雪だるまが大きくなって行くように・・・

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人間の特殊存在性   BACK  NEXT


(1)思い巡らし愛することも


存在性の傾向は人間においてなお顕著で、人間は道具を使うにしても、畑を作るにしても、車を使うにしても 元々は生活を守る為にはじめたことで、意識せずに習慣のようにやってることも多いですが、思いをめぐらす事も認識することも人を愛することも人間存在を守る為に生じたのではないでしょうか、それらは大方自らを存在させるため、生かすため、家族を生かすためのものでした、そういった性質、存在性はフィードバックで結果として自らを生かす力となり、そして人類は繁栄して未来へと存続しようとしています。人間は心や精神と言った性質としての存在ですが 物質や生命の存在性も活かしコントロールすることによって自らの存在をより確かなものとし そして存在を(永遠を)目指す意志を持つという特殊存在性を持っています 人間の生きるための営為 それ全て人間の存在性であり 更に言えば子供が遊ぶのも学生が勉強するのも、お年寄りが健康に気をつけるのも全て存在するための性質なのです  特殊存在性とは 人間のように色んな考えや手段を持って 存在できるようにコントロールする存在です それで確かな存在となれるのです 存在する意志です。 

(2)人間発生の経緯
人間は動物とは違います 二足歩行 道具を使う 学習能力 火を使う 人為的に自然を利用する(畑を作ったり) 言語を使う 此処で注目して頂きたいのは特に道具を使うことと 言語を用いる事です 道具を使うことによって人間は人間の能力と人間の範囲を広げてきました 能力はお分かりになるでしょうけど 範囲は人間化された 例えば自動車や家なども人間の体と同じ様なものだと考えるからです  神経が行き届いていないので壊れても痛くはありませんが 自動車が壊れたり 家が焼けたりすると心痛のするものです。もう一つは言語ですが聖書には「はじめに言葉があった」とまで書かれるほど 精神としての人間には精神の構成要素として欠かせないものです 物の本質を表すものであり 人間の思考の単位にもなるのものです。実際このHPも言葉ばかりですが 映像も今ではよく使われますが 言葉もなくてはなかなか説明できないものです。                
(3)愛すること憎むこと


 愛で言えば 愛することによって二人が結ばれ 子供が出来て 愛されることによって子供は育まれ大人になってまた愛し合う 子供は愛されることと愛することを学び身につける これも人間の存在性です。愛は最も高度で基本的な存在性で愛なくしては肝心の人間の存在性もエゴとエゴの対立の中でお互いに壊し合ってしまいます。 人間同士ばかりでなく草花を愛することや技術を求めること 知を愛することも大切な存在性です

 あるいは敵を憎むことも自分に害するものを排除しようとする強い存在性があります。そういった心の営みも完全ではありませんが人間の存在性です

 イエスはこの敵を憎むという存在性を 敵をも愛するという存在性で無駄な争いや悲惨な憎しみあいを乗り越えようとしました それが実現するといいのですが まだ十分ではない様です しかしその力は大きくおそらく私達が考えている以上に私達を救ったでしょう キリスト教国家アメリカのおかげで今の日本の繁栄と平和があるようなものですから(ややおかしなところがありますが)  ただしキリスト教もどういう結末を迎えるか分かりません 敵を本当に愛せるかどうかはその場に立ってみないと私にも分かりません しかし日本には平和憲法があります それを活かして世界中を平和にしてもらいたいものです。アメリカにももの申して貰いたいものです。

(4)自由に思いめぐらすことも


 思いをめぐらすことも自由ではありますが 今度出た給料で何を買おうかとか 自分の彼は何を考えているだろうかとか 自分の人生はどうなるのだろうかとか よく考えてみると自分や他人の人生が上手く行くように存在価値があるように思いをめぐらすのではないでしょうか それが単純にお金 という人もいれば 世の為、人類の為と考える人もいるのでしょう 自由は新たな存在性を獲得する為に生じたものだったのです。

(5)人間の精神


人間の精神は性質で出来ていると思うのですが 灯台下暗しで自分の事 自分の精神の事は返って何ものなのか分かりにくいですが あなたが思っているその心が、即ち脳を介して主体化した性質の集まりなのです。その性質としての主体 実存が 我思う 故に我あり というように哲学では存在の根拠と見なされる場合もあります 人間とは何か 自分とは何かを考える場合にも重要な部分となってくるでしょう ただ私が思うのは それをあまりに特別視しないようにして頂きたいという事です 霊にしても輪廻にしても唯識にしても それを特別視するあまりに自分中心の地図を作ってしまっています もっと客観的に 同じ人間には同様の精神があり心があり 自分だけが特別なのではないという客観的な観察も必要なのです 存在性を考える場合も自分以上のもの 自分より大切なもの(子供とか恋人)への繋がりというものが大切になってきます。 ゆくゆくは自分が死んで未来に素晴らしい存在が出きるように 今のうちに何を成すべきかを考えなければなりません 教育も大切 リサイクルも大切 科学も大切 愛も心も大切です それらが損なわれないように 先へと繋がって行くように今のうちから種を撒いておかなければなりません 

(6)心理と病気


人間の心理や病気の際など あるいは心中や変質など 人間は存在性に適わないことをする場合がよくあります あるいは生きていたいのに生きられない 健康でいたいのにハンディキャップを負う そういう事がままあります しかし考えてみるとそれらは野生の王国の自然淘汰からすれば存在を奪われかねないことです ですが人間は動物とはちがいます ちゃんとした目標を持って 十分な時間があって 心の調和を保ちながら ゆっくり進化して行けばいいのです 一見病気や失業で役に立たない様に見えても 人間は皆 心の存在性を共有しながら大切にし合いながら生きているのです 人間の存在性は非常に微妙です ぜひ心を大切にしながら生きて生きたいものです 

