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<<<退屈男氏の優雅な生活>>>

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編集さんと仕事の打ち合わせをしていました。

「退屈男の右太衛門さんが亡くなりましたねー」 と言われて、  「ハイそうですねー」 と返事をしながらも、  「あれ・・・? どうしてこの話題が出るんだろう?  ワタシ、旗本退屈男の話をどこかに書いたっけ??」  と、頭の中をぐるぐる検索して、話がすっかり上の空(おいおいっ)。
よく考えたらこのホームページの自己紹介 About Me の中に、しっかり「旗本退屈男」の名前を書いていたではありませんか!

うわぁ・・・殿様に申し訳ないっ!  「バジル氏の優雅な生活」 のモデルまでしてもらったのに・・・!
というわけで、御大へ感謝を込めて、一文献上する事にしました。


ご存じない方のために少し説明しますと、「旗本退屈男」というのは、
東映時代劇の黄金期の頃・・・もう遙か昔の話ですが・・・の ドル箱大ヒット人気シリーズです。

私はさすがにリアルタイムでは見た事はありませんが、 小学生の頃、TVで放映されているのを見て育ちました。  (というわけで、 あの豪華な着物を大スクリーンで見た事がないのはザンネンであります)

当時の時代劇というのはいろんなタイプがあって、活劇あり人情路線あり、 忠臣蔵あり、渋いリアル描写の社会派もあれば耽美最前線の円月殺法もあって、 よりどりみどりなわけですが、今は絶対出来ないと思われるのが 「大娯楽超大作タイプ」 です。(予算的にもクオリティ的にもムリですし、 第一この規模の大スターがいないのであります)

さて、市川右太衛門の 「旗本退屈男」 は  大川橋蔵の 「銭形平次」 と並ぶ「娯楽超大作時代劇」の双璧であります。  (ここで 「イヤ、一番は水戸黄門だ!」 とか 「アラカンはどーした」  という話になると、話が多方面に展開してしまいますので、 各ファンの方、ご容赦下さい)

「銭形平次」が、どちらかというとドラマ性の高い、 本格推理の骨太なドラマ(TVシリーズで見た人はあまりピンと来ないかもしれませんが、 映画の銭形平次は、単品の本格ミステリ映画としてよくできている上に、 見応えのある華やかで凝った演出部分も多く、 画面・内容とも見応えのある、邦画の黄金期らしい作品群です) をベースにしていたのに比べ、 「旗本退屈男」 はもっと明るく華やかで、 「エレガンスとウイット」を追求したお楽しみ感覚がベースになっています。

時代劇なのに日本語であまりピッタリした表現がありませんが「洒脱な」 というあたりが多少近いかもしれません。(洒脱というと「粋」 な感じが入るので、そこがちょっと違ってしまうのですが、 「粋」ではありません。  むしろ「野暮」に近いくらいの、当たりが柔らかくてゆとりのある状態です。 エレガンスというのは、「粋」のように隙がなくピリピリしていてはいけなくて、 「隙」と「余裕」を持ちながら「いつでも臨戦可能な状態」 に落ち着いているような部分を指すのではないかと思います。  「粋」や「シック」は、すでに突かれるスキもない「戦闘中」なわけで、 そこが違う訳です。)


ワタシは「エレガンス」という感覚が好きですが、 それを黄金期のハリウッド映画と「旗本退屈男」で学んだような気がします。

退屈の殿様(と、主人公の早乙女主水之介は呼ばれています)は、 お金持ちの旗本のお殿様で、特に働いている様子もなく、独身でモテモテで、 普段は水商売の粋な女性とラブ・アフェアを楽しんでいる様子なのですが、 時々「退屈の虫が騒ぎ出したなぁ・・・」とつぶやいては勝手に事件に 首を突っ込んで、きれいでかわいい側小姓 (キャスティングがいろいろで、北大路欣也がやったり 美空ひばり(?!?)がやった回があった気がするんだけど、 資料がないのでわからない!) を助手に、 人がよくて心配性の家老(御用人かな?)をキリキリ舞いさせながら 事件を解決してしまう−−−というのが基本的な筋立てで、 側用人をして「うちのお殿様なら、吉原、岡場所、矢場、盛り場、 どこででも、”退屈の殿様のお宿は?”と聞けばみんな教えてくれる」と 言わしめるほどの遊び人ぶり(謎の幽霊島)。

そこに粋できれいなお姐さん(よく船宿で殿様と飲んでいたりする)や、 かわいいお嬢さんや、事件に巻き込まれたかわいそうな若侍や、 スリや陰謀団やその他大勢を、 鉄粉の中を歩く磁石のように吸い寄せながら移動して行くわけなんですが、 脚本が練れていて、主水之介のキャラクターが見事に揺るがない。
「こんな場面でシャレた返事は思いつかないし、脚本家はどうするんだろう?」 と老婆心でドキドキしながら見るような状況でも、 ちゃんと気のきいたセリフが用意されていたりするのであります。

