URLをCopyしてEnglishに http://translate.google.co.jp/     

                命を救うクリック http://www.dff.jp/

                 今メールマガジンでは「出来のいい文」を配信しています(時々)

まえがき(本に在ったものを書き換えました)

 

世界中で悲鳴が上がっています。日本も不況の経済苦で、職の有無や職業に関わらず、ボロボロになった人達が「日本中がそうだから世界中がそうだから」という諦めの中、こき使われています。世界にはもっともっと酷い所が沢山あります。人間が物以下の扱いを受け、中でも子供への被害は悲惨なものです。

 パレスチナの難民はいつまで、酷い暮らしに耐えればいいのでしょう。酷い環境の中もう亡くなった方も多いことでしょう。アメリカは次々に戦争を起こします。国連は何をしているのでしょうか?

 私が小中生の頃もアメリカは、ベトナム戦争をやっていました。泥沼化していく中で、アメリカは悪魔に魅入られたような残酷な殺人を繰り広げました。しかし、それでもアメリカ兵は殺され、何の為の戦争か、神をも恐れぬ人間でなくなったかのような酷い戦争でした。そういう中で私たちは悲しみの学生時代を過ごした様な気がします。様々な国際問題。そういう問題の中で、私たちは心を痛め、何か出来ないものかと、思っていました。ボランティアで色々な無償活動をしていた人もいました。スポーツで忘れようとする人達もいました。今では皆いい父、母になった方も多い様ですが、私は学生運動の世代ではありませんが、大学に行くと、運動のびらが貼ってありました。授業時間を借りて、原爆の脅威を訴える人達もいました。それを怒りつける石頭の教授もいました。

 

今はシリアが政府軍、反政府軍、IS(イスラ国)に別れ、それをアメリカやロシア等が空爆し国は滅茶苦茶になっています。シリア難民は他国ヨーロパなどを目指しトルコ、ギリシャへと冬の海を渡ります

誰が悪いのか?ISが悪いのか?ISを生み出したアメリカが悪いのか?イラクが悪いのか?分かりません。

 本当のことはなんだろう。何故人間は争ってばかりなのか?何故人間の世界は矛盾しているのか、学校で教わることと全く違うじゃないか。それが現実ならば、どうやったら現実を変えられるのか。私は考え込みました。大学受験も勉強はしましたが、考える為に勉強をしました。参考書を読み、大学も中退し、家出してアパートに篭って考えました。三ヶ月も人と話さなかった事もあります、孤独の中で、教わったことを頼りに考え続けました。
様々な生活障害で、考えることさえ出来ないこともありました。そして解決らしきものが見えたのは、本など読み、哲学がまた進み始めてしばらくしてからでした。

 存在性という働きが在ることが分かりました。それから目が開けるようにして、わかり始めました。尤もその頃には独自の哲学になってしまっていて、この本も一度読んだだけでは、分からないかもしれません。何時の間にか素朴な疑問は独特な解を導いていたのです。
僕は青春時代、思春期から考えました。だからこの内容はいつか現代の若者に届けてあげたいと思っています。未熟なまま高校を卒業した私は、人間になるまでに二十年の歳月を要したのです。今は皆大人になって子供の世話や、仕事も鬼のように大変です。そして許される事なら、世界中の子供を助けてあげたいです。人によっては「この内容でどうやって助けるのだ」と言われそうですが、本当に理解していただければ、その道が開ける哲学だと思い続けて考えております。読みにくいところもあるかと思いますが、エンターテインメントではなく、真理の原石なので、そこをなんとか踏ん張って一年かかっても、読んでみて下さい。どうか宜しくお願いします。
もしあなたの側に、この本の内容に興味のある人がいたら、是非紹介してあげてください。

HPにメルマガで解説を施し色々書き直しました。繋がりが良くないですが、御容赦下さい。
存在性理論という看板ですが、存在性哲学と言った方がいいかもしれません。存在性思想ですね。
2009年4月25日(本は2005年7月11日) 2015年12月23日更新

 

    このHPをお読みの際は 物質 原子・分子もエネルギーで出来ている事を頭に入れてお読みください

★ 3013.12.13時点 理論物理はヒッグス粒子など色々発見が続きましたが 存在の原理は変らないものと考えます。ダークエネルギーはまだ疑問です。

 

東北大震災に遇ってお亡くなりになった方 被災された方々 身内友達が被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

 

http://blogs.yahoo.co.jp/yuniko99/folder/110679.html#1309576 ブログです よろしく〜♪☆

都会では 自殺する 若者が 増えている 今朝来た 新聞の 片隅に 書いていた・・・・大変だ!

テレビでは 我が国の 将来の 問題を 誰かが 深刻な 顔をして 喋ってる・・・・何とかしなきゃ

 

存在主義

存在する事が目的であり、存在する事が価値であり、存在する事に意義があり、意味もあり。

みんなで存在する事が正義であり、愛の目的も存在を実現することです。

愛は互を活かし合う最高の存在性であり 愛なくしては命も人間存在も出来ません。

存在性によって存在は実現します。存在するものの世界だから 存在主義です。存在する事が何よりの目的です。

存在を追求してゆけば全てが分かります

             目次

1P ダイジェスト 宇宙の中の人間の運命について  はじめに(人間は性質)

巻物、草馬由仁子の存在性理論(人間とは何か) (1)人間どうせ死ぬけれど?(1)人類の未来は

(2)本当に必要なもの (3)存在すること (4)循環して安定する存在性

(6)四十億年の生命と存在性 イントロダクション (日常意識として)

 

存在性理論について (1)正義、愛、真実? (2)地雷を踏んだ人の代わりに

(3)目的を持って必要十分な生き方で

 

存在性理論の前に (1)洗礼も出家も (2)実在と形象

(3)存在論  エネルギー(物質等を含む)と性質の個性(4)時間と存在 (5)「私」と「エネルギー」

(6)精神は性質 (7)主観と客観について  参考

 

一般存在性理論 2P  一般存在性理論 (1)性質について (2)光りの存在性

(3)酸素原子の存在性(よく読んで下さい) (4)存在性とは (5)存在性進化論

 

