8月10日 一関空襲 (1945)

1945年8月10日、一関はとても暑い日でした。
朝の8時15分すぎ、ウーウーととつぜん空襲けいほうのサイレンがなり、たばしね山の方から
アメリカの飛行機グラマンが一関駅に向かって急降下してきました。そうじゅうしている兵士の顔
が見えたと思った時、ドシーンという地ひびきがしてバリバリッと何かがさけるような音がとどろき
ました。
駅前の交番にいた二人のお客は、材木の下敷きになりすでに死んでいました。金野巡査の背
中から血が流れており、人力車で一関病院に運ばれました。病院には、ばくげきで死んだ人たち
がごろっと横たわっていました。金野さんの体には今もばくだんの破片が残っています。 駅の
仕事をしていた阿部さんは、サイレンがなった時あわてて駅の中のぼうくうごうににげこみました。
とつぜん、耳が破れるようなばくだんの音がして、その後はたくさんの人のうめき声に変わりまし
た。ぼうくうごうが直接ばくだんを受けて、33人中25人が死亡したのです。
また、一関駅だけでなく、もとの山目小学校にもばくげきが加えられ、お墓そうじに来ていた鈴
木さんもまきぞえになり死亡しました。
これまでわかったぎせい者は34人になっています。 先生方は、市民に呼びかけて文化セン
ター前に「平和の碑」を作りました。そして、「二度と戦争をおこさない」とちかいをたてたのです。