谷繁 元信(たにしげ もとのぶ) 1970年12月21日生まれ・右投げ右打ち

 島根・江の川高校から88年ドラフト1位で大洋ホエールズ(当時)に入団。その強打は鳴り響いており、高校3年夏の県予選では5試合連続で合計7本塁打の県新記録をマークし甲子園出場、ベスト8まで勝ち進む。大洋では捕手という経験の必要なポジションながら、「育てる」というチーム方針もあって1年目から1軍で起用される。

 ルーキーだった89年は80試合で打率.175、3本塁打。翌90年も75試合で全く同じ打率.175、3本塁打。高校時代は評判のスラッガーも鼻っ柱をへし折られた。
 5年目の93年に初めて100試合以上に出場、94年は打率.228ながら初の規定打席到達と打てないながらも徐々に正捕手の座を固めつつあった。
しかし、95年はツープラトン起用になり、打率こそ.249(規定打席外)と自己最高ながら93試合止まりで打数・安打が激減。

 これに奮起したか96年はそれまでの貧打がウソのような活躍。自己最高の114安打で打率.300をマーク。このへんから打撃開眼の気配が見られ、それまで8本が最高だった本塁打も97年からは3年連続で二桁を記録。
 99年は再び自己最多の126安打を放ったが、打率は.295で惜しくも2度目の3割は逃した。00年は9本塁打だったが、01年は自己最多の20本塁打・70打点とチーム二冠の活躍。打率も自己3番目の.262をマークして「打てる谷繁」をアピールした。この年オフに大リーグ入りを目指してFA宣言したが、条件面等から大リーグをあきらめ中日ドラゴンズに移籍した。

 02年は24本塁打・78打点と2部門で自己最高の成績を残したものの、打率.215は両リーグの規定打席到達者59人中最下位。ポイントゲッターとしての役割は果たせたものの三振数も自己最多と粗さが目立った。
 03年は.264と打率を上げたが、故障もあって2年連続で100安打に届かず8年ぶりの規定打席不足に終った。04年は腰痛で苦しみながらも3年ぶりの100安打に本塁打・打率も前年並みの成績は残した。

 05年は3年ぶりのオールスター出場を果たすが、打率.234と尻すぼみ。それでも7度目の100安打と5年連続二桁本塁打を達成。06年も扇の要としてチーム2年ぶりのリーグ制覇に貢献し通算1500安打も達成したが、打撃成績では6年ぶりの一桁本塁打、2年連続の打撃成績最下位、11年ぶりの40打点未満など「打てる捕手・谷繁」のイメージからは程遠かった。
 07年も安打・本塁打で96年以後最小の数字を記録するなど打撃成績の向上は見られず、捕手として3人目の通算300二塁打を達成したものの3年連続の打撃成績最下位となった。08年は4年連続の打率2割3分台。三振は減ったが、本塁打もわずか2本と長打力も激減。

 09年は開幕直後に右足を痛め約3週間の登録抹消と、スタートで出遅れた。復帰後は3年ぶりの1試合2本塁打を放つなど、本塁打は9本を数え通算200本塁打を達成。しかし安打数は62本とさらに前年を下回り、打率.208は移籍後ワースト。反面、守備ではシーズン無失策で4度目のゴールデングラブに輝いた。10年も出場機会は前年並みだったが二塁打を前年から倍増させるなど、75安打を放ち04年以来の打率.240超えを果たした。
 11年は4月に打率.324と好スタートを切ったが5月に入るや21試合中16試合が無安打と大スランプに陥った。6月4日の西武戦で守備中に右膝を痛め翌日から2ヶ月近く戦列離脱。しかし7月末の復帰後は打撃復調が著しく、復帰時の打率が.178だったのが8月に.306、9月は.333と打ちまり打順も5番に定着した。9月後半には10試合連続打点も記録するなどポイントゲッターとして活躍。実に7年ぶりとなる打率2割5分越えの.256をマークした。

 12年は5月まで打率.278と好調。出場機会も増えて5年ぶりの規定打席到達も果たしたが、後半は息切れ気味で8月の打率が.182、9月も.160と最終的には.228に終わった。それでも88安打を上積みした。
 そして迎えた2013年。開幕5試合で8安打、4月末で打率.310と好スタートを切り、5月6日のヤクルト戦でついに2000本安打達成。2803試合目で42歳4カ月という最も試合数を要し、かつ最年長での達成だった。その後も6月13日には1000打点、6月29日には2832試合出場のセ・リーグ新記録と次々に大記録を打ち立てた。規定打席には惜しくも届かなかったが、ほぼ前年並みの成績を残し、2014年は監督兼選手としてプレーする事となった。

