小久保 裕紀(こくぼ ひろき) 1971年10月8日生まれ・右投げ右打ち

 和歌山・星林高から青山学院大を経て93年ドラフト2位で福岡ダイエーホークスに入団。高校時代は投手で、大学で内野手に転向。3年生の91年秋には3割・4ホーマーと活躍。92年バルセロナ五輪に学生からただ一人選ばれる。24打数6安打の成績だったが、アメリカとの3位決定戦では2本のタイムリーツーベースを放つ活躍で銅メダル獲得に貢献。

 ダイエー入団1年目は78試合で打率.215、6本塁打とやや期待外れだったが2年目の95年には全試合に出場し打率.286で28本塁打。34年ぶりに20本台ながらホームラン王に輝く。
 96年は前年の活躍の反動か、打率.247で24本塁打と低調な数字に終ったが、97年は打率.302、36本塁打、114打点と全て自己最高の成績を残す。2回目の本塁打王こそ1本差でウィルソン(日本ハム)に譲ったが初の打点王を獲得し球界を代表するスラッガーに成長した。

 しかし、好事魔多し・・・。順調に見えた野球人生だった97年オフに球界を揺るがした脱税事件で翌年開幕から8週間の出場停止処分(制裁金400万円)を受ける。98年5月30日の日本ハム戦で復帰し、いきなり2安打を放つがその後右肩痛が発覚し6月27日に登録抹消。以後シーズン終了まで一軍に戻れず17試合で打率.225、2本塁打の寂しい成績が残った。
 捲土重来を期した99年は一向に打率が上がらず規定打席到達者32人中30位の.234に終る。それでも4番で使い続けた王監督の辛抱もあり、24本塁打・77打点はチーム2冠。南海時代以来26年ぶりの優勝に貢献した。日本シリーズでも全試合「4番・サード」でスタメン出場。第4戦ではタイムリーとダメ押しソロホームランを放つ活躍で悲願の日本一に輝いた。

 00年は打撃復調し、6〜7月にかけては10試合連続打点や21試合連続安打を記録するなど4番としての責任を果たし、打率こそ3割に届かなかったものの3年ぶりに30本塁打・100打点をクリアしてV2に貢献した。
 01年も引き続き好調で、チーム13年ぶりの40本塁打を達成。打率はまたも3割を逃したが、44本塁打・123打点・108得点・321塁打と各部門で自己最高の成績を残した。
 02年は本塁打・打点とも前年からは大幅に減ったが、4番打者として最低ラインの数字は残した。打率は.292とまたも3割に届かなかったが、1000試合・1000安打・200本塁打と区切りの記録も達成した。

 03年もチームリーダーとして活躍が期待されていたが、オープン戦で本塁にスライディングした際に右膝の靭帯断裂の重傷を負い1年を棒に振った。その年オフに無償トレードで巨人に移籍。
 セ・リーグ1年目の04年は前年のブランクを感じさせない活躍で、タイトルこそ逃したが史上5人目となる両リーグ40本塁打を達成。145安打を放ち自己最高の打率.314をマークしでカムバック賞に輝いた。05年もチームが低迷する中、34本塁打・87打点はチーム1位と奮闘し、9月には通算300号本塁打も達成した。

 06年は6月初めに右手親指の骨折で8月中旬まで戦線離脱。復帰後も打棒は振るわず、打率.256と99年以来の低打率。オフにはFA宣言して4年契約で古巣・ホークスに移籍。心機一転して臨んだ07年は通算1500安打を達成し、25本塁打・82打点と両部門でチーム1位だったものの、開幕前の期待からは物足りなさが残った。
 08年はオフの左手首手術から出遅れ、終盤は左足かかとを痛めて登録抹消されるなど故障にも泣き規定打席不足の打率.253。かろうじて20本塁打に乗せたが、わずか56打点と不本意な成績に終わった。09年は自己12年ぶり、チームでは唯一となる全試合出場を果たす。本塁打は18本と長打力の衰えはあるが、81打点と盛り返し4年ぶりに140本台の安打を放った。

