(1914/04/04 ~ 1996/03/03)
文学者、脚本家、映画監督。女性。
year | age | |||
1914 | 00 | フランス領時代のインドシナ (南ベトナム) ギアダンで生まれ、同地で少女時代を送る。 | ||
1918 | 父親がプノンペンに転任。移転直後、父、死す。 | |||
1932 | 18 | 法律を学ぶため、フランス帰国 (1931 年 17 歳 とする資料もある)。大学で法律、数学等を専攻。 | ||
1939 | ロベール・アンテルム と結婚。 | |||
1942 | 28 | (about) 1940年代より文筆を開始。 | ||
1942 | 最初の子供を出産後に失う。 | |||
1942 | デイオニス・マスコロ を知る (Wiki では 1943 年 としている)。 | |||
1943 | F・ミッテランの下でレジスタンス運動 (Wiki では 1944 年 としている)。 | |||
1943 | 29 | [恥知らずたち] or [あつかましき人々 / Les impudents] 初版は Plon 社。 絶版。作家本人は廃棄処分を希望、幻の処女作 となる。 Gallimard 1992 を底本に、田中 倫郎 訳 : 河出書房新社 1995 |
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1944 | 下の兄がインドシナで死ぬ (Wiki では 1946 年 としている)。 | |||
1944 | アンテルム、強制収容所に送られる (Wiki では 1946 年 としている)。 | |||
1944 | 共産党に入党 (Wiki では 1947 年 としている)。 | |||
1944 | 30 | [静かな生活 / La Vie tranquille]
初期の代表作。 Gallimard |
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1946 | アンテルム と離婚 (Wiki では 1950 年 としている)。 | |||
1947 | マスコロ との 息子 ジャン 誕生 (Wiki では 1950 年 としている)。 | |||
1950 | 36 | [太平洋の防波堤 / Un Barrage contre le Pacifique] が好評を得たが、わずかの差で ゴンクール賞を逸す。 自伝的小説。Gallimard 1957 年 ルネ・クレマン によって映画化、日本でも 1958 年 [海の壁] という題で公開。 デュラス本人は原作の歪曲を [取り返しのつかない裏切り行為] と逆鱗。 [海の壁] という題名で ハーマ・ブリフォート 米訳、New York の ペルグリーニ=キュデー出版社から、1952 年 [騒乱の海] という題名で アントニア・ホワイト 英訳、ペンギン・ブックスに収録、1953 年 田中 倫郎 訳 : 河出書房新社 1973 モダン・クラシック叢書の一冊として のち、集英社文庫 |
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1952 | 38 | [ジブラルタルの水夫 / Le Marin de Gibralter]
Gallimard |
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1953 | 39 | [タルキニアの仔馬 / Les Petits Chevaux de Tarquinia]
Gallimard |
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1954 | [木立の中の日々 / Des journess entrieres dans de arbres]
Gallimard |
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1955 | 41 | [辻公園 / Le square] で 自身の小説の形式を一変。 Gallimard 三輪 秀彦 訳 小説から戯曲への書き換えあり。 |
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1958 | 44 | [モデラート・カンタービレ / Moderato Cantabile/Ed.de Minuit]
のシナリオを ジャルロ と共に書き、ヌーヴォ・ロマンの代表作家としての地位を確立する。 ピーター・ブルックの手で映画化、[雨のしのび逢い] という題で日本でも公開。 田中 倫郎 訳 : 河出文庫 |
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1959 | [ヒロシマわが愛 (邦題 : 二十四時間の情事) ] 映画公開。アラン・レネ監督の依頼をうけ脚本を書き下ろし。 [ヒロシマ私の恋人 / Hiroshima mon amour] Gallimard 1960 (Wiki では 1964 年 としている) / 清岡卓行 訳 : 筑摩書房 1970 |
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1959 | 46 | [セーヌ・エ・オワーズの陸橋 / Les Viaducs de la seine-et-Oise]
Gallimard 1959 (年号は Wiki に拠る) 戯曲から小説への書き換えあり。 |
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1960 | 46 | [夏の夜の10時半 / Dix heures et demie du soir en e'te']
Gallimard 1960 (Wiki では 1962 年 としている) 1967 ジュールズ・ダッシン が映画化、デュラス本人は原作に満足せず。 田中 倫郎 訳 : 河出書房 1961 [世界新文学双書] の一冊として |
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1961 | 47 | [かくも長き不在 / Une Aussi Longue Absence]
のシナリオを ジャルロ と共に書き、アンリ・コルピの監督によって映画化、 カンヌ映画祭でグランプリ受賞。 阪上 脩 訳 : ちくま文庫 |
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1962 | 48 | [アンデスマ氏の午後] 三輪 秀彦 訳 |
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1964 | 50 | [ロル・V・スタインの歓喜 / Le ravissement de Lol V.Stein]
白井 浩司 訳 : 白水社 平岡 篤頼 訳 : 河出書房新社 |
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1966 | [ラ、ミュジカ] で 自ら映画製作、監督に乗り出す。 | |||
1968 | 五月革命に参加。 (年号は Wiki に拠る) |
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1971 | 堕胎処罰法の廃止を求める [343] アピールに署名する。
