山のオバタリアン生態図鑑

最近の山はオバタリアンで満ち溢れ、山小屋などはオバタリアンの巣窟と化し、ゆっくり大自然を楽しもうとする心ある登山愛好家にとっては、公害ともいえる由々しき現象が起きている。

最近の中高年の登山ブームは、健康維持と自然を愛し、大事にするという点ではたいへん良いことであり、これを否定するつもりは毛頭ないが、傍若無人ともいえるおばさん集団の目にあまる行動は、無視するわけにはいかない問題であり、ここにあえて非難を覚悟で苦言を呈したい。

私はここ数年の私の登山行程中で見かけた集団で行動するおばさん達(ここでは「山のオバタリアン」といわせてもらう)の生態を詳細に観察してきたので、『山のオバタリアン生態図鑑』として以下にまとめてみたい。

     観察地点:最近私が登った山々(八ヶ岳、奥多摩、秩父山塊、鈴鹿連峰など)    
      観察時期:1997年〜2001年

 (尚、この図鑑にはプライバシー保護および私の身の安全確保のため、図や写真は掲載しません。)

●山のオバタリアンは集団で行動する
最低でも3人、多い時は観光バスツアーによる50人位の大集団で行動することもたまにある。常に団体行動のため一人で出来ない事も「みんなでやれば怖くない」式で何でもこなすタフな集団である。
●山のオバタリアンはおしゃべりでうるさい
当然のことながら、集団でおしゃべりするため、きわめてうるさい。それぞれが勝手に言いたいことをしゃべるため会話になっていない。きつい山を歩きながらでも、おしゃべりできる能力を有する。会話の内容は、旦那の愚痴、嫁の悪口、若い頃の自分の自慢話などほとんど平地での井戸端会議と同じである。
●山のオバタリアンは道をゆずらない
登山道は自分たちのみのためにあると考えている。後から追い抜いて行くような失礼?な人はいないはずと思っている。従って、自主的に道を譲ってもらうことは期待できない。大きい声で主張しなければ一生オバタリアンの大きな醜いお尻を見ながら登っていくという不幸を味わうことになる。
●山のオバタリアンは山頂を占拠する
山のオバタリアンにとっては、山頂も自分達のためにあると思い込んでいる。特に狭い山頂では、先に着いたオバタリアンに完全に占拠されていることが多い。そのような場合は、山頂を通りこして少し先に行って静かな場所を見つけることをお勧めする。
山のオバタリアンにとって山小屋は自分のもの
山小屋はオバタリアンに占領されている。最近では山小屋宿泊者の8割以上がオバタリアンであるため、男性が泊まるためにはよほどの覚悟がないとたいへんつらい目にあうといわれている。特に混雑時などでの山のオバタリアンとの同宿は地獄である。
山のオバタリアンは山小屋の食事に文句をいう

山小屋の宿泊費は高価である。そのため、高級レストラン並みの食事が出るものと思っている。あまり粗末なものだと堂々と文句をいう。銀座の高級レストランとは違うぞ!
 ――文句あるなら、食器、材料、燃料を持参して自分で作れ!・・・・といいたい。