(7)亀の存在性 (8)動物の存在性 (9)植物の存在性 (10)呼吸と光合成 (11)自動車の存在性

(12)コップの存在性(13)コップの存在性2(14)本質と存在性と存在の個性(重要)

(15)存在性と存在(個性) (16)無駄または有害なもの(17) 性質 存在 存在性 存続 存在の個性(まとめ)

(18)存在性の説明 (19)つまり (20)水の存在性(参考まで)(21)存在性の仕組み

(22)犬の存在性(23)DNAの存在性 (24)存在性の特徴 (25)時間と存在

(26)僕の記憶 (27)主体化した人間 (28)諸科学説と存在性

 

 

特殊存在性理論 3P  人間の特殊存在性(1)思いめぐらし愛する事も(2)人間発生の経緯(3)愛すること憎むこと

 (5)人間の精神(6)心理と病気

(7)因果応報のフィードバック(8)人間の生存競争(9)そこまでしなければ

(10)人間と動物と物質の違い(11)人間とは(12)DNAと人間(13)人間の反応

 

(14)人間の正体(本質)(15)人間の認識(16)欲望は古い存在性(17)イエスの説いた存在性

(18)聖書には(19)存在のための存続 そして永遠(20)宇宙の魂(21)クリエイティブ(創造)

(22)神の手と口(23)特異点でもなく散乱でもない形(24)キリスト教との違い(25)エネルギー補給と死

 

存在性と永遠について(1)死、滅亡はショック(2)エントロピーの法則

(3)永遠と滅亡のジレンマ(4)引力とエントロピー(5)エントロピーと波動

(6)ブラックホールの蒸発、ビッグバーンとエントロピー(7)我々を生み出した宇宙

(8)エントロピーの安定(9)リサイクル循環型宇宙船(10)意識を持ったエネルギー

 

存在と自由他 雑感 LINK 4P  諸要点 心について 自由と存在について 欲望について 愛について

自我と存在性について 存在性と芸術 愛、友情、正義などの存在性

精神は性質で出来ている か 唯心論 唯物論

 

Pさんのまとめ 存在性理論  肯定否定と進化の速度 調和について

具体的には 参考  存在性の未来 存在性を価値観にした世界

存在性理論的生活 存在性世界の未来像

 

筆者人となり

参考 存在性理論と教育 感謝と課題 存在性理論の課題 あとがき

 

ある程度理解した人 興味のある人はどうぞ筆者に連絡下さい   yuniko99@mti.biglobe.ne.jp

 

果たして真理の的を射てるか否か あなたの精神で確かめてみてください。

 

  補足

エネルギー:エネルギーとは 運動エネルギー 熱エネルギー 光のエネルギー 引力エネルギー そして質量を持つ物質も素粒子もエネルギーで出来ていると考えます。全て在るものはエネルギーで出来ています。おそらくヒッグス粒子も。

   性質:互換可能なエネルギーが色んな状態なのは、法則に則った性質によるものと考えます。色んな性質が在りますがすべて同じ条件なら同じ性質を示します。エネルギーの属性とも言われますが、法則に違わないと言う独自性を持ちます。

同じ量のエネルギー・物質も、様々に違う性質を示す。つまり性質はエネルギーとは独立して、真理の法則に従って現れるのです。

      存在性のないエネルギーもすべて因果律に従います。

哲学では昔から、万物の根源を 水とか火とか 空気とか モナドとかアトムとか原子とか 素粒子とか量子とか言って来ましたが

結局はミクロの世界を見ているだけで 量子にもエネルギーと性質が在るのではないでしょうか。ヒッグス粒子にも。

エントロピー増大と存在性の対決。

「性質」と言うものは「特徴」「特性」と言われますが 性質は絶えず変化するもので、時間を止めて考える訳には行かない以上性質の「はたらき」と言うものがあります

存在性と言うものも働きであり 存在するように働くものです。性質はただの特徴ばかりではなく、はたらき、作用、相互作用をも意味します。

存在性理論は一面「性質進化論」と言うことになります。この方が分かりやすいと思います。

僕は平和のためには調和することが必要だと思います。無理なく必要十分に ゆっくり進化しよう!♪

北京オリンピックまで ! 平和と許しの呼びかけをします。ミャンマー 四川の大災害にも寄付しました。

東日本大震災にもフィリピンの台風被害にも寄付しました。

アグネスチャンと一緒に世界の子供達に笑顔を取り戻しましょう!!

イスラエル パレスチナ グルジア問題http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%95%8F%E9%A1%8C

そのほかこれまでに多くの戦争・紛争が起こり その傷が残ってきました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%B8%80%E8%A6%A7

紛争をあわせるともっと沢山在ると思います。今こそ戦争の終結を実現できる時です。

雑草うにさんの発案で、今年も呼びかけます。世界中の戦争・紛争の停戦を マークはv^^。(ピーシュ)です。

アグネスのページです  http://www.agneschan.gr.jp/

  この存在性に関する哲学を考え、HPにして紹介している理由は、何時まで経っても分かり合えない人間同士の戦争やテロ

  不公平な現実の中で死んでいく子供たちや陰湿な社会のいじめや強引なリストラ、特に日本は自殺率が高すぎる、生き辛い

社会だと思います。そういう中で教育のレベルも比較的高い私たちは何でも自分が正しいと思うか、宗教に頼って思考停止

してしまうような所があります。この現代においてこの世界の現実の根本から考えなければ心からの和解と、人間の目的

が判りません。ひいては人間とは何かを自覚しなければそれも判らないと思います。

結論を言えば人間とは存在性の集まりです、本質は存在性なのです。そう考えるのが健全です。目的は永遠への存在を

目指すことです。その目的に向かって人類は仲間、運命共同体なのです。無闇な生存競争をすることなく、目的を見失わないで

人生も楽しみながら、オリンピックのような 文化祭のような、活気に満ちていて安全にゆっくり進化していける世界を目指したい

と思います。 みなさんご理解とご協力をお願いします m(_ _)m

ただしこの理論は飽くまで存在とはどのようなものか、人間とは何者かということに関する原論でありますから、ならば世界はどうあるべきか。自分はどう生きるかと言うことはご自分で考えていただかなければなりません。飽くまでも宗教と言うものではなく、その一歩手前の原論である事をご承知置きください。狭き門より入れと言うことです。