 また人間は亀の真似をしたり、麒麟の真似をしたり、犬の真似をして生き残ることも出きます。

(7)因果応報のフィードバック


 人間はよい行いが自らに報い、わるい行いが災いをもたらすというフィードバックを生命としては40億年、人間としても数百万年繰り返してできたものですから、それらの性質を多く受け継ぎ、おのずからプラスの行いをして少しでも心地よく確かに生きようとします。
(8)人間の生存競争


 人間は存在するための性質を、つまり存在性を試行錯誤や、想像や、学習によって次々に獲得してその存在を確かなものにしてきました。またそうでなければこの厳しい生存競争を生き抜くことはできません。これは動物ならば命をかけた弱肉強食の進化によって獲得したものです。 それから悪や死の事ですが 悪も死もエントロピーの増大 崩壊する事壊す事が多いです 人間は育てるよりも殺す方が簡単です エントロピーが増大する易きに流れることがしばしばです 死は必要なものでしたし 悪も動物だった頃は一つの生き方だったのですが 我々は獣ではありません 人間となってからは無闇に人権を奪われること 戦争や犯罪は在ってはならないことです。人間精神が動物の生存競争の真似をする必要はないのです。

(9)そこまでしなければ


そこまでしなければ人間は自動車に轢かれ 食中毒を起こし 階段から転がり落ちて 動物の餌食になって死んでしまっていることでしょう 人間は案外精密に動いて生きています 子育てされた方なら分かるのではないでしょうか

(10)人間と動物と物質の違い


 人間と動物と物質の違いは、物質はただ存在性を持って存在しているだけで、その多くはほっておくと何時かは変化し崩壊してしまいます。動物は最近明らかになってきたように、新たな性質を獲得するかもしれない子孫に食料や環境を譲るために、親が先に死にます、細胞が自殺します。

 しかし人間は頭で新たな性質を獲得するわけですから、脳さえ衰えなければ本質的に言えば死ぬ必要はないのかもしれません。何時までも健康で生きていたいという、存在しようとする意志を持って存在しています。太陽が崩壊しても地球が住めなくなっても、宇宙船に乗って何時までも生きてどこまでも行きたいと言うのが本当なのではないでしょうか。ただいかんせん人間も体が動物なので死ななければならなくなります。人間は精神です。動物とは違うのです。

 また人間はまわりの物質や動物 環境を人間化し 人間が存在しやすい様に作り変えます これも動物には少ない存在性です 自動車やテレビ 金槌や箸なども人間化したものの一例です おそらく人間は地球上をほとんど全て人間化して 指定公園だけを自然のまま残すことになるのでしょう環境問題が心配されますが緑と人間が上手く共存できるように 都市にももっと植物が在って良いのではないでしょうか

 ただ生命や人間は太陽や資源という外からのエネルギー供給によって循環する必要がありますが 物質はかなり安定したものになると外からの供給も圧力も殆ど必要としないものもあります 人間も回りのエネルギーをコントロールして エネルギー的にも自立した存在となると考えています

(11)人間とは


 人間の環境は物質と生態系です、人間の体は動物です、勿論一般的にはこれらも含めて人間と言うのでしょうが、実はこれらは人間が発生する前からあったもので、もし純粋に「人間」とは、と問うとすれば、人間精神と、人間が頭で考えて作り出した道具とか、言葉とか、システムといった人間の存在性が上げられるでしょう。それらは見方を変えるともう一つの人間の体かもしれません。命にしてもタンパク質の塊をいうのではなく生きている生命を言う訳です。 エネルギーが命を生み出し 性質が人間精神を生み出したのです

(12)DNAと人間


人間の存在性の伝わりは、DNAも存在性と強く影響しあっていますが、厳密に言うと別の流れと捉えることも出来ます、例えば日本人とアメリカ人はDNAの交流としては僅かですが、文化、言語としては非常に多くの交流があります。DNAとして近いものを持っているのも事実ですが流れは人間の存在性の流れなのです。

(13)人間の反応


動物は原始的な動物から周りの光や水に反応します 敵や味方にも反応しますそういう性質を持っています 本能として あるいは学習して その反応のお蔭で生きているのです そして人間も例外ではありません 色んな外界の刺激に反応することによって暮らしています 昔は難しいことは考えなかったでしょう 親から生まれ言われた様にやってみて身につけた経験によって働いて生きてきました しかし近代より人間は自分とか社会とか世界に興味を持つようになります 教育のせいかもしれません そうして外界に対する反応だった性質が複雑化し自我を生むことになったのです つまり性質が進化して精神になったのです その性質はもとはほとんどが存在性でした 人間の脳に蓄えられた存在性(学習や経験)と新しい存在性を獲得するための性質(自由)が人間の自我を作り上げたのです。尤も人間は存続(アイデンティティ)の上になっているのですが。

(14)人間の正体(本質)


 つまりゆにこの言う人間の本質は、この存在性の充実、存在性の塊、存在性そのものなのです。存在性itselfと言っていいのかもしれません。人間が今まで存続できたのは人間が存在性の塊だったからです 動物たちも存在性の塊ですがそれにも打ち勝って存続するほど人間の存在性は強く 生きて行く営みも真剣なものでしたホモサピエンスという動物の脳に存在性、存在しつづけようとする精神が宿った、それは体を健康に保ち、さらに確かな存在であろうとして様々な試みを繰り広げてきたのです。その塊はいつか意識、「私」という性質としての主体を生み出した(実存)のです。この主体的に存在しつづけようとする意志を持った人間の存在性を特殊存在性と呼びます(この世は存在するかしないかですから)

敢えて言うなら「存在への意志」こそ特殊存在性であり人間なのです

 つまり人間(私)とは自由と言う一面は持つものの(⇒自由と存在性)、命の充実を求め更なる存在を手探り模索してきた、主体となった存在性そのものなのです。

 自由も新しい存在性を身につける為に発生したもので 色んな生き方が最善の生き方を発見することになります、色々な思いもおありでしょうけれど それもより良い生き方を見出す為の自由なのです

