3 民事訴訟法の基本原則(2)〜弁論主義     *まとめ   *復習のポイント  

 

1 弁論主義とは何か?

 民事訴訟法のもう一つの基本原則である「弁論主義」について考える。

処分権主義の場合と同様、民事訴訟法に「弁論主義とは、このような原則をいう」と明定する条文があるわけではないが、これも民事訴訟法の大切は原則である。

弁論主義とは、事実・証拠の収集を当事者の権能と責任に委ねるという原則をいう。このような「原則」がどのようなものであるかということを理解するためには反対概念と比較することが有益である。この場合の反対概念は、「職権探知主義」や「職権調査主義」になる。このような職権主義では、「事実」や「証拠」を裁判所が探し出してくる。これに対して弁論主義では、そのような「事実」と「証拠」を収集・提出する権能と責任はあくまで当事者にある。その意味で弁論主義は、民事訴訟法における「当事者主義」のあらわれの一つであると言われる。

 

(1) 弁論主義の3つのテーゼ(弁論主義の内容)

弁論主義は、3つの内容を含むと言われ、これが3つの「テーゼ」(ドイツ語で「綱領」という意味)と呼び習わされている。

ア 弁論主義の第1テーゼ

「主要事実は、当事者が主張しない限り、裁判所が判決の基礎とすることはできない。」(換言すれば、「裁判所は、当事者によって主張されていない主要事実を判決の基礎とすることができない」)。

 イ 弁論主義の第2のテーゼ

「主要事実について、当事者が自白しない場合には、裁判所はこれをそのまま判決の基礎としなければならない。」(自白の拘束力)

 ウ 弁論主義の第3のテーゼ

「事実認定の基礎となる証拠は、当事者が申し出たものに限定される」(職権証拠調べの禁止)

 

(2)「主要事実」とは何か。

第1テーゼ・第2テーゼで「主要事実」という概念が初めて登場した。

この「主要事実」とは、何であるか。この概念は、民事訴訟法を理解する上での一の大きなポイントとなる概念である。

主要事実とは、「適用される法規の構成要件に該当する事実」であるとか「権利関係を直接に基礎づける事実」であると定義づけられている。

例えば、貸金返還請求訴訟で考えてみる。

XがYに貸した100万円の返還を求める場合、その実体法上の根拠は民法第587条になる。民法第578条は、「消費貸借は、当事者の一方が種類、品質及び数量の同じ物をもって返還することを約して相手から金銭その他の物を受け取ることによって、その効力を生ずる」と定めている。と考えると、この場合「構成要件に該当する事実」とは何かといえば、

 

@  金銭授受

平成15年12月1日X(相手方)が金100万円をY(当事者の一方)に渡したこと。

A   返還約束

YはXに、金100万円を返還することを約束したこと。

 

ということになる。この@金銭授受A返還約束の具体的事実が存在するということが認定できれば、民法第578条という法規によって、貸金返還請求権という法律効果の発生を裁判所が認めることができる。

 

〔図1〕

〔事実〕

    弁論主義

  ↑当事者主義

〔法規〕

   法の適用は

裁判所の職責

〔効果〕

@   金銭授受

A返還約束

民法第587条

貸金返還請求権の発生

 

 このように主要事実は、実体法上の「要件」に該当する事実(要件事実)であることが多い。そこで、この場合の主要事実と同一だとする考え方がある。司法研修所がとる考え方であり、実務上の通説である。

 また、主張事実は、法律効果の発生を「直接に」、導くもので「直接事実」とも呼ばれる。その反対は「間接事実」である。この「間接事実」とは、直接には法律効果の発生を導かないが、直接事実(主要事実を推認させる事実)のことを言う。

