4 民事訴訟法の重要な概念(1)〜既判力の客観的範囲 *復習のポイント
1 既判力とは何か?
既判力とは、「確定判決に与えられる通用力・拘束力」のことをいう。
「その判断について蒸し返しを許さない効力」が既判力だといわれている。
AさんがBさんを被告として訴訟を提起して敗訴した。その判決が確定したのに、
また、Aさんが、同じ理由でBさんを被告として訴訟を提起することは、
(1)
そもそも非常に無駄なことであり(訴訟経済上不合理)、
(2)
これを許すと、もしかしたら、前の訴訟(前訴)と今回の訴訟(後訴)で違う判決が出てしまうかもしれない。このような矛盾した判断が出されると混乱が生じるので、これを防ぐ必要がある(矛盾判断防止の必要性)。
(3)
また、AさんとBさんには、前訴で十分に争うチャンスが与えられていたのだから(当事者に対する手続保障)から、訴訟の蒸し返しを許す必要はない。
そこで、「判決が確定した場合には、同じ訴訟を起こすことはできない」ということを民事訴訟法は定めている。つまり、当事者は「二度と同じ訴訟を起こすことができない」という拘束を受けることになる。このような確定判決の「拘束力」(通用力)「既判力」という。
* 前訴と後訴で違う判断?
同じ事件を同じ裁判所が判断するのに「前訴と後訴で違う判断がされる」などということがあるのか?
しかし、裁判というものは生き物である。同じテーマで訴訟をしても、証人の尋問でちょっとした答え方によって裁判官が受ける印象が変わってしまったり、裁判外の事情によって訴訟の展開が全然変わってくる(例えば、前訴では当方に協力的であった証人が急に相手方に寝返ってしまった場合など)ことは十分あり得る。そして、そもそも「同じ裁判所」と言っても、裁判所の中には沢山の裁判官がおり、後訴で前訴と同じ裁判官にあたる保障はない。裁判官の転勤もあるから、後訴の途中で裁判官が替わることもある。以上のようなことから、前訴と後訴で矛盾した判決がなされるということもあり得ないことはない。
ただし、実際上は、前訴で勝訴した当事者は、前訴の判決書を何らかの形で(例えば証書として)後訴にも提出する。後訴の裁判官も、通常は、前訴の裁判の結果を十分参照して判決を書くことになる。その意味では、前訴は事実上、後訴にも影響を与えることにはなり、矛盾する判決が下される場合は決して多くはない。
2 既判力の本質は何か?(既判力本質論)
神の目から見た場合に、前訴が誤っているとき(誤った事実認定に基づく判決であった場合など)であっても、後訴はこの既判力によって前訴に拘束されることになる。つまり、所有権確認訴訟の前訴で原告の敗訴判決が確定した後に、原告が所有権確認訴訟の後訴を提起した場合には、(神の目から見ると原告勝訴が正しい場合であっても)後訴は請求棄却判決となる。
これは、実体法上の権利の所在を既判力という訴訟法上の効果によって変動させてしまうようにも見える。そこで、「既判力の本質はこのような実体法上の権利の変動を生じさせるものだ」という考え方(実体法説)がある。しかし、この説では既判力が万人に及ぶものではなく、訴訟当事者など限られた人にしか及ばないこと(民訴法第115条1項)が説明できない。例えば、所有権は万人に対する権利のはずであるから、既判力が実体法上の権利を変動させるものであるとすれば、すべての人に対して権利変動を主張できるようになるべきであるが、民訴法第115条1項は、既判力は訴訟当事者など当該訴訟に関与する手続が保証されていた者にしか既判力を及ぼさない。
そこで、通説的な見解は、「既判力の本質には上記のような実体法上の効果は含まれていない。既判力はもっぱら訴訟法上の効果を持つに過ぎないものだ」と考えている(訴訟法説)。
もっとも、この「既判力本質論」は、既判力の解釈論を解決するにあたって、あまり役に立たないので、「解釈論的には実益のある議論と言い難い」とする評価もなされている。
3 既判力は、どの範囲で及ぶか(既判力の客観的範囲)
このような既判力は、判決のどの部分について及ぶのか。判決書は、全部で何ページにも亘たる長い文章である。その全部について既判力が生じるのか。「既判力がどのような権利関係に及ぶか」と言う問題は、「既判力の客観的範囲」はどこまでか?という形で論じられている(これに対して、「既判力は誰に対して及ぶか」〔例えば、訴訟当事者の相続人に及ぶか〕といった点は、「既判力の主観的範囲」(民訴法115条の解釈)の問題として論じられている)。
(1)
民訴法第114条1項の規定
民訴法114条1項は、「既判力は、主文に包含するものに限り、既判力を有する」と規定している。
ここでいう「主文」とは、判決文の冒頭に掲げる結論をいう。
原告の言い分を認める場合には、
ア 「被告は、原告に対し、金100万円及びこれに対する平成17年12月24日から支払済まで年5パーセントの割合による金員を支払え」
イ 「被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の土地を明け渡せ」
というような「主文」の判決が下される。
逆に、原告の言い分を退ける場合には、
ウ 「原告の請求を棄却する。」 という「主文」の判決が下される。
(2)「主文に包含するもの」とは?