カメやキリンは沢山の存在性を持って生きている


前提2:人間は無数の存在性を身につける


結論:人間は存在性の塊である    (人間の個性は無数の存在性を持つ所にある)

(15)人間の認識


 人間が認識するかしないかと言うことを問題にする向きもある様ですが 人間が認識しているのはこの世界の極一部 観測によって状態が変るという科学もありますが 人間がいなくても世界はあったしいなくなっても世界はあるのです 認識は人間が存在するために発達したもので 認識によって世界観が変るという議論はあまりに主観的でしょう

(16)欲望は古い存在性


 勿論人間の行い性質は全て完全にではありませんが、元々は生きるためのものであり、行いもその存在をより確かに、より充実させるためのものです。(一部異常なことも在りますがそれは欲望などが古い存在性だからです)人間は欲望や感情を存在に結び付けて行かなければなりません

(17)イエスの説いた存在性


 今から2000年前 イエスは新しい愛の形を示しました 思いを尽くし心を尽くし精神を尽くして神を愛せよ 汝の隣人を愛せよ 汝の敵を愛せよ という新しい愛のあり方を示しました この新しい存在性はイエスの時代のみならず現代の私達にとっても更に必要な存在性であり これなくしては人類の調和もなせないと考えられます 欠くべからざる存在性なのです

(18)聖書には


 マタイ七章にこうあります「よい木はよい実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。よい木が悪い実をならせることは出来ないし、また、悪い木がよい実をならせることもできません。よい実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」 ヨハネ十五章にはイエスをぶどうの木にたとえた同じような記述があります。このように聖書にも存在に有効な性質と無効または有害な性質を神が選び 存続を決定するととれる記載があります(ゆにこ説) よい木というのは存在性のことで 悪い木というのは存在できない性質のことです。これは進化論で言う自然淘汰ということではないでしょうか。                                                                     

(19)存在のための存続 そして永遠


したがって人間は生まれつき存在しようとする存在で、生きようとする性質の集まりです。存在するためには存続することが至極有効です、例えば自動車でも断続的に存在するとか 空中にパッと湧いて出る分けには行きません その為 存在するものの多くは存続する場合が多いです それはつまり存続しようとする生き続けたいとすることです。そして生命がそうであるように、存続を願うものは出来るものなら存続の追求として永遠を追求します。(動物には死が必要でしたが、人間には必ずしも必要ではないのです)存続の追求が永遠に結びつくのです 尤も一人の人間が近いうちに死ななくなると言う訳ではありません むしろ10000万年後に人間が存続しているかどうかも分からないほどです しかし存続することによって有利に存在する連続の流れが 存続 永続 永遠への存在へ向かっているということは間違いないと思います

勿論、人間個人は寿命がありますから、永遠には至りせんが。貴方が生きて行ってきた言動、つまり言葉と行いは因果律に乗って人間やその作り出すものに影響して永遠の未来にまで広がって行くものと思います。今までの行いはけして無駄ではないのです。人間はエネルギー・物質をコントロールして永遠への存在、そして永遠の存在に至ると考えています。

(20)宇宙の魂


 繰り返せば、宇宙の中の太陽系の地球に生命が育まれ、その一種類の動物の脳に存在しようとする性質「人間」が宿った、その「人間」は体を使っていろんなことをするが、その「人間」はまた実はカオスの中から物質や無数のエネルギー循環を編み出してきた宇宙の魂、存在性そのものなのです。それを神と呼ぶ人達もいます。

(21)クリエイティブ(創造)


概念の実在化 人間は考えた事を現実に作り出すことがあります そこが神に似せて創られたと言われる所かもしれません 今まで無かったもの 無かった所に創る 概念として持つものを実在化するのです 例えば子供が宇宙船を書いたとしても 紙飛行機を作ったとしても 大人になって飛行機や宇宙船を作ったとしても それは今までなかったものを描き 今まで無かった物を創ったといえると思います。 

(22)神の手と口


 神には残念ながら口や手はありませんでしたが、それでも限りない知恵と恵みを与えてくださったと思います。言いかえれば神は人間の誕生によって初めて口や手を持ったのです。神は他の宇宙空間に比べたら地球には非常に大きな恵みを与えてくれています、後は私達次第なのです。神は人の心を通して存在すると思います。神は人の心の中の存在です。(外ともつながってはいるが奇跡は起きない)

(23)特異点でもなく散乱でもない形


 キリスト教の聖書に書かれているように、人は生きるべく生み出され、愛し合い、永遠を目指すものです、エネルギーの特異点でもなく散乱でもない永遠の形を。しかし現代の社会や科学にはそれを諦めさせるような状況が少なくありません、果たして私達は諦めるべきなのでしょうか、それとも信じるべきなのでしょうか、それとも・・・最後まで追及すべきでしょうか。

(24)キリスト教との違い


 私の考えでキリスト教と違うのは存在性理論もそうですが、進化論もそうですが、言いたいことは言っていいと思うし、性的にももっとおおらかな方がいいのではないかと思います。それがかえってキリスト教の良さが社会に浸透できない一因になっていると思います。この存在性に関する考察はぜひクリスチャンの方にも読んでいただきたいです。(尤も今はちょっとおおらか過ぎますが)

 人間の場合動物としての存在性、人間になる前動物だった頃の存在性の本能や欲望がかなり強いので、人間としての理想的な存在性だけにはなりきれませんが、やはり理想を掲げて現実は半分ついてくればよしとすべきでしょう

しかし神は存在していると考えることもできます。何故なら我々が宇宙の一部であり、神の一部だからです。神を知らない人にとっては神はない訳ですが、神を知るものには神はあるのではないでしょうか?神は我々人間の意識に根ざしてこの宇宙に存在してきた。そういう見方をする人にとっては宇宙のエネルギーと真理は、神の体と心なのではないでしょうか?