  例えば、先ほどの貸金請求訴訟で、「金銭授受」の主要事実を立証する証拠(領収証)がないときに、Xの代理人としては(A)「Yは、平成15年12月2日ころから急に金回りが良くなった」(B)「Yは、平成15年12月2日ころから沢山の金を使って飲み屋を豪遊していた」というような事実を主張立証することができる。このような事実は、それだけでは「貸金返還請求権の発生」という法律効果を直接に発生させることはできないが、このような間接事実によって「金銭授受」を裁判官に「推認」させるようにX側は努力することになる。その結果、裁判官が「金銭授受」の事実を認定し、他の要件(返還約束など)も認定できれば、結果として、「貸金返還請求権の発生」という法律効果の発生にたどりつくことができる。

 

   〔図2〕

間接事実

主要事実

法律効果

(A)急に金回りが良くなった
(B)豪遊               →

@  金銭授受A   返還約束

貸金返還

 

 

(3)なぜ「弁論」主義と呼ばれるか?

 このような原則が、なぜ「弁論」主義と呼ばれるのか。弁論とは、広狭様々な意味で使われるが、民事訴訟法上では、広義としては「広く審理手続全体」をさすものとされている。つまり、審理手続以外のところにある「主張」や「証拠」に基づいて判断をしない(裁判官の頭の中、裁判官が裁判所外でたまたま知っている事実に基づいて裁判をしない)ということを「弁論」主義と称している。

 

(4)弁論主義は何のためにあるか?

 なぜ、民事訴訟法では、このような「弁論主義」が当然の原則として認められているのか。ここでも様々な考え方があるが、ここでは、多数説とされている「本質説」と呼ばれる考え方で説明することにする。

 

つまり、「弁論主義は、民事訴訟の本質の本来的性格・本質に基づくものである。つまり、民事訴訟の本質は私的な紛争の解決にある以上、紛争解決内容における当事者の意思の尊重が不可欠である」ということである。

 

そもそも民事訴訟法の目的は私的紛争を解決するということにある。そして、このような「私的紛争」は本来、「私的自治」によって解決されるべきというのが、ことの本質である。とすれば、裁判所が、「本当はこういう事実や証拠もあるのではないか」という岡目八目的に探索すること(職権主義)は、

ア 有害である。第三者である裁判所が、事件に立ち入って職権探知することは、平地に波瀾を起こし、かえって紛争を拡大する。

イ 不必要でもある。当事者が紛争解決に必要と考えて提出する限りの事実と証拠で十分のはずだ。逆に言えば、当事者がある事実を主張・立証しないことによって不利益を被るとしても、それは自己責任として甘受すべきである(主張立証責任)。

以上のような趣旨から、民事訴訟法は弁論主義を採用している。

 

2 ケース・スタディ

(1)弁論主義のだ1テーゼ〜主張責任

(ケース1)貸金返還請求訴訟

 Xは、Yを被告として、貸金100万円の返還を求める訴えを提起した。これに対し、Yは、100万円全額を弁済したと主張し、請求棄却の判決を求めた。

この場合、次の裁判の適否について説明せよ。(各小問は独立した問いとする。)

1 裁判所は、証拠調べの結果、XがYに貸し付けたのは100万円ではなく、120万円であり、弁済の事実は認められないとして、「Yは、Xに対し、120万円を支払え」との判決をした。

2 裁判所は、証拠調べの結果、Y主張の弁済の事実は認められないが、YがXとの間で、貸金100万円の弁済に代えて、Yの宝石の所有権をXに移転するとの合意をして引き渡したことが認められるとして、「Xの請求を棄却する。」との判決をした。

 

1 問題1については、前回の復習となる。

ここで120万円の支払いを命じる判決を下すと、まさに第246条の条文に反し、処分権主義に反するので許されない。

2 問題2が、弁論主義の関係する問題である。Yが主張しているのは、弁済(民法第483条)の事実である。ところが、裁判所は「代物弁済の契約(民法第482条)が存在した」という心証をもっているわけである。しかしながら、裁判所がここでYが主張していない代物弁済契約の事実を認定することは、弁論主義の第1テーゼに反する。このような判決は適切ではない(違法である)ということになる。

 

(2)弁論主義の第2のテーゼ〜自白の拘束力

(ケース2)

Xは、甲土地を占有するYに対し、甲土地の所有権に基づいて明渡訴訟を提起した。Yは、Xが甲土地の所有権を有すること及びYが甲土地を占有していることは認めるが、Xから甲土地を賃借しているので明渡しには応じないと主張した。

