能登 2026.4.21〜22

2024年1月1日16時10分にマグニチュード7.6、最大震度7の能登半島地震が発生しました。元日の夕刻に発生したこの地震は大変多くの被害をもたらし、復興に向けた取り組みが続けられています。

私は金沢に住んでいた期間があり、能登方面には何度も出かけ、カヌー&キャンプを楽しんだことも。2018年4月には、東京からくぼっちを招き、珠洲の見附島でキャンプ、車で能登半島をぐるっと一回りしました。

何かお手伝いができないかと思いながらも、何ら動けないまま2年が過ぎました。
「とにかく行って現状を見てみよう。」見附島でのキャンプは無理にしても、キャンプ場の隣にある「珠洲温泉のとじ荘」に泊まろう。早速ホームページから予約を試みましたが、メンテナンス中で進むことができません。震災以降は更新されておらず、不具合が続いているようです。あちこちクリックしていると、珠洲市観光サイトに、PDFファイルで珠洲市宿泊施設受入状況が掲載されているのを発見。のとじ荘もリストにあり、受入れ可能です。すぐに電話して、4月21日の宿泊予約をしました。8年前のキャンプと同じ日です。

 

1.ヤセの断崖、義経の舟隠し

ヤセの断崖には午前11時頃に到着。駐車場に一台の乗用車が止まっていましたが、歩いて断崖へと向かう途中で、戻って来る男性とすれ違ったので、この先は誰もいない。冷たい風が強く吹き付け肌寒い。何だか寂しくなってきて身震いしてしまいます。
展望所から柵越しにヤセの断崖を眺めます。以前見た姿と変わりないようです。

隣接する「義経の舟隠し」へと歩きます。強い風が吹き付け浪が高く、湾の奥まで白波が押し寄せていますが、地形自体には特に変化は無いようです。前回も辿った右側の小路を進み、岩場へと下って行きます。直ぐ近くでイソヒヨドリが気持ちよさそうに啼いています。写真を撮ろうと一瞬思いましたが無理です。強い風にさらされる足場の悪い岩の斜面。足を滑らせ転落でもしようものなら、誰からも気づかれぬままになりかねない。また、震えてきました。
右の方に、先ほどまでいたヤセの断崖が見えています。「何としても撮らなきゃ」と、岩にへばりつくように身を低くしました。
撮影後、少し上の足場のよいところへ戻ると、左側の岩場が見えます。以前くぼっちがここに立っていた岩場ですが、そこへと通じる通路は上から崩れ落ちてきた角の鋭い岩が積み重なり通れません。見ていると吸い込まれそうなので、すぐに退散しました。

 

2.国道走って ふらっと訪夢(旧 輪島駅)へ

次の目的地は輪島。海岸に沿って国道249号線を走ります。途中、地震により隆起し使えなくなった漁港が目に入り立ち寄ってみました。コンクリートの防波堤の下に、高さ1メートルぐらい岩が水面上にせり上がっていて、赤茶けた色の枯れた海藻が付着しています。かつては海の中だったのでしょう。ここは赤神漁港で、水産庁が公表している資料によると、この港は1.6メートル隆起し、係留施設が利用できなくなっています。
これより北へ5キロほどが、隆起が顕著だったエリアで、すぐ北隣の黒島漁港は3.7メートル隆起し完全に干上がり、その隣の鹿磯漁港が最大で4.1メートル隆起しました。赤神漁港から鹿磯漁港にかけての区間は、海岸線に幅200メートルほどの砂浜が広がっています。地震前は海の底にあった遠浅の砂が、隆起して現れたのでしょう。


赤神漁港


干上がった黒島漁港、海の向こうが鹿磯漁港


広がった砂浜

 

進んできた国道は、鹿磯から海岸を離れ、門前地区の水田地帯を進みます。水田には中小河川や水路がめぐらされていますが、そこに架けられた橋の全てに30センチはあろうかという大きな段差が生じ、応急対応として三角定規を押し込んだようにアスファルトが埋め込まれています。土地が全体として沈降したため、頑丈に造られた橋だけが取り残され浮かび上がったようになったのです。穏やかに見えても、地震の爪痕が随所に残されています。

