民事訴訟法と実務(1) 証拠調手続〜その実務的な意義       復習のポイント

 

1 何故、証拠調べが必要なのか?

(1)  事実認定が裁判の要 (事実認定は、裁判の基本をなすものである)

民事訴訟において、ある事実の在否について当事者間で争いが生じることがある。

「生じることがある」と言うと、それほど争いが生じないかのよう聞こえるかもしれないが、実際の裁判のほとんどは、事実の在否(事実認定)で勝負がつくことが多いように思われる。逆に言えば、当事者にとっては事実認定の部分で勝つことが非常に重要であり、法律的な解釈で勝負が決まる事件というのは、さほどおおくないというのが実態である。

  そのような意味で、事実認定は、裁判の要であり、極めて重要な意味を持っている。

 

(2) 裁判官は、どうやって事実認定したらよいか?

実際に事実認定をするのは裁判官である。では、具体的に裁判官は、どのような方法で事実認定をしたら良いのか?

(ケース)

 裁判官であるあなたは、貸金返還請求訴訟を審理することになった。原告は、被告に対して平成17年12月23日金1000万円を貸し渡したと主張し、被告は、そのような金を受け取ったことはないと主張している。

  どのような方法で、事実認定をしたらよいか?

 

  

ここでは、「平成17年12月23日の金1000万円の授受」(金銭授受)という事実の有無が争いになっている。 この事実の在否は、この裁判の行方を決定的に左右する。

 では、裁判官である貴方は、この「金銭授受」の事実の有無をどのように判断したらよいのか?自然科学的・歴史的には、この「金銭授受」の事実は、@存在したか、A存在しないか、のどちらしかあり得ない。裁判官は、「この@Aのどちらが事実(真実)なのか」ということの判断を迫られている訳である。

 しかし、裁判官にとって、原告や被告は他人である。本当に金銭を授受したのかどうかは、よく分からないのが普通である。普通は「@Aのどちらか事実(真実)であるか」は簡単には分からない。

 裁判官である貴方が、なんでも見通せる「神様」であれば、事は簡単である。何でもお見通しなのであるから、「確かに授受はあったではないか。私はお見通しである。被告はウソつきである。」と決定することができる。

 しかし、裁判官は神様ではない。一人の人間が事実の有無を判断するのであるから、何かの手がかりが必要である。そこで、民事訴訟法第247条は「裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調の結果を斟酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する」ときていして、この「証拠調べ」をこのような事実認定の「手がかり」にしようとしている。

 

2 裁判官がたまたま事実を知っている場合でも証拠が必要か?〜裁判官の私知利用の可否

では、「事件を担当した裁判官が、たまたま当該『金銭授受』の場所に居合わせた」という場合を考えてみよう。

このような場合にも、証拠がないと事実認定をすることができないのであろうか?

 この場合、裁判官は事件について大変よく知っている。なんと言っても事件の現場に居合わせたのである。証拠など無くても、金銭授受の有無について知っている(見ている)。とすれば、このような場合には証拠など無くても事実認定が可能なのであるから、証拠がなくても事実認定をしてもよいように思われる。

しかし、民事訴訟法には直接の規定はないが、一般に「裁判官がたまたま知っている事柄(裁判官の私知)を事実認定の根拠として用いることは許されない」と言われている(裁判官の私知利用の禁止)。これは、以下のような根拠に基づくものといわれている。

 

@    事実認定の「公正らしさ」の担保。

裁判は「公正」でなければならないが、公正であればなんでも良いという訳ではない。例えば、客観的にはどれほど正しい裁判であっても、裁判官がいかにも一方に肩入れしているような振る舞いをしている場合には、本当は公正な裁判も公正な裁判ではないように受け止められてしまう危険性があります。その意味で、「裁判は『公正』であるだけでは足りず、「公正『らしさ』」(裁判を受ける者から見て公正に見えること)が重要である。」とよく言われる。その意味で、裁判官の私知を利用して判決をすることは、「公正らしさ」を害するので問題がある。

 

A    事実認定の経過を事後的に検証することの必要性(事実認定の客観化)

裁判官は、最終的な判決の時、「判決書」を作成するが、民訴法第253条1項3号は、判決書に「理由」を記載しなければならないものとしている。「理由」を記載させる理由は、裁判官の思考過程を客観的に表現させることによって判断の慎重を期することのほかに、そのような思考過程を明らかにすることによって不服申立の契機とし、反射的に正当な理由付けを記載させるべく裁判官を動機づけるという点にある。

*このような理由大切ではあるが、それらはいずれも付随的なものであり、「当事者に理解しやすい記載内容・記載方法を工夫すべきで」あって、「自己の審理の反省のために必要だからといって、判決書の中身が当事者にとって煩わしい難解な内容になっても仕方がないというのは、本末転倒である」*

