トルストイの 『クロイツエル・ソナタ』 とロマン・ロラン 清 原 章 夫


  はしがき
  『クロイツエル・ソナタ』この美しい響の名前を持つバイオリン・ソナタは、強烈な意志や情熱、澄んだ境地等が有機的に構築された、中期ベートーヴェンの傑作である。
  さて、以前からこのバイオリン・ソナタの「王者」と同じ名前を持つ、トルストイの小説があることは知っていたが、タイトルには魅力を感じっつも、なぜかいままで読まなかった。ただ、哲学者アランがこの曲の終楽章を「歓喜と自由な動きの爆発だ」(1)と書いてるように、小説の方もベートーヴェンの音楽のように、精神を高揚させる感動的な作品だろうと勝手に想像していた。
  しかし、今回ロマン・ロラン研究所の読書会にこの小説が使えるのではないかと思い、期待して読んでみたところ驚いた。なんと深刻で暗く、救いのない作品であろう! そして、なによりも『クロイツエル・ソナタ』をはじめとする音楽に村する不当な扱い!
  私は読了と同時に、「心によって偉大な人」として敬愛し『トルストイの生涯』という伝記まで書いたロランが、この作品を読んでどう感じたのか。そして、トルストイが音楽を、とりわけベートーヴェンを非難している理由をどのように分析したかを知りたくなった。
  もしかすると、『ゲーテとベートーヴェン』のような私を納得させてくれる、明断な分析結果が『ロラン全集』のどこかに、見つけることができるかもしれない。そしてそれは、トルストイがベートーヴェンの音楽をまったく理解していなかったことの証明であることを期待して、調べてみることにした。

   1.ロランとトルストイの出会い
   「そしてちょうどエコール・ノルマルの入り口で、一八八六年の春、私はいま一人のシェイクスビアを ― ととう! ― 生きた人間の世界に発見した……私はトルストイの『戦争と平和』を読んだ。」(2)と『回想記』に書いているように、高等師範学校に入学したばかりの二〇歳のロランは、トルストイを知り級友たちと彼の作品を愛読した。
  ところが、ロランはその後トルストイの『われら何をなすべきか』を読んで、驚いてしまう。この時はまだ、『クロイツエル・ソナタ』は書かれていなかったが、すでにトルストイはこの作品の中で、ベートーヴェンを魂の誘惑者であり、官能主義の教師であると非難し、シェイクスピアを第四流の詩人であると決めつけていたからである。
  当時のロランは、エコール・ノルマルの受験に失敗するほど、ベートーヴェンヤシエイクスピアに熱中していた。特に後者に対しては、「私は私の時間(私の血といってよいだろう)のいちばんよい部分を彼にささげた」(3)ほどである。
  だから、ロランは大変ショックをうけたはずである。悩んだ末、一人八七年五月と同じ年の九月にトルストイに手紙を送った。そしてついに、十月二一日にトルストイからの返事を受け取った。トルストイの手紙は、ロランの芸術観の疑惑には答えてくれなかった。しかし、外国の悩める一学生にしかすぎないロランに、返事を書いてくれた行為は彼を感動させた。このことを忘れなかったロランはのちに作家になってから、世界の多くの未知の友に、誠意のこもった多くの手紙を書いた。
 
   2.小説『クロイツェル・ソナタ』
  トルストイは一八八七年、つまりロランに最初の返事を書いた年の六月頃に、いよいよ『クロイツエル・ソナタ』を書き始めた。
  それは、愛情よりも「セーターや、カールした髪や、ヒップ・パット」に捉えられて結婚してしまったために妄想的な嫉妬にかられて、妻を殺してしまった男の告白である。
  この小説のなかで、主人公の妻がピアノ、その愛人がバイオリンで「クロイツエル・ソナタ」を演奏する夕食会の場面がある。主人公はその時を回想して次のように叫ぶ。「ああ!……あのソナタは恐ろしい作品ですね。それもまさにあの導入部が。概して音楽ってのは恐ろしいものですよ。あれは何なのでしょう?音楽がどんな作用をすると思いますか?なぜ、ああいう作用をするんでしょうね?音楽は魂を高める作用をするなんて言われますが、あれはでたらめです、嘘ですよ!」(4)
  よりによって、音楽の中でいちばん純粋で、倫理的なべートーヴュンの作品に村する感想として、これほど見当はずれのものがあろうか!そしてさらに、「たとえば、あのクロイツエル・ソナタの導入部のプレストにしてもですよ。いったい、肌もあらわなデコルテ・ドレスを着た婦人たちの間で、客間で、あんなプレストを演奏してもいいんでしょうか?演奏が終われば拍手して、そのあとアイスクリームを食べながら、最近の話題にふけるなんて。ああいう作品を演奏してよいのは、一定の、重要な、有意義な状況の下に限られるので、それも、その音楽にふさわしいような一定の重要な行為をなしとげることが要求される場合だけです。その昔楽によってムードをかきたてられたことを演じ、実行するというわけですよ。さもないと、時と場所にも似合わずにかきたてられたエネルギーや情感が、なんらはけ口を見いだせぬまま、破滅的な作用を及ぼさずにはいませんからね」(5)とまで言っている。
  この作品でトルストイが言いたいのは、「あとがき」からも明らかなように、「性的欲望こそ、人間の生活における、悪や、不幸の原因であるから、絶対的な純潔こそが人間の理想である」と言うことである。
  この極端な考えを主張するために、なぜ悪や、不幸とはまったく関係のない音楽を持ち出すのか。どうしても官能的で情熱的な音楽が必要ならば、例えばフランクの『ヴァイオリン・ソナタイ長調』のように、他にいくらでもふさわしい作品があったはずである。本当になぜベートーヴェンなのか?


