳の頃、家が貧乏な為、新聞配達をしながら大学受験の浪人生活をしていました。
 そんな苦闘の時代に一番思い出に残ったのが「今日限りのワルツ」とひばりの「夾竹桃の花咲く頃」でした。新聞を配り終えた帰り道、自転車をこぎながら、この「今日限りのワルツ」をよく、口ずさんでいました。
 思ったよりヒットしなかったかもしれませんが、私にとっての苦闘の時代のささやかな思い出です。

2002/7/4 藤原経清さん


「グッド・バイ・ソング」

6月30日のTV「波瀾万丈」は元ピンクレディのMIEさんがゲストでした。アイドルスターとして輝いた当時の実績や思い出をが語られていましたが、そのピンクレディの解散コンサートのラストの曲が舟木さんの♪「グッド・バイ・ソング」だったのですね。
  まだ十分回りきらない舌で 長女が「わたし ピンクのサウスポー」なんて熱唱?していたことを思い出して 娘にとっての憧れのピンクレディと私の憧れの人舟木さんの思わぬご縁がうれしかったです。皆さんはご存知でしたか?それにしてもやはり、「グッド・バイ・ソング」は聴けば聴くほど心に染みる名曲ですね。

2002/6/30 ベストフレンドさん


「ああ青春の胸の血は」

 こんにちは、僕が中学三年のとき高校三年生でデビューされました、そのときから38年間ファンです、つらい時、悲しいとき、又嬉しいときも口ずさんだこの歌一生僕から離れていくことがないでしょうこの歌は、<ああ青春胸の血は>

2002/6/30 船田一樹さん


「はるかなる山」

 高校時代レコードを買って、この歌を一日中聴いていました。「山は父母山は友」というフレーズが大好きでした。雪国の富山に嫁に来て、雪の降る立山を見ながらこの歌を口ずさみ故郷を思っていました。

2002/6/29 さっちゃんさん


「高校三年生・夕笛」

 舟木さんがデビューされた時、私は小学四年生でした。とにかくあの爽やかさに心惹かれたものでした。舟木さんがお兄さんだったらいいのにと、ずっーと憧れの気持ちを抱いて今日に至っています。(当時は、早く高校三年生になりたいと思ったものでした。)
 
 私が、中学生の時に実家の近くで「夕笛」のロケがあり生の舟木さんを初めて拝見し、ますます好きになりました。共演の松原智恵子さんが、お人形さんのように可愛いかったのも覚えています。とにかく、私の中では夕笛も忘れられない曲のひとつです。
2002/6/23 はた女将さん


「山のかなたに」

 私が、小学校低学年のころ、舟木さんが、山のかなたにのテレビドラマに出演した場面が、いまだに焼き付いています。私が、生まれ育ったところが山の風景の綺麗な所で、主題歌が、流れる時の山の風景と同じだったので特に覚えているのだと思います。だから、この曲聴くととても懐かしく、このころから、舟木さんのフアンになったのだと思います。

2002/6/15 プリンさん


「夜空のトランペット」
 高校2年生だった私は友達3人と授業を抜け出しコンサートに行きました。
 オープニングがこの曲でとても印象に残りました。ステージで一夫ちゃんが見えたとたん涙があふれてきてよく見えなかった。あんなに純な私だったのかと懐かしくも有り可愛くも思えるこの頃です。

2002/6/12 ますままさん


「君たちがいて僕がいた」

この映画が大好きで学校帰りに校則違反して見に行った事を思い出します。

2002/6/5 ほたるさん


「どうしているかい」

舟木さんが、私に問いたけているようで好きな曲です。

2002/6/5 ももさん


「哀愁の夜」

  今日は6月5日
  お品のある顔立ちにピッタリの学生服で、昭和38年6月5日鮮烈にデビュー
   [舟木一夫=高校三年生]勿論忘れる事の出来ない(曲)です。
 
  口笛で始まる【哀愁の夜】最初あの口笛の音色を聞いた瞬間、うら若き乙女でした
  私の心は…身は…頭の中は‥‥驚きと素晴らしさに魅了され身震いした
    あの時が眩しく蘇えります。   最近のコンサートでは演奏なしに舟木さん
  ご本人の口笛で ♪♪ピュピュ〜ピュピュ〜
                 ピュピュピュピュピュピュ〜♪♪★★
  浮世の何もかも忘れ身動き出来ず、うっとり酔いしれ聞き惚れてしまう私です。
     ♪♪ なぁ〜〜ん〜て〜
           す・て・き・な〜♪♪♪【哀愁の夜】だ〜ろ〜〜う。
  あれから40年熱い気持ちは変わりません、これからも…………

2002/6/5 かとかこさん


「高校三年生」

 若い時、舟木さんが、テレビに出ていると、テレビをなめるほど、見ている私を見て母はいつも笑っていました。今は亡き母の笑顔が、浮かんできます。そして、舟木さんの、素敵な笑顔が、今も昔と全然かわりません。やっぱり、舟木さんは、素敵、やさしい笑顔です、がんばって下さい。応援してます。

