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<たが屋>
金原亭馬生(十代目)

私の好きな馬生さん(先代の十代目馬生さん)は、 だいぶ前に亡くなったんですけど、池波志乃さんのお父さん(たしか・・・)で、 娘さんそっくり(逆か?!)の、”姿のいい”噺家さんです。

私はこの人のファンで、テレビなんかの番組欄で名前があると 必ずチャンネルを合わせていたんですけど、 この人以外ではこんなにドラマチックにならない! と思うのが、 馬生さん十八番の 「たが屋」

隅田川の花火の夜の話で、花火見物の人混みでごったがえす橋の上を、 仕事の終いが遅くなり、大きな道具箱を肩に担いで急いで家に帰ろうと するたが屋さん(たがというのは、組み立てた桶を締める部品のことです)が、 人にもまれている内に、ちょっとした事故で、 反対側から偉そうに橋を渡ってきた武士の被っている笠をはね飛ばして恥を かかせてしまい、平謝りに謝るんですが、相手は 「この場で手打ちにする」 と言って聞かない。 どれだけ謝っても許してもらえないので、 ついに逆ギレ状態になったたが屋さん、「斬るんなら斬りやがれっ!」  と橋の上で開き直ったのですが・・・
−−−という展開の、ちょっと歌舞伎のような緊迫感のある話。

この演目は、演る人によってかなり雰囲気が違い、 えらそうな武士を三枚目に設定して大爆笑になる人 (艶笑譚時代の圓楽さんがうまかった)や、 見物人の野次馬の大騒ぎを主体に「モブ描写(スケッチ風)」が 生き生きする人・・・ などなど、いろいろあるんですが、 馬生さんのはかなりシリアスな演じ方で、心理描写に重きがかかっていて、 無責任な野次馬(武士嫌いの町人連が、 たが屋さんの勝手応援団を始めただけなんですが)に 取り囲まれて、衆人敵視の中で自分も後に引けなくなっていく武士や、 最初は 町人vs武士 だったのが、だんだん 1対1 の対立に変わっていく たが屋さんの立ち上がり方(といっても、 ケンカくらいしかした事のない職人のたが屋さんと、 太平の世の中とはいえ武術を本業とした武士とでは、 実力差は較べようもないんですが・・・)などなど、 この人が演ると、ものすごく濃厚なドラマになっていきます。

特に、「家族の面倒をみなきゃいけないのでこのまま家に帰してください」  と、泣きながら頼んでいたたが屋さんが、どうでも手打ちだと言われて、 ついに 「これだけ頼んでるのに・・・なんだバカヤロウ・・・!」  と、つぶやきながら立ち上がっていくところは特筆もの。

この人のたが屋さんは、ちょっとぐっとくるくらいカッコイイのですが、 あまりに人間ドラマになってしまうので、 サゲ(この咄、実は地口落ちなので、話の展開にかかわらず、 いきなりストーンと終わってしまう)で唐突に切れてしまうのが (馬生さんの場合は)ちょっとツライ・・・というのが唯一の難点です。
しかし、これ以外に終わりようがないので、 演じ方としては、むしろ武士を徹底的に敵役で三枚目にした、めちゃ軽の  「たが屋さん大活躍バージョン」 の方が正しいのかな・・・と思うのですが、 馬生さんの見せてくれる花火の夜の悪夢のような展開は、 ちょっと他の人の追随を許さないのであります。

なおこの馬生さんという人、うまい落語家さんなのにもかかわらず、 咄の出来にそれほど波のない人で、もちろんとびぬけていい時はあるんですが、 たいてい並以上のクオリティで話をきかせてくれる覚えがあって、 ちょっと不思議な人です。

この人の落語を聴く場合、手に入るならばビデオがベストだと思います。
もちろん、どの落語家さんも画面があった方がいいに決まってるのですが、 この人は特に、黒の着物姿(私の記憶では高座姿が黒でした)が、 ものすごく美しいのであります。
噺家さんの着物姿はどの人もいいのですが、 馬生さんはとりわけ色気のある体つきの人で、細身の肩から袖にかけての線が、 着物を描くときのお手本のようなシルエットになるのであります。 (顔立ちは池波志乃さんと同じく、ちょっとクセのある雰囲気です)


<七度狐>
桂小南

お仕事箱の「珍見異聞」のコメントでもご紹介していますが、 「狐話」としては、落語の中でもトップクラスの楽しい話です。  上方落語は話自体がいいものが多く、シナリオの構成もテクニカルなので、 演者を選ばないで楽しめるものが多いのですが、それでもこの「七度狐」は、 これに命を懸けて大事に演じてきたとも思える桂小南さんのものが、 おかしさと怖さのバランスといい、出色の出来ばえだと思います。

小南さんは、上方落語の噺家さんなのにずっと関東で仕事をしていたという、 ちょっと不思議な経歴の方です。
というわけで、上方落語や関西弁になじみがない方でも大丈夫!

