3 ロランの『クロイツェル・ソナタ』論
ロランは、一八九一年に留学中のローマで『クロイツェル・ソナタ』を読み以下のように、もっともな感想を述べている。「北国の空の下で私が愛好したロシア小説は、この南国(ミディ)の光のなかでは私に尻ごみさせた。私はトルストイがその暗い『クロイツエル・ソナタ』の中で、肉と音楽にたいして狂信的な老僧のような呪いを発したので、彼を拒否しかけた」(6)
しかし一九一三年の『トルストイの生涯』の中ではこの作品を、「力強い効果、情熱的な集中、どぎつく浮き上った印象、形式の充実と円熟などの点からいって、トルストイのどの作も『クロイツエル・ソナタ』に匹敵するものはない」(7)と賞賛している。
だが、音楽の扱われ方に対しては、次のように批判してくれている。
「トルストイが心にかかっている二つの問題 ― 人を堕落させる音楽の力と恋愛の力とを混合したのは間違いだった。音楽の霊は別の作品として扱われるべきであって、この作品のなかでトルストイがあたえた地位は、彼があげている危険を証拠だてるには不十分である。この間題については私は一言する必要があると思う。なんとなれば、音楽に対するトルストイの態度が少しも理解されていないと思われるからである」(8)
ロランは続けて、若い頃のトルストイは涙を流すほど音楽に感動し、実はベートーヴェンをずっと愛していた事を述べている。その証拠は、『幼年時代』や『復活』ことに『結婚生活の幸福』の中に出てくるベートーヴェンの作品に与えた地位にある。しかし、年をとるにつれて、音楽を恐れるようになる。何が彼に起こったのか。
なぜかつての美しい思い出と結びついていた、『ソナタ・パテティツク』を忘れてしまったのか。ロランは分析する。
『ベートーヴェンのいかなる点をトルストイは非難するのか?彼の力である。『ハ短調交響曲』を聞いて、まったく驚倒し、自分を意のままに服従させてしまった権柄ずくな巨匠に対して、腹立たしげに反抗するゲーテに似ている」(9)
ゲーテのように、トルストイの聴覚や感受性の進化も彼の知性ほど速度がはやくなかったのだろうか。そうではない、彼は生命力が豊富すぎるために、人を滅ぼしかねない、音楽の未知の力に悩まされていたのである。凡庸な人たちには害を及ぼさないような音楽に対しても、彼の場合は、耳を塞いで防御する必要があった。
そして、ロランの結論は、私が願ったように、トルストイのベートーヴェンに対する無理解を証明してはくれなかった。
「実をいえば、トルストイはベートーヴェンに村して不当な侮辱を加えたにもかかわらず、今日ベートーヴェンに熱中する大多数の人々よりも深く彼の音楽を感じているのである。彼は少なくとも、この『聾の老人』の芸術の中にとどろき渡るあの狂おうしい情熱、あの野生の激しさ ― 今日の名楽人やオーケストラが誰も感じないものを知っているのである。ベートーヴェンはおそらく、彼の憎しみをベートーヴェン党の愛好よりも喜んだにちがいない」(10)
結果はまったく反対であった。このように、トルストイに対するロランの態度は、ローマで初めて『クロイツェル・ソナタ』を読んで、「彼を拒否しかけた」にもかかわらず、ゲーテの場合と同様に大変公平なものであるといえよう。そして、このような結論を導けたのは、ロランがベートーヴェンを理解するのと同じ深さで、トルストイを理解していたからである。
さて、ロランの結論は明晰だったが、最後に大きな疑問が残った。
「私は、ベートーヴェンの音楽をどれだけ理解し感じているのか?」
註
(1)アラン『音楽家訪問』杉本秀太郎訳 岩波文庫 一九八〇年、一二六頁。
(2)『ロマン・ロラン全集一七 回想記他』宮本正清訳 みすず書房、一九八〇年、二七頁。
(3)同右、二一頁。
(4)トルストイ『タロイツエル・ソナタ他』原卓也訳 新潮文庫、一九七四年、一〇七頁。
(5)同右、一〇八〜一〇九頁。
(6)『ロマン・ロラン全集一七』前掲書、一〇三頁。
(7)『ロマン・ロラン全集一四 トルストイの生涯他』 宮本正清訳 みすず書房、一九八一年、三一七頁。
(8) 同右、三一七頁。
(9) 同右、三二〇頁。
(10)同右、三二〇頁。
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