<<<平安の闇と鬼>>>

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その2「伊平次とわらわ」


さて平安時代といえば鬼と化け物ですが、末期になると仏教文化が広まって 末法思想などが出てきて、幽霊とか地獄とかそういうものの雰囲気も濃く なってきます。
魔物の活躍する闇が、彷徨う魂たちの迷う、無情の闇に変化して行くわけです。

幽霊と化け物がどこが違うかというと・・・この判断は個人で解釈が分かれる ところだと思いますが、私の感覚では化け物は私たちと交流がないだけで自然 なものであり、幽霊のほうは「死んでいるんだからさっさと腐っていなくなれ よ」と思うのに、自分は「死にたくない(死んでるんだけど・・・)」と主張 してはばからない・・・存在していない存在が存在する事をそう呼ぶという、 いわば超不自然で不条理な存在であります。

というわけで、私は「霊」の力というものについてあまり描いた事がありま せん。(だって、存在しないのに存在するって理論的にムチャなんだもん ・・・)
せいぜいで、実在してしまっている「幽霊」・・(これはたくさん描いていま す、たいていは自分が死んだと思っていない無責任な奴らです)
しかしこの「生命がないのに執着だけが存在する」とか「未練だけが実在と して残る」という妙な感覚を、1度くらいは描いてみたいと思っていました。

で、ちょうどこの連載が始まる直前「今度の連載はどんな話にしますか?」と 聞かれた時、まったく何も思いついていませんでした。(坂田靖子は原稿を、スタ ートの内容の構想から仕上げまで休みを入れず一気に描く癖があるので、原稿 の紙を前にコマを割り始めるまでは、設定もタイトルも内容もキャラクターも、 何も考えついていない(というか、スタートしていない)事がほとんどです)

しかし、予告が必要になりますからそこで何も出さないわけには行かなくて、 いつも後で何とかなりそうなタイトルをひねり出して送っていたのです。
しかし、この日は寝ていなくてやけに疲れていました。
思考力がほとんどゼロになっていました。
「ああそうだ、平安末期の末法思想の濃かった時期の話を一度描いてみたい ・・・一度幽霊についても描いてみたかったし・・・」
ふらふらと送ったタイトルは「墓守り伊平次」でした。
この時、受け取った担当さんがこれを見てどんなにひきつったか、想像するに あまりあります。普通、出版社でこのタイトルで通してくれるワケがありませ ん。
しかし、この担当さんは私には何も言わず淡々と予告を載せてくれました。

私が「あっ・・・墓守りという職名はもしかして・・・!」と気がついて 蒼白になって冷や汗が止まらなかったのは、すでに連載の第一回が本に載って からです(遅いっ!!!)
後から「ホントは毎回、何か危険な部分が出ないかと冷や汗ものでした」 と編集者御本人に聞かされました(ごもっともです)しかもそのあと体をこわ されました(ぜったいワタシのせいだ・・・)他の設定で幽霊談を描けばすん だ事なのに・・・ひたすら申し訳ない!!

ともあれ、さすがに気がついてからは自分でも意識してしまって「非日常的な 死体という物体が自分の生活の中に常時存在している場合の人間の意識はどう なるか」という元のテーマははずしました。
いつどこで何が抵触するか、ワタシのようなうっかりモノには予測できないの であります。

単行本になる時には、病気で休職された担当さんに代わって別の方が担当され 「タイトルを変えていいですか」と言われたのですぐに変えてもらいました
(さすがに自分でも、雑誌の中にいる時ならともかく、一冊の誌名になってこれ はまずいだろうな・・・と思っていたんですね)
しかし餓鬼の話の中で痩せた馬が行きだおれて死んで、弱った飼い主が「皮屋 に皮を引き取ってもらうくらいしか、もうしょうがない」と言っているセリフ で「皮屋とか皮を売るは困りますから変えてください」と言われた時は、さす がに差し替えのしようがないのでかなり弱りました。
「痩せこけてるから、他に収入源になるような部分はないんだけど・・・」と 自分の絵を見ながら悩みましたが・・・かくほどさように、何がまずいと言わ れるか自分ではチェックしきれないものなのであります。

閑話休題

さてそんなわけで、とりあえず幽霊と化け物との二段詰めで進んでいたこの話 ですが、やはり一番困ったのが「平安では、高級住宅街以外の場所がどんなだ か知らない」という事でした。
どうせ、寒くて風通しがよくて雨露がしのげれば・・・とかその程度に決まって る・・・でも人間、体力に限界があるから、いくらなんでも毎年冬になったら 凍え死ぬとか、そんな状況じゃないよな・・・では金のない庶民ははたしてど のような・・・?? などと考えても絵巻見たってそんなところまで描いてない。
内部まで何とか想像がつくのは、ヘンなシュミの粋人、曲がり辻の屋敷の主の家だ けであります。
しかたなく、画面に出るのは(勝手に作った)伊平次の家の中と、墓場と、 曲がり辻の家だけ(三幕芝居かっ!)あとは野原とか林とか、時代色に関係ない 場所だったりして・・・
さすがに自分でも「これはないだろう・・・!」と突っ込んでしまいました。

しかし、ともあれ、死者の闇の近くにいた人間の話が、少しは描けたんではない かと思います。

なお、犬の「わらわ」について、本物の姫君がとりついているのか、それとも 単なる化け犬が姫だと言い張っているだけなのか、本当はどっちなんですか?  と質問される事がよくあるのですが、さてこれは「本人は姫だと言っていま す」としか答えようがありません。
なにしろわらわは自分で姫だと思っているわけですし、思っているから存在し ているのが伊平次の世界の幽霊たちです。
そういう「思いこみ」で存在している以上、わらわが実際はどうであろうと、 「本人は姫だと言っています」という事なのであります。


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*・ついでのコメント・*

もしあなたが伊平次を読んで、「自分は坂田靖子がここに描いているのと違った解釈 をしてたんだけどな・・・」と思った場合、正しい解釈はあなたのです。
なぜかというと、作品というのは読んだ時点でその人の中にできあがるものだからです。
あなたの読んだ伊平次はあなたの開いたオリジナルであって、作者が手の届くもので はありません。

あなたにはあなたの伊平次、私には私の伊平次の物語が、それぞれの中にできているわけです。
それが「本を読む」という事で、だから本を読むという行為はけっこうに面白いので あろうと、ワタシは思います。
以上でした!






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