さて、「七度狐」は、上方落語の「伊勢詣で」をテーマにした「珍旅行談もの」 の傑作で、弥次喜多のような仲良し二人組が伊勢詣でに出かけるのですが、 山中の茶店でお昼ご飯を食べようとすったもんだの揚げ句、 「イカのぬた」の入ったすり鉢をかっぱらって逃げることになり、 証拠隠滅のために草むらに投げた空のすり鉢が、 そのあたりで「1度何かされると7回祟って返す」と有名な「七度狐」 のアタマを直撃、「よくも稲荷大明神のお使いの狐に、 ものを投げたな・・・」 と、ムカッときたキツネが復讐を始めて・・・
−−−というイントロで始まります。

このキツネの仕返しが意地悪にしてすばらしく、 しかも、これでもかこれでもかと波状攻撃で騙してくるので、 聴いているこちらも、覚悟は出来てるはずなのに、 一緒に騙されてしまったりして、爆笑に次ぐ爆笑の展開になる、 ものすごくファンタスティックなタイプの話です。

この噺は、噺自体の出来がいいので、うまい人なら誰がやっても たいてい面白いのですが、これを十八番にしている小南さんのものは、 特に庵主さんのお寺の、こわグロいところがすばらしく、  「ねんねん出よるで」 から伊勢音頭のあたりまで、 本領発揮のテクニック大炸裂状態です!

ちなみに、お寺のご馳走の「べちょたれ雑炊」は、 「伊平次とわらわ」で、わらわが曲がり辻の粋人の家で出される食事について 考察しているところで、ちょっとだけ片鱗が覗いています。

さてこの噺の中で、特になんてことのないシーンなんですけど、
「あんた方、あれが門に見えるか?  キツネがムシロ持って立っとるだけじゃがな!」
という場面の、ムシロをひろげて、すましてこっちを向いて立ってる七度狐が、 ミョーにカワイくて好きです。

 
<饅頭こわい>
上方バージョン/演者選ばず

「饅頭こわい」というのはほとんどの人がオチを知ってるくらい有名な落語で、 江戸落語では、このオチの部分を味わうための、切れ味のいいシャープな噺ですが、 上方落語では、この有名なオチの部分のエピソードはむしろ「オマケ」で、 本来の中身は 「ワタシが遭遇したコワイもの」  という怪談話特集になっています。
この「皆さんの体験談集」が、なにしろヘンでいいのですが、 この落語を知ってる人が意外と少なめという、 ちょっとおトクな掘り出し物的ネタです。

内容に関しては、詳しく書くと楽しみが半減するので、 まだ聴いたことのない方は、ぜひ本物の落語の方で (本などの文字でダイジェストせずに、実際に耳で聴いて)お楽しみ下さい。  上方落語は江戸落語に較べて長いものが多く、 テレビ放映用に刈り込まれて整形されていないので、 テープかビデオで、フルバージョンで聴くのがオススメです。

「饅頭こわい」は誰がやっても楽しめる噺ですが、 こういうスタンダードだと、やはりイチオシは桂米朝さんです。  米朝さんは雰囲気が上品で優等生的すぎるという評価もあるんですが、 こういうスタンダードなものを演らせると文句なくいいです。
上方落語のスタンダード・・・ 「皿屋敷」「貧乏花見」 「はてなの茶碗」「鹿政談」「千両みかん」「高津の富」「軒づけ」  などなどの古典ものは、この人マカセておけばとにかくOK! という感じ。
人情話でも、 ホロリとさせてからフッとひいて笑わせる緩急のタイミングが抜群で、 話芸のお手本のような人なんですが、 シリアスになるとしんしんと聞き入ってしまうので、 そこからいきなりスカーン!とギャグで抜かれると、 ダルマ落としで足場を抜かれて急転直下したくらい腰にきます。

この、桂米朝一門の人の落語は 「上方以外の人も楽しめる上方落語」  みたいな「話芸の語り口磨いてがんばってます」 がコンセプトみたいなんですけど、 逆に上方落語特有のダイナミックな野太さとかアク、 地域の感性の波のようなものを味わいたい人には、 松鶴一門の人の方が、濃厚な醍醐味があるかもしれません。  こちらになると「大阪のヘンなオッサン」が山のように出てくることが多く、 人物のヌケ方もただ事じゃなくて、何とも言えない味があってまたいいです!