2002/6/1 本間玲子さん


「花咲く乙女たち」

 昭和41年早春、愛媛県川之江市のある体育館で舟木一夫ショーがありました。青空東児さんの司会でした。3度目の衣装替えがありタキシ−ド姿の舟木さんに私は舞台上手から代表で花束プレゼントをしました。ドキドキガタガタと緊張したがその瞬間を客席から友人が撮った写真はセピア色になりました。
 その後歌った曲が「花咲く乙女たち」です。今もそれなりの乙女のつもりですがあの頃はもっとかわいい少女でした。終演後に舟木さんを囲んで舞台の上で写した記念写真は青春時代の宝物です。

2002/5/29 薫子さん


「学園広場」

   高校生のとき青少年赤十字と言うクラブに入って活動していました。 施設訪問や、清掃などの奉仕活動が、主でしたが、そのあとみんなで集まってフォークダンスをしたり、歌ったりするのも楽しみの一つでした。  {学園広場}と言うところを{日赤広場}と替えてクラブのテーマソングにしていました。  とっても歌のうまい先輩がいて、その人は名前も{一夫}で、顔も、舟木さんに似ているのですよ。  小5の時から舟木さん命だった私はもちろんその先輩のことも少し気になっていました。
   30年以上昔の懐かしい思い出ですが、♪学園広場で肩くみーあって〜♪と舟木さんの歌が聞こえてくると昨日の事のようによみがえってくるのです。
  ちなみに、私の携帯の着メロは高校三年生の娘に頼んで入れてもらった{学園広場}です。
  朝も5時30分に携帯をセットして大好きな曲で起こしてもらっています。

2002/5/22 makoさん


「よみがえる夜明け」

 学生時代 四国への帰省途中に大阪の新歌舞伎座「江戸の淡雪」公演に行きました。当日飛び込みの初めての大劇場。窓口で買えた席は前から3列目で花道のすぐ横。手を伸ばせば届くところにあこがれの舟木さん。でも、空席の目立つ客席に何だか切ない気持ちをぬぐいきれないままでした。そんな気持ちを吹き飛ばしてくれたのが第2部の歌謡ショーで聴いたこの曲です。題名の通り、舟木さんはもう大丈夫!と思わせてくれた曲です。
  あれから?十年。舟木さんにも私にも同じ年月が流れて・・・・今は、40周年を迎えてますます素敵になった舟木さんに会えるコンサートが何より楽しみな私です。いつも満席の会場とステージいっぱいのプレゼントに幸福感をたくさんもらって帰ってきます。

2002/5/20 ベストフレンドさん


「哀愁の夜」

 中学三年生より、舟木ファンです。カレコレ、38年目です。私が好きな曲は「哀愁の夜」です。
 マコちゃんとの共演の主題歌にもなっている、「哀愁の夜」は本当に切なくて、涙が出てしまいます。失恋をした私の気持ちの様な歌詞です。
 舟木さんの日活映画は殆ど観ています。最近日活の、ビデオが出回っています。
 遙か昔の事ですが、マコちゃんとの、ラブシーンは脳裏に焼き付いています。
 舟木さんは、とても素敵に歳を取られていますね!
 此からも、頑張って下さい。お身体を大切にして下さいね。

2002/5/13 和代さん


「高原のお嬢さん」

 ♪東京の空のどこか あのひとは住んでいる・・・せめて一度会って聴きたい・・・
 この歌詞の東京にあこがれて東京に行けば舟木さんに会える・・そう思ってました。
 高校を卒業して就職するときも東京に行ける可能性のある職場を選んだし、結婚を決めるのも私を大阪から連れ出してくれる人を・・・今、東京の近くに住んでいます。
 舟木さんにはなかなか逢えないけれどいつかきっと・・・どこかで会えるよね。

2002/5/13 和美さん


「高校三年生」

 舟木さんの高校三年生の、歌を聞いていると、今亡き母を、思い出します。昔若い時、舟木さんがテレビで歌ってると、母が、玲子の好きな、舟木さんだぞ、早く来いという声が、聞こえてきます。今でもあの、やさしい顔が大好きです。

2002/5/3 本間玲子さん


「高校三年生」

 はじめまして! 42才の二児の母です。 2〜3才の時にテレビで見て
 ファンになりました。父に高校三年生のレコードを買って貰った記憶が
 あります。30才の後半に子供を主人に預け、新歌舞伎座に行って念願
 だった握手も出来て嬉しかったです。還暦になったら赤いつめ入りで
 高校三年生を、歌ってほしいと思います。

2002/4/29 朋子さん


「高校三年生」

 小学校6年生の時クラスの皆で,大声で歌い,同窓会の最後は,やはりこの曲で大合唱しました。私の人生の節目で,必ず思い出されるうたです。この歌と共に40年が過ぎ,あと何年この歌を歌っていられるでしょうか?.....舟木さんと一緒に私も生き続けるのです。

