鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「人の死」
四、小泉画伯
 青年画家小泉君、米国で客死した。余は幹事の時、君の渡米行を春陽丸に送りて横浜 埠頭に行くや、君の体格の果たして彼地に於ける露宿霞餐に勝ふるやを心に怪んだ。
 果然今や亡し、惜むべし。君の渡米の抱負は、日本の絵画の特長を洋画に採らしめ、 且つ米国の新興工業としての米国陶器の模様の意匠を、先進国としての日本の絵師とし て彼地に広めたいと云ふ点にありしが如し、此意味に於いて君は留学したでなくて、五 尺の微躯を提げて米国の画界を指導啓発し、一の新紀元を青年画家小泉の渡米によりて 米国に与ふると云ふ、偉大の大抱負にて出発したのであった。
 幾分其の志は遂げたるや否やを知らざれども、微躯、米国の画界を呑み、且つ日本画 の世界的発展を使命として自任した処に、君の偉大はある。
 春陽丸甲板上、若き一紳士として多大の野心を以て渡米せる君は、客死の白骨となり て帰るとは、嗚呼、蒼天何んぞ不仁なる。人生の長短は年歯の長短でない、同人は君を 惜む、君は莞爾として白玉楼中に任務終了の重荷を軽くして、快よく永眠して居るであ らう。希くは芳魂晏如として眠れ。

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