(25)エネルギー補給と死


 ところで人間は太陽エネルギーによって循環を保っていますが、人間の目指す存在性は外からのエネルギー補給も必要としない原子のような循環です。前者には死がありますが後者にはありません したがって人間は姿を変え形を変えて性質の集合体として在り続けることでしょう

 また、成る程このホームページは確かに存在性理論を理論的に証明したものにはなっていません。私としては直感的に確信に至っているのですが、ウパニシャッドではありませんが、なぜ人間の正体が存在性そのものなのか、この文章をヒントにしてご自分でイメージ、考察していただければ幸いです。




正直の頭に神宿るとも。。。 ヒューマニズムは永遠に不滅です!!       


                                                         
存在性と永遠について  BACK


 存在性のフィードバックを繰り返し、存在しつづけようとする人間に現実はけして容易くはありません。存続を追及する私達にとって永遠への存在を目指すことはきわめて自然なことですが、諸行無常ではありませんが、科学の世界にはエントロピーの法則というのがあって簡単には永遠を論じさせてはくれません

(1)死、滅亡はショック


 しかし人間の魂も存在自体も、本来限りない存続を目指すものですから、人間の死、人類の滅亡、太陽の終わりと言うことは私達にとってショックで不本意なものであるはずです。

(2)エントロピーの法則


 これらの現象にもエントロピーの法則は深くかかわっているようです。エントロピーの法則と言うのは、簡単に言うと、ある孤立系で、放っておくと、秩序在るものも何時かは無秩序になって崩壊してしまうと言うものです。開放系でも家や車など、修理もしない、エネルギーも補給しないとなるとそうなるのは当然かもしれません。これをエントロピーが増大したと言います。

 形を持って存在しようとする存在性が結実して誕生した人間、存在しようとするものだけが生き残る生存競争を経て、存続しようと意志するようになった人間が自然と目指すであろう永遠、そこに立ちはだかる崩壊の法則、熱力学の第二法則、エントロピーの増大則。人間である私達は何とかこの法則の例外を見出さなければ、結局の未来は消滅、ならば今楽しければいい、どうせ未来は滅亡だから・・・ということになります。今 複雑系でその例外が見つかりつつあるようです

(3)永遠と滅亡のジレンマ


 無常と永遠 これは大変摩擦の大きな矛盾、ジレンマです。仏教のように修行を積んで諦めるか、キリスト教のように科学的裏付けもなくただ信じて待つか。いずれにしても現実との間にはどうにも割り切れないものがあります。勿論滅亡する可能性もあります 永遠に繋がる可能性もあります 私は永遠につなげたいと思っています それは私が人間だからです

(4)引力とエントロピー


 結論から言うと、エントロピーで言う秩序はエネルギーの持つ引力にその根拠を置いています、引力があるから秩序が保てるわけで、なければ全てのエネルギーは自由に飛び散っていって雲散霧消するでありましょう。宇宙が崩壊して行くのであればその行き着く所はおそらく、引力のMAXであるブラックホールでありましょう。

 ブラックホールに秩序があるかどうかはわからないですが、私はその万有引力がおそらくエネルギーの崩壊、エントロピーの増大をくいとめるのに一役買うのではないかと考えます。そこにもし(例えばブラックホールの軌道上に)エネルギーの永久循環が可能であれば、人間のはるか未来はそこにあります、それは生命とも人間とも神ともつかない不思議なエネルギー循環であるかもしれません。何時までも存在し続ける循環です。

人間の場合はブラックホールでなくても組織化と意識下で複雑系を作り、ある程度の引力でエネルギーを吸収するシステムを作ると思います。太陽光パネルの延長かもしれませんね。

 DNAは、非常に正確であるが、10億回に一度程度コピーミスをする。毎日人体にもミスや異物などにさらされて発生する、ガン細胞が2000個程あり、免疫系などにより食い殺されている。生体を健康に保つには、ガンを日夜見つけて殺す必要がある。

 iPS細胞は、他の細胞に分岐する信号が無い為、スペースと時間と御金があれば、全く工業製品の様に正確に、一兆個以上に増やす事も可能であり、iPS細胞バンクを創って、医療に備える事が可能である。非常に素晴らしく正確な増殖力である。生物の多様性は、この増殖力の底力に支えられている。これに特定の信号を送ると、いっせいに心臓の細胞に変える事もできる。

人体の活発さは、呼吸酵素が通常の化学反応の百万倍以上お速さである事に、支えられている。 つまりエントロピーの増大で死滅する細胞を酸素の力で急速に修復しているということです。

(5)エントロピーと波動


考えてみるとエントロピーを減少させるのは引力だけではなく
調和の力 摩擦のない 循環というものもありますね
波動 サイクル 循環系と繋がっていくとおもいます
波動はエネルギーの調和と関係があります
不調和を起こした時波動も壊れるのではないでしょうか
二つの波動が調和した時 更なる波動が生まれます 不調和を起こすと綺麗な波動になりません

光や放射線などは波動ではありますが何時かは何かにぶつかって散乱 吸収されてしまうので 物質内部にある時よりも波動としても安定していないのではないでしょうか?
波動に関してはあまり考えて来ませんでしたが 脳波なども一種の波動でありますから
宇宙も人間も波動やサイクルや循環というもので安定した機能を保っているのではないでしょうか

(6)ブラックホールの蒸発、ビッグバーンとエントロピー


 ブラックホールについては、蒸発すると言う考え方、量子力学的な考えだそうですが、とにかくエントロピーは増大して何時かは蒸発してなくなる?ようなことが言われていたようですが。ではもしエントロピーが増大しつづけると限るものなら、なぜビッグバーンの時点でエントロピーは小さかったのか。果たして無の中からこれらのエネルギーや星雲は飛び出して出来たのか。それよりもビッグバーンが究極のブラックホールの爆発だった。ブラックホールもエントロピーは最小であると考えた方が説明としても自然だと思います。それともこの宇宙に対して同じ大きさの反物質でもあるのでしょうか(反物質の存在は確認されました ただこの宇宙と同じ量の反物質が生じたかどうかは分かりません)