<寝床>
三遊亭圓生

「寝床」はものすごく有名な噺なのですが、 わりと単純に演じられることが多く、私はずっと「寿限無」 と共通して 「入門した人が練習にやるような話?」  などと思っていました。 ですから、この噺を聴いて笑ったっていう事が なかったんですが(オチももう知ってるし・・・)

しかし、ベテランをバカにしちゃイケナイのです。

ある晩たまたまラジオで私の大好きな圓生さんの落語があって、 演目が「寝床」だったので、「この人がずいぶんヘンなものやるなぁ・・・」 と思ったんですけど・・・ ものすごかったです!

だいたい圓生さんという人、情景描写や人情話を十八番にしていて、 あんまり 「笑って笑って止まらない」 というタイプの噺をやる人じゃ ないんですが、この人の 「寝床」 が、とんでもなくおかしい!  私は途中からあんまり笑いすぎて、ラジオの前でジタバタして死にかけてました。
高座でナマで見なくて良かったかも・・・  (その場で見せられたらほんとに死んでるよ!)

物語は「お店ばなし(商家を舞台にしたお話)」の一種で、 大旦那が浄瑠璃に凝ってしまい、 すさまじくヘタなんで誰も聴いてくれないんですが、 大旦那はお金持ちなので、ご馳走や酒を用意して近所の連中を呼び集めて ムリヤリにコンサートをやってしまう・・・ という、  「趣味のメイワクもの」 です。

呼ばれた近所の連中が 「ここに来てご馳走を食べるのは大好きなんだけど、 これであの浄瑠璃さえなければなぁ・・・」 なんて言ってるあたりの ワイワイ騒ぎとコメント大会が普通はメインで、大旦那の暴力的な浄瑠璃 が始まってからはオチを待つだけ・・・ の状態に・・・ 普通はなるんですけど・・・

三遊亭圓生、ただ者じゃなかったです!

大旦那の浄瑠璃が、突然スペクタクルのSFXになりまして・・・ えー・・・桂枝雀さんが時々、超現実的というか、 SF的な状況を演ったりしましたけど、まさにあの感じです!!

「寝床」って、こんな話だったかぁぁぁっ??!

大旦那の浄瑠璃が、耳をふさいで畳につっぷしているみんなの上を、 御簾を跳ね上げて渦巻きながら襲ってきて、 なんとか頭上を通過したのでみんながホッとして顔を上げると、 出口で逆流して戻ってきて、部屋の中央で次のヤツとカチ合って こんぐらがりながら旋回攻撃になって爆撃してくるのであります! (ヒドイ・・・!)

これをやっているのが、いつも上品な人情話やお店噺で  「けっ、スカシやがって」 とみんなに言われそうな、あの圓生ですよ・・・!

ワタシはすっかり倒れ伏して、「こっ・・・このジジイは・・・!」  と、クラクラしながらしばらく立ち上がれませんでした。  こんなスプラスティックギャグを、ふだんはしっとりした描写で売ってる、 この人間国宝クラスの大長老の超大御所のじいさんがやるかあっ・・・?!?!

しみじみ、「落語家とまんが家はバカにできねぇ・・・  面白いとなったら、何するかわからんな」 と思いました。

後にも先にも、こんなものすごい寝床を聴いたのは、この時だけです。
こういうスペクタクル描写のギャグを使う人は、枝雀さんなんかが近いのですが、 枝雀さんのは「お浄瑠璃の恐怖」も、もっとカリカチュアライズされた感じなので、 圓生さんのような「精緻な描写でいきなりスペクタクル」とは、 ちょっとタイプが違うみたいです。

圓生さんの 「寝床」 は、テープやCDが出ているかどうかも ちょっとわからないのですが、出てるとしても、 違うときにやったものはこういう印象ではないかもしれません。 (圓生さんはかなり出来不出来の波がある上、年代によっても違うような気が する。 かなり研究家だったのかな・・・?)
ただ、大店の噺や人情話の得意な圓生さんが、 こんな噺をやって、しかも大傑作だった。 ・・・という事に、 圓生さんをちょっとだけ知ってる人なら、 きっと一緒に驚いてくれると思います。





