青柳隆志(1999・4・18) |
昭和10年11月18日、新橋の東京美術倶楽部において、旧篠山藩主青山子爵家の蔵器入札が行われた。その第十四番として俊成の記録切とともに出陳されたのが、綾小路家伝来の「和歌披講譜」一点である。これは、大永二年(1522)5月10日、綾小路家の当主右近衛中将資能(生没年未詳)が僧明静坊のために書いたもので、一枚物の和歌披講譜としては現存最古のものと認定される。竪一尺二寸、巾一尺四寸七分、古筆極書を有する優品であり、同じく室町中期成立とされる天理図書館蔵軸装「和歌披講之譜」に比べても些かも遜色はない。この譜の売立後の行方は不明であったが、平成9年6月、書肆一誠堂を経て、ゆくりなくも私の所有に帰した。
本譜は「きみがよはちよにやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで」の一首を甲・乙両調で書き表した譜であるが、楽の家である綾小路家の譜であるため、歌の一字ずつに「節博士」と、「宮・商・角・徴・羽」の音高表記が付されている。現在知られる最も古い披講講頌譜である『朗詠九十首抄』付録譜(1448)にも一部に音高が示されているが、全てが完備したものとしては本譜が史上最初の例となる。
しかしながら、ここに示された音高は、現在伝えられている「歌会始」の発声・講頌や「冷泉家」のそれとは明らかに異なっている。既に遠藤徹氏が採譜を試みておられるように、江戸期以前の披講講頌の譜は現在のものとは大きな差違を有する。例えば、綾小路家伝来と信じられている現行「歌会始」の甲調冒頭(発声)は、一定の音(壱越)に「ツク」の形をもつ同一音の連続であるが、これに対して、上記の「和歌披講譜」の甲調は「商」から「角」への上向調ではじまっている。こういう形をとるのは、現在では「冷泉家」のみであり、この一事をもってしても、現在の「歌会始」の調子は必ずしも古態そのままのものではないと考えられる。また、「冷泉家」の譜も、細かい点において違いがあり、すくなくとも室町期の披講の実態からはかなり変化していると考えられる。
では、この譜に書かれた音表記の実態はいかなるものであるのか、いまかりに、壱越の音(D=レ)を宮として、上記の譜を起こしてみよう(宮=レ、商=ミ、角=ソ[律角]、徴=ラ、羽=シ)。参考のため、諸記号を入れてある。
@甲調
き(商→角)み(角)が(角)よ(角)は(角)
→ミ〜ソ・ソ・ソ・ソ・ソ
ち(角→商)よ(角)に(角)や(角)ち(角)よ(角→商)に(角→商)
→ソ〜ミ・ソ・ソ・ソ・ソ・ソ〜ミ・ソ〜ミ
さ(宮)ざ(宮)れ(宮)い(宮・火)し(宮)の(宮→徴→角)
→レ・レ・レ・レ・レ・レ〜ラ〜ソ
い(徴)は(羽)ほ(宮)と(宮)な(宮)り(宮)て(徴→角)
→ラ・シ・レ・レ・レ・レ・ラ〜ソ
こ(角)け(角)の(徴・サハク)む(角)す(角)ま(宮・延)で(宮・短)
→ソ・ソ・ラ・ソ・ソ・レ〜・レ
(五線譜)
A乙調
き(徴)み(徴・短)が(角・短)よ(徴)は(角)
→ラ・ラ・ソ・ラ・ソ
ち(徴)よ(徴)に(徴)や(角)ち(徴→羽)よ(宮)に(徴→角)
→ラ・ラ・ラ・ソ・ラ〜シ・レ・ラ〜ソ
(郢曲一説)
ち(徴)よ(徴→羽)に(宮)や(宮→羽)ち(宮)よ(宮)に(徴→角)
→ラ・ラ〜シ・レ・レ〜シ・レ・レ・ラ〜ソ
さ(角)ざ(角)れ(角)い(角)し(角→商)の(角→宮・延)
→ソ・ソ・ソ・ソ・ソ〜ミ・ソ〜レ〜
い(角)は(角)ほ(角)と(角→商)な(角)り(角)て(角)
→ソ・ソ・ソ・ソ〜ミ・ソ・ソ・ソ
こ(角→商)け(角→宮)の(宮・短)む(宮・短)す(宮・短)ま(宮・延)で(宮・短)
→ソ〜ミ・ソ〜レ・レ・レ・レ・レ〜・レ
この譜の特徴はさまざまにあるが、例えば、他の綾小路家の譜と異なる点としては、特に甲調の二句冒頭の音型が挙げられる。この部分は、講頌の合唱がはじまる箇所で、『朗詠九十首抄』をはじめとする譜では、第一句冒頭と同じく「商→角」の上向調で記譜されているが、本譜では「角→商」という音変化として描かれている。このような譜例は前後に例がなく、綾小路資能による独特のアレンジバージョンと考えられる。この譜の楽理解析の詳細についてはなお後日を期したい。いま甲調の披講譜案を示しておく。
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