鬢櫛山(186m)・籾取山(199.9m)・苫編山(165.4m)
 
姫路市 25000図=「姫路北部」「姫路南部」


姫路城石垣産地の山並みを縦走 
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矢穴8(番号は便宜的につけたもの)
1m40cm離れて2列ほぼ平行につけられている
画面では見えにくいが、下の列に直下に交わる矢穴も残る。
1つの矢穴の大きさは、5×12cm。これよりやや小さな矢穴もある。

 姫路城の天守閣に登り、最上階の窓から西を見ると市街地の向こうに低い山並みが見える。
 姫路平野の西を限っている山並みで、北から鬢櫛山(びんぐしやま)、高岡山、籾取山(もみとりやま)、井ノ口山、苫編山(とまみやま)、山崎山へと連なっている。
 この山並みは、後期白亜紀の弱く溶結した凝灰岩からなり、鬢櫛山周辺から採られた石は姫路城の石垣として利用された。

 この山並みを北から南へと縦走したのは27年前。今回、そのときと全く同じコースで歩いた。

姫路城天守閣の最上階から見る鬢櫛山の山並み

 JR播磨高岡駅に近い登山口には、「姫路アルプス縦走路」の札が掛かっていた。いつの間にか、こんな名前がつけられていた。
 送電線巡視路の階段を登ると、早くも道に岩盤が現れた。褐色の火山礫凝灰岩。ふくまれている火山礫が飛び出しているため、岩の表面がゴツゴツしていて歩きやすい。
 マルバアオダモが花をつけ、枝先に雪が積もったよう。コバノガマズミの真白い花も際立っていた。
 目の前をキタキチョウがチラチラと飛んだ。

マルバアオダモ コバノガマズミ

 琴丘高校から上ってくる道と合流してからも、岩の多い道が続いた。コバノミツバツツジがあちこちに花をつけて里山の春を彩っている。モチツツジの花も咲き始めていた。

 展望の良いところを過ぎると、岩盤に矢穴が現れ始めた。
 矢穴は、石を割るために鉄のクサビを打込んだ細長い穴。今回、見つけた順に番号をつけて記録していった。
 矢穴1と矢穴2は、道の左の大きな岩の上にあった。矢穴1は、岩の上にひとつの穴だけ残されている。矢穴2は、20個ほどの穴が直線的に連続していた。
 一つひとつの穴の大きさは、矢穴1より矢穴2の方が小さい。

コバノミツバツツジ咲く登山路

 送電線鉄塔の手前から、正面に鬢櫛山が尖っていた。尾根に沿って岩盤が現れ、その岩盤の上を道が山頂に向かって折れ曲がりながら上っていた。
 「Dragon's Back 龍の背」のプレートが掛かっていた。ペンキで白く塗られた木の板に、黒い文字で書かれたプレート。このようなプレートはここからも続き、今日一日楽しませてもらった。

鉄塔下から見る鬢櫛山

 鉄塔の下に矢穴3と矢穴4。
 矢穴3は、矢穴が3列に並んでいる。いちばん外側の矢穴で岩は割れ落ち、二番目の矢穴では上30cmだけが落ちている。三番目の矢穴は、穴が残っているが岩は割れていなかった。
 矢穴4は、2本の矢穴の列が鈍角に交わっている。一列の矢穴の中でも、穴の大きさに多少の大小があった。

矢穴3 矢穴4

 Dragon's Backを登っていく。途中でまた矢穴が現れた。
 矢穴5は、3つの穴が並んでいる。
 矢穴6は、丸く飛び出した岩の下あたりに、矢穴がほぼ水平にぐるりと輪を描いていた。

矢穴6

 鬢櫛山の山頂は岩の上にあった。山名プレートがいくつも掛かっている。数えてみると5枚。どれも新しい。この山に親しんでいる人が多いことがわかる。
 コナラが軟らかく小さな葉を広げようとしていた。ここでもマルバアオダモが花をつけている。コバノミツバツツジの赤紫に、ヤマツツジの朱色が混じっていた。 

