(6) 古典和歌のことばと心
 広義の歌枕の生成に関わりながら、平安時代の、特に三代集(古今集・後撰集・拾遺集
)時代を中心とする古典和歌の表現の変遷を見て来たのであるが、このように用語面・修
辞面に限って見ると、現代人には煩わしくかつ陳腐にも見えよう。正岡子規の『古今集
』批判(『再び歌よみに与ふる書』明治三十一年)に示されているように、それは一面
において真実ではある。
 しかし、裏返して言えば、現代の我々は、"ことば"を道具としてのみ捉え、事柄を模
写し伝達すると云う役割だけを担わせる言語観に誤らせられているのではないか。文学
の言語を扱いながら、如何にして美しく表現し、如何に優しく伝えるかと云う、"こと
ば"の使い方とその心を無視し過ぎてはいなかったか。
 
 歌枕を始めとする"歌ことば"の用法を知るためには、これらの"歌ことば"を駆使した
古典和歌が民族の心をどのように"ことば"にしたのかと云う表現の理念と方法を直視す
ることが必要なのだが、その点を最も分かりやすく示しているのは、紀貫之が書いた『
古今集』の仮名序である。
 
 やまと歌は、人の心を種タネとして、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、
 ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものに託ツけて言ひ出だせ
 るなり。花に鳴く鴬、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか
 歌をよまざりける。(以下略)
 
 まず冒頭に、和歌の本質は人の心の表出、言い直せば抒情にこそあると言い切ってい
ることに注意したい。近代の短歌の全てが何らかの影響を受けている子規の写生説とは
全く異なって、「心に思ふことを、見るもの聞くものに託けて」表現するところに和歌
の本質があると言っているのである。従って、
 
 春立てば花とや見らむ白雪の かかれる枝に鴬ぞ鳴く(古今集・春上・素性)
 
と詠んでも、白雪が降り懸かる梅の枝に鴬が飛び来たって鳴いている景を写生している
訳でもなく、梅と鴬の取り合わせだけを楽しんでいる訳でもない。一体、花も咲かずに
白雪のみが降り懸かっている梅の枝に鴬が来て鳴く筈はない。詞書に「雪の木に降りか
かれるをよめる」とあって鴬のことは全く書かれていないことに注意しなければならな
い。花咲かぬ木に雪が降り懸かっているいるのを見ただけであるのに、立春の今日、春
を待つ気持ちがほとばしり出て、来てもいない鴬を描き出し、その鴬が白雪を梅の花と
見誤ってしまったのかと疑問を呈する形で、自らの「春を待つ心」の切実さを優しく詠
みなしているのである。
 
 五月来コば鳴きもふりなむ時鳥ホトトギス まだしきほどの声を聞かばや
                              (古今集・夏・伊勢)
 
時鳥は五月に鳴くものであるが、五月になってから聞いたのでは鳴き声が古くなってし
まう。それ以前の、未だ誰も聞いていない新しい声をこそ聞きたいものだと言っている
のである。この場合も、目の前に時鳥がいる訳ではない。しかし作者の心は時鳥に行っ
てしまっている。だから誰にもまして時鳥を愛している心をこのように、優しく、素直
に表しているのである。
 
 もみぢ葉は袖にこき入れて持て出でなむ 秋は限りと見む人のため
                             (古今集・秋下・素性)
 
父の遍昭と共に北山に茸キノコ狩りに行った時の歌であるが、茸を詠んでいる訳ではない。
また北山の風光を詠んでいる訳でもない。秋は終わったと思っている人々のために、北
山には未だ秋が残っていましたよと紅葉を持ち帰ろうと言っているだけである。要は秋
を惜しむ心を、如何に優しく表現するかと云うことなのである。
 「心」と書いてもよい。また「情ココロ」と書いてもよい。自らの想いを、優しく美しく
抒ノべることこそが和歌だと言う、この『古今集』仮名序の文学観が、その後も長く古典
和歌の世界を貫いていたのであるが、平安時代も後期になり、古典和歌の完成期に差し
掛かると、その「心」は、自ら発しはするものの、少し離れた所に、別の新しい世界を
作り上げてしまうようになる。「情意」から「景気」への転換と説明すればよいかと思
うが、矢張り実例について具体的に述べて置こう。
 
 夕されば野辺の秋風身にしみて 鶉ウヅラ鳴くなり深草の里(千載集・秋上・俊成)
 
「夕されば」と云う"歌ことば"は「夕暮時になると」の意だが、当時の歌詠みであれば、
 
 夕さればいとどひがたき我が袖に 秋の露さへ置きそはりつつ
                           (古今集・恋一・読人不知)
 夕されば人なき床をうちはらひ 嘆かむためとなれる我が身か
                           (古今集・恋五・読人不知)
 
などの例が想い出される筈である。季節は秋、涙と露、人なき床をうちはらいつつ男の
訪問を空しく待つ女の様子が目に浮かんで来る、そのような初句である。
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