であるにもかかわらず、裁判官が私知利用が許されるとすれば最終的な理由の根源は裁判官の頭の中にあることになり、第三者は客観的に知り得ないということになる。これでは、当事者の納得も得られないし、不服の申立ての契機も失うことになるし、上訴審の裁判官から見ても事実認定の課程を知ることができないことになってしまう。

 

B    民事訴訟法第23条1項4号の規定

更に実定法上の根拠として、民事訴訟法第23条1項4号があげられる。同条は、裁判官の「除斥」について定めた条文である。

 ここでいう「除斥」とは何か。裁判官などの裁判所の職員も、一般市民と同様の日常生活を送っているから、そのような裁判官や裁判所書記官が、事件やその当事者とたまたま特殊な関係がある場合がある。そのような場合に、そのような特殊な関係がある裁判官が裁判に関与することは、裁判の公正と信用から見て適当ではない。ここで、「公正」のみならず「信用」を問題としているのは、上記@の「公正『らしさ』」と同義である。つまり、どんなに客観的にどんなに公正な判断をしても、当事者と特殊な関係にある裁判官が判断した場合には、公正さや公正「らしさ」が失われる危険性がある。そこで、そのような当事者と特殊な関係にある裁判官等について、その事件について職務執行ができないものとする制度を「除斥」という。

 民訴法第23条1項は「裁判官は、次に掲げる場合には、その職務から除斥される。」として、代表例として「裁判官又はその配偶者若しくは配偶者であった者が、事件の当事者であるとき」(1号)などをあげている。確かに、裁判官やその配偶者が事件の当事者である事件について自分で裁判するのでは、公正さや公正「らしさ」が確保できないので、このような規定が置かれている。

 

 ここで注目するべき点は、民訴法第23条1項4号の規定である。同号は「裁判官が事件について証人又は鑑定人となったとき」も裁判官が除斥されると規定している。つまり、民訴法は、裁判官が自分自身証人(裁判官自身が事件を目撃した場合)や鑑定人(裁判官自身が事件で問題となっている専門分野についての専門家である場合)となるような事件については、自分で裁判をしてはいけないと規定している。つまり、このように裁判官が裁判「外」で知った知識に基づいて裁判をすると裁判の「公正さ」や「公正『らしさ』」が失われるので、このような規定が設けられている。とすれば、裁判官が自分で「証人」にまでならないとしても、裁判官が裁判「外」で知った知識に基づいて裁判をすること(私知利用)も禁じられていると解するのが妥当である。

 

3 「口頭弁論の全趣旨」による事実認定とは?

  第247条は、「証拠調べの結果」ではなく[弁論の全趣旨]による事実認定をも認めている。ここでいう「弁論の全趣旨」とはなにか。一般には[口頭弁論にあらわれた証拠資料以外の一切の資料]を言うものといわれている。例えば、ある事実の主張が何度も訂正されたり、もっと早く提出されるはずの抗弁・証拠が弁論の終結間際になって提出された、というような事情がこれに当たるといわれている。

 だから、弁護士・訴訟代理人としては、裁判官にこのような事実認定をされることがないように、主張・抗弁の提出について細心の注意を払うことが必要である。訴状・答弁書・準備書面の作成にあたっては、このようなことにも十分注意することが実務上要求される。

 

4 自由心証主義とは?

 第247条の「自由な心証により」とは、どのような意味なのか?このような裁判官の自由な心証によって事実認定を行う建前を「自由心証主義」という。反対概念は「法定証拠主義」である。

 例えば、「(日本のことでは決してないが)ある国の裁判官は大変能力が低くて証拠をきちんと評価できない(裁判官の能力がない)」もしくは「本当は証拠を正しく評価できるのに例えば裁判官が簡単に買収されてしまい事実と異なる事実認定をする」というような国があったとする。そのような国では裁判官の判断は信用できない。そこで、「Aという証拠が提出されたときは、Bという事実を認定する」というルールを法律で定めてしまうことが考えられる。例えば、「3人の証言が一致したら、必ず契約が成立した事実を認定する」というような法律を定めてしまう。このような法律で決まった証拠によって事実をもとに事実認定をする建前を「法定証拠主義」という。

 そのような裁判官不信の国があるのか、と思うかもしれないが、フランス革命のころのフランスは裁判官が政治的な判決を多く行ったため、フランスでは伝統的に裁判官不信が強いといわれている。モンテスキューは「法の精神」の中で「裁判官は法を語る口である。」と書いたことがるほどである。このような裁判官に対する不信が強い国では、「法定証拠主義」によることも考えられるところである。