正午を過ぎた頃、「道の駅 輪島・ふらっと訪夢」に到着。駐車場脇に「次駅シベリア」と表示された輪島駅の案内板を見つけました。旧駅のプラットフォームあったものが移設されたのかと思ったのですが、プラットフォーム内のものとはシベリアの位置が左右逆なので、別物のようです。確かめようとプラットファームへ向かいましたが、工事のためビニールの幕が張られ立ち入ることはできませんでした。駐車場だった場所には、仮設住宅と思われる建物がびっしりと建てられています。その横では、8年前と同じように八重桜が満開でした。

 

3.輪島朝市通り

地震のあった1月1日夜、テレビニュースで輪島朝市通りが炎に包まれる様子が報じられていました。翌朝になると、全てが焼き尽くされてしまい、無力さに胸を痛めました。何度も訪れたことがある、思い出の場所です。それがみんな燃えてしまったのはショックでした。
幾日か経ち、朝市通りにあった永井豪記念館内の展示物は、防火建築だったため無事だったことを知りました。せめてもの救いです。復興がなされ、もう一度見ることができるようになることを、心より願います。

現地は予想通りの更地で、立ち入ることはできませんでした。

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4.白米千枚田

白米千枚田には水が張られ、田植えに向けて準備が進んでいました。棚田の中で何人かが作業をしているのも見えます。
「復興が進んでいるんだ、すごいぞ」って興奮気味ですが、よく見ると、棚田の下半分には緑の草が茂り、まだ水田として利用することはできないようです。
また、隆起により海岸線が大きく後退しています。以前は棚田の一番下を波が洗うようでしたが、今は岩がゴロゴロ転がる乾いた陸地帯がみえます。
道の駅の売店で何か買いたかったのですが、平日のためか閉まってました。残念です。

 

5.窓岩からゴジラ岩へ

千枚田から先の国道は、地震による崩落で各所が寸断されているのですが、それぞれ応急対応がなされていて通行は可能です。隆起により海側に出来た広く平らな土地に、道路が敷かれている部分が何カ所もあります。元々道路だった上の部分と、新たな土地の下の部分を行ったり来たりで落ち着かないです。

窓岩はすっかり壊れていました。窓が開いていた場所辺りに、逆三角形の大きな岩が一つ。この岩が、窓岩のどの部分だったのか想像もできません。ここでも土地の隆起があり、露出している岩が増え、すっかり様変わりしています。
窓岩ポケットパーク内に「能登希望の灯り 1.1」というモニュメントが設置されていました。かつての窓岩の模型の後ろに、神戸の「希望の灯り」から分灯された炎が灯っています。2ケ月前の2月1日に設置されたばかりです。

 

ゴジラ岩も隆起により陸続きとなっていました。海水で隔てられ近づくことが出来なかったゴジラ岩へと歩き、真下から見上げました。
でかい。初めて見た時はとても小さく感じ、がっかり名所だなんて思ったりもしましたが、単に遠かっただけでした。打ち寄せる波がゴジラの後ろで砕けるさまは迫力満点。
「ゴジラが上陸したぞ。みんな逃げろ!」

 

6.見附島

ゴジラ岩のある外浦から、山を越えて内浦へ。少し細めの道を進んだのですが、あちこち地震による崩落がそのままで、とりあえず車が通れるように応急対応をしただけって感じでした。ともあれ通れるってことは大切なことで、優先順位を付けながら復旧工事が進められるのでしょう。

午後4時に見附島に到着、のとじ荘にチェックインしました。夕方まで見附島からキャンプ場まで、懐かしの場所をゆうっくり歩いて散策しよう。

先端が鋭く尖り艦船を思わせる風貌から軍艦島とも呼ばれる見附島ですが、地震により崩れてすっかり丸くなっていました。てっぺんに生える樹木の密度も薄く、まるでおじさんの頭のようです。
崩れ落ちた砂が左右に積み上がっていますが、この先風波により洗い流されるのでしょうか。その時はまた、鋭い舳先を見せてくれるのかな。どれくらい先のことだろう。想像を巡らせました。