山のオバタリアンは男トイレを占領する
山のオバタリアンは大集団で移動するため、登山口や山小屋のトイレは大混雑する。その場合誰も遠慮せずに堂々と男性用トイレを使う。男が男性用トイレを使おうとすると冷たい非難の眼差しを覚悟しなければならない。
山のオバタリアンは山小屋のトイレが汚いと文句をいう
山のオバタリアンは山小屋のトイレが暗くて、汚くて、臭いと文句をいう。ハエなどの虫が怖いという。山にトイレがあるだけ幸せと思えばガマンできるはずなのに・・・・。虫のほうがオバタリアンを怖がるだろう。夕方薄暗くなると、トイレの外に出てから身づくろいするオバタリアンがいるので要注意。ズボンを上げながら外に出てくるオバタリアンを目にすると卒倒するかもしれない。
山のオバタリアンは悪天候をガイドのせいにする
山のオバタリアンは自分の行く山の天気は晴れしかないと思いこんでいる。雨でも降ろうものなら、この行程を組んだガイドや添乗員が悪いからで、どうしてくれると平気で文句をいう。添乗員付きの大型観光バスでツアーを組んで登山をすること自体が普通では考えられないことではあるが、オバタリアンにとってはたいへん便利な登山の手段であるらしい。
山のオバタリアンは天気図が読めない
自分のいる山の天気は晴れを前提にまわっていると思っているため、天気図なんかは見ることはない。たぶんほとんどオバタリアンは天気図が読めないのではないかと不安になってしまう。
山のオバタリアンは地図が読めない
自分のいる山はガイドが連れて行ってくれるものと思っているため、地図なんかは見ることはない。たぶんほとんどオバタリアンは地図が読めないのではないかと不安になってしまう。
山のオバタリアンは登山者カードを出さない
自分でどこの山をどのルートで登るのかよくわかっていないので、登山者カードを書けない。カードの存在すらわかっていないかもしれない。自分は絶対に遭難しないと確信しているふしが見られる。
山のオバタリアンは必ず杖を持っている
最近の山登りグッズの中で伸縮式の杖(ステッキ、トレッキングポールというらしい)は流行の最先端をいっており、オバタリアンの象徴となっている。外国のどのブランドのいくらの杖を持っているかがステータスになっているらしい。いつでもどこでもこれに頼って歩く。杖に頼りすぎるため急な登り降りでバランスを崩すことがある。中には二刀流の達人?もいる。周りを気にせずに勝手に振り回すこともあるため、きわめて危険である。できるだけ近づかない方がよい。
山のオバタリアンの装備はすばらしい
生活が豊かなためか、山のオバタリアンは最新流行の装備(ウエア、ザック、靴など)で身を固めている。さながらアウトドアウエア、グッズのファッションショーを見ているような錯覚に陥ることがある。高級ブランドの山用品で身を固めているため、軽量、コンパクト、カラフルな荷物となり、一見軽装過ぎるのではないかと心配してしまうが、山のオバタリアンはたいへんしたたかな人種なので心配は無用である。寒くても生きていける厚い皮下脂肪があるからだろう。
山のオバタリアンはテントで泊まらない
前述したように山のオバタリアンは山小屋をまるで自分の家のように利用するため、テントでキャンプすることはほとんどない。重い荷物を背負って苦労するようなことは絶対しない人種である。また、テント泊の登山者を軽蔑する傾向がある。山のオバタリアンの喧噪から逃れるためにはテント持参でオバタリアンから離れてキャンプすることをお勧めする。
山のオバタリアンはテント泊の登山者の食事を覗きに来る
山のオバタリアンはテント泊の登山者が何を食べているか気になるらしい。数人のグループで食後の散歩気分でテントに近づき、食事を覗きに来る。山小屋で食べた自分達の食事と比較して、勝ったか負けたかを確認したいらしい。「アラ カレー?おいしそうね」よけいなお世話だ。少しでも相手をしてしまうと、連中はヒマだからたいへんなことになる。無視するに限る。
山のオバタリアンの語彙は貧弱である
高山植物を愛でる言葉は「まあ かわいい!」しかない。女子中高生らの発する形容詞を山のオバタリアンが同じように発するのだから、気持ち悪いことこの上ない。なるべく近づかないことをお勧めする。
山のオバタリアンはあまり水を持たない
荷物が重いのをきらい、また必要性があまりないためか、水筒に水をあまり入れていない。汗をかかず、水分補給を必要としない人種なのだろう。ラクダのように体内に脂肪だけでなく、水分も蓄えているのかもしれない。
山のオバタリアンは8月下旬には少なくなる
どういう訳かわからないが、8月下旬になると山のオバタリアンの姿がめっきりと減ってくる。たぶん他人に見られたいという自意識過剰なために、混んでる時期が好きなのだろう。山のオバタリアンを見物するためには、混雑しているシーズンが好ましい。

 

 以上は私が最近の山で見かけた山のオバタリアンを独断的に観察した結果をやや誇張してまとめたものである。しかし、山登りを楽しむすべてのおばさんがこのような傍若無人な人種だけではないことも強調しておきたい。  

 

えっ?このようなオバタリアンは山だけじゃなく、そこらじゅうにウジャウジャいるって?―――私にはそんな恐ろしいことはいえません。

 

 おばさん達にひとこと―――ごめんなさい。