2002/4/29 京都のKさん


「夕笛」

 高校生の頃、「夕笛」の映画を見に行きました。その中のワンシーン、松原智恵子さんが人力車に乗ってお嫁に行く所へ学生役の舟木さんが、駆け付け、じっと見詰め合う・・・・
脳裏にやきついていて、いまでもはっきり思い出せます。
 その頃の、私の初恋の人は、「三人(G3K)の中で誰がいちばん好き?」と聞いたら
 「舟木!」と答えてくれました。「私も!」と言って喜んだ事をなつかしく思い出します。

2002/4/25 橘  夏子さん


「ららばい」

 笹舟さんと 同じ場所にいたのですね。某証券会社のホールは400名入り。でも座席は半分以上が 空席だったのを覚えています。今のコンサートでは 考えられない寂しい侘びしいコンサート会場でした。それでも舟木さんは ぐちひとつ言わず 素晴らしい見応えのあるコンサートで私たちを楽しませて下さいました。あの頃と全く違う今の舟木さんで 今一度「ららばい」を聞きたいですね

2002/4/24 白雪姫さん


「ららばい」

 もう20年近い昔になりましたが、舟木さんの大切なお家がある事情で手放さなくてはならない
事態になりました。当時のふれんどコンサートは、北浜の某証券会社の小さなホールで行なわれてました。
その時なぜか私は前から2列目真正面の席でした。 「ららばい」を唄う舟木さんの目がうるんでいるようでした。
見つめる私も涙でぐしゃぐしゃになりました。
♪それでもいいと お前は言った ついて来るかい こんなこんな俺に・・・
いつしか舟木さんの目からも涙がこぼれていました。
今までで一番つらい「ららばい」でした。

2002/4/23 笹舟さん


「絶唱」

 早く映画を見たくて渋谷の友人の家で私服に着替えて観に行きました 当時は補導というのがあって まじめ人間の私としては 大冒険でしたが 観て良かったと思います  その後4回も観に行きました 昨年ビデオを求め観ましたが全然色あせず 感動しました 名作は時間を経てもすばらしいものだと想いを新たにしています

2002/4/14 侘びすけさん


「君たちがいて僕がいた」

 昭和43年3月愛媛県n市立船木中学校卒業、その日の謝恩会でみんなでいっしょに歌った事が
 昨日のように思い出されます
 また、この曲は中2の時の学級会、ホームルームでこの歌の歌詞の意味を話し合ったこともありましたし、平成12年自殺した同級生が小学校の謝恩会で歌った曲でもありました。全く舟木さんの
 歌は私たちの青春そのものだったようなきがします。
 これからも益々のご活躍をお祈り申します。

船木中学校生さん


「さんざしの花咲けば」

 この曲をきくと、中学3年の時の、音楽の先生を思い出します。
 短大を出たばかりの、とても可愛くて小ちゃくて美人でした。
 ラブレターを何十通と出したのをよく覚えております。 3月8日が誕生日でした。
 今も元気でM市で暮していられるようです。
 この曲の歌詞が当時の僕の生き様に似ているからだとおもいます。

くろひこ49さいさん


「高原のお嬢さん」

 高校?年生の英語の授業で先生が「葉っぱはなんと言うのですか?」との質問で、舟木さんが丁度
 「高原のお嬢さん」を歌っていらした時でしたので、「リーフです」と答えましたら、普段英語が嫌いで答えた事がなかったので、「ゆかりさんよく解ったわね!」といわれてしまいました。
 これも舟木さんのお陰!ちょっぴり鼻高々になった高校時代の思い出です。

ゆかりさん


「学園広場」

 この曲を聴くたびに学生時代を思い出します。そして胸がキュンとしめつけられ、なぜだか涙が出てきます。そして気持ちは学生の頃に戻ります。大阪に来られる時はいつも、母と一緒に出かけます。母とふたりで、曲を口ずさんで、帰る時には二人ともルンルンで帰ります。舟木さんいつまでもお元気で素敵な声を聞かせてください。

30年前は三つ編みの女学生さん


「高校三年生」

 もう、40年前なのですね。つい、最近のようです。TVで最初に出会った衝撃は忘れられません。今もハッキリ脳裏に焼きついていて、、、、。私,小6.私を好きという男の子が舟木カットを真似してました。懐かしい思い出です。いつまでも、いつまでも、80歳90歳・・・(高校三年生)ある限り私は12歳の時のままです。他の歌も勿論大・大好きです。最近、写真集(40周年記念)買いまして只只感激しております

コスモスさん


「友を送る歌」

 中学2年、昭和41年の冬休みの事でした。
 ど田舎に住んでいたので、映画館などにいくことは、めったになかったのですが、友達とこの、友を送る歌の映画を見に行ったときのことです。
 当時、片思いだった女の子に偶然あって、いっしょに見る事ができました。
 夢心地でボーっとしてしまい、結局告白は出来ませんでした
 純情だったあのころが、この歌を聴くたび思い出されて懐かしくて涙がうるんで来てしまいそうです。
 今も舟木さんの歌を車の中でいつも聞いています
 これからも頑張ってください、そしてたまには、愛媛県にもやって来てください。

