【チベット特集】          (2008年1月2日更新)

  ー紺碧の空と信仰の地「拉薩」を行くー

                

   今なぜチベットに行くのか? 何を求めて?

   観光シーズンの終わった11月に私はチベットへの旅に出た。寒いのになぜ今頃チベットか?と
   多くの人に聞かれたが、なぜかわからない。
   私にとってはできる限り早く行かなければならないという天からの呼びかけがあったような気がしている。
   本当はもっと単純に、昨年7月に完成した青蔵鉄道に乗りたいという1年越しの強い願望が
   
あったからかもしれない。

   私が現地で感じた本当のチベットを写真とともに語って行きたい。

   それぞれの写真をクリックすると大きな写真を見ることができます。

   尚、本ページの写真はすべて私が撮影したものですので、自由にご利用していただいて構いませんが、
   メールにて、
ひとこと連絡いただければ幸いです。

   私の今回のチベット旅行のスケジュールはここをクリック


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清浄で紺碧の空に大感動         (拉薩到着日2007年11月3日撮影)
青空がこんなにもまぶしく、きれいなものだったのかと思わず叫んでしまった。私の住んでいる天津とはまったく異なる世界が中国の西部チベット(西蔵自治区)にはあったのだ。
拉薩空港でハタで歓迎
市内までの途中の風景
拉薩市内の牛のモニュメント
ポタラ宮

 

拉薩の象徴「布達拉宮(ポタラ宮)」       (2007年11月4日撮影)

拉薩の町の中心に位置するポタラ宮はダライラマの宮殿として、チベットの人々の心のよりどころになっている。高さ115m、総面積41?の広大な宮殿の内部はチベット仏教の仏像やダライラマ5世以降の遺品や宝物にあふれている。さすがにユネスコの世界遺産だけあって、圧倒されるものばかりであった。残念ながら、室内の写真撮影は禁止されているので、外観だけで勘弁してほしい。 ダライ・ラマを心の底から尊敬するチベット人の心のうちとインドに亡命して中国への帰国がままならないダライ・ラマ14世のことを詳しく聞きたかったのだが、躊躇せざるを得なかった。
尚、ポタラ宮への入場は事前予約が必要で、時間帯と入場口が指定される。1日2,300人に制限しているので、シーズン中は予約が取りにくい状態という。私の行った11月はシーズンオフなので、まったく問題はなかった。

ポタラ宮の外観(薬王山から)
正面入口からの全景
白宮
宮廷への入口
ポタラ宮上部から見た拉薩の街
大昭寺から見たポタラ宮
薬王山白塔とポタラ宮

 

ダライラマの夏の離宮「ノルブリンカ」      (2007年11月4日撮影)
1740年代にダライラマ7世によって造られたノルブリンカは、夏の間(チベット暦4〜9月の間、ダライラマの夏の離宮として利用されていたという庭園。但し、ポタラ宮からわずか数kmしか離れていない場所なので、ポタラ宮より涼しいわけではないと思う。たぶん、忙しい政治や宗教の公務から離れてダライラマがのんびりとプライベートな時を過ごせる場所として建造されたのではないかと私は推測する。ダライラマなくしてチベットは存在しないとまで考えているチベット人の心のうちをポタラ宮やノルブリンカで見出したかったのだが、これは、チベットの民族問題と中国政府の政治・宗教のかかわりにも関係する非常に複雑な問題であり、安易に首を突っ込むことではないので、避けることにする。

 

信仰熱心な巡礼者であふれる大昭寺(ジョカン)  (2007年11月4日撮影)
拉薩の旧市街地の中心に位置するジョカン(大昭寺)はチベット仏教の総本山ともいえる寺院で、世界遺産にも登録されている。収穫を終えて農閑期を迎えたチベット各地の農民たちが一族そろって、遠くから巡礼にやってきた人々であふれかえっていた。たいへん熱心な信者たちで、朝から晩まで五体投地を繰り返している人もいる。中国は無宗教の国と思っていたが、ここはまったくの別世界であり、人々の生活にチベット仏教が深く根付いていることがよくわかる。
大昭寺前の巡礼者達
世界遺産「大昭寺」の建築物
チベット族のガイドのお嬢さんと
敬虔なチベット仏教の信者、巡礼者達。私の世界との乖離を痛感してしまいます。
八角街の混雑

 