BSで放映されたビデオを持っているのですが、 これを書くためにちょっと見直してみても、  「ここでワタシなら返事の仕方に困るな・・・ この弱味のないキャラクターでは何と言うのか思いつかないや」  というところがたびたび出てくる。 黄金期のシナリオライターは、 そこをちゃんとクリアして行くのであります。

ワタシはもともとセリフのうまい脚本に弱いんですけども、 こういう会話の応答のテクニカルメリットが高い脚本を書かれると、 手放しでひれふしてしまうところがあります。
ワタシも会話型の展開が好きなので 「会話シーンだけで千頁描けるぞ」 などと思ったりする事がありますが(・・・誰が読むんだよそんなの)
ともかく、「退屈の殿様」は、 実は会話部分以外に、あんまり見せ場らしい見せ場がないのであります。

なにしろ主人公に「弱点がない」のですから、見る人をハラハラドキドキさせておいて、 弱いと思っていたのがいきなりかっこよくなるとか、 そういう「対比の見せ場ワザ」が効かない。
「退屈の殿様」は「日常的」にカッコイイので、 どこで魅力度を出して、見る人を「どっきり」させるかというのが、 演出方法として極端にむずかしいのであります。
(どこかでドキッ!としないと、どんなスーパーマンを見せられても、 人間はときめかないのですね)

−−−で、どうするかといいますと、
たとえば前出の「謎の幽霊島(これしかうちにビデオがないんですが)」では、 長崎についた夜、早速事件に首を突っ込んで一晩もたくたしたあげく、 江戸で馴染みだった女のところに行って  「きのう来るって言うから一晩寝ないで待ってたのに、 けっきょく江戸と同じで朝帰りなんだからぁー・・・」  とぐずられて、「弱ったなー」 という感じで、 多少手を焼きながら弱り顔で煙草などをふかしてるのですが、  「ところでそなたに頼みがあるのだが」 と、真剣な顔になって、 追われている男をかくまって欲しいという話になる。

彼女も、「じゃれあい」からまじめな表情に変わって、 「殿様の頼みなら、何があったってやってみせますわ」 と心意気を見せる、という展開になるのですが、 この雰囲気の切り替えのタイミングがものすごくうまい!

ヘタをすると(いや、ほとんどの場合は)  「女にぐずられるのがめんどくさくなって、そういう話題に逃げたな」  という印象になるはずなんだけれども、主水之介は「弱味のない人」 という設定なので、ここで「女の苦情から逃げる」 という「逃げ」の行動をとらせるわけに行かない。
かと言って、女の苦情はえんえんと続きそうなので、 このままでは映画が先に進まない。

そこを脚本家はどうしたかというと、  「主水之介は馴染みの女の愚痴に軽く相手をしながらも、 ずっと事件のことを考えていて、 やがて信頼している女に、言おうと思っていた依頼を切り出した」  という状況設定にして、 この心理描写にいっさいセリフでの説明等はないのですが、 市川右太衛門という人がやると、ここはちゃんとそんなふうに(卑怯ではなく、 ちゃんと女を信頼して頼み事をしたように)見えるのであります。
(という訳で、完全無欠型の旗本退屈男はこの人にしか演じられないのでした。)

「日常的にカッコイイ」というのは、 極端に「非日常的」だし「不自然」な状態ですが、 それをキャラクターとして固定化させることに成功したこのシリーズはスゴイ!
それをスクリーン上に具体化させた、市川右太衛門という役者もスゴイのであります!


私はこのシリーズにすごく憧れていて、何とかこういう、 ゆとりのあるエレガントなキャラクターを描けないものだろうかと考えて、  「バジル氏の優雅な生活」 というシリーズを描いたのですけれど、 生活設定を模倣するにとどまっただけで、 キャラクターの方はもうまったく歯が立ちませんでした。

「完全無欠のカッコイイキャラクター」 なんか、 並の人間ではちょっと手に負えないのであります。
さすがに黄金期という時期は、不可能が可能になるものです。

私が日本映画の中に 「エレガンス」 という要素の指向を感じたのは、 この時期だけでした。


「旗本退屈男」で、今でもハッキリ覚えているのが、
例によって、明るい昼のお座敷で女遊びをしている殿様の所へ、 家来の御小姓が事件か何かを御注進に来るのですが、 女の膝枕で扇を顔にかざして、昼の光の中でうたた寝をしていた殿様が、 声に気がついて、顔を隠していた扇を持つ片手を、 すっと動かして女の膝にもたれたまま顔をのぞかせる・・・

まぁ、たったそれだけのシーンなのですが、 「なんて優美に女遊びをする男なんだろう・・・!」という強烈な印象があって、 「いつかぜったいこんな場面を描いてやる」 と思っているのですが、 いまだに描けません。

「上品」と「エレガンス」には、持って生まれた天性の才能が必要なのであります。


大往生の殿様の冥福を祈りつつ、追悼文代わりの一文でした。

1999.9.20.





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