<唐茄子屋政談(吉原堤の場)>
三遊亭圓生

上の「寝床」は、圓生としては 「か、隠し芸かっ?!」  というような意外な1本ですが、こちらはスタンダード中のスタンダード。

そもそも圓生は、人情話と大店物を特に得意としているのですが (大店の番頭さんがこっそり花見に出かける「百年目」は、 ゆったりした大店のご主人の風格や、カタブツで通っている大番頭の 中間管理職の涙ぐましいような狡い哀しさなど、サイコーです!)  そういう大店の若旦那が、吉原での道楽が過ぎて勘当され、 知り合いの人に唐茄子(カボチャ)の荷売りを紹介されて、 箸より重い物を持ったことのないボンボンが、カンカン照りの夏の日に 天秤棒を担いで唐茄子売りに出かける・・・ というのが主な展開で、 何しろ自分で商売なんかしたことがないので、売り物の唐茄子は全然売れず、  「なんかナサケナイなぁ・・・ しくしく・・・  でもなんとかこれ売って帰らなくちゃ・・・」 と、ボンボン丸出しで 下町をウロウロしていると、そのうち吉原の裏のたんぼ道に出てくる。

ふと見ると、向こうに昔通った吉原が小さく見える。
それを見ながら 「あー、むかしは良かったなー、 花魁はどうしているかな・・・ ”若旦那、ちともお見えにならないんで、 寂しくて寂しくて・・・” とか言われちゃうだろなー・・・」  と、いろいろ楽しい妄想にとりつかれながら、ふとわれに還って、  「あっ、ダメだダメだ、ちゃんと商売しなくっちゃあ!  唐茄子はいかがですかー? とうなすーーー」 と呼んでいても、 やっぱりまた昔の楽しかった吉原の事を思い出し、 ついあれこれいらない妄想にふけって、ハッと気がついて  「いかんいかん! 唐茄子を売らなきゃ・・・! とうなすーーーー」  と、重い荷を担いで汗だくになりながら真夏の吉原の裏のたんぼ道をずっと歩いていく。

−−−と、これだけの噺なんですが(このあと話は続きがあって、 長い話らしいのですが、時間の関係でここまでを演じられることが多いみたいです)
とにかく、この圓生の唐茄子屋はよろしいのです!

憎めなくて上品で役立たずなナサケナイ若旦那のキャラクターは とにかくピカイチで、圓楽の得意だった(過去形)かわいくてお茶目で ただのスケベ大好きにーちゃんで、ハシにもボーにもかからない、 マヌケで懲りないタイプの若旦那と好一対なのですが、 圓生さんのはいかにも大店の上品な若旦那で、 世の中の悪いことを一切知らず、悪気もなければ悪心もない、 天使のような(そのためとんでもなく役立たずな)タイプで、 その人がいきなり現実の中にほおり出されて、 言われたとおりになんとか「地道な仕事」をやろうとはするんですが、 今まで暮らしていた 「夢のような楽しみだけの世界」 をつい思い出してしまい、  「いかんいかん、オレはもうあっちの住人じゃないんだ、 こっちでがんばらなくっちゃ」 と思いつつ、また 「ああでもあれは 楽しかったなぁー・・・」 と戻ってしまう。

雲一つない晴れ渡った夏空の下、真夏のカンカン照りの畦道を、 天秤棒を担いでたった一人、唐茄子の売り声を上げながら炎天下を 黙々と歩いていく若旦那は、なんかもう一幅の絵になっていて、 ワタシは目の前にハッキリ画像が浮かんで陶酔してしまいました。

ちなみに圓生さんは 「糸を手に持てる」 タイプの演者です。

美空ひばりさんがそうだと聞いたことがあるのですが、 舞台に出てきて、お客さんの一人一人の身体から糸を引っぱって、 それを自分の手に束ねて自由に緩急を合わせていくような、 劇場中の呼吸を操っていくような、そんな感じの演じ方です。 (という訳で、噺の出来に波が出るのだと思う)

私がそういう現場を実際に見たのは、 越路吹雪さん(この人はTVで見るとまったくダメで、 レコードとかでも完全にダメで、もーどっかに捨てたいくらいで、 舞台以外はとにかくクソなんですが(おいおい)、 いったんリサイタルで舞台に立つと、 もうこっちが身動きも出来ないくらいに歌を演じて語ってくれる。  エディット・ピアフをテーマにした回なんかはあまりにすごかったので、 舞台が終わってからどーしていいかわからないくらいでした。  私はかろうじてこの人の最後の方のステージを何回か見てるのですが、 この人の生きてる間に、生の舞台に間にあって幸運だった!)  と、この圓生さんの高座ですが、 圓生さんの場合は、なんだかもう、みんなの胸のあたりについてる「糸」が 圓生さんの手元につながって、その手にしっかりと束が握られてるのが見えるみたいでした。