色拉寺(セラ寺)の熱心な若い僧侶たち      (2007年11月5日撮影)
色拉寺(セラ寺)は、チベット仏教の最大宗派のゲルク派の寺院で、かつて明治時代に日本人の多田等観、河口慧海も修行を行っていたという。ちょうどよいタイミングで、若い修行僧たちの禅問答の様子を見ることができた。きわめて熱心にチベット仏教の教えなどについて議論している姿は印象的であった。現在の中国にもこのような若者がいるということはたいへん感動的であった。日本の不良青年たちを引っ張ってきて、ここで修行させたいものである。
色拉寺の入口
色拉寺は拉薩市内北部の山の中腹に広がっている
境内にあるバラの原種の原木
曼荼羅
朝晩繰り広げられている和解僧侶たちの禅問答の場面。一般に開放している。

 

4,794mの高地カンバラ峠/ブータン国境の山をはるか遠くに望む 
                                   (2007年11月4日撮影)
拉薩市内から車で約2時間半の高原ドライブで到着したのは、海抜4,794mのカンバラ峠である。すぐ足元に青く澄んだ湖ヤムドク湖(海抜4,250m)が美しい湖面を見せてくれる。遠くには南の隣国ブータンとの国境の山「ノジン・カンツァン山(7,191m)が雪をかぶった美しい姿を見せていた。
峠までの風景(チベット側の雪山)
峠から見たヤムドク湖
ブータン国境の高山「ノジン・カンツァン山」
チベット犬と記念撮影
峠に続く舗装道路は立派
ヤクが振りかえって私を見る
途中の曲水県での昼食

 

世界最高地点を行く青蔵鉄道@          (2007年11月6〜7日撮影)
これまで快晴だった3日間とは対照的に朝から雪のぱらつく拉薩駅周辺は褐色の禿山がきれいに雪化粧されていた。2006年7月に開通した青蔵鉄道は青海省の格弥木(ゴルムド)から拉薩まで全長1,142km、約30駅、世界最高地点5,072mを通る高原鉄道である。シーズンオフのため、1等寝台車の4人用のコンパートメントに私一人という贅沢さは快適のような、寂しいような気分だった。
これまでの世界で最高地点を行く鉄道は南米ペルーのアンデス中央鉄道の4,730mで、私は33年前にこの鉄道で、アンデス山中の町「Huancayo」に行ったことがある。
小雪のぱらつく拉薩駅舎外観
拉薩駅構内
二重連ディーゼル機関車(アメリカ製)
電光表示
列車の行き先表示
10号車専用の車掌さん(女性)
快適なコンパートメント
食堂車:高くてまずい

 

世界最高地点を行く青蔵鉄道A            (2007年11月6〜7日撮影)

各駅の標高は以下のとおり。拉薩(3,650m)→当雄(4,293m)→那曲(4,513m)→安多(4,704m)→唐古拉(5,068m)→格弥木(2,828m)→特令哈(2,947m)→西寧(2,275m)。最高地点「唐古拉峠」は5,072m。

拉薩郊外の放牧の村
当雄駅
那曲駅(ここはホームに下りられる)

神の湖といわれているツォナ湖(標高4,650mの淡水湖)は琵琶湖の2/3の大きさ。チベット族の人々の聖なる湖。

変わった岩山が点在
最高地点の唐古拉駅(通過)
車内の高度表示(本当は5,072m)
朝の放牧に向かう羊の群れ

 

青海湖と日月山                (2007年11月7日撮影)
青海湖は青海省の北部に位置する塩湖で標高は3,260m。真っ青の空が湖面に写って青く見えるので、青海湖と呼ばれているようだ。6%の塩水のため魚はほとんどいないが、一部に特殊な魚が捕れるようで、シーズンにはその料理が湖畔の食堂で味わえるらしい。日月山は青海湖の東部の3,520mの峠で、この峠が分水嶺となっており、東は黄河、西はインドかミャンマーの川の源流となるという。日月山は、7世紀に西安の文成公主が拉薩に嫁ぐときに通った峠で、ここで振り返って故郷に別れを告げたといわれる。
どこまでも碧い青海湖
水鳥が1羽悠々と。
道路を堂々と横断するヤク
日月山
遠くに雪山、手前は携帯のアンテナ

 

最大規模のチベット仏教寺院「タール寺」    (2007年11月8日撮影)
西寧市湟中県にあるタール寺(塔?寺、クンブム)はゲルク派のチベット仏教寺院で、大勢の敬虔なチベット族の信者が訪れていた。
タール寺の入り口。朝から多くの参拝者が来ていた。
如来八塔
寺院の各建物は山の中に。
不思議な構造の屋根。すべて木造でした。
巨大なマニ車