鬢櫛山山頂

 少し下って登り返すと高岡山の頂上。小さな石柱が一つ立っていた。
 山頂の西に岩盤が出ていて、そこから展望が開けた。眼下に夢前川が一直線に流れ、土手の桜に残った花がぽっとピンク色の列をつくっている。その向こうに西播磨の山々が重なり、高いところに見慣れた大蔵山の稜線がなめらかな曲線を描いていた。

 すぐに矢穴7があった。クサビが打込まれたことで矢穴に沿って割れているが、なぜか運び出されずにここに残されていた。
 矢穴8は、矢穴の列がほぼ平行に走っていた。その間隔は、1m40cm。よく見るとそれらとはほぼ直角にもう一本の矢穴の列が開いていた。ここには、「姫路城石垣採石場(矢穴)」のプレートが掛かっていた。

矢穴8

 姫路城石垣は、主に凝灰岩・花崗岩類・チャート・砂岩からなっている。どれも、姫路城から数kmしか離れていないところから集められた。
 この中で、凝灰岩には2種類があって、一種類は広峰山~増位山に分布する黒い凝灰岩。もう一種類が、この鬢櫛山周辺に分布する褐色の凝灰岩である。
 江戸期(1762年)の地誌『播磨鑑』には、「鬢櫛山」の項に次のように記されている。

 「比山多くの石をいたす 姫路城郭をきつきし時 大石とも数もしらす比山より出たり 其後代々の城主 普請の時も比山の石を取玉はぬはなし 夫石は金に属して 世になくて叶はさるもの也」

 「代々の城主」とあるので、築城や改修のたびにここから採石されたと思われる。矢穴の大きさには、5×12cm程度のものと3×9cm程度のものがあった。
 矢穴の大きさは、時代が進むほど小さくなる傾向がある。矢穴の大きさのちがいは、ここからの採石が長年にわたって続いたことを表しているのかもしれない。

姫路城天守閣南面
(石垣の下部は雨が当たることによって
地衣類が生じ、黒ずんでいる)
姫路城天守閣南面の石垣
褐色の石のほとんどが鬢櫛山産
(黒色の石は広峰山~増位山産)

 ひと登りして籾取山山頂へ。標高199.9mは、この山並みの最高点。
 コナラ林の中に岩が4つ5つ顔を出し、その間に三角点の標石が埋まっていた。コナラの葉はどれも生まれたての若さ。ガマズミの白い花もみずみずしい。

籾取山山頂 ガマズミ

 籾取山を下る。鉄塔の下で、ここから井ノ口山、苫編山を経て山崎山へと続く尾根が一望できた。これから、山の緑が市街地に没するあのいちばん先まで歩く。まだ先は長い。少し急がなくては。

籾取山鉄塔下から南へ続く尾根

 ずっとコバノミツバツツジが咲いていた。いったん緩くなって、ぐっと下ったところが小蓑峠。そこから、急坂をなんとかノンストップで登り切って井ノ口山山頂へ。
 「Heart Rock (50m)」のプレートが掛かっていた。そちらに進むと、「振り返って💛岩」のプレート。その下に、ハート型の岩が横たわっていた。
 きれいなハート型。火山礫が飛び出したゴツゴツした表面が無骨な味を出している。ハートの上面と下面は水平に近い節理によって割れている。ハートの形は垂直方向の節理と偶然が生み出した。
 

ハート岩

 山頂へ戻り先に進んだ。コナラやアベマキの茶色の落ち葉の上に、カクレミノの山吹色の落ち葉が目立つ。
 ミソサザイのさえずりが聞こえてきた。
 ゆるくアップダウンする道を進み井ノ口城山に達した。アベマキ林の中の小さな高み。
 井ノ口城の名前は、ここに掛かる山名プレートで初めて知った。ひとつ前の井ノ口山山頂には、「井ノ口山城 北曲輪跡」のプレートが掛かっていた。井ノ口城については資料を持ち合わせていない。いつ頃、誰がつくったどのような城だったのか?
 井ノ口城山を下る。エナガの群れが木々の枝を飛び移りながら渡っていった。下ったコルは、伯母ヶ谷峠。蒲田と井ノ口を結んでいる峠である。
 コルから苫編山山頂までは、標高差80m。あえぎながら一気に登った。