しかし世界平和 愛と調和 未来の世界のイメージ 今何をなすべきかは自然と分かると思います、それは人それぞれ違います。

(このHPは横に長すぎるのでウインドウを中くらいにして読んでも読みやすい かもしれません)

核兵器全廃 平和憲法 平和外交実現 CO2固定化促進 森林と自然を復活

宗教対話調和実現 世界に再び正義を!出来るだけ多くの人に幸せを・・・

人間の合意によって真実の目的を目指しましょう♪

 

      宇宙の中の人間の運命について 1995.6.24(プレイバック)

人間の本性とはなんでしょう。エゴであり幸せを求める心であり、愛であるかもしれません。

それは自己保存のためであり人間の進化のためかもしれません。

では宇宙の流れはどうでしょうか。

今分かっている限りでは、ビッグバーンで始まった宇宙はブラックホールの蒸発で潰えそうです。

では人間と宇宙の関係はどうでしょう。

今のところ人間は太陽に照らされて舞い上がった土ぼこりの渦のようなものかもしれません。

太陽とともにあるいは原子力とともに燃え尽きる運命のようにも見えます。

しかし私達はここで考えなければなりません。

40億年という生命の営みとそこに生まれた魂が求めているものは何かということをです。

宇宙のエネルギーは循環するか、そこを離れて崩壊、散逸するかです。

でもその散逸するエネルギーを吸収してリサイクルすることが出来たら、

宇宙の流れと人間の運命は変わると思います。

尤も物理学ではこれを熱力学の第二法則〈エントロピー増大則〉をもって無理なことだとしています。

私は今その法則の例外を探しているのです。

      国立天文台は1995年、銀河M106に太陽質量の3600万倍の巨大ブラックホールを発見したと発表しています。 その他ダークマター クエーサー パルサーなど宇宙には色んな個性を持ったエネルギーが存在します。

      エネルギー : 物体が物理的な仕事をすることのできる能力。力学的エネルギー(運動エネルギーと位置エネルギー)のほか、化学・電磁気・熱・光・原子などの各エネルギーがある。さらに相対性理論によれば、質量そのものもエネルギーの一形態である(物質 原子・分子もエネルギーで出来ている)

      今 ビッグバン理論や相対性理論が見直されていますが わが意を得たりです。ダークエネルギーと言うのも甚だ疑問です。

      ヒッグス粒子のヒッグス場によって質量が生じると考えられる今 それでも存在性の原理は変わらないと考えています。

 

 

 

      

 

          表紙に    次ページ

                         

   

                巻物 草馬由仁子の存在性理論 (人間とは何か)                                                                     

        人間の生きる意味、存在理由と永遠を説明するユニコの存在性理論へようこそ! 

                    (1)人間どうせ死ぬけれど?

 私は若い頃、学生の頃、何でこの社会はこんなに無責任なんだろう、学校でもゴミをポイ捨てする人が多かった。巷でも川原や海岸などにゴミを捨てていく人が多かった。勿論それだけでなく、犯罪も多く、人生相談なんか聴いてると世の中の人は酷い人が多いなと思っていました。私は中学で整備委員を三回、高校でも美化委員を三回 美化委員長を一回やりました。美しくしたいというより、掃除をサボらないでほしかった。掃除をサボる人が居る分、多く掃除をする人がいる。特に男子がサボり女子が掃除をするという傾向が強すぎた。僕はそれを無くしたかったのです。そんな考えから始まって 人間は何の為に生きてるのだろうとか、私たちは何をすればいいんだろうとか考えました。その疑問の辿り着いたのが、この存在性の考えです。 今の若い人も何のためにこのような厳しい過剰競争社会に押し込まれなければ成らないのか、疑問に思う人も多い様です。人間とは何者なのか、永遠とは何なのかが分からなければ、昔のように世のため人のため人類のためと言う人は宗教関係者ぐらいで、それもそうだと思うから、そう信じているからというだけになってしまいます。

 矛盾多きこの人間の正体は何か、人の未来にどういう可能性があるか、みんなが力を合わせて目指すべき目標はあるのか無いのか。それが分かっているかいなかでは、日常の意識も営みも違ってくるのではないでしょうか。

(1)人類の未来は

人間の一生というのは長いようで短いものです、私もいつの間にか51才になってしまいました。
しかし人類の未来はどうなのでしょう 特に子供のある方は気になるところだと思います。
今人類存亡の危機と言ってもいい状況が発生しつつあります。CO2による温暖化、人口問題、格差社会南北問題、病気や食の問題、核拡散の問題などこのままにしては置けない問題だと思います。

矢張り人類は共通の目的意識を持って運命共同体とならなければ、これらの問題を乗り越えていけないのではないでしょうか。
その為には今まで哲学が抱えてきた、人間とは何か、今何が出来るのかが分からなければならないと思います。
今の若い人も何のためにこのような厳しい過剰競争社会に押し込まれなければ成らないのか、疑問に思う人も多い様です。
私も若いころから考えました。そして自分なりの答えを見つけたつもりですそれがこの存在性理論です。まあ理論と言うより哲学と言うより思想ですが。
人間が力を合わせて未来に向かっていく目標が在るのかないのか。人類の終焉は滅亡なのか永遠なのか?一緒に考えて行ければ嬉しいと思います。

                     (2)本当に必要なもの

 蟷螂(カマキリ)は目の前を横向きにある長さの細さの物体が横切るとそれに跳び付くのだそうです。それが木の枝でも、ガラス棒でも、釣り針の入ったワームでも食べ物と思って跳び付くのです。人間は そういう面もあるし、そうでない面もあります。自分にとって本当に必要なもの、自分をかけて目指して裏切られることのないものとはなんでしょうか。

                          (3)存在すること

カマキリも獲物に跳び付く事によって存在している訳で、私達も存在しなければ幸せも目的もないわけです。それでは 物質や私達がどのようにして存在しているのかを考えてみましょう。