   3 ロランの『クロイツェル・ソナタ』論
  ロランは、一八九一年に留学中のローマで『クロイツェル・ソナタ』を読み以下のように、もっともな感想を述べている。「北国の空の下で私が愛好したロシア小説は、この南国(ミディ)の光のなかでは私に尻ごみさせた。私はトルストイがその暗い『クロイツエル・ソナタ』の中で、肉と音楽にたいして狂信的な老僧のような呪いを発したので、彼を拒否しかけた」(6)
  しかし一九一三年の『トルストイの生涯』の中ではこの作品を、「力強い効果、情熱的な集中、どぎつく浮き上った印象、形式の充実と円熟などの点からいって、トルストイのどの作も『クロイツエル・ソナタ』に匹敵するものはない」(7)と賞賛している。
  だが、音楽の扱われ方に対しては、次のように批判してくれている。
  「トルストイが心にかかっている二つの問題 ― 人を堕落させる音楽の力と恋愛の力とを混合したのは間違いだった。音楽の霊は別の作品として扱われるべきであって、この作品のなかでトルストイがあたえた地位は、彼があげている危険を証拠だてるには不十分である。この間題については私は一言する必要があると思う。なんとなれば、音楽に対するトルストイの態度が少しも理解されていないと思われるからである」(8)
  ロランは続けて、若い頃のトルストイは涙を流すほど音楽に感動し、実はベートーヴェンをずっと愛していた事を述べている。その証拠は、『幼年時代』や『復活』ことに『結婚生活の幸福』の中に出てくるベートーヴェンの作品に与えた地位にある。しかし、年をとるにつれて、音楽を恐れるようになる。何が彼に起こったのか。
なぜかつての美しい思い出と結びついていた、『ソナタ・パテティツク』を忘れてしまったのか。ロランは分析する。
  『ベートーヴェンのいかなる点をトルストイは非難するのか?彼の力である。『ハ短調交響曲』を聞いて、まったく驚倒し、自分を意のままに服従させてしまった権柄ずくな巨匠に対して、腹立たしげに反抗するゲーテに似ている」(9)
  ゲーテのように、トルストイの聴覚や感受性の進化も彼の知性ほど速度がはやくなかったのだろうか。そうではない、彼は生命力が豊富すぎるために、人を滅ぼしかねない、音楽の未知の力に悩まされていたのである。凡庸な人たちには害を及ぼさないような音楽に対しても、彼の場合は、耳を塞いで防御する必要があった。
  そして、ロランの結論は、私が願ったように、トルストイのベートーヴェンに対する無理解を証明してはくれなかった。
  「実をいえば、トルストイはベートーヴェンに村して不当な侮辱を加えたにもかかわらず、今日ベートーヴェンに熱中する大多数の人々よりも深く彼の音楽を感じているのである。彼は少なくとも、この『聾の老人』の芸術の中にとどろき渡るあの狂おうしい情熱、あの野生の激しさ ― 今日の名楽人やオーケストラが誰も感じないものを知っているのである。ベートーヴェンはおそらく、彼の憎しみをベートーヴェン党の愛好よりも喜んだにちがいない」(10)
  結果はまったく反対であった。このように、トルストイに対するロランの態度は、ローマで初めて『クロイツェル・ソナタ』を読んで、「彼を拒否しかけた」にもかかわらず、ゲーテの場合と同様に大変公平なものであるといえよう。そして、このような結論を導けたのは、ロランがベートーヴェンを理解するのと同じ深さで、トルストイを理解していたからである。
   さて、ロランの結論は明晰だったが、最後に大きな疑問が残った。
  「私は、ベートーヴェンの音楽をどれだけ理解し感じているのか?」         

(ロマン・ロラン研究所評議員)



  註
(1)アラン『音楽家訪問』杉本秀太郎訳 岩波文庫 一九八〇年、一二六頁。
(2)『ロマン・ロラン全集一七 回想記他』宮本正清訳  みすず書房、一九八〇年、二七頁。
(3)同右、二一頁。
(4)トルストイ『タロイツエル・ソナタ他』原卓也訳  新潮文庫、一九七四年、一〇七頁。
(5)同右、一〇八〜一〇九頁。
(6)『ロマン・ロラン全集一七』前掲書、一〇三頁。
(7)『ロマン・ロラン全集一四 トルストイの生涯他』  宮本正清訳 みすず書房、一九八一年、三一七頁。
(8) 同右、三一七頁。
(9) 同右、三二〇頁。
(10)同右、三二〇頁。