くろひこさん


「高校三年生」

 やはりこれでしょ、初めてこの曲を聞いたとき、せすじに何か走るものを感じアアと思いました、こんな歌を探してたこんな曲の流れる校庭で夕日にほほを染めて恥じらいながら憧れの彼といろいろな話を語らい彼の白い靴下、くつきりとうきでたうなじ清潔感そのもの、そんな人があこがれでしたそれが舟木一夫さんでした.今から40年前のじゆん情可憐なほたるちやんでした。 

静岡のほたるちやんです


「学園広場」

 高校生のころ、クラスの仲間達と舟木さんが出演している映画をよく見に行きました。それも、
 授業を早めにきりあげ、みんなを誘っていったものです。ド田舎の映画館ですから普段はガラガラなのに、この日ばかりは私達クラスの貸切状態でした。舟木さんのコンサートで「学園広場」を聞くたびにとても楽しかったあの頃の高校生活を思い出します。若いときの舟木さんの声はもちろん素敵でしたが、私は今の声(顔も?)の方が更に好きです。とても素敵に年を経てきていると思います。特に「学園広場」は、どうしようもないくらい好きです。いつもこの曲を楽しみにしている《一夫ファン》です。

わこさん


「哀愁の夜」

 私は、24年生まれです。始めて男性に映画に連れていってもらったのが、この映画でした。
 17才でした。口笛がなんともいえないですね。この歌を聴くと涙がでます。もう一度、見たいと去年ビデオを買いました。いつまでも印象に残る素敵な歌です。

小百合さん


「ああ青春の胸の血は」

 もちろん、デビュー曲の「高校三年生」も、忘れられない大事な思い出の曲なのですが、それにもまして、この「ああ青春の・・・」は、心に強く残っています。昭和39年5月。小学校6年の時の宮崎への修学旅行の時、バスの中で、行く先々で、もう、この曲が流れ続けていました。修学旅行の間中みんなと大きな声で歌いました。楽しい旅行の時に、大好きな舟木さんの歌とずっと一緒でとってもうれしかったのも、思い出を2倍にしたような気がしています。歌詞の「海の太陽」や「山の雲」は、今でも私にとっては、あの時の日南海岸と霧島連山なのです。

カフェ オレさん


「修学旅行」

 この歌がヒットした頃は、中学三年生でした。バスの中で全員で大合唱した思い出が、今でも鮮明によみがえってきます。この歌は、いくつになってもその当時の純粋な気持ちに戻ることが出来,私の永遠の愛唱歌となることでしょう。 

ホタルさん


「仲間たち」

  この歌を歌うとあのころにタイムスリップしてしまいそうになります。
 それほど大好きです。今では、カラオケに行くと必ず歌います。それもお腹の底から
 思い切り声を張り上げてです。周囲も驚きつつも手をたたいて応援してくれます。私も40年
 周年を迎えています。大宮コンサート行ってきました。感激でもらい泣きしました。舟木さん
 これからも私達のために、お体に気をつけてゆっくり頑張ってください。12月には演舞場行きます。
 今から楽しみです。

とまとさん


「北国の街」

 私は「北国の町」です。この曲が流れると 遥か昔の高校時代に甘い経験をした切ない恋を
 走馬灯のように鮮明に思い出し胸が熱くなり純粋であった自分が懐かしく・・又歌以上に映画が
 素晴らしく(自分が実現出来なかった事を映画の中で観れた喜び つまり疑似体験ですね)、和泉 雅子さんとの息のあった、演技が忘れられません。一年前に舟木さんの映画のビデオを10本も買ってしまいました。もちろん その中に「北国の町」も有ります。何度も何度も、見ました。今でも時々見てます(笑)内容はしっかり分かっているのに、厭きません!
 いつまでも 舟木さんのファンでいられるのは、もちろん素晴らしい声もありますが、いつまでも、青年ぽい、シャイな所を持ち続けておられるからでしょうね(^0^)
 舟木さんがいつまでも、いつまでもお元気で歌い続けて下さる事を願うばかりです。 
 時々皆様の投書欄を見ながら、楽しませて頂いています。

崎ちゃんさん


「高原のお嬢さん」

 高校1年か2年の頃、とても気に入った歌でした、映画化され 一人で見に行った
 これが凄かった、高崎日活超満員一番後ろで立ち見、しかも回りは全部女子高生
 男子は俺だけ? 堺正章さんが映画に出演されていたことを良く覚えています。
 このHPで結構男性ファンがいること知り安心しました。

鉄人6号さん


「ああ青春の胸の血は」

 今、54歳のおばさんです。友達とカラオケにいっては、舟木さんのこの曲がかわきりです。皆に懐かしがられたり、呆れられたり、笑われたりしますが、結構うけてます。狭心症で倒れられた時は、本当にびっくりしましたが、私もそんな年になったのだと、改めて感じてしまいました。いつまでも健康で、舟木さんの歌を歌いたいと思っています。