                    (4)循環して安定する存在性

 物質は電子の高速で動く性質と、原子核の引き付ける力、引力がつりあって循環するという新たな性質を獲得してそこに在ります、循環するという性質を合成できなければ物質として存在できないのです。その原子として存在するための性質、ここでは循環して安定するという性質を物質の存在性と呼びます。動物や人間が色んな性質を持って存在しようとするのも存在性と呼びます。

                         (5)人間の存在性

 人間も自分を守り、食べ物を探したり作ったり、働いて家を借りたり建てたり、着るものを買い物したり、衣食住を確保しなければならない。それらも存在性です。食べること、息をすること そして未来に向かって恋をして結婚したり子供を作って育てたり、人間を存続しようとしています。人間は競争し存在をせめぎ合っています しかしそれが生存競争のような犠牲者を出す戦いになってはいけません。人間は学習 知性 文化・文明で進化するのです。そして人間が生きた存在の営為 努力 願いはその人が無くなって後にも永く生きていくことでしょう。イエスを嫌う人もいますが イエスもクリスチャンたちの心の中に生きる様に語り継がれています。人間の生きた行いや気持はけして無駄に成ることなく 未来まで活かされていくことでしょう。

                     (6)四十億年の生命と存在性

 結論から言うと人間とは存在性そのものであり、自然として永遠を目指します。欲望ばかりに従うのではなく存在性に従って、たとえ傷つきながらも、本当は永遠を目指し、命のたすきを繋いで行くものなのです。人々の生きた努力が無駄にならない様に永遠を目指していかなければなりません。ちょっと難しい、説明足らずの理論ですが、ポイントは人間が、40億年のフィードバックを繰り返してきた生命の上に、この宇宙のエネルギーに、形を持って体現しようとする存在性が身について実現したものだということです。一見堅苦しい論文のように感じられると思いますが、中には命の実が入っています。 とにかく読んでみてください、そしてもし分からなかったら遠慮なくメールして下さい。  平成12年10月12日(火)草馬由仁子                                                                                                                  平成20年 1月17日(木)ゆにこ。平成22年 5月27日(木)、12月23日(木)ゆにこ 平成25年5月21日(火)              

 存在性: そのものが(その系)が存在する為に必要な性質 たとえば循環すること、三態に変化すること、息をすること、ご飯を食べること、移動すること、知識を持つこと、役に立つこと 調和すること等など無数にあります。愛することは最高の存在性です。平成29年12月10日(日)

                                                       

       yuniko99          

              イントロダクション (日常意識として)

 自由にものが考えられるということが、人が動物に比して行動の自由がある所以でありますが、経験的自己、即ち思い悩み試行錯誤して形作られて行く自分は、気がつけば様々な思いを持ちながらも何時か日常に専心しているようです。

 それはなんだか以前の自分でないようでいて、やはり昔からの自分でもあります(アイデンティティ)。そこには何かを求めて、思いを形にしてきた自分の意志があったのではないでしょうか。

 また、経験で得た性質、習慣はいつのまにか自分を生かす術となっていますが、もしそれがなければ人は生きていないでしょう。これは人についてだけでなく、生命や物質についても同じことが言えて、実はこれが全て形あるものの存在する原理であると考えられるのです。(存在性)

生命や動物に比して人間は色んなことを考え、やっているようですが、元をただせばスポーツでも芸術でも恋愛でも生き残る為、共感を呼ぶため、新しい命を生み出す為にやっています。

 そして愛という働きはそういった形ある系、あるいはエゴを越えて更なる形を求めようとする意志が伝わって行くものではないでしょうか。

 それから人は弱肉強食の自然淘汰や人が神に代わって裁こうとする人為淘汰に身をゆだねるのではなく(人間はそこまで賢くはないから)、ただ人為を尽くす創意工夫と経験習得が何時か人を救い繁栄させて行くと考えた方がいいように思われます。

 しかし急速な発展進歩は逆に系の安定を欠いて危機を招きかねません(ゆっくり進化しよう)。また人は力としては育み作る力より壊す力の方が勝っていて、これが悪の原因のひとつだと思われます。宇宙の状態も同様かも知れません。従って社会など、調和を失うと犯罪や戦争、退廃などが起こってその社会を崩壊の危機にさらします。

 人の永遠については、そういった人の性質の問題とともに形ある物質としての問題として、エネルギーの調和安定が必要で、これはエントロピーという概念として考えられ、これが安定したときに循環系としての永遠が存在するであろうと考えられるのであります。(エントロピーの安定)

 エントロピーの法則: ある孤立系で、ほっておくと秩序は無くなって行きばらばらになってしまう。煙なら全く濃淡も無くなる 覆水盆に返らず、周りからの圧力がなければ巌も細石になってしまう。エネルギー(物質とを含む)は劣化する。ほっておくと乱雑になる。

エントロピー増大則 エントロピーとは乱雑さのこと、秩序の無さの事です。
この世の物質は、それが属する系にエネルギーの出入りがなければ(例えば地球は太陽からのエネルギー供給を受けているから秩序や生命を保つことが出来る)その系(孤立系)は時間とともにエントロピーが増大する。つまり乱雑さが増大する 秩序がなくなる。

つまり太陽も最後は陽が消える以上、地球のエネルギーの乱雑さは最後は増大しきって、最も質の低い熱エネルギーになって地球の場合は開放系(系の外とエネルギーの出入りがある)なので、熱も宇宙に去っていって氷の世界になって今の自然界や人間の秩序は無くなる。尤も地球は太陽に飲み込まれてしまうでしょうけど。

太陽が消えるまでも無く人間は折角の地球の秩序、自然の摂理による調和、40億年の生命の秩序を破壊して乱雑な意味の無い世界にしつつある。そして最も質の悪い熱エネルギーを溜め込んでいます。

その代わり人間は人間の秩序を作って生き残ろうとしているが、自然の助けなくて秩序は保てないのが現状 今複雑系はエントロピーを減少させると言って研究されつつある。
複雑系と言うものは人間とか人間の作ったシステム。僕もそれには共感します。

したがって理想を言えば何時かはなくなる石油や(熱になる 排気ガスにもなる)核に頼るのではなく、リサイクルを研究し最後は夢の島も掘り返してリサイクルしなければならないでしょう。

エントロピーの法則(熱力学の第二法則)には例外は無いと高校の先生も言っていました。竹内均さんも「宇宙も終る」という本を書かれています。

複雑系の研究者はそのような方向にばかり行かないようにエントロピーの減少するシステムを考えていると思います。人間のコミュニケーションや 家やロケットを飛ばすのも無意識に複雑系の可能性を考え、命や精神や形あるエネルギーシステムを作ろうとしているのではないでしょうか。

つまり僕の存在的持論の要点の一つはこのエントロピーの増大を抑え(温暖化も解決し)エネルギー完全循環型システムが作れるのではないか。人間はその架け橋になる存在ではないか。
そして人間は突き詰めて考えると存在性そのもので、その本質は上の事を実現しようとしているものだというのが僕の存在的持論です。

  難しいけど頑張って読んでね!                      

