鹿友会誌(抄)
「第十五冊」
 
△創立第二十五周年
 『鹿友会』あゝ、如何に麗はしくも亦懐かしき名なるかよ。指屈ふれば実に二十有五 年の長き年月、吾等は此の美しき名の下に相集り相語らひ、長は幼を輔け、幼は長を慕 ひ、互に手を執り交はしつゝ、宛然父子兄弟の如く協同和衷、誠心を一にして今日に到 れるもの、真に社会の一美事ならずとせむや。されど天地なほ混沌として陰陽未だ分れ ず、国創めの神達が、葦牙アシカビの萌キザすがごとく、形無き鹿友会の卵子が此の東京の 地に胚胎せる、古に遡りて考ふれば、その由来する処、頗る旧く今より凡そ十余年前に ありしこと、曩に石田、湯瀬両先輩が本紙上に於て陳べられたる処の如し。二十五年と 云ひ三十余年といへば、俗に所謂二昔或は三昔の過去に属し、兎も角も短日月とは謂ふ べからず。
 
 明治天皇陛下が登極ましましてより茲に四十有五年、帝国の国威頓に八紘に振ひ、皇 徳四海に光被す。然るに吾が鹿友会は、実に明治天皇陛下が、帝国憲法を発布せさせ賜 ひて、専制君主の制度を革め、新に立憲政治を宣し賜ひしより以前正に三年、即ち明治 二十年、会の成立を告げ、爾来、陛下の御治世の約三分の二に相当する長年月を経過し たる訳にして、此の種の団体として稀に見るところ、而して創立の当時僅に数名に過ぎ ざりし会員は、今日実に二百五十余名の多数に上るの盛況を呈し、此の間幾多有力なる 人物を出して、朝野文武の各方面に送りたり。吾等は本会が此の長き『時タイム』の力と与 に、今日の成長を遂げたる事を、心より愉悦□舞(鼓舞か)して祝せざるを得ざるなり 。即ち会員等相謀り、本年六月九日を期し、上野公園内見晴し亭に於て、本会創立二十 五周年記念祝賀会を挙ぐ。然るに当日雨天なりしにも拘らず、会員並に会員の家族知友 相携へて会同する者六十余名、特に南部伯爵家より家職を差遣され、又地方在住会員中 、川村和歌山県知事を始め、郷里及び遠きは朝鮮台湾等より、殊に祝電を寄せて、吾等 と喜びを共にせらる、其詳細の状況は別に記念会記事中に録する処の如し。
 
 是より先、記念祝賀会開催の議成るや、檄を飛ばして全国並に植民地在住の先輩会員 に賛助を請ひたるに、何れも非常の好意を以て賛成を表せられ、記念会並に本会誌記念 号印刷費として、各地会員より寄附せられたる金額実に百七十余円の巨額に達し、吾等 をして予期以上の盛大なる記念会を催すことを得しめられたるは、一に会員諸君の深厚 なる同情と激烈なる愛会心とに依るものにして、吾等の感謝に堪へざる処なり。
 
 而して過去二十余年間に於て直接に、或は間接に本会の隆盛に貢献せられながら、 今は早や亡き人の数に入りて、此のめでたき記念会に際し慶びを共にする能はさる死亡 会員の少からざるは、悲むべき次第にして、吾等は是等過去の会員功労に対しても亦深 く感謝の意を表するものなり。
 
 されども吾等は、唯徒らに本会が長年月間存続せることを祝して満足すべきに非ず、 日月と共に本会の隆盛を図り、益々本会の目的の為に適当の手段を講じ、尚ほ進んで現 今社会の状態に鑑み、本会員及び鹿角郡人の発展と福祉とを増進する上に貢献する処あ らむとす。今後一層会員諸君の同情あらむことを祈る。本会創立第二十五周年記念号発 刊に当り、一言巻頭に記して祝辞となす。

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