赤城山風雲録

1. 開戦準備
それは1999年の初頭、2月のTPO(※1)会議上での事で有った。
予てより噂になっていた24時間戦の開催が、この席上でほぼ決定した。
我々にとっては2回目の大規模演習用・対戦相手推薦で有る。

第1回24時間戦も当初は我々ジオン軍とDHCとの、組織的対抗戦を予定していたが、当時我々には援軍要請能力(他部隊との交流活動及び友好関係)が全く無かった為、同じTPO内の他の有力部隊が我々の変わりに次点で決定したのである。
実力は皆無で有るがTPO内に置ける我がジオンの位置づけは、最古参と言う歴史的事実にのみ決定されていた。
第1回24時間戦はDHC軍団内の1軍団の中核を成す事で使命を果たす事が出来た。
しかし、今回はいよいよ我々が完全に対戦相手に決定した。
我々には組織構築能力が1年経過した現在に於いても十分には備わっていなかった。
で有るから我々に取っては今回の24時間戦は、極端な少数戦力による24時間持久戦、俗にゲリラ戦と言う事になる訳で有る。

人間とは自分の置かれた立場をなかなか直視できない物で有る。
開催までに必ずこの決定は違う物になる、今回の24時間戦は違う形式で行う事になる。
そんな淡い期待を抱えつつ月日は流れ4月、いよいよ期日が迫り抜き指し成らぬ状態に成ってきた。
皆無に等しい友好関係を掘り起こし、数少ないに友好他部隊に今更ながら援軍を要請する。

帰る返事は必ずしも我々の期待に添う物でない。当然1ヶ月後に迫った過酷な24時間戦などと言うサバイバルゲームに、興味こそ引かれても参加の為にわざわざ予定を真剣に組み替えてくれる人も、なかなか居ない物で有る。

しかしそんなふざけた援軍要請にもまともに相手をしてくれる、有り難い方々も少数だが存在していた。
相互リンク関係に有る「死ね死ね団」はそんな数少ない友好部隊の中で、本当に人員を手配してくれた地獄に仏級の功労部隊で有る。

この援軍が我々に思わぬ結末をもたらすとは、今はまだ知るよしもなく、ただただ来てくれるだけで十分頼もしく満足だった。
しかし、彼ら頼もしい援軍を含めて我々の総数は未だ10人に未足らず、30.Vs 8の完全な劣勢は覆し用も無かった。

いよいよ開催が1週間に迫ったころには、その後のDHC側からの紳士的配慮で我々には、新たに赤城山地元傭兵部隊の増援が加わったので有る。
傭兵部隊は現地の地形を十分に知り尽くして居り大きな援軍で有る、同時に我々は作戦遂行上に極めて有力な情報提供力を得たので有る。我々は12〜14名の将兵と情報能力を武器に、いつ果てるとも知らぬ過酷極まりない山岳ゲリラ戦に突入する事に成る。

我々の覚悟は決まった、「勝てる!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・かもしれない?」。
数少ない有利な条件を有効に活用すればせめて一太刀なりと、自分は急遽弾薬の確保に奔走する。
今までは無補給ラマダン戦(※2)を覚悟していたが、攻撃能力の確保の必要性が発生した。

自分はルールに注目した。
開戦当初はBB弾のボトルや袋ごとの戦場への持ち込みは禁止で有る。
しかし、携帯可能なマガジン内の弾薬は持つ込み可能で有る事に着目する。
そこでオサルさんは考えた。
2万発収納のマガジンを自作すれば無補給でも弾切れは防げる。ナイスすぎる発明だ!