秀ちゃんさん


「只今授業中」

 なぜか 只今授業中 26年生まれなので 6年生だったと思います
 中学生になって初めて友達と映画を観に行きました その映画は 確か学園広場かな〜〜
 その中で流れていたの曲の中に  ABCDEFG ABCDEFG ツンとすまして行っちゃた・・・・・
 それから 何かあると(良い時も 嫌な時も)口から出ています 未だに・・・ネ
 それと むかしは中学生男子は 丸坊主でしたよね 一年生の時 三年生に舟木さんと とても良く似てる 先輩がおられましてなぜか髪型が舟木さんと全く同じなんですよねそれで聞いて観たんですよ「どうして丸刈りではないのですか・・・?」 答えが還る前に友達にひっぱていかれました
    
おせきさん


「その人は昔」

 青春時代の曲は、すべて思い出に残っていますが、特に「その人は昔」は大好きです。自分の初恋と重ね合わせて、レコ−ドを何度も何度も聞きながら、頭の中で想像しながら聞き入ったものです。そして、映画化されたときはうれしくて、それも思い描いていた通りの内容に感動したのを憶えています。それが又、うれしいことに「その人は昔」のビデオを通信販売で見つけて、本当にうれしくて、買い求めました。今そのビデオは、私の手元にあります。でも、まだもったいなくて見ていません。何時見ようかな? とても楽しみです。
 舟木さんの歌を聞いていると、懐かしく若かった頃を思い出します。

住吉ユキさん


「哀愁の夜」

 沢山観た映画の中(もちろん舟木さんの映画)で、この映画のワンシーンが忘れられない。
 口笛と歌がこれほどピッタリとくる映画と歌は世界にこれ1つしかない!(^o^)/
 『哀愁の夜』は良いなぁー。いつ聞いても涙がでるよぉ。

 しずこさん


「絶唱」

  舟木さんのデビューからの大ファンです
 舟木さんの曲は全部好きですが、絶唱は映画の中で舟木さんが、同僚に「大谷さん」って声をかけるシーンがあって、自分が呼ばれたような気がして、ビックリしたのを覚えています
 その時中学生だった私も、結婚して大谷ではなくなりましたが、今でも舟木さん大好き
 おばさんです
 めまぐるしく変わる芸能界で、舟木さんが頑張っておられるおかげで、今でもコンサートやテレビで拝見できて幸せです
 しかし今回の入院はショックでした あせらずのんびり休養して、また元気なお姿を見せて
 下さい

とみちゃん


「高校三年生」

 私が中学2年生の時、この映画が封切られました。やっと自分の家の近くの 映画館にこの映画が
 放映されることに成り 学校を休んで母と近くの映画館に見に行きました。スクリーンに大きく
 舟木さんの顔が いっぱいに映ったときの感動は 忘れることが出来ません。ウキウキ気分で家に
 帰ったら 担任の先生が来ておられるでわありませんか。もうびっくり!風邪を理由にずる休みを
 したのが ばれて注意されると思ったら「映画よかったか?」といわれてホットしたのを懐かしく思い出します。

白雪姫さん


「高校三年生」

 18才の頃だと思んだけど、津に舟木さんが、来たんですよ嬉しくって会社を休んで行ったんです
 それも、同じ職場の人と三人で・・・・・
 舟木さんが、高校三年生を歌っている時に♪舟木、舟木、と大きな声でいったけど、届かなかった
 事があったんですよ〜(^。^)
 次の日、上司に怒られました。今は、いい思い出☆

M.Nさん


「その人は昔」

私が中学生の時、友達と初めて映画を見に行ったのが「その人は昔」です。すごい感動を受けて、
 どうしても主題歌のレコードがほしくてたまらず、帰りにレコード店に寄ったのですが、LPしか
 なくて友達4〜5人のお金をかき集めて買ってしまいました。でも、私の家にはステレオがなくて
 友達の家に皆で集まって、1時間しっかりと聞いてしまいました。家に帰ってからも、聞きたくてたまらず、母が仕事から帰ってきてから、確か3000円位だったと思いますが、お小使いの前借をしてプレーヤーを買いに行きました。それから、何十回聞いたことかわかりません。今は、CDが発売されたので、又楽しんでいます。この曲を聞くたびに、お金がなくても楽しかったあの頃が
 懐かしくてたまりません。この曲は私の一番の思い出です。初めて買ったこのレコードは、私の一生の宝物です。

るんなさん


「その人は昔」

 コスモスさん 同名の映画の主題歌ですよ 内藤洋子さん(喜多嶋舞さんの母)と共演しました
 ♪その人は昔 遠い海の真珠だった・・・ 映画の中で内藤さんが唄ったのが「白馬のルンナ」です