 監督兼任1年目の2014年は、19年ぶりに100試合未満の試合数に留まった。打率は22年ぶり1割台の.195にプロ入り最少の1本塁打と、兼任でのプレーは打撃成績にも影響を及ぼした。15年はさらに出場機会が減少したが、7月28日の阪神戦で日本新記録の3018試合出場を達成。以後は閉幕まで3試合のみの出場に留まりこの年限りで現役を退いた。

 94年6月19日の阪神戦でプロ野球通算6万5千号本塁打。01年7月7日の巨人戦でサヨナラ満塁本塁打。06年4月4日の横浜戦から07年8月10日の巨人戦まで捕手として1708連続守備機会無失策(連続シーズン)のセ・リーグ記録。06年4月4日の横浜戦から10月15日の横浜戦まで捕手として1062連続守備機会無失策(同一シーズン)のセ・リーグ記録。11年9月17日の巨人戦から29日の広島戦まで10試合連続打点。通算3021試合は日本記録。通算1838三振はセ・リーグ記録。13年5月6日のヤクルト戦で押本投手から史上44人目の通算2000本安打達成。

 ベストナイン1度(98)、ゴールデングラブ6度(98、06、07、09、11、12)受賞。オールスター出場12度(93、97〜02、05、07、12〜14)。WBC出場1度(06)。

年度別打撃成績
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
89 大洋 80 154 9 27 2 2 3 42 10 0 1 1 15 43 .175
90 大洋 75 154 8 27 7 0 3 43 16 2 8 1 19 36 .175
91 大洋 82 186 24 44 9 3 5 74 24 5 8 2 25 39 .237
92 大洋 74 162 16 31 9 0 2 46 9 0 4 0 20 34 .191
93 横浜 114 290 22 68 10 2 4 94 26 3 7 0 46 74 .234
94 横浜 129 359 29 82 19 2 5 120 36 0 8 1 47 94 .228(31位)
95 横浜 93 181 16 45 7 1 6 72 21 1 5 0 17 39 .249
96 横浜 127 380 36 114 25 3 8 169 54 2 14 3 59 70 .300(16位)
97 横浜 128 397 42 92 19 2 13 154 46 2 25 3 64 71 .232(33位)
98 横浜 134 461 50 117 23 1 14 184 55 1 6 4 67 83 .254(27位)
99 横浜 122 427 55 126 23 0 11 182 51 0 7 5 52 45 .295(17位)
00 横浜 122 446 35 112 21 0 9 160 44 0 3 1 43 91 .251(27位)
01 横浜 137 447 54 117 19 2 20 200 70 4 9 1 75 107 .262(32位)
02 中日 130 446 53 96 21 0 24 189 78 4 10 2 57 116 .215(30位)
03 中日 112 367 48 97 20 1 18 173 69 3 8 4 47 90 .264
04 中日 121 408 47 106 11 0 18 171 68 1 11 6 47 92 .260(37位)
05 中日 141 449 58 105 22 0 14 169 65 3 8 6 74 106 .234(34位)
06 中日 141 428 48 100 22 1 9 151 38 0 13 3 76 102 .234(29位)
07 中日 134 382 33 90 15 0 6 123 44 0 19 5 68 85 .236(34位)
08 中日 113 329 27 77 18 0 2 101 27 0 9 1 45 45 .234
09 中日 115 298 32 62 7 0 9 96 33 0 19 4 47 62 .208
10 中日 110 308 23 75 15 0 7 111 32 0 11 1 47 81 .244
11 中日 102 277 26 71 10 0 6 99 31 0 12 1 40 51 .256
12 中日 134 386 15 88 14 0 5 117 32 0 14 2 56 67 .228(23位)
13 中日 130 379 19 82 12 0 6 112 34 1 6 3 50 70 .216
14 中日 91 226 15 44 11 0 1 58 23 0 5 2 41 36 .195
15 中日 30 47 4 13 2 0 1 18 4 0 2 0 3 9 .277
                                 
27年 3021 8774 844 2108 393 20 229 3228 1040 32 252 62 1247 1838 .240