2. 開戦
開戦当日は全くの失態だ!!、時間の読みが甘すぎた。遅刻で有る。

先ず、高速の渋滞の読みが甘かった。
それに少々アクシデント等が重なり現地予定到着時間のam08:30を大きくオーバーする事に成る。
挙げ句の果てに現地到着500m手前で山積みのタイヤが自然発火の模様。

「ズバリ!山火事でしょう」

そんな時に予てより遅刻が予想されたいた「死ね死ね団増援部隊」から連絡。

「我々は現在T字路で通行止めされています」。

遅刻どころじゃ無いぞ大きな予定変更だ、我々の遅刻のせいだぞ。
総統に怒られるな〜。などと思うのは自分だけ。
隊員達の興味は既に科学消化消防車の方に向いていた。

聴けばなかなか見れる物ではないらしく、消化方法も山火事ならではのガス圧で小規模爆破をしたりとなかなか見ごたえが有る。

やっと開会式予定のam11:00に成ろうとする頃なんとか到着できた。(集合時間は10:00です)
ひとしきりDHC総統閣下に厳重注意を受け、赤城山管理人の軍曹でのにご挨拶をして、全体予定の2時間押しで開会式が始まった。
いよいよ開戦だな。

3. 果てし無き敗走
自慢の大軍旗を陣地の蛸壺に立てる。
今回は話題の共通性があまり無かったらしく旗の事で話が盛り上がらなかった。ちぇ!

そんな時「あっ!時間だ!」と思った時には敵は撃ってきていた。
大将は負傷しても死傷したら負けに成る。長い長い落ち武者生活の開始だ!
山深くに落ち延びて行く、気分は平家。
300mも登った位だろうか、ふと見れば大きな岩室に湧き水が流れ、ほんの小さな川に成っている。
古来より人は水辺を求めたが、自分も図らずも水辺を見つけた。
平家の落ち人も九州・四国の山中に逃れ小川を見つけさぞや安心した事だろう。
数々の平家の落ち人村には奇麗な小川が流れているらしい。

ここがジオン残党軍の秘密基地!見ていろ必ず反撃してやる!と、思ったその時、自作したマガジンを追い立てられて敗走した為に、持ってきていないことに気が付いた。NO!!!!
弾が無い、補給物資集積所への補給作戦の出来る人数じゃない。
これからの数時間は弾との闘いも有るのか、敗走するマレーの日本軍の気持ちが良く分かる。

中立の立場で連絡役の赤城山軍曹どのから連絡の無線が入る。
「ジオン側兵士全滅!復帰可能時間の1時間後まで総督お一人です。陣地は敵軍将兵に占領され、残っているわずかの予備兵器の弾薬は投棄されています。占領と言うより蹂躪されていますね。」
おっ!おれの2万発の弾薬が。無念すぎる。
1時間で将兵たちは復帰に為に自分の元に来なければ成らない。

兵士達は我が落ち人村の奥の道路より下ってきた。
復活した彼らは山を下りて行く、3人、また3人、オイオイ!そのまままっすぐ行くなよ、奥に自分が居るのがバレバレじゃ無いか。
案の定見つかって小規模な戦闘がまた始まる。下の方でやりあっている。
陣地周辺には数人しか残って居ないらしく、我々の陣地如きには戦略的価値が無いらしいのが幸いした。(情けない)

しかし、6名ほどの復活将兵の掃討作戦にも手を抜いてこない。
と言うより、闘う相手が少なすぎて兵力を持て余しているらしい。
いい御身分だ。
衛生兵すら来ていない。
死傷しても大局に影響無しと見て安全策すら採ってこない。
案の定自分も見つかった!。
ここでゲームを終わらせては面白くないらしく、あからさまにわざわざ退却する敵兵達。
随分余裕ですね、まあいい日が暮れたら反撃してやるさ。今に見ていろ!。
わざと負かさずとも必ず勝てると思えばこその余裕でしょうが、我々は夜襲に全てを掛ける。
敵軍の手のひらで躍らされている観は否めないが、勝てば良いのさ。

4. 好機到来
日が暮れた!。
いよいよ我々が作戦を元に活動する時が来た。
こんな少数の我々だが、数回の死傷覚悟の前進特攻偵察で、敵陣の位置や総統の居場所等の戦略的情報を確保していた。

作戦は2段作戦だ!
各々時間がずれて復活する為にただでさえ少ない将兵が、まとまった戦力にならない。
日暮れから22:00迄は各々個人で行動し、22:30を過ぎたら死傷禁止する。
23:30までに全兵力で敵陣を各々包囲、配置に就いて潜伏する。
それまでは敵陣奥深くに進入し敵軍の攻撃隊出発を確認する。
何故なら、敵軍は夕食の為大きく本陣まで後退していたためだ。
敵の兵力分散を確認せずに我々の小戦力では闘いに成らない。
敵陣の手薄をなるを襲ってこそ夜襲に成る。