 

                                                  

                   存在性理論の背景     BACK  NEXT

 私がこの存在性理論を考えるに及んだのは、中学、高校時代に持った問題意識のおかげでありました。それは当時の学生なら多かれ少なかれ持っていたものに違いありません。学生運動も押しつぶされ冷戦とオイルショックの不況の中、誰声高に叫ぶでもなく、80年代の校内暴力の怒がおこる前の悲しみの時代だったように思います。

                     (1) 正義、愛、真実?

 正しいとは何だろう、責任とは何だろう、何のための努力、何のための人生だろう。たしかそんなことを考えていました。大人はいろいろ言うけれど、人間何時かは死ぬらしい、友達も子供も死ぬらしい、太陽でさえ寿命があるのに、つまり結局は滅びてしまうのに何でそんなに目くじら立てて競争し、正義だ、愛だ、真実だなんて言っているのだろう(今はとても懐かしい言葉)、ニヒリズムなんて言葉も流行っていました。わたしは掃除をサボる男子に拘って 中学で整備委員を三回 高校で美化委員三回 美化委員長もやりました がどうしても男子にとっては掃除はだべりの時間 その分女子が多く掃除しなければなりません その様な無責任が許せませんでした。今の時代温暖化も全体責任無責任になりかねません。

                      (2)地雷を踏んだ人の代わりに

 でも本当はどうなのだろう、刹那主義の人や、永遠を信じる人、考えない方が楽かもしれないけれど、そのころ私は人生の真実がわからない限り一歩も動けないと思いました。それがわからないせいで人種、民族、宗教の対立は収まらず、アフリカや紛争地帯の人々が苦しみながら死んで行く、人類の苦しみ悲しみの多くも、それがわからない為ではないのか。これは当時としてはけして珍しい考えではなかったと思いますが、私もそう思い、自分は紛争地帯の地雷で足を吹っ飛ばされて死んだ、今の自分はその人の代りにその問題を解決するためにいるんだ、みたいなことを考えたりしました。アメリカもイラク戦争を反省すべきでしょう。イスラエルの問題ももういい加減に決着をつけなければなりません。

                      (3)目的を持って必要十分な生き方で

 つまりこの存在性理論は、確かに人間がいかなる存在で、未来への可能性はどうか、というものですが、力点は人間が偏った考えを捨てて、未来に共通の目的、目標をもって無駄なく必要十分な生き方で協力し合えるか、というところにあります。永遠の可能性はまだまだあると考えています。

 欲望やしがらみだけで生きているとしたら人生の意味は半減です、むやみやたらな生き方でなく目指すべき目的や価値観が確かにあれば、みんなで生きていて生き甲斐のある意味ある人生ではないでしょうか?。

 ではここからいよいよ哲学的になりますが、もっとも私は大学は教育学部中退、哲学も自分で考えたものですから、至らない点がもしありましたらご容赦ください。

 

 

              

                                                      

                   存在性理論の前に    BACK  NEXT

 哲学の世界では何でも一応は疑ってかかるそうで、仏教などでは色即是空、空即是色等と言って、この世の全てのものは実体がない、色不異空、空不異色と言って、しかしとらわれてはいけないが無いわけではない?、見えるものも見えないものの様であり 見えないものも見えるものの様である? とか・・・・キリスト教では全て神様が創ってくれたそうですから大地も星も動物も人も確かに在るのでしょう。実存主義や共産主義 唯物論や唯識論など色々あるのでしょうが、デカルトが言ったように「私」はあるらしいし、なんらかの「エネルギー」も存在するようです。

                    (1) 洗礼も出家も

 しかし私達はもはやそういった哲学の正確にとらわれている暇はありません。なぜなら現にこの地球上のいたる所で様々な摩擦や苦悩から命を失って行く人達があるのです。子供が飢えて死んでいきます 少年兵として人殺しをさせられます わざと殺さずに手がかかるように足や腕だけ切られます。このような状況の中、頭を丸めてこの世が救われるなら丸めましょう、洗礼を受けて救われるのなら受けましょう、しかしそれだけでは不十分であることを歴史は物語っています。

                         (2) 実在と形象

 この世には人間の感覚で捉える事の出来る形象と その奥にあって捉える事の出来ない実際に存在する実在、実体があって 我々は実在を目の当たりにする事は出来ません 見えないものですから語る事も難しいほどです しかし私は目に見える形象を追求していけばその背後にある実在の存在もおよそ認識でき 人間の主観的な意味だけではなく 人間の外にもある客観的な意味も読み取れてくるだろうと思うのであります。

 

                (3) 存在論  個性ある性質を持ったエネルギー(物質等を含む)

 この宇宙の存在を疑って行けばキリがありません デカルトの命題さえ批判される事が多いのです(我思う故に我在り)。 哲学はこの実在を証明できないという存在論にあまりにも拘り 実際の現実論に力が注げなかったのではと訝ります。 存在しないことには何も出来ません 何も無いのです 存在しなければ話にもなりません。