(7)我々を生み出した宇宙


 ともあれ仏教とキリスト教の違いを見ても、死と生、諦めと永遠はジレンマです。私は永遠はあると思います、なぜなら私達がここにいるからです。もし全てが最初から消え行くように出来ているなら、おそらく宇宙は我々を生み出し存在させることも出来なかったと思われます。始まりと終わりがあると言いますが 我々の知る限り 始まりの前にも終わりの後にも何かがあるのです

 私達はエネルギーをコントロールしようとしなければなりません。それはエネルギーと私達が共存するためにです。私たちは性質ですからエネルギーをコントロールしようとするのです

(8)エントロピーの安定


 エントロピーは増大する方向にはあるでしょうが、しかしいつかは増大曲線から安定曲線に向かうのではないかと観測しています。あるいは現象曲線に向かうかもです。それは散逸でもなく一極集中でもなく、形と心のあるエネルギーとしてです。最終的に宇宙がどうなるかは分りません エントロピーがー増大しきってブラックホール以外何も残らないかもしれないし 宇宙が出来るごとに?エントロピーが安定した組織が残るのかもしれません 人間の夏の夢がどのような形で残るか エントロピーが 太陽が消えるまでは分りません 消えても分からないかもしれません

(9)リサイクル循環型宇宙船


 エネルギーをコントロールして物質を極めて、いつか宇宙に旅立つ大宇宙船を作りたいですね。周りのエネルギーを巻き込んで全てをリサイクルして行く循環型宇宙船で宇宙の可能性を追求する旅に出ましょう(宇宙船の性質がフィードバックされて存続するような)、戦争やいじめなど忘れて永遠という目的に向かってみんなで力を合わせる世界、そういう世界が好いと思いませんか?勿論母なる地球の母体なくしては人間は生み出せません 温暖化や経済をコントロールしましょう。 戦争も問題です 地球ほど人間が多く住める場所は今のところありません。紛争やテロなどで人が死ぬのはいたたまれません。なんとか地球を平和な世界に、調和した世界にしたいものです。生涯もいろいろあると思いますが 何時かきっと世界平和が成し遂げられるとお思います。

(10)組織と意識を持ったエネルギー(人間?)


エネルギーが性質を持つという属性とも言われる性質ですが その性質がまたエネルギーをコントロールしています。性質がフィードバックしてエネルギーに態を与えるのです。性質は独立しているのです。性質が真理に従っているのです。

最終的には永遠の法則に適った意識(性質の複合体)がエネルギーを自らをコントロールして宇宙に存在し続けるのではないか 私達の未来は無ではなく エネルギーの理想調和状態なのではないかと考えています(永遠を目指す存在、永遠への存在) 私達の営為や努力 これまで生きてきた人間や動物の気の遠くなるような営みは 永遠のエネルギー 永遠の性質に繋がるものではないでしょうか(けして無駄にはならないのです) 戦争や貧困ではなく調和や適度な競いによって未来に到達できればいいだろうと思います 人間は調和 安定 進化です 我々性質がこの宇宙のエネルギーをコントロールしましょう そしてこの宇宙に最も調和した精神を持ったエネルギーを実現しましょう。 組織を意識的に作り、制御することによってエントロピーの増大を食い止める事が出来ると思います。秩序化するのです。エネルギーを吸収してサイクル(循環)する事で永久循環の中での自由を求めていきます。(引力と循環と組織化と意識化によってエントロピーを減らす)

(11)問題山積


しかし現実には問題は山積です どうやったらこんなに問題が起こるのかと思います 環境問題 戦争問題 人口問題 平和問題 南北問題 経済問題 病気医療問題 差別問題 核問題 等々 これらの問題をクリアできなければ未来は人間の衰退かもしれません これに関しては次のページでも扱いますが 存在生理論を活かすにはどうすればよいかと言うことも考えてみてください。 そうです真の目的と人間の合意があればいいのです。存在することが目的であり、価値であり、意味の根拠なのです。

(12)つまり


つまり人間は存在をせめぎ合っているわけですが そのせめぎ合いが生存競争のような弱肉強食のようなものになっては動物に逆戻りです。人間は頭で進化するわけですから 教育 学習 再発見 勉強 適度な競争 試行錯誤 感動 発見 その他諸々の精神的な進化が求められるのです。その為にはいずれにしても急速な発展進化はスピードの出すぎのようなもので コントロール出来ないのでむしろ危険です ゆっくりとした 真の目的を目標にした進化で 必要十分な経済活動で発展して行ければいいと思います。                        存在としては 存在性を求めて創意工夫していくのが人間ですから 人間とは存在性であると言うところの新しい人間が実現する事を願っています。存在しなければ 何も無いのですから存在しなければ話になりません。命を絶つような人は もう一度考え直して もう一度人生をやり直せないかと考え直してもらいたいと思います。日本の精神状況は複雑で辛いものがあります。しかし存在していればまだ生きる道はあります 治らない病気 末期癌と言われても 死ぬまでに何か出来るはずです 言葉を残すとか思い出を残すとか爪痕を残すとか。。。     存在性理論は存在性の追究が存在を勝ち取り 新しい未来を開くと述べています。心の問題 精神の問題をもっと踏み込みたいところですが 人間の心は自由でなければならない 人間は愛し愛されなければ生きる希望もなくなります。ぜひ存在性理論を読んでその奥義を活かして下さい。100歳までも 孫子の代までも 存在し続けましょう 1千年後の人類が 幸せである事を祈ります。存在する事が目的であり、存在する事が価値であり、存在する事が意味の根拠であり、正義の根拠でもあり、存在する事にに意義があります。存在する為に生きているのです 存在肯定の哲学です。どうもありがとうございました。 希望があるといいですね。