余談ですが、同じ才能を持ってる人で 「おい、やりすぎだ!」  と思ったのは歌舞伎の猿之助さんで、文化庁の移動文化祭の公演 (「歌舞伎を知らない人に一級品を観てもらう」というコンセプトの 公演)だったんですが、彼がやったメインが「関の戸」で、 簡単に言うと 「お涙ちょうだいの親子もの」 みたいなお話なんですけど、 なにしろシロート向けの名場面集みたいな細切れの舞台なので、 ほんっとに話の一部分、展開も前後関係もわからなくて、 サビのポイントだけしか見られない・・・程度の演目だったんですけど・・・

「歌舞伎は昔の死んだ古典文化じゃない!」 がポリシーの猿之助さん、 とにかくここでみんなを巻きこんでやる! という闘志で燃え上がっていて、  「こ、こんな母恋い涙で泣かされてドーする・・・」  と半分シラケながらも(注>この時アタマは冷静だったんです)、 もう呼吸があちらのペースにハマっていて、 とにかくセリフの抑揚に合わせてボロボロ泣いちゃう!
「これはないよな・・・」 とまわりを見渡したら、歌舞伎なんか始めて 観るわ・・・ みたいな若いおねーちゃんとかオジサンとかおばさんとか、 じーちゃんとか、まわり中の客席が全員すすり上げて大泣きで泣いてる!! (おいおいおいおいっ!)

・・・まいりました。 ものすごい才能(天分?!)のある人だと思ったです。  もうほとんど暴力的というか、半催眠操作というか、 才能の悪用に近かったぞあれは・・・!!


先日見た何かのインタビューで役者の市原悦子さんが、  「お客さんの心臓から糸が出ていて、それを握れたら、 その時はとても面白くいける」 というような話をしていて、  「あっ、この人もこういうタイプの役者さんなんだ」 と思いました。  当たり前だけれど、演ってる人もハッキリ感じてるんですね。

ちなみに、私がとっても楽しく舞台を拝見した江守徹さんですが、 この人には糸を操っているところを感じたことがあまりありません。  むしろ、冷静に見ていてとっても面白い(巻きこまれるんじゃなく、 知的に判断してとても面白い)感じの舞台でした。 ご本人がそういう  「知的に演劇が楽しい」 人なのかもしれないな と思います。




<湯屋番>
三遊亭圓楽

今、知っている人はそんなにいないと思うのですが、 師匠の圓生さんが亡くなる前まで、圓楽さんは艶っぽい話の大家でした。  その芸風の時代の話です。

「湯屋番」は、道楽で家から勘当されて、馴染みの親方に預かって貰っているものの、 ちっともまともに働けない女好きの若旦那(バカ旦那)のお話。
紙くず屋をやったりいろいろするんですが、いまひとつ向いてないみたいなので、  「お湯屋なら女のハダカも見られることだし、楽しいかも・・・!」  と、都合のいいことだけ考えて、えっちな下心で就職した若旦那。
当初の目的どおり番台に座ることに何とか成功し、 きれいな年増を見つけてついつい妄想にふけってしまい ・・・ という、なんてこたないスケベ心コメディなんですが、 この人の 「えっちが大好きなだけの役立たずの若旦那」  というキャラクターが、ソーゼツによろしいのです!

他にも、「四万五千日、お暑い盛りでございます・・・」の有名な描写で始まる 若旦那が船の船頭さんになる噺や、他にもいろいろ「勘当された ロクデナシの若旦那」の爆笑ネタがあって、この人の「若旦那もの」は どれもスバラシイのですが、やはり「えっちな場面」が入ってくると がぜん精彩を放っていて、ミョーにイヤラシイ上に楽しいのであります。

この人の場合、「色っぽい女性」が「本当に色っぽい」のが特徴で、  「イイ女だねぇーーー」 と言われると 「ほんとだねぇ・・・!」 と実感する感じでした。

で、絶対に上品には外れないのですが(一応、テレビなどで放送できる程度ですが、 それなりに艶っぽい展開だったりする)しかし絶対下品にならず、しかも  「徹底的にえっち性の楽しさを追求する」ところに良さがあって、  「えっちな話はちゃんとえっちでないと面白くないんだ・・・ でも下品じゃダメなんだ・・・えっちなくせに下品じゃいけないなんて、 なんて難しいものだ・・・!」 と、ほとほと感心して育ちました。 (< ワタシは”子供の頃”からこの人の落語の大ファンだったんであります。)