 27年前あった反射板はすっかり取り除かれ、コンクリートの基礎だけが残っていた。そのとき見つけ出せなかった三角点の標石もきれいに現われていた。
 苫編山山頂から、姫路平野が一望できた。ビルの立ち並ぶ市街地の中に、手柄山、冑山、景福寺山、薬師山の緑が小さく飛び出していた。姫路城の白い壁もかすかに見えた。
 夢前川の河口の向こうに、上島、クラ掛島、太島と点々と並び、加島から鹿男島へと続いていた。
 空一杯に高層雲がおおっている。春霞・・・。空も街も海も白くかすんでいた。

苫編山山頂

 苫編山を下った。尾根には岩盤が続いていた。
 岩盤の尽きたところで苫編山を振り返ると、地衣類で黒くなった岩盤の間を、木々の若葉色が埋めていた。

苫編山を振り返る

 落ち葉を踏んでゆるく下っていった。ときどき上りもあるが、もうきつくはない。
 27年前にここを歩いたときのことを思い出そうとする。まだまだ若かった。今は、膝が痛いし、ときどき腰も痛くなる。それでも、なんとかここまで歩き続けることができたことに感謝する・・・。

 山崎山の山頂には、ベンチがいくつもあった。「城之台」の石碑の横に「山崎構居跡」の説明板。
 姫路の市街地も家島の島々も、ぐっと間近になった。JR山陽本線を走る電車が英賀保駅に止まった。あの駅から電車に乗って帰ろう。
 「氷ノ山」、「鳴門大橋」、「出雲大社」、それに「高知はりまや橋」、「霧島神宮」、「大阪駅」までの距離と方向を示したプレートが1本の木に掛かっていた。
 プレートに感じる遊び心に励まされ、ここまで歩いてきた。

山崎山山頂の標識

山行日:2026年4月11日

JR播磨高岡駅~登山口~鬢櫛山(186m)~籾取山(199.9m)~井ノ口山(157m)~苫編山(165.4m)~山崎山(86m)~JR英賀保駅 map 
 JR播磨高岡駅から5分ほどで登山口に着く。登山口付近に駐車場はない。登山路はよく整備され、分岐の標識も山名プレートも要所に掛けられている。
 下山後、5分ほど歩けばJR英賀保駅に着く。

山頂の岩石 後期白亜紀 伊勢層 火山礫凝灰岩
火山礫凝灰岩(鬢櫛山)
Q:石英 F:長石 Pu:軽石片 L:石質岩片
 鬢櫛山から山崎山まで続くこの山域には、後期白亜紀の伊勢層が分布している。
 ここで見られるのは、カルデラを埋積した火砕流堆積物である。
 岩石は、流紋岩質の火山礫凝灰岩。弱い溶結が認められる場合が多い。
 左の標本は、鬢櫛山山頂の東150m地点、送電線鉄塔の下で採集したものである。
 白~淡緑色~濃緑色の軽石をふくんでいる。軽石はやや扁平に押しつぶされているものが多く、内部に繊維状の構造を残している。
 火山礫として、粘板岩(黒色)・チャート(黒色~灰色・半透明)・流紋岩(白色)をふくんでいる。基質の中に、石英と長石の結晶片が認められる。長石は、淡いピンク色をしたものが多い。
 
 火山礫の量や大きさに変化があった。火山礫の大きさは、この標本では5mm程度と小さいが、それより大きな数cmのものが多く見られた。
 この地域の火山礫凝灰岩は、写真のような淡褐色のものがほとんどで、鬢櫛山周辺からは姫路城の石垣の主な材料のひとつとして割り出された。

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