 A・Kさん


「哀愁の夜」

 今から30数年前の若かりし頃、あの口笛の音色に酔いしれたものです。
 今でも、カラオケに行った際には、必ず探し求めています。

野々村圭介さん


「高校三年生」

 映画館に父が付き添ってくれました。
 校則の厳しい時代でしたが父のおかげで大好きな一夫さんをみれました。
 この曲と共に良い思いでです。

みきちゃん


「初恋」

 昭和38年6月 ロッテ歌のアルバム初出演の時から舟木さんと一緒です。
 好きな曲はたくさんありますが、特に思い出に残って、今でも毎日のように聞いているのは、
 「初恋」です。30年前の10月 花嫁衣裳を着て両親と一緒に式場への車に乗りました。
 スタートしてすぐに、運転手さんがラジオのスイッチを入れてくれたら本当にすぐにアナウンサー
 の 「次は舟木一夫さんの初恋をお聞き下さい。」との声が流れたのです。父が「おい一夫さん。」と言うのと曲が流れ始めたのは同時でした。あの素適な声であの優しい詩と
 メロディに送られてのお嫁入りでした。お陰で30年たった現在も平凡ですが幸せな毎日をすごしています。ちなみに初めて生のコンサートを見に行ったらオープニングは「初恋」でした。
 言葉にならないくらい大感激でした。舟木さんありがとうございました。

初恋さん



「その人は昔」

 思い出といってはないんですが、初めてこの曲を聞いたとき、胸にジーンときて涙が出てきました。舟木さんが30周年のオープニング曲に選んだと言ってました。もっとこの曲の事を知りたいと思うようになりました。どなたかご存知の方教えていただけますか?

コスモスさん


「ああ青春の胸の血は」

 兄のような2歳違いの叔父も、私が舟木ファンだったので、よく一緒に舟木さんの曲を歌ったものでした。この歌を初めて聞いたとき、「これもヒットするぞ。」と、言ったのを、昨日のことのように覚えています。その叔父は今、一流商社のトップクラス。あまり会うこともありませんが、この事覚えているかな?でも私の一番好きなのは、”学園広場”です。
○○さん


「残雪」

はじめまして。26歳一児の母です。
 リアルタイムではないのですが、中学一年のとき、風邪で学校を休んだ昼間に、
 テレビで「残雪」の映画を観ました。最後の雪の中で赤い糸を指に結んで死んでしまうシーンに
 かなりの衝撃を受け、この歌もラジオでリクエストしまくり、かけてもらって録音したのを今でも持ってます。もう15年ほど舟木さんにぞっこんです。 まだ15年しか知らないのにここに投稿してすみません。でも私には皆さんの思い出とってもうらやましいのです…。

りんこさん


「絶唱」

 私が少6年の時「絶唱」が流れてました。それから舟木さんの唄が好きになりました。
 中学になり、初めてレコードを買ったのもこの曲です。そのレコードがコロ・シート・コロンビア
 スター特集と言いまして、黒のレコードではなく青の柔らかいレコードなんですよ。全部で12曲入ってます。今年の夏実家にあるかな・・・見つけたんですよ。大事な宝物を見つけました。
 嬉しかったですよ。早速家で聴きました。ちゃんと聴けました。少々雑音がありますが、聴けました。又「絶唱」の本も有りまして、「大江賢次著」も何度か読んでます。最近舟木さんのビデオを買いあの当時映画を見に行けなかった分ビデオを見てます。
 時々三浦友和・百恵さん達の「絶唱」も聴くんですよ。音だけのレコードがあるので!
 吉野の木挽き唄・・・良いですね。やはり舟木さんの唄がいいな〜

フーミンさん


「高校三年生」

私は,ファンになって30年余りです。歌は何でも好きです。学生服の姿カッコ良く,歌は歌いやすく小学校の頃からよく歌いました。私には兄がいない為とてもあこがれていました。平凡,明星その他に舟木さんが載っているとよく切り抜きをしました。大きなものから小さなものまで,大事にしま。した。振り返ると今でもあの頃の気持ちになります。舟木さんのホームページをしってから,毎日釘づけです。夜遅くまで、、、ゾロさんまた舟木さんのお話聞かせてください。楽しみにしています。友人とカラオケにいき、いつもさいごは高校3年生でお開きです。

トトロさん


「高校三年生」

私は舟木さんの高校の後輩です、担任の先生も舟木さんを教えていたそうで、彼は「窓から外を見ながらよく歌を歌っていたなぁ」「彼が高校三年生でデビューしてレコードを持って来てくれたけど、多分ダメだろうと思っていたけど、いきなり大ヒットしてビックリしたよ」など、それから自分のことで恐縮ですが、通学バスの中で「舟木一夫の弟?」て聞かれたことがあります、当時は多少似ていたのかもしれません、今でもたまに言われることがあり飲み会では「高校三年生」をリクエストされます。因みに妻は舟木さんのデビュー当時からの大ファンです。私は舟木さんの身代わり?・・・

ゾロさん


「北風のビギン」

くちなしのバラードのB面なんですけど・・・。寒い冬の日に二つ離れた町まで、バスで
 買いに行った思い出があります。他のレコードも同じお店で買っているのに、何故か一番
 印象に残っています。
 滅多にステージでも歌ってもらえませんが、私の名前が歌詞に出てくるのと(名前を呼んで
 もらってる気になる♪)長い冬に耐える勇気を与えてくれるので、好きなんです(^o^)