存在と言っても酸素原子なら酸素原子で 水素と結びついて水分子となっているとき、どこまでが酸素としての存在なのか(酸素原子一つで存在してるわけではなく 共有結合している)それに酸素原子も原子核と電子雲というはっきりどこに在るか分からないような様態です 時間とともに変化していくものです そこにはアイデンティティがある存在もあれば過渡的な存在もあります ただそこに何を持って存在と言えましょう 全ては変化し続け一定のものはありません では存在を認めなければすべての存在は一切皆空となり 確かにあると思えるものさえ実体が無い事になります しかしこの宇宙のエネルギー(物質もエネルギーで出来ている)は法則に則り様々ゆらぎや波として個性を示してくれます もしすべての存在が法則無く同じものもなければ一切皆空でもカオスでもいいでしょうが この個性は光を光として 酸素分子を酸素分子として キリンをキリンとして 雪の結晶を六角形の個性ある存在と位置付けてくれるのです つまり空即是色です。 尤もエネルギーは性質が同じならば同じものです(全く同じものは在りませんが)。 人間にしても動物の種にしても物質にしても個性を認める人は多いでしょう、なので個に性質はあるのです。関係性にも性質は左右されますが 個にも性質があるということです。ページ末「参考」参照 付記 エネルギーの個性によって性質が決まると同時に性質がフィードバックしてエネルギーの個性を(態を)存続させ 或いは変化させます。その間エネルギーも性質も変化し続けます。

付記 性質と言うのは大きな概念ですが 力 速さ サイクル 働き 相互作用 などを含む概念です。           

例えばここにウサギがいて生きていますが もし人間に撃たれて死んだら その死体はウサギでしょうか 一瞬前まではウサギでも 死んでしまってはウサギの死体としか呼べない ウサギと言うのは生きているものだと思います そしてウサギの体を血液や体液が循環したり移動したり 環境もぴょんぴょん跳ねて一瞬一瞬違います時間を止めない限り ある一定のウサギの状態はありません しかし時間は止まりません そこでウサギが存在するというのなら ウサギという個性 アイデンティティを持っている「兎」 と呼ばれる個性を持って 兎という存在と認める必要があります。

ですから私は自分もそうである人間存在を考える時に 自分という存在は在る 地球と言う主体、エネルギーの塊、一形態は在る。水素原子という核と電子が調和した主体は在る。亀と言う、キリンという主体性を持った動物はいる。人間と言う体と精神を持った存在は在る 雷と言う一現象は在る。そのような個性ある性質を持ったエネルギーはこの宇宙の場(量子場や重力場 電磁場など)に在ると考えますアイデンティティを持った存続する存在は在ると考えます。直感的にそう考えるより他ありません。

(どうでしょう、例えばあなたの大切なものが、あるいはあなたの肉親や友達が殺されても、あなたは平気ですか、杜子春ではありませんが 般若心経を唱えて平然といられますか 答えは否だと思います。それらは確かに存在します。そしてとても大切なものなのです。)

存在していると言えば空気や真空の場も存在しているわけで それらに含まれるエネルギーがどのような個性を持っているかと言うことです 場における個性ある性質を持ったエネルギーを存在と呼ばれるものと考えます⇒存在性理論  記:エネルギーの個性というよりは 個性を持ったエネルギー と書くべきだと思いました。 尤もエネルギーは個性 性質が同じならば同じものと考えますです。(全く同じものは存在しませんが) 更に書くなら 法則に則った個性ある性質を持ったエネルギーが 存在 と言うことでしょう。

エネルギーの個性: この世界のものは全てエネルギーから出来ています 物質も光や熱も 引力も生物の活動する力も すべて互換可能なエネルギーから出来ています 存在はそのエネルギーのゆらぎや波が示す個性 例えば鉄やガラス 生物や人体 光や電磁波というようなエネルギーの個性として考えています

性質の個性: 性質は基本的にはよく知られるような4つの力 万有引力 電磁気力 強い力 弱い力 などと言われていますが それらの基本的な性質が組み合わせによって色々な個性を持った性質となっています エネルギーの個性を導くものでもあると考えます 存在性理論では精神や意識も性質の個性と考えて行きます。

エネルギーと性質は表裏一体 エネルギーの在るところには性質があり 性質の在るところにはエネルギーもあるという 一体といってもいいような二つですが 分けて考えないと分からなくなるので ここでは分けて考えます しかしこの二つは共存調和しています⇒ (法則に則った)個性ある性質を持ったエネルギーを存在と呼ぶべきでしょう

性質はこの宇宙の真理に則って現れ 法則性を持っています。現実の性質の理こそが真理ですが 性質はエネルギーと共に在って エネルギーにフィードバックして働く事で エネルギーに態を与えます。性質の働きです。その間性質も変化し続けます。

存在性のないエネルギーも全て因果律に従います

   註 引力や電子 素粒子の運動もエネルギーですが 同じ量のエネルギーでも違った性質を示すものです。

   存在と言うものは規定しにくいもので そのままを言えば エネルギーと性質 が存在していると言えます しかしここでは便宜的に

   存在を考え易いように エネルギーの個性 性質の個性⇒個性ある構造と性質を持ったエネルギー存在の単位として考えます 二酸化炭素(CO2)や酸素(O2)が存在している

かどうかが大きな問題になってくるからです

存在は時間的な連続を求めるものではないですが 個性のない存在はないと考えます

エネルギーと性質は互いに独立していながら一体となって存在します 性質は確かに法則に則っており エネルギーはエントロピーが増大しつつも量は減らない

エントロピーも回復されるかもしれない(ビッグクランチ?) そこで私はエネルギーと性質の独立性を認めながらもそれが調和一体となって存在と言えると思ったのです

(あるいは あなたは存在していますか? あなたは人間ですか? この二つに頷けるなら あなたの存在証明と考える事も出来ます)