その時の 「えっちな話はよりえっちに・・・でも下品になったら失敗!」  という目標は私の中にずっとあって、今でも高い遙かな目標なのですが。
むかし・・・ちっとやそっとの昔じゃなくて私が描いたデビュー作(古いっ!) の話なんですけど、 主人公の少年がハダカで部屋に飛び込んでく後ろ姿の場面があって、 部屋の中にいるのは彼のお母さんなので、状況的には彼が素っ裸でも、 別になんてことない状況なのですが、ワタシの知人で、 今で言う「えっちシーンだけのやおいマンガ」 みたいなスゴイやつをガンガン描いてた人がいて、 裸だのえっちシーンでは何も驚かないのに、  「あの場面見たとき、電車の中だったんだけど、 すんごいイヤラシくて反射的にページ閉じちゃったわ」  と言われたことがあって、内心 「成功したのかも・・・」  と、すごく嬉しかったことがあります。 (<そういう部分を驚いていただく 遊びの演出のコマだったんですね)

圓楽さんは、師匠の圓生さんが亡くなったとき  「この人の芸をワタシが継がなければ・・・!」 と思ったらしく、 いきなり世話物のしんみりした人情話をやり始めて、 昔のあの無責任きわまりない 大馬鹿若旦那のふざけたえっち話はやらなくなってしまったようなのですが、  「ああ、なんてもったいない事を・・・!」 と、ジタバタしました。
この人のえっちネタの感性は天賦の才能というか、 他の人が、どれだけやりたくても追いつけない独壇場だったのに・・・
テレビではありますが、いいときの高座をさんざん見たので、 それはそれでいいんですけど、 年を取ってからどんなふうになるのかも見たかったので、 ちょっとザンネンです。

落語は、くだらなく、マヌケで、ハシにもボーにもひっかからないような、 芸術性のカケラもないものでないと、 そして、人に笑われるようなものじゃないとダメじゃないかと思うんですけど ・・・ (ちなみにまんがも、 人に笑われるものじゃないとダメなんじゃないかと、 ずっと思っているんですけど・・・)

( >なお、ハダカや身体の部分を全部見せちゃうとか、 露骨にやっただけでは「えっち」な感じにはならない訳で (下品になる場合はいくらでもあるんですけど・・・)、 ハダカがえっちなら風呂屋なんか大変なことになるわけですが、 「えっちな感じ」というのは、それとはまったく別の要因です。)




<目黒のサンマ>
三遊亭圓楽

もいっちょ、圓楽さんです。
こちらはものすごくものすごくものすごく有名な落語。  ほとんど落語を聞かない人でもタイトルを知っているくらい、 超とびぬけて有名なネタで、 すごく出来がいい後味もいいおいしそうな話でして、 これも誰がやっても楽しいネタなんですけど、 これのベスト、私はダントツで圓楽さんです。

艶笑譚時代の圓楽さんのもう1つの得意ネタがこれで、 この人の落語の特徴は、「バカなキャラクターがものすごくカワイイ」 というところなんですが(湯屋番や船頭をやってる若旦那も、 アタマが煮えててバカでどーしようもないんですけど、 とにかく性格がイヤミがなくてカワイイ!)  それらの圓楽さんのキャラクターの中でも、 まずもって一番カワイイんじゃないかと思われるのが、 この「目黒のサンマ」のお殿様です。

このお殿様、深窓の令嬢ならぬ深窓の殿サマなので、 サンマなどという下世話で庶民な魚は見たことも食べたこともない。  生まれて初めて、 真っ黒で煙上げて脂がビチビチいって炭がくっついて燃えてたりする長い物を出されて  「これはなにっ?!」 とビビって引いちゃったりするんですけど、 食べてみるとバカうまだったのですっかりとりつかれ、 あとは寝ても覚めても 「あのサンマってヤツが、もいっかい食べたいなぁ・・・」  と思い描いてるんだけど、さすがにお殿様なので口には出さない。 (ここが千両みかんの若旦那と違うところですね)
で、およばれに行った先で 「何か晩ご飯にリクエストは?」 と聞かれて、 思わず 「サンマ!」 と叫んでしまうのですが・・・