 10年は本塁打30本以上を目標に掲げ、第1号は11試合目と出遅れたが46試合目には10号到達とまさに30本ペースで序盤は順調。しかし5月下旬の首痛での欠場に端を発し、6月上旬からは左肩痛で1か月余り登録抹消となった。7月10日に復帰後は閉幕まで欠場することなく出場を続けたが、後半戦は5本塁打止まりで念願の400号本塁打も来季に持ち越しとなった。それでも119安打を放ちホークス復帰後では最高の打率.279を残した。
 シーズン中の2000本安打達成も視野に入った2011年は開幕戦でいきなり右手に死球を受け登録抹消。最短の10日間で復帰後は休みなく出場を続け、5月12日のオリックス戦では史上16人目の400号本塁打を達成。7月末まで出場73試合で74安打を記録。チームはまだ63試合を残しており、残り56安打も有望と思われたが8月4日の試合でまたも死球により左肋骨を骨折し、18試合を欠場した。9月中旬には首痛で3度目の登録抹消となり。結局98試合で92安打止まり。

 2000本にあと38本で迎えた12年は、開幕2戦ノーヒットから4月の月間打率.308と持ち直し5月22日の2安打で王手を掛けた。しかし、椎間板ヘルニアから来る腰痛で同25日に登録抹消。大記録に1本を残しての戦線離脱となり、長期欠場も噂されたが1ヶ月で一軍復帰し6月24日の試合に先発出場。そして第2打席で見事に2000本安打を達成した。シーズン成績は打率.239・4本塁打に留まり、この年限りで引退した。

 00年6月20日のオリックス戦から7月4日のロッテ戦まで10試合連続打点。01年5月13日の西武戦から9月9日の近鉄戦まで三塁手として210守備機会連続無失策のパ・リーグ記録。6月24日の日本ハム戦でウルフ投手からセンター前ヒットを放ち、史上41人目の通算2000本安打を達成。

 本塁打王1回(95)、打点王1回(97)、カムバック賞(04)。ベストナイン2度(95、97)、ゴールデングラブ1度(95)受賞。月間MVP2回(04年7月、07年4月)。オールスター出場11度(95〜97、00〜02、04、07〜09、11)。五輪出場1度(92)。

年度別成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
94 ダイエー 78 177 18 38 6 0 6 62 20 2 4 2 8 31 .215
95 ダイエー 130 465 72 133 20 9 28 255 76 14 5 6 62 94 .286(8位)
96 ダイエー 126 478 73 118 26 3 24 222 82 7 0 6 55 95 .247(28位)
97 ダイエー 135 527 88 159 37 3 36 310 114 4 0 5 56 112 .302(10位)
98 ダイエー 17 71 7 16 3 1 2 27 11 0 0 0 4 19 .225
99 ダイエー 130 465 60 109 24 2 24 209 77 4 3 6 64 103 .234(30位)
00 ダイエー 125 473 87 136 26 3 31 261 105 5 0 6 41 85 .288(15位)
01 ダイエー 138 535 108 155 32 1 44 321 123 6 0 5 65 97 .290(12位)
02 ダイエー 136 507 89 148 25 0 32 269 89 8 0 3 69 90 .292(11位)
03 ダイエー 一軍出場なし                        
04 巨人 125 462 85 145 24 2 41 296 96 0 0 2 44 101 .314(6位)
05 巨人 142 524 77 147 25 0 34 274 87 1 0 1 67 114 .281(21位)
06 巨人 88 308 37 79 5 0 19 141 55 1 2 2 32 68 .256
07 ソフトバンク 124 466 70 129 26 0 25 230 82 2 2 2 44 103 .277(16位)
08 ソフトバンク 106 383 45 97 21 0 20 178 56 1 0 3 48 95 .253
09 ソフトバンク 144 533 64 142 27 0 18 223 81 2 0 6 66 101 .266(23位)
10 ソフトバンク 112 427 60 119 22 0 15 186 68 1 1 3 38 69 .279(21位)
11 ソフトバンク 98 342 31 92 21 0 10 143 48 0 0 2 28 72 .269
12 ソフトバンク 103 331 20 79 11 0 4 102 34 0 3 3 20 67 .239
                                 
18年 2057 7474 1091 2041 381 24 413 3709 1304 58 20 63 811 1516 .273