第114条1項に言う「主文に『包含するもの』」というのは、具体的には何処までをいうのか。既判力の範囲はこれで決まることになる。一見簡単そうに見えるこの条文が、民事訴訟法上の非常に大きな(最大といっても良いかもしれない)論争と関係している。
まず、アの主文の場合、金銭を支払えという判断であることは分かるが、この100万円が、@売買代金なのか、A貸金返還請求権なのか、Bそれ以外の法的根拠(例えば、不法行為に基づく損害賠償請求権)に基づくものなのかは、主文だけを見ても分からない。
具体的には、判決の「理由」という欄を見ないと、主文で支払いが命じられている100万円の法的性質が分からない。
したがって「主文に『包含する』もの」を考える場合には、「理由」欄を見なければならない。そこまでの議論は学界の共通認識である。
(3)訴訟物論争〜新・旧訴訟物理論
問題はここからである。よく持ち出される、次のようなケースを考えてみる。
(ケース)土地明渡請求訴訟 Xは、その所有する甲土地をYに対して賃貸していた。期間満了により当該賃貸借契約が終了したと考えたXは、Yを被告として、当該賃貸借契約終了を請求原因として土地明渡しを求める訴訟(前訴)を提起した。しかし、裁判所は賃貸借契約が終了していないことを理由としてXの請求を棄却し、当該判決は最高裁の上告棄却によって確定した。 憤懣やるかたないXは、上記前訴判決が確定した後、甲土地の所有権に基づいて、土地明渡しを求める訴訟(後訴)を提起した。裁判所は、後訴をどのように取り扱うべきか。 |
Xがやっていることは、実際には訴訟の蒸し返しである。後訴で所有権に基づいて訴訟を提起したとしても、Yは「私には賃借権という占有権原がある」と抗弁してくることになり、結局は賃貸借契約が終了したか否可が争点になる。「憤懣やるかたない」というXの気持ちは分からないではないが、Xは結局のところ同じことを蒸し返したもので感心できない。
前訴で敗訴しているわけであるから、後訴でもXが敗訴する可能性は高く、問題はないようにも思える。しかし、このような「蒸し返し」を認めることは、@訴訟経済上不合理だし、A前訴後訴での矛盾判断の危険性もある。とすれば、上述したような既判力の趣旨から考えると、前訴確定判決の既判力によって後訴はそもそも取り上げるべきではないものと思われる。
では、そのような結論をどのような理論構成で導くのか、それがここの問題である。
ア 民訴法第114条の条文から考えると
民訴法第114条1項の条文からスタートする。「主文」に既判力が及ぶと言っている。しかし、前訴判決の主文は「原告の請求を棄却する」と記載してあるだけである。主文の記載だけでは、一体どういう請求が棄却されたのか分からない。民訴法第114条1項は「主文に『包含するもの』」に既判力が及ぶという規定であった。そこで、判決の理由を見ると前訴では賃借権が終了していないということで請求が棄却されたことが分かる。
イ 実体法上の権利の性質の違い
とすれば、既判力が及ぶのは「XY間の賃貸借契約が終了したことによる土地明渡請求権(債権的請求権)がないこと」であって、「Xに甲土地の所有権に基づく土地明渡請求権(物権的請求権)がないこと」ではないように見える。とすれば、両者は実態法上別個の権利なのではないか。問題は、ここにある。
ウ 旧訴訟物理論
このような実体法上の権利によって、既判力の及ぶ範囲を画する考え方は「旧訴訟物理論」と呼ばれる。
ここで「訴訟物」という用語が、出てきた。条文上にない用語であるが、訴訟のテーマ・対象・目的といったような意味で理解されている。
旧訴訟物理論は、実体法上の請求権を基準に訴訟物を区別する。つまり、実体法上の個別具体的な請求権の主張が、訴訟法上の請求であると考える。実体法上の請求権が基準であるので、非常に明確な考え方である。
この考え方によれば、@賃貸借終了に基づく土地明渡請求権とA土地所有権に基づく土地明渡請求権とは、実態法上全く異なる請求権であるから、各訴訟の訴訟物は全く別個ということになる。だから、「@前訴(賃借権に基づく訴訟)の確定判決の既判力は、A後訴(所有権に基づく訴訟)に影響を及ぼさない」というのが論理的帰結ということになる。
