|
鹿友会誌を紐とく 第二十七冊(大正14.7) |
|
△石田八彌氏・關達三氏追悼録 △石田八彌氏 略歴・追悼記目次など別掲参照 △關達三氏追悼録「關さんの思ひ出 奈良正路」 「……寥れ行く鹿友会の挽回策についても、いろいろ教を乞ひたいことばかりである。 集団と個人とが、モットがっしり結びつかねばならない、そして集団の組織が、 秩序正しく運行できるやうになり、集団の行動にたいしては、個人主義的、利己主義的 なもろもろの感情を打ちさって、連帯性と共同心とを基調にして行かなければ ならない……」 △同「科学者としての片影 佐々木彦一郎」 關氏曰く「……何故、鹿角の川は南北に流るるものが西側を、東西に流るるものが北 側を流れるであらうか。 ……それは、太陽の輻射熱の差異からである。西山の東斜面は常に朝の光線をうける。 朝の光線の強度は、午後の光線に比してかなり大である。従って岩石に対する破壊力も 大である…… ……古代紫の研究は化学的になすべきではない。あれは赤外線の波長の研究でなすべ きもので、物理学上の問題だ……」 |