04 昭和天皇御製1
昭和天皇御製
参考:桜楓社発行「おほみうた」
創樹社発行「昭和天皇の和歌」
平成2年10月読売新聞社から刊行された「
おほうなばら 昭和天皇御製集」掲載の八百
六十五首,同年2月「昭和天皇を偲ぶ歌会」
において発表された4首,計八百六十九首が,
昭和天皇の御製として公表されています。
因みに,お詠まれになられた作品はおよそ
一万首と云われております。
「山山の色はあらたにみゆれどもわがまつ
りごといかにかあるらむ」は昭和三年,昭和
天皇ご即位後最初の歌会始の御製ですが,『
おほみうた(著者坊城俊民氏)』において,
その後五十年あまり,このみこころは少しも
お変わりなっていない,と著者は述べておら
れます。
本稿を記述するに当たり感じましたのは,
昭和天皇の御製は,@『昭和天皇の和歌(著
者田所泉氏)』において述べておられる,「
紀伊の国の潮のみさきにたちよりておきにた
なびく雲をみるかな」のように,潮岬にお立
寄りになられ,奇岩を咬む太平洋の怒涛に目
を奪われず,沖の雲を見ることのできるのは,
正しく普通の人間(の歌)ではない,ことで
す。A御製には「見る」と云う語が数多く観
られますが,これは,昭和天皇はそのような
「気宇の壮大さ」を「見る」と云う語によっ
て何気なく,或いは意識して表現されていら
っしゃったのではないでしょうか。B字余り
の御製も少しはあるようですが,努めて「五
七五七七」調を旨とされているように見受け
られますことは,私共も肝に銘じる必要があ
ると思われます。
本稿中万一、不正確な表現がありましたら,
誠に恐縮でございますが,ご叱責の上,ご指
摘下さいますようお願い致します。 SYSOP
*は歌会始御製
大正十年
「社頭暁シャトウノアカツキ」
*とりがねに夜はほのぼのとあけそめて 代代木の宮の森ぞみえゆく
大正十一年
「旭光照波キョククワウナミヲテラス」
*世のなかもかくあらまほしきおだやかに 朝日にほへる大海の原
大正十二年
「暁山雲アカツキノサンウン」
*あかつきに駒をとどめて見わせば 讃岐の富士に雲ぞかかれる
大正十三年
「新年言志シンネンノココロザシヲノブ」
*あらたまの年をむかへていやますは 民をあはれむこころなりけり
大正十四年
「山色連天サンショクテンニツラナル」
*立山の空に聳ゆるををしさに ならへとぞ思ふみよのすがたも
大正十五年
「河水清カスイキヨシ」
*広き野をながれゆけども最上川 海に入るまでにごらざりけり
昭和三年
「山色新サンショクアラタナリ」
*山山の色はあらたにみゆれども わがまつりごといかにかあるらむ
昭和四年
「田家朝デンカノアシタ」
*都いでてとほく来ぬれば吹きわたる 朝風きよし小田のなか道
昭和五年
「海辺巌カイヘンノイハホ」
*磯崎にたゆまずよするあら波を しのぐいはほの力をぞおもふ
昭和六年
「社頭雪シャトウノユキ」
*ふる雪にこころきよめて安らけき 世をこそいのれ神のひろまへ
昭和七年
「暁鶏(奚+隹)声アカツキノケイセイ」
*ゆめさめてわが世を思ふあかつきに 長なきどりの声ぞきこゆる
昭和八年
「朝海アシタノウミ」
*あめつちの神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を
「一年前のことを思ひいでて鈴木侍従長をして白川大将の遺族に贈れる歌」
をとめらの雛まつる日に戦をば とどめしいさを思ひ出でにけり
昭和十年
「池辺鶴チヘンノツル」
*楽しげにたづこそあそべわが庭の 池のほとりや住みよかるらむ
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