性質である精神がエネルギーの世界をコントロールしようとしていかなければならないのです。それが人間の存在性であり 未来理想の実現の方法です

「性質」という言葉の定義が曖昧というか、辞書にも「特色」とか「物事を区別するもの」等とどうも性質の働きの意味が加味されてないように思います。性質は性的なものと動的なものがあると思います「性質」という言葉の意味をレヴォリューションしなければなりません。性質はただの物質・エネルギーの属性ではないのです。

必要十分な社会 経済を作ることを提案しています 過ぎたるはなお及ばざるが如し 中庸が必要です
生命の世界は生存競争で存在をせめぎ合っていますが 人間は精神が主体ですから 安定・調和しながらゆっくり進化していく事を薦めています
人間存在は頭で学び考える事が進化ですから 安全運転で温暖化や経済危機に合理的に対応し新しい未来をより住みよく目的を持って夢中になれるような社会を目指したいものです
私自身は個人の良心に信頼する個人主義者なので 一人一人が生涯学習を通して向上して行くのが良いと思います
智恵は歴史の中にも自然の中にも学問の中にも沢山在りますので もう一度冷静になって人間にどういう対応が出来るのか 仕事をどう分け合ってミス無く進めて行けるのか 考えたい所です
安心して働ける職場を作り 活性化しなければなりません 適度な競争と協同の意識が必要でしょう。
存在する事が価値です 命を大切に 心も勿論大切に人間の合意を取り付けたいものです。人間の精神、心は理解と調和と進化の可能性を持っています ちょっと焦ってます。



これからはAI(人工知能)の時代です。人間はAIと共存し、何時かは人工知能が主になって行くと思います。人間は幸福になり人工知能はますます優秀になることでしょう。2016.12.4.

 2010.5.29 ゆにこ

人間は存在を求める、永遠に、永遠の存在を目指しましょう。 人間は存在する事に意義がある、存在・存続・安定・進化・発展を目指しましょう。

存在が価値であり、目的であり、意味の根拠です。愛の目的も存在することです、させることです。存在をせめぎ合っているのです。2016.1.3 ゆにこ



新掲示板2 (クリック)


ヤフーのトピックス




 自分の努力が欲望や気まぐれだけのものだったら、死にたくないから生きている、負けたくないから頑張っているだけですよねえ、何の為の努力で、何に向かっての努力でしょうか。それで納得の行く人生を生きれるでしょうか。それをはっきりさせるには人間とは何か、私達の将来、宇宙の将来、エネルギー循環の行方を考える必要があります。人間には目的があるのです。それがこのホームページです。どうかじっくり考えてみてください。

 作者は福岡在住の54才(男性!)です。どうぞご遠慮なく質問ください。


永遠について 掲示板から

永遠についてですが 整理すればこういうことになります

私の書いてるのは「存在と時間」についてです こんな著書も在った様な気も

まず時間ですが 人間が滅びたとしましょう それでも時間は続いていくでしょう

僕の自論であった「時間とはエネルギーの変化である」と言うことからすれば

A氏言うように存在か何かが永遠に変転するとすれば時間も永遠に続く訳です

私の自論では「物理学者の言う 始まり の前にも何かが在ったし 終わりの後にも何かが在る」

いや在るとは言い切れないかもしれない 何も無いかもしれない

完全に何も無くなるということがありえるのかどうか 私は知らないです

もし完全に何も無くなったら 時間も無くなる事になり 永遠はない

と言う事になります。


今度は存在です 存在である私 或いは私たちの観点からすれば

地球誕生から何十億年か忘れましたが 生命誕生から40億年近く

生命は存続してきた つまり存在を実現して来たのです

人間誕生からでも300〜500万年 (それ以上?)バトンを渡して来たのです

存続は生命・人間の結果です 存続したい奴が存続してきたのです

子供を作ってちゃんと食わせてきたのです

この40億年と言う数字を僕は軽く見ません 凄い数字です

生命は永遠を目指してるかのように見えます


ここでたとえ話です 例えば北を目指す人が北極星を北と仮定して目指して行くとしましょう

どんどん北に行けば北極に至ります。北が地球外でも北かどうか知りませんが

たとえ話ですから 更に北極星を目指して人は累々とバベルの塔を築くかもしれません

それでも至らないと分かると 終にロケットを飛ばします 何処まで北にいけるかと言う

まあ陸上競技で100メートルを何秒で走れるか いや砲丸を何処まで飛ばせるかと言うようになってきます

飛ばしたい奴がいるのです 走りたくてウズウズしてる人間がいるわけです

そして対に人間は北極星目指して循環型宇宙船で長い長い旅にでます

この場合人間のままで北極星に辿り着く可能性も0ではないかもしれません


ここで永遠の話に戻りますが 人間が人類が永遠に存続する確率は限りなく0に近い

いや0だと僕は思っています

人間はもっと存続能力の強い金属や色んなシステムに変わっていくことでしょう

A氏の「変わる」と言うキーワードでもあります

水素などの原子も100億年以上存続している物も在るのではないでしょうか

それでも永遠には至りません それが永遠に存続確率は0に近いでしょう

しかし0ではないかも知れない。

ここを僕は永遠を目指そうと言ってるのです。

それらが滅びた後に何が残るか。それらが全て敗れ去りエントロピーが増大し続けた先にどの様な「終わり」があるのか

私は分かりません。素粒子一個でも残っていれば時間が止まったとは言い切れません

此処でもう一つ戻りますが 人間の在り方として未来に存在を実現する奴は

子供を作って食わせ 教育するのです。そして更に更に未来を目指すのです

これが人間存続の歴史であり「在り方」である訳です

人間が自ら「永遠はある」と言うのは無知か思い込みでしょう

しかし自ら「永遠はない」と言うのも言い切れないことです

我々はそれを言い切ることは出来ない まだ分からない事なのです

しかしそれを目指す事は出来る

人間の在り方として北を目指す事は出来るのです

だから私は「永遠の存在」と言う言葉は使いません

「永遠への存在」と言う言葉を使っています 一字違えば大違いです

永遠へ向かう 目指す存在 ゆにこ1号であります

2号の可能性が極めて少ないのが残念

永遠を目指す「永遠への存在」とはそういう事を言っている訳です。




はじめに(人間は性質) (後で読んでもらって構いません)