存在の定義は色々あるでしょうけれど 他にどう定義できるでしょうか? 個性ある性質を持ったエネルギーと定義するのが一番妥当と考えました。

この世界は 波(波動)として説明することも 粒子(物質)として説明することも エネルギーとして説明することもできますが。私は主に基軸としてはエネルギーとして

説明しています。物質はエネルギーで出来ているか否かを論じる向きはありますが 私は物質もエネルギーで出来ていると考えています。

ただし現実・真理は一つです。説明は人間がやるから幾つかあるということです。

                          参考1

存在について考えたのですが 存在が全て 存在が目的 存在が価値であり 存在が意味の根拠です。この世に存在しないものは、無いのです。あの世は在りません。

存在するものしか在りません。だから存在が全てなのです。人間も存在しなくなれば無です。名残や影響は残りますが人間存在は無に帰します。価値もそれを突き詰め

ていくと存在しない事には価値も何もありませんから それにこの存在性思想で明らかになるように存在をせめぎ合い、存在を追究するのですから、第一の価値は存在

することです。人間の目的も未来に永遠への存在を実現する事ですから。存在することがまず目的になります。存在する事に意義が、意味があるのです。

                          参考2

日本人は存在の個性(エネルギーの個性、性質の個性)を探るよりもその共通性を利用して比喩を言う事が頻繁です。その比喩を使って本音と建前を作り 裏表を作り

皮肉や揶揄 場合に寄っては嘘まで言う場合があります。これは存在の個性を考える上では、あまり良い事ではありません。言葉の魂(言霊)から言ってももっと言葉を

大切に使ってもらいたいものです。正しい日本語と話半分の日本語では、ものを考える上でも違ってきます。比喩中毒にならない様にして貰いたいものです。

イエスも比喩表現を多く使いましたが、それは分かり易いようにあえて使ったのです。物事は程度問題です、もっと本音で語りたいものです。比喩表現で詩を書いたり

諭したり、気付きを促したり 言いにくいことを言うというのは分かります。嘘と一緒で場合によっては止むを得ませんが。はっきり本当の事を言い、嘘がない、というのが

哲学の姿勢でもあり 一般でもあってほしいと思います。

存在と現実

存在といっても色々在るが 存在は新たな存在たらんとしてせめぎ合っている。受験競争や仕事の競争を想起すると分かりやすいだろうか。エネルギー、物質レベルから生物、人間 人間存在に至るまで皆せめぎ合っている。
 そしてもう一つ 人間は崩壊の法則、エントロピー増大の法則に絶えず晒されている。形あるものは崩れ 命あるものも失う。永遠を目指した古代王朝もいつしか滅びてしまうのが世の常である。物理学者は人間もこのエントロピーの法則、崩壊則から逃れることはできないとする人が殆どである。
 今から一年半前 2011.3.11東日本大震災で我々は夥しい命ある同朋を失った。人間は人間存在を求めながら 現実はそれを抗えない力で奪い去っていくのである。そこにある心は如何であろうか?住処に残した妻と子供を失った人。子供を失った母。親を失った子供たち。張り裂けんばかり呼んでも泣いても そこには暗い海の恐ろしい現実がある。自殺にしても戦争にしても貧困にしても病気にしても 現実は待ったなし。厳然たる取り返しのつかないものである。
 しかしこの現実に真理はある。我々は真理には逆らえなのだ。真実真理がこのように恐ろしいものだとすると。それを見て想った神も恐ろしく見えるだろう。神の愛は恵だろう。太陽の恵み(太陽が核融合崩壊しつつ出している)地球の恵み。山の恵み、海の恵み。
 人間は存在を求める しかし現実はけして甘くはない。だが私は信じる、人間はどこまでも存在を求める と。時には嵐のような現実の中を沢山の木の葉のように舞う存在。
 私達は生きて行こう。どんなに厳しい現実が待っていても。それを予測し乗り越え、自らをコントロールしながら、そしていつの日か現実をコントロールできるように(現実の理を知り尽くせるように)今は問題だらけの人間の世界だが 何時か一つの答えが出て、人間の目的を知り合意が出来るように。心から願いながら・・・

 

 

                 (4) 時間と存在

 ところで存在と時間はどういう関係にあるでしょうか 時間はエネルギーの変化であると言うのが持論ですが 時間は止める事が出来ない すなわちエネルギーの変化を止める事が出来ない限り ある一定の存在と言うものはない事になります しかし存在と呼ぶからには、どんなに短い時間でも刹那でも ある時間の間存在していなければ存在とは呼べません 従ってそれはエネルギーの変化のことではなく エネルギーと性質の個性として捉えられるもです つまり存在は変化し続けるものを言うのではなく 法則に則りエネルギーと性質が示す個性を呼ぶしかないと考えます。

                       (5)「私」と「エネルギー」(エネルギーは物質等を含む)        

 ここで先ほどの「私」と「エネルギー」とを繋げてみましょう。

 どう繋がったかと言うと、「私」すなわち精神はおおかた脳に根拠を置いています。脳は動物である体の一部です。体は動物ですからその形の恒常性、命、は地球の、太陽から供給されるエネルギー循環の恒常性に根拠を置いています。体を作っている物質も地球も太陽も「エネルギー」の一状態です。つまり「エネルギー」の一状態の中に精神あるいは「私」が共存しているのです。(物質も光りも引力も電気もエネルギーの一状態です)

つまりエネルギーの個性である地球や環境や人体の中に私という性質が乗っかっているのです⇒個性ある性質を持ったエネルギーという事です

                       (6) 精神は性質

 敢えて言うなら、私はこの世の中のものは全てエネルギーと性質が織り成していると考えているのですが(もしそうでないものがあれば上げてください 例えば霊が独立して存在する事はありません DNAは物質であり本能は性質です 情報も概念も性質です) では精神はエネルギーの一形態か性質か、最近では脳の働きもかなり解明されていますが(ニューロンや脳内伝達物質 脳内モルヒネや脳波 といった物質や微弱な電磁波など)、パソコンにたとえればハードが脳、ソフトが精神と考えていいでしょう。もちろんハードも大切ですが、インターネットにしてもゲームにしてもその情報をいくらでもコピーできるし、人に教えることもできます(エネルギー保存則に当てはまらない)。精神も多くは親や環境から伝わってきた部分が多く、エネルギーとしての移動ではないでしょう。つまりソフトも精神も情報も物質ではありません、エネルギーでもありません、性質を言っていると考えるべきでしょう。少なくとも性質に反応していると言えると思います 例えば新聞の印刷でも物凄いスピードで情報をコピーしています