(年号は Wiki に拠る) |
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1969 | 55 | [破壊しに、と彼女は言う / De'truire Dit-Elle]
Ed.de minuit (Wiki では 1973 年 としている) 田中 倫郎 訳 : 河出文庫 |
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1971 | 57 | [愛 / L'Amour] 田中 倫郎 訳 : 河出文庫 |
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1977 | [インディア・ソング / India Song]
Gallimard (年号は Wiki に拠る) 映画監督としても 作品がある。 |
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1980 | トゥルーヴィルの海岸でマンションに住む。 (Wiki では 1982 年 としている) |
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1980 | トゥルーヴィルの海岸で夏、43歳年下の青年、ヤン・アンドレアと知り合う。 (Wiki では 1984 年 としている) その後、彼と恋人関係になる。 |
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1982 | アルコール中毒治療のため入院。 (Wiki では 1985 年 としている) |
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1984 | 70 | [ラ・マン / 愛人 / L'Amant / Ed.de minuit]
自伝的小説。インドシナに住んでいた時に知り合った華僑の青年との初めての性愛体験を描いた。 ゴンクール賞。 1992年にはジャン=ジャック・アノー により映画化 (フランス・イギリス合作) されヒットとなる。 |
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1985 | [アガタ / Agatha / Ed.de minuit」 | |||
1985 | [苦悩 / Le Douleur] POL (Wiki では 1987 年 または 1991 年 としている) |
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1986 | [青い眼、黒い髪] (Wiki では 1988 年 としている) |
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1987 | [愛と死、そして生活] [エミリー・L]
(Wiki では 1990 年 としている) |
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1987 | ジャン=リュック・ゴダールとの対話、収録。 | |||
1988 | 入院後翌年まで 5か月に及ぶ昏睡状態続く。 | |||
1990 | [麦の雨] (Wiki では [夏の雨] 1993 年 としている) |
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1991 | 77 | [北の愛人 / L'Amant de la Chine du Nord]
[L'Amant] の 姉妹篇。かつての愛人、中国人青年の死を聞いて執筆を始めたと言う。 Gallimard (Wiki では 1995 年 または 1996 年 としている) |
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1992 | [ヤン・アンドレア・シュタイナー / Yann Andrea steiner]
愛人関係を描いた。 POL (Wiki では 1995 年 または 1996 年 としている) |
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1993 | [エクリール―書くことの彼方へ / Ecrire]
短編集。[ローマ] 他。 Gallimard (Wiki では 1996 年 としている) 田中 倫郎 訳 : 河出書房新社 |
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1995 | 81 | [これで、おしまい / C'est tout]
作家の最後の賭け。ヤン・アンドレアの付き添いによって、残された時間に一冊の本を書き上げる。 POL (Wiki では 1996 年 としている) |
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1996 | 81 | パリの自宅で没。 |
※ 作家 としての活動以外に、映画監督としても 10数本の作品がある。
[インディア・ソング] (田中 倫郎 訳 : 白水社)
[ナタリー・グランジェ]
[トラック]
[オーレリア・シュタイネル (邦題 : 女の館)]
[アガタ]
etc.
他、
[セーヌ・エ・オワーズの陸橋]。戯曲から小説への書き換えあり。
[イギリス人の恋人 / L'Amante Anglaise (邦題 : ヴィオルヌの犯罪)]。田中 倫郎 訳 : 河出書房。戯曲から小説への書き換えあり。
[ユダヤ人の家]。
[ガンジスの女]。
エッセイ集
[OUTSIDE]
佐藤 和生 : 訳
晶文社
デュラスの、二人の左翼系の傑出した前夫
ロベール・アンテルム
ドイツのガンデルスハイムでの強制収容所体験。
問題作 [人間という種] を著わす。» ユダヤ人問題で影響。例えば
[破壊しに、と彼女は言う] [ユダヤ人の家]。
1968 年 五月革命のさいは、この前夫とならんで [作家=学生行動委員会] に名前をつらねていた。
ディオニス・マスコロ
デュラス研究に欠かすことのできない文献 [ル・コミュニスム] は、日本ではほとんど知られていないが、
五六〇京に及ぶマスコロの労作 (ガリマール社)。
のち、俳優兼批評家として映画監督デュラスに対する理解あふれる協力者となっている。
凡例
Gallimard
ガリマール書店
Tanaka, Michio
田中 倫郎
Ge'rard Jarlot
ジェラール・ジャルロ : 1966/02/22 没
ジャン=ジャック・アノー
監督。
他の作に [セブン・イヤーズ・イン・チベット] [スターリングラード] 等。
ジャン=リュック・ゴダール
監督。
[勝手に逃げろ/人生] [カルメンという名の女] [ゴダールの決別] などでデュラスへのシンパシーを表明。
Yann Andr'ea
ヤン・アンドレア
1999年、東京日仏学院の招きで来日講演。
2001年、著作 [デュラス あなたは僕を (本当に) 愛していたのですか / C'est Amour-la`] (村上 香住子 : 訳) が [愛人 ラマン 最終章] としてフランスで映画化。
[デュラス] をキーワードにした、Yoko その他 による performance の例。
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