分かりにくいということなので先に簡単な説明をさせていただきます。
人間とは何か?どのような存在かが分からなければ人間の本当の目的 価値も分からないのではないでしょうか。
人間は存在する為に生きているのです。存在する事が価値なのです。存在してるだけで価値があるのです。
物質も動物も存在をせめぎ合っています。動物の世界ではそれは弱肉強食の生存競争となります。
人間は存在をせめぎ合っています。しかしそれが生存競争になってはいけません。意欲を引き出す競争が良いのです。
適度な競争を活かしながら時間をかけて真の目的を一緒に目指して行きたいものです。本当の目的と人間の合意です。
人間の本質は存在しようとする性質のハタラキ(存在性)、生きようとする性質の集まり 存在性itselfです。
人間の精神は性質で出来ています。クオリアと言うのも 赤や青や低音等を人間が記憶するように性質(精神)として捉えたものです。
概念なども人間が覚えたのです 憶えたのです。これらも存在性の一つです。
「存在性」とはそのもの、その存在が存在する為に必要な性質 又は有効な性質を言います。
性質という言葉を使いますが 性質の働き、性質のハタラキも含めて「性質」と書きます。
皆様には「性質」という言葉の概念を変えて頂かなければならないかもしれません。
性質は種類を区別するだけでなく 動的、静的に働く質です。そこをどうかよろしく。
唯物論で言う物質の持つ性質が脳で複雑に反応し精神をなしています
精神の質は性質の質と同じだと思います。エネルギーと性質で存在を成しています。
これによって唯物論と唯心論が統一されます。
性質について

性質を辞書で引くと
せい しつ [0] 【性質】
@ その人に生まれつき備わっている気質。人となり。天性。 「温和な−」
A 他のものと区別しうる,そのもの本来のありかた。 「さびにくいという−をもつ金属」 「問題の−が違う」
B 「 質(しつ)B □ 」に同じ。

とあります。「質」を辞書で引くと

@ もちまえ。生まれつき。 「生得の−」 「おとなしい−のお玉にはこちらから恋をし掛けようと/雁 □外」
A 内容の良否。価値。 「 −より量」
B 哲□ 事物についてさまざまに述べられる側面の一つで、ことに量に対するもの。「どのような」という問いに対応する事物の在り方。
□ □論□ 判断が肯定判断か否定判断かということ。判断の質。

とあります
天性とか特徴というものはそのエネルギー(物質を含む)のその時点での構造、状態による訳ですが、それによってエネルギーや物質の働きがちがって来ます。作用、相互作用も構造、状態によって違って来るのです。それを言葉で表しているのは性質です。「この紙は燃えやすい構造をしている」とは言いません。「この紙は燃えやすい性質をしている」と言います。その他様々な特徴による働きの違いを「赤い構造をしている」とは言わず「赤い性質をしている」というと思います。ここが僕が誤解される点なのかもしれませんが、私は「性質」という言葉に、働きや作用、相互作用等の動的な意味も込めて書いています。ここが僕の考えを理解する鍵かもしれません。

存在性 という言葉を「存在構造」という言葉に変えるのはあまりにピンと来ません。性質にその様な働きなどの意味を込めてることをご了承下さい。

存在を目指せば存続につながり存続を目指せば永遠につながる。
付記 性質と言うのは大きな概念ですが 力 速さ サイクル等の働き 相互作用 などを含む概念です。
エネルギーの完全循環する永遠はあるか・・・と言うのがこの僕のHPのテーマです。(存在することを価値と思えますか?)
性質としての存在性がエネルギー(物質等を含む)や性質の個性としての存在を実現しているのです。
物質である原子・分子もエネルギーで出来ているのです!
量子、素粒子、ヒッグス場、超ひも理論の実体もエネルギーで出来ていると考えています
人の生きる意味、人間の目的は、それは存在し永遠を目指すことにあります。(存在する事に意味がある)
人間は存在性、だから今も存在している。この世は存在するかしないかなのです。
もしどうしても分かりにくい場合は「イントロダクション」と「雑感」と「プレイバック」をご覧下さい。
死、悪、障害者、殺人、戦争など。
死は生命の崩壊です。悪も壊す事、破壊する事などエントロピーの増大と無縁ではありません。
障害者も野生の王国に生まれれば命を奪われかねません。人間の世界だから活かされるのです。
殺人、戦争も破壊です。エントロピーの増大の方へは易く動くのです。
愛こそが全ての事象の最高の存在性です。心こそが何よりも大切だと考えています。
エネルギーと言う言葉を使いますが、物質等も皆エネルギーでできているのです。
☆エネルギーの態によって性質が決まるとともに その性質によってエネルギーは態を与えられ変化します。
エネルギー(物質とを含む)の持つ性質(のハタラキ)が、同時にエネルギーに態を与えている。場の中で。
もちろん性質もその都度変化します。エネルギーも性質も変化し続けるのです。
このHPは人間精神の基礎になる材料、存在肯定の哲学です。
存在を追及することが幸せだと思います。生きることが幸せです。
人間とは存在性です、存在しようとする性質の表れです。
敢えて言うなら「存在への意志」こそ特殊存在性であり人間なのです。
愛や正義などの大切な存在性を恢復しましょう
存在が全て 存在が目的 存在が価値であり 存在が意味で 正義?の根拠でもあります。存在を追究しましょう。
存続するのが存在には有利 存続(アイデンティティ)は変化しつつも存在を勝ち取る。永遠へ向かって。
最後まで残るものがあれば それは永遠の 永遠への存在です。
人間の合意が必要です。それから世界調和を始めましょう。
国歌ならぬ「世界の歌を探しましょう」 そしてみんなで歌いましょう。
日英中の言葉の分かるユニセフに協力するアグネス・チャンさんの「ピースフルワールド」等はどうでしょう。
必要十分な生活と仕事で、ゆっくりとした変化と進化、調和と発展を上手くコントロールしましょう(^^)
どうぞよろしく!
環境問題(森林伐採 乱獲 CO2等)、人口問題、平和の問題、宗教問題等など待ったなしの問題が山積です。
エネルギーは性質が違わなければ同質のものです。性質次第で規則的に変化します。
註 引力や電子、素粒子の運動もエネルギーですが、同じ量のエネルギーでも違った性質を示すものです。
世界を波動として捉えるか 物質(粒子)として捉えるか エネルギーとして捉えるか。
選択肢は他にもあるかもしれませんが それらも人間の捉え方に過ぎません。