ひとちゃん


「高校三年生」

舟木さんの曲ならなんでも大好きです。修学旅行でよく歌いました。また学園ものもね、、。時どき年かなーとおもいます。歌を聴く、歌うとするならやっぱり70年代の歌、また演歌もいいですね。徳光さんの歌の大辞典大好きです。若い頃の自分にもどれるね。青春時代は元気よく、何事にも一生懸命、前向き全てにおいて、、、若い頃がいいね。やっぱり年かな、、、

kokoさん


「夕笛」

 おじさんにくっついて聴いていたあの頃。
 私の心に想い出、しっかり刻みこんでくれていました。知らぬ間に・・
 映画、メロディー、そしてとっても優しい・・詩。大好きです。
 たしか・・4才だったのかなぁ。
 おじさんに、そして・・・・舟木さんにありがと。

やっとこさん


「高原のお嬢さん」

 この曲がヒットしたのは、私が小学6年生の時でした。ベストテンに入って欲しくてせっせと
 リクエストはがき書いたものです。田舎に住んでいたので生の舟木さんに逢えなくて・・・
 ♪あの人に逢いたい〜と逢える日を夢見て、よく歌いました。結局、夢が叶ったのは10年も
 たってからでした。今でも一番好きな歌です

たまちさん


「君たちがいて僕がいた」

 これを、聞くと元気が出るんですよね。歌いますね。
 映画も、好きです。私の旦那も、舟木さんの大ファンです。カラオケでも、よく歌っています。
 旦那は、映画の中に出ていた本間千代子さんの事も好き見たいです。今もなお。
 今ごろ、彼女は どうしているんだろうか?と毎日話しますね。
 私は、生まれていなかったので よく?ですけど 本間さんは、可愛いですよね。
 舟木さんは、2回見ました。
 私が、舟木さんを知ったのは 小学校三年生でしたね。
 これからも、舟木さんを応援していきたいと考えています。

ローズさん


「学園広場」

 中学1年の時、双子の妹とオルガンを弾きながら
 二人でよく歌いました。そのころの声も好きですが、
 現在コンサートで歌う学園広場がすごく胸に響きます。
 舟木さん以外には歌えない歌だと思います。

ミヨコさん


「高原のお嬢さん」

 小学校の高学年でした。学級で人気者の男の子を密かに恋心を抱いていた頃に
 内向的だった私は話すこともできなかった。その子の事を
 考えると、この歌が自然と口ずさんでいました。今でも大好きな歌です。

秋桜さん


「学園広場」

中学3年生の文化祭でソロで唄って大喝采だったことを
 今でも思い出します

A・Kさん


「高原のお嬢さん」

 小六のときです。 当時平凡に歌詞カードがありましたよね。
 それを友達に借りて必死でうつしていました。 チャイムが鳴ったのも気づかず
 先生が怒って、『やめなさい、流行歌手なんか』といってたたかれました。
 この曲は痛い想い出があります

たぬきさん


「高校三年生」

この時は楽しい思い出ばかりです。
 この歌を聴くと青春時代がよみがえります。

 メアリーさん


「高校三年生」

 同じ高校生3年生の時に よく聴いてました。

容子さん


「高校三年生」

舟木さんの曲を聞いていると、今の主人と初めてのデートで「夕笛」の映画を見に行った事を
 思い出し、懐かしく思っています。あの頃は二人とも若かったなぁ(*^O^*)
 今では二人の子供に恵まれて、幸せな生活をおくっています。

花さん


「高原のお嬢さん・END・LOVE」

平成5年5月5日の旭川公演の時のオープニングの曲です。
 舞台の後ろから階段を上がって出てきたのを今でもはっきり覚えています。 バック照明が赤でした。
 リーフ・リーフという声がとても強く残っています。
 今回の旭川公演でも高原のお嬢さん聞けて最高でした。
 今回の旭川公演の思い出の曲は「END・LOVE]です。
初めて聞きました。今は病み付きです。1日に1回は聞いています。
 昼の部で始めて聞き夜の部で蜃気楼のツインパック「END・LOVE]が入っていたので迷わず買いました。
 それと失敗が一つありました。小さな手紙も買ったんです。何を迷ったのか西郷さんバージョン
 だったんです。事情を言って楽器屋さんで取り替えてもらいました。
 一件落着しました。

京子さん


「高校三年生」

過去を思い出しています。がんばつて下さい。

神野武男さん


「高校三年生」

 17年所属した部から転属。
 送別会で皆が総立ちで歌ってくれた歌。
 そして、新しい部の飲み会で部長以下全員総立ちで歌ってくれた歌。
 いい会社にいるな〜〜って。

Tomyさん


「ああ青春の胸の血は」
 

 28年生まれです。舟木さんがデビューした頃は、私は小学四年でした。なぜか高校三年生じゃなくて、この歌なんです。歌詞が好き、中学卒業の時友達のサイン帳にこの歌詞を書いたほどです。
 高校三年生はたまにテレビやラジオ聞けたからでしょうか、ずーと私の中に、残っています。