しかし、小規模の戦闘で少しずつ兵力はまた減っていく。
まだ、敵軍の攻撃隊は動き出さないらしい。
既に死傷した将兵の復帰を待ち、最後の反撃を試みる。
前線からの連絡が無い、攻撃隊はまだ動かないのか?
復活将兵と合流すべく自分は今居る山奥から移動する。
自分が指定した集合場所は午前中の岩室付近。
いよいよ兵力集中の為将兵を復活させる。
自分は集合場所に急いだ。

5. 奇跡の大反撃失敗
少し待ちきれなかった自分は夜陰に紛れて余裕こいて山浅くに潜伏する。
1人、また1人と集合場所に向かう自軍の将兵達、もうそろそろ溜まった頃かと思い集合場所に向かう奴等の姿が見えたその時赤城山軍曹から無線が入る。

「総督!注意されたし!敵軍20名ほどが掃討作戦を開始した模様」

げっ!変だと思ったらそう言うことか。
我が軍の負傷復活兵にしては少々人数が多いし、変だと思ったぜ!
しかし軍曹時間が悪いぜ!自分も今丁度その事実に気が付いたぜ!!
何せジオン軍の副司令官のPowered Suit大尉が目の前で、

「まだ復活していない負傷兵だろ、進軍の邪魔だからどいてくれないか」

などと言われている。
ふざけるな!
自分は周りを注意深く見回した。
復活待ちの兵隊は自分の周囲4m以内にトシユキ大尉を含め4〜5名、大尉は戦闘能力が高い、衛生兵のダイスケ隊員も居る。
4対20か!我々は固まっているが、敵は大きく散開中、本日初めての獲物にトシユキ大尉にエラ口叩いた奴を選び、奴の後ろにも数名敵兵らしき影が有る。

「ダダダダダダダダダダダダダダッ」

闇を貫く愛器sig551の銃声。
一斉射で3人倒した、しかし負傷で有る。
敵の衛生兵が来ればその場で復活される。
大尉達が自分に気が付いて詰め寄る。

「おお、ここに居たか。ウリャ!復活!ダダダダダダダダダダダダダダ!」

4人が一斉に反撃する、ぞくぞく敵兵が下から集まる。
自分は少し横でまた完全に伏せた、夜だから顔を確認できないし、
敵はライトを持って来ていない。死体の振りも野戦の高等戦術じゃ!
自分の目の前1.5mで発光サイレンサから光の筋が放たれる。
野戦局地戦はえてして10m以内の撃ち合いに成る物で有る。
去年もそうだった、わずか数mで幾つものドラマが存在した。
2m以内に2人居る、明らかに大尉の方向に弾を撃っている。
大尉を助ける為にもこの2人は俺が仕留める。
と、思い銃を手にするその時。

「総督が死んだぞ!」「終戦だ!」「終わり!終わり!」

なっ!何!死んだ!!!俺は何者だ!!

6. 終戦
19:00頃に我々は敵軍の余裕の援助で補給作戦を成功させた。
敵軍も余りの我々の貧弱な攻撃力にストレスを感じていたらしい。
せっかく赤城山まで来たのにまともに戦いに成らない。
正直な感想だと思う。

19:00に我々は一たん集合して今後の作戦を話し合った。
しかし、全員がそこに居なかった。
開戦前から夜襲を強硬に主張していたケン中尉、援軍の「死ね死ね団」兵2名、彼らの安否が気になったがセイフテーゾーンに帰還しないのは、死傷して居ない証拠で有る。
彼らは日が暮れて敵兵が食事の為に総退却したのを機に、敵陣奥深くに進入していたらしい。
総数20人の「総督山狩り掃討部隊」の編制から出陣を全て目撃していたらしい。

3対10、10の内1人は総統閣下、3対9。
これだけの好機は他に無い。
死ね死ね団のT隊員の放ったBB弾はそれとは知らず総統を捕らえた。
総督ではなく総統は戦死した。

独立極東方面隊 総司令 マーク・グレイダー総督

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