エ 新訴訟物理論
しかし、上記帰結は余りにも常識に反する。確かに、@前訴は賃貸借契約終了に基づく請求であり、A後訴は所有権に基づく請求であるから、実体法上の性質は異なる。しかし、@前訴もA後訴も同じ「賃貸借契約が終了したかどうか」という争点をテーマとする訴訟であるのに、「実体法上の権利の性質が違うから」という理由で、後訴でもう一度蒸し返せる、というのは如何にもおかしな結論である。
そこで、@賃貸借契約に基づく明渡請求権とA所有権に基づく明渡請求権とを包括する上位概念として、「受給権」(給付を求める法的地位)を観念し、これこそが訴訟物であるという考え方が提唱されるようになった。請求権が競合して認められても、実体法秩序が、ただ1回の給付しか認められない場合には、その一回的給付を求める権利(受給権)が認められるか否可が当事者の直接の関心事であって、「所有権」に基づいて認容されようが「賃借権終了」に基づいて認容されようが、原告にとっては、さしあたりどちらでも構わないではないか、とすれば、この「受給権」の有無こそが、審判の対象であり、この「受給権」を訴訟物と考えるべきだ。というのである。
このような考え方は、昭和30年代以降、旧訴訟物理論を批判して提唱されるようになった理論で、「新訴訟物理論」と呼ばれる。現在では、学説上の通説である。
この立場によれば、@賃貸借終了に基づく前訴もA所有権基づく後訴も同じ「受給権」を訴訟物とするので、後訴に前訴確定判決の既判力が及び、後訴は既判力によって排斥される(後訴は請求棄却の判決となる。)ことになる。
オ 「訴訟物」概念の重要性
「既判力の客観的範囲を定めるために、訴訟物をどのように考えたら良いか」を話してきたが、「訴訟物のサイズをどのように考えるか」ということを決めることは、既判力の客観的範囲を定めることだけに止まらない幅広い影響を持っている。「訴訟物は、訴訟法理論を訴えの提起から判決まで貫く基本概念(バックボーン)である」とも考えられてきたからである。
(ア)
二重起訴の禁止(第141条)
民訴法第142条は「裁判所に係属する事件については、更に訴えを提起することができない」と規定している。(二重起訴の禁止)。その趣旨は、(@)二重応訴を強いられる被告の負担、(A)重複審理による訴訟経済上の不合理、(B)矛盾する審判を避けるという点にある。
ここでいう「事件」が同じかどうかということについては、基本的には「訴訟物」が同一か否可という観点から決せられる。従って、@賃借権終了に基づく土地明渡請求訴訟(本訴)の係属中にA所有権に基づく土地明渡請求訴訟(別訴)が提起された場合、旧訴訟物理論からの論理的帰結は、本訴と別訴とでは「事件」が異なるので、別訴の提起も許されるというものになる。しかし、新訴訟物理論の立場からの論理的帰結は、@賃借権終了に基づく明渡請求訴訟であってもA所有権に基づく明渡請求訴訟であっても、訴訟物は同じ「受給権」=土地明渡請求権であり、「事件」が同じであるから、別訴の提起は許されないということになる。
(イ)
訴えの変更(第143条)
民訴法第143条は、「原告は、請求の基礎に変更がない限り、口頭弁論の終結に至るまで、請求又は請求の原因を変更することができる」と規定している。
@賃借権終了に基づく土地明渡請求訴訟の途中で、A所有権に基づく土地明渡請求訴訟に訴訟の内容を変更した場合、旧訴訟物理論からの論理的帰結は「請求(訴え)」の変更となり、新訴訟物理論の立場からは「請求原因」の変更となる。
(ウ)
判決事項(第246条)
民訴法第246条が「裁判所は、当事者が申し立てていない事項について、判決をすることができない。と定めていることは、処分権主義の講で話した。
ここでいう「事項」も、基本的には、訴訟物を基準に判断するものと考えられている。従って、@賃借権終了に基づく土地明渡請求訴訟の判決において、A所有権に基づいて土地明渡しを命じることは、旧訴訟物理論からは両者が訴訟物を異にする以上は許されないことになり、新訴訟物理論からは「受給権」という一つの訴訟物の範囲内の事柄である以上は許される、ということになる。
(エ)
裁判実務はどちらを採用しているか?