−−−というのが大まかなあらすじですが、この単純なお話を、 サンマを夢見て恋いこがれちゃう世間知らずのお坊ちゃんのような、 すごくカワイイ性格のキャラクターにふくらませて演じたのが圓楽さんです。

この悪気のない、 朗らかで純情で天真爛漫でおマヌケなテイストはこの人独自のもので、 この噺は普通は 「初めて庶民の味”サンマ”を体験してしまった殿さま」  という、身分や生活の落差のおかしさを中心に構成される噺なんですが、 圓楽さんの場合はキャラクターの魅力の勝利になっていて、 カワイクておかしくて、殿さまという身分にちょっと寂しいペーソスもある、 他の人ではマネの出来ない、深くていい感じの雰囲気になっています。

私はこの殿さまがとても好きだったので、 サンマを焼くと、 「”目黒のサンマ”の殿さまに、 思い切り食べさせてあげたいなぁ」 と思います。



<首提灯>
立川談志

圓楽さんの親友の談志さんの噺。
これはワタシが「好き」というのとはちょっと違っていて、 あんまり「ものすごかった」作品です。


「首提灯」というのは、夜道で首を斬られた男が、 あまりの剣の切れ味の良さに自分が斬られた事に気がつかず、 そのまま歩いていっちゃうんですが、提灯がなくて道が暗いので、 ついには自分の首を手に持って、それを提灯のようにかざして歩いて行く・・・  という、「あたま山」に近い不条理ナンセンス系のオチのある話です。

この話は、普通にやるとわりとナンセンスでスッキリした話で、 恐くもなければグロテスクというほどでもないんですが、 ある晩 (確かNHKの深夜に近い時間だったと思いますが)  立川談志さんの「首提灯」の演目があったので、  「おー! 談志だー、ひさしぶりだー」 なんていいながらかけたんですけど、 こ、こ、これがコワイっ!! とんでもなくコワイ! めちゃくちゃコワイ!  夜中に一人で聴いてられないほどコワイっっ!!!


談志さんは、何か考えるところがあったらしく「オレはもう高座なんかやらない!」 としばらく落語を断ってた時期があって、そのあとフッと復帰したあたりの時ので、 そういう気分的な気迫もあったんだと思いますが、 いやもーコワイとしかいいようがないんですけど、とにかくすさまじくて、 首を斬られた男がとことこと歩き出すと、身体の振動で首が血のりでぬめって、 だんだん前に滑ってくる・・・ 「あれ? どーしたんだろう?」  と言いながら男が両手で首をひょいと元に戻して、 歩き出すとまたヌルっと前に落ちてくる。 「ヘンだなぁ」  と元に戻して今度は姿勢を変えて歩き出すと、今度はヌルヌルと顔が横に 回ってってしまう・・・

そりゃあものすごく面白い場面なんですけど、 あそこまでリアルにやられると、もーなんか引きつるくらいキモチ悪いやら リアルなやらコワイやら・・・

さすがに 「け・・・消そうかなスイッチ・・・」  という考えが頭をよぎったのですが、なんかこれが、 一生に一度遭遇できるかどうかくらいのクオリティのものに ぶつかってしまってる・・・というのは、どれだけコワくてもヒシヒシとわかる!

結局、逃げたくなるのをひきつってテーブルにしがみついたまま、 なんとか最後のオチまで観たんですけど、終わった後あんまり恐かったので  「こ、こわかったぁぁぁっ・・・!」 と叫んで部屋を走り回ってしまいました。

やはり落語が好きで、この手の番組をしょっちゅう見てる友達が やっぱりその時間にこれを見ていて、 あんまりこわかったんで、ついに途中でスイッチを切ってしまったらしい。

ちなみにこの友達、恐い話やグロいものには強くて、 「羊たちの沈黙」の大ファンだし、死体の写真集だってヘイキで見ちゃうような ツワモノなんですが、「コワクてどうしてもガマンできなかった」 のだそうです。

立川談志さんは、ものすごくうまい上に、人一倍研究熱心で冒険心が強く、 すさまじく面白い落語を聴かせてくれるんですけど、  「おまえさん達、ここまでついて来られるかい?」  と、ちょっと客を試す挑戦的なところがあって、 これなんかは、客にコワがられるのは承知の上で、 やれる限界まで徹底してやりまくったという感じです。