 裁判所は、証拠調をしたところ、Xが甲土地の所有権者ではなく、またYの主張する賃貸借も認められないとの心証を得た。

 この場合、裁判所はどのような判決をすべきか。

 

裁判所としては、「Xは甲土地の所有権者ではない」との心証を得たのだから、そのような事実認定をしたいところだ。しかし、Yは、それに先立って「Xが甲土地の所有権を有すること」を認めてしまっている。土地所有権に基づく明渡請求訴訟の主要事実(要件事実)は、@原告の所有、A被告の占有である。Yはこのような主要事実について相手方の主張を認める旨の陳述(自白)をしたのだから、「裁判所はこのような自白をそのまま裁判の基礎としなければならない」(自白の拘束力)とするのが、弁論主義の第2のテーゼである。とすれば、裁判所は、この場合、@原告の所有権は、(自己の心証に反しても)そのまま裁判の基礎としなければならず、A被告の占有についても自白が成立している点で同様であり、他方、被告の主張する(抗弁)賃貸借も認められないとの心証を抱いたのであるから、原告の請求を認容する旨の判決を下すべき、ということになる。

 

これは、非常におかしなことのように思える。裁判官は「Xに所有権がない」と思っていても、判決ではXに所有権があることを前提とする判決を書かかなければならないことになるわけである。しかし、弁論主義は「当事者がそれで良いと言っているのだからそれで良いではないか」という考え方なのである。そもそも、当事者が自由に処分することができる権利に関するものなのだから、どのような事実を主張するかということも当事者に委ねるべきだということになる。その意味で、訴訟代理人の責任は重大ということになる。また、もし、このような自白の拘束力を認めないと、原告としては、たとえ自白が成立しても、その部分について裁判官が別の認定をするかもしれないから、延々と所有権の存在についても立証してゆかなければならないことになるが、それは無駄なことだ。むしろ、争いのある賃貸借の有無に集中して証拠調を行うことのほうが迅速かつ充実した審理を行うことに資するはずである。そこで、このような弁論主義の第2テーゼが(条文には直接の根拠がないにもかかわらず)認められているのである。

 

(3)弁論主義の第3テーゼ〜職権証拠調べの禁止

(ケース3)

 XY間の土地所有権移転登記手続抹消請求事件において、裁判官は、取引に関与した不動産業者Wの証人訊問が必要不可欠であると考えていたが、XもYもWの証人訊問を申請しないので、自らWの証人訊問を行うことを決定し、実施した。この裁判官の措置は適法か。

 

このような証拠調は、弁論主義の第3テーゼに反するものとして違法とされている。従前、旧民訴法第261条は補充的に職権証拠調べを認めていたが、第2次世界大戦後に同条は削除され、平成8年新民訴法にも職権証拠調べを規定した規定は存在しない。当事者がそのような証人訊問をしなくても良いと思っているのだから、裁判所がわざわざ行う必要はないし、しなくても判決はできるわけである(Wが証言すれば有利だったはずの当事者のどちらか一方が不利益を受けるだけだ)から、そんな訊問はしないで速やかに判決を下すことが迅速な裁判に適し、適切でさえあるわけである。

 

まとめ     トップへ  

 弁論主義も、処分権主義と並んで民事訴訟法の重要な基本原則の一つであり、実体法上の私的自治を手続法上も認めることが適切であるという趣旨に基づくものである。その内容は、当事者の主張しない事実を裁判の基礎としない(第1テーゼ)、当事者が争わない事実はそのまま裁判の基礎とする(第2テーゼ)、当事者が提出しない証拠を裁判所が職権で提出することはしない(第3テーゼ)の3つの内容を持つ。

 復習のポイント

1)            弁論主義とは、どのようなものか?

2)            弁論主義は、民事訴訟法のどのような条文に現れているか?

3)           弁論主義が認められている趣旨は、どのようものか?

4)            弁論主義の具体的な内容としては、そのようなものがあるか?