以上のように考えると、新訴訟物理論の方が圧倒的に合理的で、旧訴訟物理論は不合理なように思える。しかし、現在でも裁判実務・司法研修所は、旧訴訟物理論を採用している。
その理由としては、様々なことがいわれている。
a 基準の明確性
旧訴訟物理論の方が、当事者の攻撃防御の目標・裁判所の審判対象を明確にする、といわれている。
新訴訟物理論によると、当事者は、「とりあえずこの法的構成で争っているが、後日のために他の法的構成でも主張・立証しておかなくては」と考えなければならなくなる。裁判所も「こういう点の主張立証は不要なのか?」と釈明を求めなければならない場合が生じ、釈明の負担が増大しかねないということが言われている。
b 結論の不合理は信義則によって解決できる
旧説では、今回の設例をどのように解決するのか。所有権に基づく後訴を許すのか。
旧訴訟物理論の主張者も、「このような訴訟を許さない」という点では新訴訟物理論と同じ結論を導く。ただし、旧訴訟物理論からは、当然には、このような結論を導けないので、信義則(民訴法第2条・民法第1条2項)を持ち出すのである。つまり、このような後訴は、信義則に反して許されないものと解釈するわけである。
以上のような論拠もあって、近時は、学説の中でも「旧説の復活が著しい」と評されている。
4 争点効 〜判決理由の中の判断には一切拘束力が及ばないか?
既判力の客観的範囲については議論があるが、この話は「原則として、既判力は、判決主文に記載された事項についてのみ及び、判決理由中の判断には拘束力が及ばない」ということを前提としている。しかし、この準則に例外を設けることはできないのか?言い換えれば、判決理由中の判断は、後訴に対して一切拘束力を持たないのだろうか。この点について、新堂幸司教授が提唱した有名な「争点効理論」がある。
(1)
争点効理論とは何か?
争点効とは、「前訴で当事者が主要な争点として争い、裁判所が実質的に判断して下したその争点についての判断に生ずる通用力」であるとされている。そして、このような争点効は、「同一の争点を主要な先決問題とする後の別訴請求の審理において、その判断に反する主張・立証を許さず、これと矛盾する判断を禁止する」という効力が認められるものである。
例えば、設例において旧訴訟物理論を採ったとしても、ここで争点効理論を採用すれば、
@ 実際に前訴で主要な争点として賃貸借契約終了の点が争われ、
A 裁判所も前訴で、その点を実質的に判断して判決を下したときには、
後訴として所有権に基づく訴訟が提起されたとしても、当事者は賃貸借契約終了に関する主張立証をすることが許されないし、裁判所も賃貸借契約終了に関して前訴と矛盾抵触する判断をすることができない、ということになる。
(2)
裁判実務
このような争点効理論を認めるか否可については、学説でも意見が分かれている。争点効を否定する説は、
@ 理由中の判断に拘束力を与えると当事者に対する手続保障に欠けることになる。
A 理由中の判断に拘束力を与えると裁判資料選択の自由を喪失することによって手続の硬直化を招く。
と論じている。
最高裁判所は、一貫して争点効理論を否定している。その理由としては、端的に言えば、実定法上の根拠規定がない。
もっとも、最高裁は、事案に応じて信義則により判決理由中の判断の拘束力を認めたケースもある。
最高裁は、信義則というものを個別に持ち出すという「アドホックな」解決であり、争点効理論は信義則を背景にはしているが「制度的な」解決という点で両者は異なっている。しかし、「紛争の一回的解決」「当事者間の公平」という、両者が目指す目的は共通であるように思われる。
最高裁のような信義則での解決はどうしても場当たり的で不安定になりがちである。その意味で、信義則のような一般条項が用いられる場面では、できるだけ限定的に類型化されることが望ましい。その意味において、信義則を適用するべき一態様として、争点効理論の意義が生かされるべきであるとも主張されている。
1)
既判力とはどのようなものか?
2) 既判力の客観的範囲について、民事訴訟法では、どのような条文に規定されていたか?
3) 既判力の客観的範囲と訴訟物理論の関係はどのようなものか?
4) 新旧訴訟物理論をとることによって、民事訴訟のどのような場面で異なった結論を採ることになるか?
5) 争点効理論とは、どのようなものか?