鹿友会誌(抄)
「第二十五冊」
 
△農村婦人の生活から
 御質問の曙女会も勿論かうした願から出来たので、もう三年も経て居るのですが、何 一つ取り立てゝ申上げるやうな優れたところもありません、「そんなことは中実が充 実してから」と云ふので、まだ会員名簿も出来て居ないと云ふ、おはづかしい次第なの です。先立つ者の苦心なぞも申上げれば随分ありますが、これは誰に頼まれてやったこ とでもなし、自分達が「やらずに居られなくてやる苦しみ」なのですから仕方もありま せんが、只「どうしたら自ら喜こんで集って呉れるやうになるか」と云ふ事は、いつも 念頭を離れぬことで、皆様にも是非考へて頂き度いことで御座います。いつか他村の某 先生が曙女会へ来られての講話の中に「かう云ふ会合は、貴女方自身でやるべきことで、 決して上の人達に率ゐられてやるべきものではない」と云ふ意味のことを仰ったことも あり、又農村婦人大会に私が宣言書を読んだのが「真の農村婦人ではなかった」と云ふ ので、大分「愛友」誌上で批難されたことがありましたが、こう云ふ事を聞く度に、私 はいつも肯定して居ります。全くです!真の労農夫人自らが作ってこそ、其価値もあり 効果もあるのですが、現在の農村婦人には先きに申上げたとおり、それ丈けの反省も素 養も持つ関が無いのです。それがよく分って居る自分達には其中から生れ出るのを待ち 切れなくなったのです。
 
 今の生活を根底から改めぬ限り、真の労農婦人にはどうしてもなり得ぬ私達は「働け ぬ詫び」に、せめてかうした方面に力をつくして一所に進んで行き度いと思ふのです。 ほんの少しの導火となった私達を踏台として、いつかは必ず真の労農婦人の叫は現はれ るに違ひありません。それまでの階段として私達がやって居るのだと思召して下さい。
 
興三様 私はまとまりもなく長々と申上げて参りましたが、どう考へましても凡人なる 以上は物質的にも精神的にも「凡ての改良発達は、経済上の安定を得て後に出来得る」 と云ふことに結着するやうで御座います。勿論これは吾々農村婦人の一日も心を許され ぬことで御座いますが、何卒此後社会問題について、お心をつくさるゝ場合には、必ず 此「農村の経済」と云ふ事をお忘れ下さらぬやうに、一日も早く救はるゝ方法をお考へ 下さる事をお願ひ申して此ペンを置きます。(一二、十一、十八)
渡部森女「森の家」

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