 しかし、法定証拠主義では非常に不合理な事実認定を強いられることがある。3人の証言が一致していても、共謀して偽証している場合もあり得ない訳ではない。また、とりわけ近代・現代社会は複雑なやり取りがなされているから、必ずしも当初予定していなかったような事柄が生じることも稀ではない。「事実は小説より奇なり」とは正にそのとおりで、全ての事実について法定証拠を定めておくことは不可能であると言っても過言ではない。

 日本の裁判官は、非常に高い専門的能力を有し、高い独立性(憲法第76条3項参照)が保障されている。日本の民訴法は、このような裁判官の能力と独立性に強い信頼を前提にして、証拠の評価を裁判官の自由な心証に委ねる建前を採用したのである。

 

5 証拠を提出する責任は誰にあるか〜証拠提出についての弁論主義

 このような証拠を提出する責任は、(裁判所ではなく)当事者にある。このことは、弁論主義の中で既に学んだ。

 

6 証拠調べにはどのようなものがあるか?

 民事訴訟法は、以下の5つの証拠調べ手続を規定している。

 

(1)        証人訊問

宣誓した証人を尋問する手続である(民訴法第190条以下)。宣誓の上で偽証すると偽証罪によって処罰されることがある(刑法第169条)。「証人」という「証拠方法」(裁判官が取り調べる対象となる人又は物をいう。)によって法定で為された「証言」が「証拠資料」(証拠方法によって取り調べた資料をいう。)となる。実務上は、証人訊問は、証拠調べの中でも最も「華」の部分である(一番時間を要する手続である)。しかし、証人は基本的にはどちらかの立場に立つ場合が多く(党派的証人)、証人訊問が事実認定の決定的な要素になるということは、時間と労力を要する割には余り多くない。

 

(2)      当事者尋問

   (証人ではなく)当事者本人を尋問する手続である(民訴法第207条以下)。虚偽の陳述に対する過料の制裁があるが(民訴法第209条1項により10万円以下の過料)、偽証罪の制裁はない。「当事者本人」が「証拠方法」。「当事者本人の陳述」が「証拠資料」となる。当事者は、事件についてよく知っている立場にあることが通常であるが、当該裁判に極めて高い利害を持っているから、その供述のみで事実認定をすることも相当に難しいのが一般である。

 

(3)      鑑定

特別の学識経験を有する者(例えば、医師・不動産鑑定士など)に鑑定人として、その学識経験に基づく判断や意見を裁判所に報告点せる手続である(民訴法第212条以下)。実務的には、医療過誤・医療事故訴訟(医師の鑑定人)、建築瑕疵の訴訟(建築士の鑑定人)などが、鑑定手続による代表例である。「鑑定人」が「証拠方法」、「鑑定意見」が「証拠資料」となる。

 

(4) 書証

文書によって、その意味内容を証拠資料とする証拠調手続である(民訴法第219条)。客観的な性格を有するため、実務的には非常に重要視されている。文書については、その作成の真正(その者の意思に基づいて作成されたこと)を提出者が証明しなければならない(民訴法第228条)。偽造文書の場合には、このような「真正」が認められず、事実認定に供してはならないことになる。また、相手方などの手元にある文書を裁判所の命令によって提出させる文書提出命令の手続(民訴法第220条以下)などが実務的には重要である。「文書」が「証拠方法」、「文書の内容」が「証拠資料」である。

 

(5) 検証

   裁判官が物体の形状等を直接に知覚・認識し、その結果を証拠資料とする手続である(民訴法232条以下)。交通事故の損害賠償請求事件や境界確定に関する事件で裁判官が現場を検分したり、特許事件で双方の製品を比較・検分したりすることがこれに当たる。境界確定の事件の検証では、当該土地のような「検証物」が「証拠方法」、「検証物の形状・現象」が「証拠資料」となる。現場に出かけて現地を見るという手続は、裁判官が紛争の実際のイメージを持つためにも、当事者の納得を得るためにも非常に重要なのであるが、近時は非常に行われることが少なくなっていることが問題である。一つには、検証を行ったときに裁判所書記官が作成しなければならない「検証調書」の作成に非常に労力を要するという問題がある。また、日本の裁判所は多数の事件をかかえて慢性的な裁判官不足であり、一つの裁判にかけることができる時間が減ってきている、という点にも原因があると思う。

 

[復習のポイント]   トップ

1)        裁判には、何故「証拠」が必要なのか?

2)      裁判官が私的な知識を事実認定に用いることが許されるか?

3)      「弁論の全趣旨」とはどのようなものか?

4)      「自由心証主義」とはどのようなものか?

5)      証拠の提出責任は誰にあるか?

6)      民訴法上、証拠調べにはどのようなものがあるか?