サービス精神が濃厚に過剰だとも言えるし、 「そこまでしなくていいよ・・・」という時もあるし、 高座で客とケンカしたりまでしてくれるし・・・ >>  「寝てやがるんなら帰れ!」 というのは、彼の考えるサービス(一種の、 客席でのスリル)なんだろうと私は思うんですけど、で、 確かに立川談志の高座を聞きに行ってそういう事件に遭遇したら、 ファンとしては、すごく談志らしいアクシデントでウレシイとは思うんですけど、 アブナイからそこまでしてくれなくていいぞ・・・

で、とにかくこの、人が「右」というと必ず「左」と言いそうな、 超ヒネクレ者でぜったい素直じゃない「中高年不良」の談志さん。
病気(咽頭ガンだったかな??)になったときも、ハスに構えて  「オレは死ぬのなんか恐がっちゃいねーんだよーん!」  という雰囲気でツッパッてたのでドキドキしてたんですが、 みんなに内緒で節制したらしくて(?!)、今は元気そうなのでウレシイです。

そんなわけで、ものすごいクオリティで、すさまじい出来だったんですけど。
しかし、さすがにあの「首提灯」を、もう一回聴くかと言われると・・・ ・・・ううううーーーーむ・・・





スタンダードベスト・1
<古今亭志ん生>

今さら・・・という感じですが、 「とにかくおかしくてたまらない」  のがこの人。  この人の落語で笑い始めると止まらなくなって苦しいので要注意です!
落語の神さまなので何もコメントする事はありませんが  「火焔太鼓」 や 「黄金餅」 などが特によろしいかと・・・



スタンダードベスト・2
<桂枝雀>
今さらその2.
SFのショートショートを連続で聴いていくような切り口の枝雀さんの落語は、 落語の金字塔のような感じです。
とにかく面白い上に、このやり方は、たぶん誰にもマネが出来ないのであります。
私が好きなのは 「鷺とり」 「夏の医者」 「風邪うどん」 などの本領発揮もの。
「鷺とり」 は、昔話でいうところの 「鴨取り権兵衛さん」で、 上方落語のなかでも特に有名な 「ファンタジーもの」 です。  どの人がやっても楽しい話なのですが、 枝雀さんのは、鷺の捕り方により力が入っていて、 「こりゃ何かな?」と不審を抱く鷺くんも、 人間と対等のキャラクターになっていて、やはりベスト! です。
枝雀さんの落語は、聴く人によって好き嫌いがハッキリ分かれますが、 話の展開よりも個人のテクニックを楽しみたい方、 SFのショートショートなどが好きな方に、よりオススメです。



・余談/その1・
<粗忽もの>

柳家小さん治さんや円鏡さん(現/橘屋圓蔵師匠 ・・・つい昔の名前で思い出してしまうぞ)の独壇場とも言えるジャンル、 「粗忽長屋」などが代表的なものなんですが、 「こんなに粗忽者じゃ、生きていけないのでは???」 と思うくらいのうっかり/あわて者の主人公が、 ちゃんと奥さんもいて職人さんらしく仕事もしていたりする、 ちょっとシュールな域まで達した「極端な性格」ものシリーズ(?)です。

こういう「ナンセンス性格系」の噺は、理屈っぽい上方落語に較べて、 「こうだったらこうなんだヨッ!」と、 ちからワザで設定を押し切ってしまう江戸落語の方が、 やたらにテンポがよくておかしいです。

ワタシは 「箒をかけるのに壁に釘を打ったら隣の家の仏壇に出ちゃった」  というヘンなエピソードが異様に好きなんですが、 浅草にお参りに行くのにマクラ担いでむやみに駆けだしてっちゃう 円鏡さんのホイホイな感じの職人さんを見て、  「こういう動物が飼ってみたい・・・」 と、 ちょっと思ってしまいました。 (なんか、 ぴょんぴょん跳ねるリスみたいなんです・・・ このキャラクターが!)



・余談/その2・
<代書屋>

がたろ(河太郎=河童の意味ですが、 河底をさらってゴミ拾いをする一種のクズ屋さんもそう呼ばれました) の主人公が、正式な文書を作ってくれる「代書屋」さんに書類を作ってもらう やりとりを軽妙にスケッチした、上方落語の傑作です。
春団治さんがやっても米朝さんがやっても枝雀さんがやっても面白いんですが、 一度、自分で代書屋さんに書類を作ってもらったことがあって、 その時に、この落語の内容がアタマをぐるぐるして、 同じネタをやってみたくなって困りました。
落語の好きな人で代書屋さんに行った人は、 ぜったいにこの衝動に駆られてると思います。




2001.10.17.


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