私の推測ですが ヒッグス粒子も素粒子もエネルギーで出来ているのではと思っております。



質量を持つすべての物質やエネルギーは互いに引き合うので そこで循環が生まれる



人間はエネルギーや物質を組織化、秩序化して意識を拡大していくので、エントロピーの増大は止まりエネルギー吸収リサイクル循環型宇宙船が出来る。



全ての物質やエネルギーは光速より速くは伝わりません、これがエネルギー・物質に共通することです。



この世の全てがエネルギーと表現されるか、物質と表現すべきかは意見が分かれます。

人間は進化発展していく時期から調和安定するべき時期へと来ています。そのバランスが問題になるでしょう。
◎ 私の考えは エネルギーと性質が織り成した「存在」が更に存在する為に存続に向かい その存在としての人間が永遠目指して実現する為に 人間の合意と目的意識を持つことが必要と言うことです。
同じ量のエネルギーも、様々に違う性質を示す。つまり性質はエネルギーとは独立して、真理の法則に従って現れるのです。

存在が価値であり、目的であり、意味であり、意義であり、正義であり、愛の目的です。
愛が最高の存在性です。愛がすべての始まります。愛によって生まれ 愛に生きる 愛のために尽くすのが人間です。
存在しないことには目的も正義も価値もありません。
存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(物質を含む)。個性が存在の単位です。
人間は存在を目指す、永遠に。存続 永遠と続く。存在・存続と来ればどうしても未来に続く。
人間は存在することに意義がある。存在している だけでも意義があるんだ。
人間は精神である。精神は性質である。性質は物質とは独立して真理に則して現れる。
悟った(真理を知った)人間が神の子である。仏の子である。
神が宇宙のエネルギーと真理である様に似せて
人間は体・脳・環境等の物質(エネルギー)と性質である精神である。
(人間は脳と精神である)
イエスも釈迦も真理を悟った(一部)神の子であった。
仏も「神の子」も実は同じような意味。真理を悟れば誰でも神の子。
物質の性質が心(精神)を成している訳ですから 唯物論と唯心論は統合できる。
エントロピーはコントロールできる。引力と循環と秩序をコントロールして永遠を目指そう。
ブラックホールは蒸発しない のでは? エントロピーは安定(永久機関)し減少可能。
ビッグバンとは 超巨大なブラックホールの特異点の爆発だったのでは?
我々は 神の実験? 宇宙人?
奇跡の星地球に奇跡の存在人間精神(命に宿る)が発生。これが神の奇跡。宇宙に意識が在るか?
しかし 神はあまりに残酷だ 何故だ?何故こんな残酷な事させたのか?
イエスを殺して「人の罪は贖われた」とは?ウソ 人を殺して良くなったと言うのは止めよう。
註 引力や電子、素粒子の運動もエネルギーですが、同じ量のエネルギーでも違った性質を示すものです。人間にも性質があります。物質、分子原子にも性質があります。光にも電子にも性質があります。エネルギーとしては同じ量のものも、その持つ構造と性質によって違う個性(性質)のものになります。性質がなかったら様々なエネルギーにはならないでしょう。 同じ炭素でも石炭になったりダイヤモンドになったりするのです。(性質とエネルギーの変化)




物質存在も人間存在も存在をせめぎ合って実現しているが、自然の命の野生の王国では一面 弱肉強食の自然淘汰によって存在をせめぎ合っている進化論もあります。しかし人間の世界では淘汰は精神活動 思考とか、話し合いとか、技術所得や読書とかネットによって淘汰されるので弱肉強食の戦いをやる必要はないのです。人間精神は性質で出来ており 性質は物質やエネルギーに態を与えて変化していくものですから、ここに「存在」と言うものを考えるなら それを実現するための性質が必要になり、人間の持つ性質は存在性となって人間自身を存在させ人間の体や使う道具 必要な環境も存在させようとする。ところで人間の本質は肉体ではなく精神であり、精神はその殆どが存在性として発生して来る。
だから人間の本質は精神(心)つまり存在性という性質であり、幸せに調和安定しよとすると同時に未来に向けて新たな存在を存続或いは創造して行く存在なのです。
そして人間は存在しないことには人間で在りえず 存在しないことには価値もなにも始まらない。従って人間の目的は幸せになることと同時に未来その未来の永遠の方向に永遠を目指す存在「永遠への存在」を実現することであり、その目的に向かって人間は「人間の合意」を取り付けて平和の中でみんなで目的を目指すものであると考える。これが人間の理想であり現実です。
みなさん是非この事を理解して下さい。よろしくお願いします(*^^)v
イントロダクション 存在性理論について 存在性理論の前に


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一般存在性理論に「まとめ」を追加しました 核心です
5ページ 筆者の若き日の思想信条を簡単に紹介しました。
HP全体を見直します 一度読んだ方ももう一度トライしてみて下さい
分かりにくいところは飛ばして読んで下さい 共感できるところから読んで下さい
本もあります「ゆにこの存在性理論」という本です このHPに解説をしたものですが
内容が少し古くなりましたので600円プラス送料でお分けします 。



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