ファン歴38年さん


「夕 笛」

舟木さんが新人賞を頂いて、涙ぐんだ時、五年生の私は,生まれて初めて、母性本能にめざめてしまいました。あんなに応援していたのに、好きだったのに・・・。久しぶりに再会したのは、深夜映画の「夕笛」でした。なつかしく,軽い気持ちで見ていましたが,途中から涙が止まらなくなって,自分でもびっくりしました.子供も成長して、今はのんびり、応援させてもらっています。

よしえさん


「ブルートランペット」

高校2年の時、アルバイト先で知り合った人としばらくお付き合いをしました。
 彼は社会人、私は高校生。最初は良かったんですが其のうち話も合わなくなり、アルバイトが終わる頃には気持ちがチグハグになって別れましたが、私が舟木さんのブルートランペットが好きなのを知りレコードをプレゼントしてくれました。
 今でもこの曲を聴くと、彼の甘い横顔と、とっても幸せで嬉しかったのを昨日の事のように思い出します。
 ひと夏の恋、私の青春、戻れるものならもう一度あの頃に戻りたい。
 あの頃が、一番幸せだったような気がします。

思出草さん


「君たちがいて僕がいた」

高校一年生の時だったかな? 一寸早めに5階に有るクラブの部室に入り、窓から外を眺めると新緑の香り一杯の中には遥か彼方に伊吹山が霞んでいました。
 一番多感な時期でもあり、我が高校生活にオーバーラップして、当時一世風靡していた舟木さんのこの歌を思わず口ずさんでいました。3番にさしかかった頃、同じクラブの先輩が二人連れで笑いながら入って来たので慌ててストップ、ああ良かった!と思いきや、ねえ、{若い港}歌ってよ。彼女らは三田明ファンだった。誰もいないつもりと、口ずさんだつもりが結構大きな声で、廊下でしっかり聞かれたらしい。顔から火が出た!(大好きなセリフだけど入れないでよかった)(+_+)

Rさん


「北国の街」

この曲は、小6の修学旅行の時、クラスの男の子が、歌ってくれた、思い出の曲です。歌集を、必ず作るんですが、修学旅行 仲間たちは、定番の曲で、あとは小学生が歌える 歌でした。その歌集にない、大人の歌 北国の街でした。大好きな舟木さんの、歌でしたので 、とても嬉しかったです。ちなみに彼のイニシアルは、k.Fさんでした。

 M子さん


「高校三年生」他

24年生まれなので中学生でした。今も同年代の連中が集まるとカラオケの最後はこの歌です。
 他の曲も一気にメドレーになることがしばしばあります。よき時代の強烈な思い出なのでいつまでも大切にしたいです。9月20日に御三家のコンサートがあるので仲間と見に行くつもりです。

m.aさん


「北国の街」

勤め出して間もなく、職場近くの会社に勤めていた人と知り合い、付き合い始めました。寒い、寒い冬の事でした。私の自宅まで、歩いて約30分、その頃は今のように人前で、いちゃいちゃなんて、考えられない ことでした。仕事の帰りに、近くの喫茶店で待ち合わせ、それから、家まで送ってくれました。ただ、黙って、時々顔を見合わせ、はにかんだ笑顔で 空には、星がいっぱい光ってました。そのうち自然に、彼の手が私の肩に、初めてでした。もう ドキドキしました!でもとっても幸せでした。
 その頃「北国の街」が好きでよく唄ってました。私の淡い初恋の、思い出でした。その彼とは結ばれませんでしたが、今も時々思い出します。もう30年以上も前の事でした。とっても素敵な思い出です!

S.Aさん


「雨の中に消えて」

私が小学校3年生のときテレビドラマ放映されていた作品です。  松原智恵子さんとの共演でした。大好きで、毎週欠かさずみていました。

yukikoさん


「哀愁の夜」

とてもとても多感で恋愛大好きだった頃の一曲なのです♪
まだまだ高校生だったけど、大好きな人が二人いたの・・・
ばれてもかまわないと思ってしばらく付き合ってたんだ!
一人の彼は中学からの同級生!中3頃からお互いの部屋に泊まったり、夜な夜な遊びに行ったり・・・楽しい想いで、一人は、今の旦那様♪・・・・現実を見つめなきゃいけない。内容的には語れぬ物があるけど・・・
今となっては本当に楽しかった時があったんだなぁ〜って思ってる・・・
この曲を聴くと走馬燈のように頭を駆けめぐってしまう!
もう一度戻りたいと思うけど・・・青春時代!
そんなこと行ってる家に自分の子供が、そんな年になってきてるのが、こ・怖い今日この頃であります♪

S・Kさん

25年生まれの男性ですが去年の暮れ浜松に御三家が来たので観に行きました。ところが、会場は女性でいっぱいで恥ずかしい思いをしました。当時としては、とても考えられなっかたことでとても楽しめました。中学時代から舟木ファンでしたので感激でした。
フィナーレに花束贈呈がありましたが、圧倒的に舟木一夫が多くさすがと思いました。
最近のカラオケでは、舟木の曲も多くなり飲むとよく歌います。学園ものから大体の曲は歌え一緒に行く人からはあきれられます。

K・Fさん

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