人間の精神も動物だった頃の神経の反応が複雑に反応し合った結果生まれてきたものです 原生動物では光や熱や水に反応します  それは外界や内部の刺激やサイクルで受けた性質に反応したものです 人間も色々なものを見聞きしますがエネルギーも脳まで入っていく訳ですがその反応も色々です その脳の性質として反応します 感覚神経から神経中枢に伝わり、脳の中で活発に神経伝達物質が反応しますが それは性質にそって反応しているのです 神経伝達物質はエネルギー(物質)としては微量ですが その命令で人間が行動を起こせばスイッチ一つで・・・ということにもなります したがって精神活動はエネルギーとしての存在ではなく性質としての存在が主であり問題になるのです。精神からは限りなく数多の存在性がでてきます それを考えても性質である存在性がそれだけ出てくるということは 精神も性質で出来てるのではと思ってしまいます。頭が回転するというように性質も変化し続けます。

 エネルギーと性質はどう言う関係にあるのか これは課題です、存在性理論の中で考えて行きたいと思いますが この世の中はエネルギーと性質が織り成したもので 物質でも動物でも人間でも霊でも全てこの二つの要素からなっています 勿論物質にもエネルギーと性質がありますが 霊などと言うのは性質の複合体 精神もそうですが性質が織り成したものです 存在性も性質です エネルギーのない性質もないようですし 性質のないエネルギーもないようです ですから浮遊霊などというものも人の心に映ったもので 性質だけが一人歩きする事はないと思います 性質がエネルギーの属性かどうかが問題になります また性質は普遍的な方則に従って変化します エネルギーと性質は表裏一体なのでしょう (現実には性質だけが独立して在る事はありあませんが 人間がその性質の部分だけを指して「精神」「循環」などと言うことは多いです。)「クオリア」という言葉を使う方も多いですが クオリアって何でしょう? 人間の脳も食べた物や吸った空気などの物質や細胞 ホルモンや脳波から出来ているのですから 取り立てて特別なもので出来ている訳ではないと思います。

参考 クオリアはないという立場

クオリアというものがあるという考えの起源は 私の推測ですが 私・精神・意識・自我 と言うものは何者かという疑問から

その不思議から 物質で出来ているという唯物論にはない、エネルギーでも性質でもない、クオリアという感覚質が在ると言う考えが出てきたのだと思います

まあ分かりやす〜く言えば イデアという我々が目にしていない世界がある、みたいな感じでしょうね。

しかしそのようなもの(クオリア)が人間の中に生じる理由はありません

自然やこの世界にないものが人間の脳にだけ それも物質的電気的にも解明されている脳に その様なものが生じる理由はないのです

私の考えは脳を含む神経というものは生物の時代から伝統的に外界の性質を刺激として感知する。物質や光などを取り込むわけではない。

性質として感知された信号・情報は神経を伝わって中枢に入りそこで赤いなら赤い 痛いなら痛いと感知される これも性質として 動物もそうです

赤や高い音などの性質は精神(性質)によって記憶されるように感じ取られるのだと思います。

では人間の脳は自我を生み出し 一体これはなんだろう?何者かと3000年間ほど考えてきたのですが 実はこれは「性質」だったのです。

それ以外のものは脳にないし 考えられない。この宇宙にない質が人間の脳にだけ生じるのは不自然です。

尤もこれは僕の場合まだ仮説で 質問をして人の意見を聞いてるところではあります。

性質で説明すれば何もおかしくも不思議でもなく綺麗に説明が付きます

尤も宗教でもこの考えを持つ人がいて文鮮明とか大川隆法とかもそうの様です

地球意識とか言うのも地球の持つ性質が意識を持っているという まあ何の組織もないのに どんな意識を持っているのか知りませんが 荒唐無稽な考えです。

スピリチュアルも宗教も実存もこの性質の世界の中の事を言っていると考えます。

                      

                           (7)主観と客観について

性質というものは感覚的に遠い昔から人間によって理解され取り入れられてきたものです ところが実は人間みんなが性質で出来ていたと言うことです 体は生命体です 本当の人間は精神です つまり意識するしないにかかわらず 誰もが実践しているのです ただ真理の全体をつかんでなかったり 間違った考えを持っていたりするから上手く行きません 私も一人間に過ぎません 誰もが一人間に過ぎないのです その主観をみんなが自分中心に考えたら 精神世界は説明できるようで出来なくなります その自分が特別な存在になってしまうからです みんな個性は違いますが自分だけが 「この私」だけが特別ではないのです 「この私」と考えずに「人間精神」がとか「人の心」がと考えるわけです そうしないと主観的な学問から抜け出せないのではないでしょうか?主観的に考えていくと自分が死ねば世界は無くなると言う人もでてきます

参考

それでは存在とは何かと言うことになります
H原子も水に溶けてるとHイオンという原子核だけの存在になってしまいます
そうするとH原子と酸素が結びついた水としての存在は 電子もぐるぐると言うか
非常に不規則に循環する電子雲(電子は原子核の中も通るそうです)という
確固たる存在ではなくなります
そうすると全てがそうであると言うことに気付きます 全てのエネルギーは変化しない事はない
その中で存在する形と言うものはない 色即是空 と言うことになります
しかしそれでは全てが判別できない 酸素分子が存在すると言う表現もできなくなります
自分が存在すると言うこともできなくなります
そこでもし存在を求めるのならば 普遍な法則に則って酸素分子 水分子 水素イオンという
個性をエネルギーに与えている つまりエネルギーが言葉で表現できるほど判別でき                                         理法に則っていると思えるほど エネルギーに態 個性を与えている性質と言うものがあることが分ります
これがなかったらエネルギーはカオスの中に雲散霧消していることでしょう
質量を持つエネルギー同士が引き合う万有引力(古い言い方ですが)などの四つの力
強い力 弱い力 電磁気力 万有引力 これらの性質が色んな形で影響しあい 合成され
ついには葉緑体やタンパク質を生み出したのです それによって性質は複雑になり
ウサギの様なものまで出来ました これは生物の個性です
そのように物質や生物や 今は人間までになった性質の個性 これを存在と呼ぶしか呼び様がない
イデアの世界はあるのかどうか分りませんが 真理の法則に則った性質が実現している個性
を存在と呼べば 空即是色と言うことが出来ます
そういう意味ではゆにこと言う個性は一時間前と今でもアイデンティティが有ると言えると思います
つまり 見えるものも見えないもののようであり 見えないものも見えるものの様でもある
というように考えています

 

次ページ   表紙に