鹿友会誌(抄)
「第十四冊追悼録」
 
△故大里文五郎君略年譜
元治元年 三月一日誕生(花輪町士族大里壽二男)
明治弐年 六歳にして厳父壽翁より「幼学指南」を学ぶ。
同三年 川村俊平氏に就て「大学」「中庸」を習ふ。
同五年 川村左學翁に就て「論語」「日本外史」等の漢学の指南を受く。
同七年 初めて設けられたる花輪小学校に入学す。
同九年 十月秋田中学校に入る。
同十三年 八月上京東京独逸語学校に入学す。
同十七年 大学予備門に入り杉浦重剛先生の薫陶を受く、常に級中の首位を占む。
同十九年 九月東京帝国大学医科大学に進む、今の井上通泰、土肥慶造両博士等と同窓 たり。
同二十三年 十二月医科大学を卒業す。
同二十四年 一月医術開業免状を下附せらる。
同二十四年 八月帰郷花輪町盆坂の自宅に開業す。
同二十五年 六月夫人ナホ子を娶る。
同二十六年 六月長女節子嬢を挙ぐ。
同二十六年 十月推されて鹿角郡医会長に就任す。
同二十七年 十月日本赤十字社正社員に推薦せらる。
同二十八年 二月次女清子嬢を挙ぐ。
同二十八年 十月秋田県より検疫委員を命ぜらる。
同二十九年 二月検疫委員として職務勉励の廉を以て秋田県庁より慰労金若干を給与せ らる。
同二十九年 十一月医局を邸内に新築す。
同三十年 二月花輪町警察医を嘱託せらる。
同三十一年 四月花輪小学校校医を嘱託せらる。
同三十四年 十一月大日本私立衛生会地方委員を嘱託せらる。
同三十四年 十二月我が郷里赤痢病流行の際献身的救治に尽瘁せらる。
同年 花輪町会より感謝状を受く。
同三十六年 全国の視察旅行に上り九州辺にまで及ぶ。三月警察医嘱託を解かる。
同年 四月郡役所より鹿角郡第一期看護婦養成を依託せらる。
同年 五月花輪町堰向に移転し病院的施設を施し大に業務の拡張を図る。
同年 八月郡看護婦養成所卒業式に当り郡長より感謝状並に慰労金を受く。
同年 十一月長男文祐君を挙ぐ。
同三十八年 四月花輪町医を嘱託せらる。
同四十一年 一月再び警察医を嘱託せらる。
同四十二年 五月鹿角郡南部私立衛生会より顧問としての尽瘁を謝し感謝状を送らる。
同四十二年 五月郷里痘瘡病発生の際精励種痘に従事せし廉を以て花輪町長より感謝状を 受く。
同四十二年 十月花輪町選挙区郡会議員に当選す。
同四十三年 一月開業二十周年祝賀会を挙ぐ。
同四十四年 十月同郡会議員に再選。
同四十四年 十二月廿九日急性肺炎に罹り永眠せらる、超えて四十五年一月二日遺骸を 花輪町長福寺に葬る、法名豐隆院興運泰道居士享年四十八歳。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]