以前は見附島へと続く岩の列があり、見附島に近づくことができたのですが、ほぼ全てが海水の中に没しています。ここに至るまで、大地が隆起したさまを各所で目にしてきましたが、ここは沈降しています。調べてみると、見附島に隣接する鵜飼漁港では0.4メートルの沈降を記録。加えて、鵜飼・見附地区では遡上高3.5メートルの津波が発生しました。のとじ荘は津波に襲われ、1階は未だに津波による砂に覆われたままだそうです。状況を見てみたいと思いましたが、ブルーシートに覆われていて、中を伺うことはできませんでした。
実は、もし隆起により砂浜が干上がっていたら、以前ここでカヌーを沈させ失くしたデジカメが見つかるかもしれないと期待していたのですが、当てが外れ残念です。

 

7.見附島の夜明け

翌朝は4時半に起床。ご来光を拝ませていただこう。珠洲の日の出は午前5時15分とのこと。
次第に明るさが増す東を眺めながら、「まだまだ」と余裕で待っていると、5時8分に水平線を破って太陽が姿を現しました。ファインダーから目を離し、しばし直接眺めます。
赤く真ん丸な朝陽がゆっくりと昇って行く。海を隔てた先に聳える真っ白な北アルプスの頂が、朝陽に照らされ赤く輝きだす。息を飲む美しさに心奪われます。
「こうして陽はまた昇るんだ。昨日もいろいろあったけど、今日一日また頑張ろう。ありがとう」
とても神聖な気持ちになりました。

 

8.禄剛埼灯台

禄剛埼灯台へ行く途中、ランプの宿に立ち寄ってみました。見た感じ建物は無事のようですが、そこに通じる道が大規模に崩落していて、行くことはできません。人気の宿泊施設ですので早く復旧してもらいたいですが、なかなか工事の順番が回ってこないのでしょう。

禄剛埼灯台は以前と変わらぬ姿で立っていましたが、北側の断崖が崩落しているのか、大規模な工事が行われています。前回と同じ位置で波食台の写真を撮ろうと、記憶を頼りに岬自然歩道へと進みましたが、それらしき場所が見つかりません。やむなく灯台まで戻ると、ようやく見つかりました。最初に立ち寄った「ウラジオストック772�q」のプレートの下でした。海岸線は先へと遠ざかり、波食台は白く乾いています。前回は地層に沿って低い部分は水に浸され、縞模様になっていたのとは大違いです。

 
 


今回の波食台


8年前の波食台

 

 

9.九十九湾、磯の観察路

九十九湾にある「のと海洋ふれあいセンター」では、前回と同じように本館の下の海岸に下り、磯の観察路を伝ってぐるっと一回りしたいと思ってましたが叶いませんでした。浜の左側の海中に設置された踏み石は、潮位の関係か、風が強く波が高かったためか、波を被って濡れています。リスクをとって進むことはできません。右側の木製のデッキ通路は通れそうですが、入口にチェーンが張られ「通行禁止」と書かれたプレートが吊るされています。近くに行き良く見ると、曲がり角の先は崩落した岩に押しつぶされています。

やむを得ず来た道を戻り、山を越えてキャンプファイヤー広場のある浜へ。ここでも、左右どちら方向も通行禁止のプレートが下がっていました。最初に行ったデッキ通路から繋がる左側は、津波のためでしょうか、土台からはがされたデッキが、簀子のような姿で散乱しています。右側は、濡れるのを覚悟で進めばいけなくはなさそうですが、丸穴の先の様子も分かりませんし、もちろん通行禁止を無視することはできません。あきらめて引き返し、駐車場脇にある売店でイカやきそばをいただきました。

今回の旅では、現地の方との触れ合いが限定的となり、震災による被害の状況、復興の取り組み、地形の変化などを確認するに止まってしまいました。
実は、輪島で旧知の方のお宅を訪ねたのですが、その場所は更地になっていて消息はつかめませんでした。帰ってから手紙をお送りしましたが、今に至るまで戻されてはいませんので、きっとお手元には届いているでしょう。いつかまたお会いできるに違いないから何回でも訪ねてみよう。気持ちが固まってきました

 


能登ぐるっとキャンプ


見附島でカヌー&キャンプ

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