子供の頃に、いろいろヘンな誤解やカン違いをしていた記憶は
誰にでもあると思いますが、そんなミニ勘違い集です。
<サンマ苦いかしょっぱいか・・・>
有名な佐藤春夫の詩。
奥さんが亡くなったのを嘆く夫の詩だと思っていて、
さんまがしょっぱいのはともかく、苦いのは、
いきなりやもめ化した主人公がサンマの調理がうまく出来ず、
よっぽどスミのように真っ黒焦げに焦がしてしまったんだろうと思っていました。
奥さんがいなくなり、一人暮らしで、スミのように焦げたサンマだけを皿に
のせて夕食を食べる男・・・とても気の毒なイメージであります。
ところで我が家では、伝統的に「塩サンマ(サンマの開き)」を食べていたので、
「内臓を食べる」という習慣がありませんでした。
(というか、「開き」ですから、内臓そのものがないぞう・・・いや、
ありませんでしたのです) ・・・というわけで、
おぼろげに「サンマのワタを食べると苦いらしい」という真実がわかったのは、
二十歳を過ぎてだいぶしてからだったと思います。
作品を鑑賞するには、知識と常識が必要なんだと学んだ一本でした。
(ちなみに、しょっぱいのは塩をふりすぎたからではなく、
ショーユをかけすぎたからでもなく、涙の味にイメージをかけてあるんだと
気がついたのもだいぶ後でした・・・ ごめんなさい佐藤さん・・・)
<いどのかたいとなるとても・・・>
「ふるさとは遠きにありておもうもの・・・」
というこれも有名な室生犀星の詩。
子供の頃 「いどのかたいとなるとても」 まで来ると、
とたんに難解化してしまいました。
「井戸の固い・・・???」
どう考えても意味不明であります。 後に続く 「遠き都に帰らばや」
との関連もナゾです。
”井戸” と ”帰郷” とくれば、落語の 「千早ふる」 ですが、
こんなところに落語が出てくるというのもナットクできません。
( 詩の主人公が落語マニアだったというなら話は別ですが・・・)
これが文語表現だとわかったのは、詩集で漢字を見てからでした。
(いどのかたい=異土の乞食 です)
しかし、漢字だけ見てふりがながなかったら、
今度はぜったい音読出来ないしな・・・
<かっぱからげて・・・>
三波春夫さんのヒット曲 「雪の渡り鳥」 の一節。
なぜか幼少時から三波春夫さんの大ファン(!)だった私は、
この歌が好きでいつも歌っていたのですが、
幼稚園にはいる前くらいまでは 「股旅物」 の設定をよく知りませんでした。
風呂上がりにバスタオルを背中にかけ、 「かっぱーからげてー・・・」
と歌っている私を見て、家族は 「ずいぶん粋な娘だ」 と思って
ウケてくれたりしてたのですが、ワタシが 「合羽」 を「河童」
とカン違いしているのだとは、誰も気がついていませんでした。
−−−という訳で、誰ひとり誤解を修正してくれず、
ワタシが甲羅のつもりで背負っていたバスタオルを、
家族が「旅合羽」だと信じていたんだと気がついたのは、ものすごく後でした
・・・(だれか教えてやってくれよ・・・)
<雨の日に外に出てみる>
保育所に通っていた頃です。
ワタシはふと、「雨の日になると、誰も外で遊ぼうとしないが、
カサと長靴があるのだから、別に雨の日に、
外で遊ぶという選択肢があってもいいのではないだろうか・・・?」
というような疑問にとりつかれました。
で、早速実験してみるために、傘をさして外に出てみました。
「都合が悪い」 というほどではないのですが、
滑り台やブランコやジャングルジムをするにはちょっと不向きだし、
周囲の湿った感じも、ここでみんなで遊ぶには今ひとつな気がしました。
「なるほど、やっぱり今ひとつかもしれないな・・・」 と
ワタシが実体験を元に妥当な結論に達していた頃、
保育所内では先生が、子供が1人、雨の中を外に出ているのに気がつきました。
先生はパニックになって、慌ててガラス戸を開けると、
「ど、どーしたのっ?! 早く中に入ってらっしゃい! いったいどーしたのっ?!」
と必死で叫びました。
「そっちこそどーしたんだ???」 と、ワタシは多少コンワクしながら
(つまり、なぜ先生がパニックになっているのかわからなかったんですね)
中に戻ったんですが、先生は、理解できない状況が起きた事に、
すっかりパニックになってしまっていて、
子供の肩を抱え込んで中に入れると、ドキドキした顔で私を友達のいる中に
押し込み、ひきつった顔で去っていきました。(せめて外にいた理由くらい
聞けよ・・・)
今なら、分析/解説のスキルも当時よりは上がっているはずなので、
つかまえてらくらくと説明はできるような気がするのですが、
この当時は 「別に先生が心配を感じるような事態じゃなかったんだけど、
イジメでも受けたかケンカでもしたのと誤解して慌てたんじゃないかなぁ・・・
(注> 保育所時代のサカタヤスコはイジメられた事が一度もない上、
まったくケンカしない子供でした)」
と思いながらも、どー説明しに行っていいかわからないし、
向こうも説明を求めないので、そのままになってしまいました。
いまだに 「一言理由を聞けばそれなりに説明したのに」
という、不思議な 「コミュニケーションをしてこないせんせい」
の印象が残っています。(子供が理解しにくい事をした時は、
とりあえずみなさん、理由を聞いてみてください、
ちなみに、一歳くらいでもなんとか可能な限り質問者に説明しようと
してくれます。 言葉がぜんぜん使えない時期だとちょっと難しいですが、
あちらはボディランゲージというスキルもありますからね。)
ちなみに、保育所はこのようなデスコミュニケーションの雰囲気だったので、
いまイチ不自由でそれほど楽しくありませんでしたが、小学校に上がると、
いきなりどの先生も濃厚にコミュニケーションをとってくるようになり、
知らないことをその場で教えてくれるインターネットの検索システムが、
まわりで足を生やして歩いているような雰囲気(こらこら)で、
ごくハッピーになったのですが、しかし、
ちゃんと小学校でもマヌケた失敗はしています。
やはり、人生に失敗とカン違いはつきまとうもんです。
<防災訓練>
火事や災害などの「防災訓練」というのがありますね。
小学2年の時ですが、その防災訓練の日、「サイレンが鳴ったら
カバンなどは持たずに校庭に出て並ぶこと」 というのが事前の
説明でした。 しかし私は頭の中で 「カバンを持って出られるのなら
その方が、実際的ではないだろうか」 と考え、とりあえずサイレンが
聞こえたとき教室の中にいたので、机の脇のかばんをひっつかんで
そのまま外に出て整列に加わりました。
事前の説明が行き渡っていたので、私以外のクラスメートは
全員かばんを持っていませんでした。
で、かばんを抱えている私を見て、
「どうしてかばん持ってきたの?」 と、隣の子が不思議そうに
聞いたりなんかして・・・
今考えると、「(もし、かばんをとりに戻ったりして逃げ遅れるとアブナイので、
安全第一という意味で)かばんは置いたまま、校庭に集合してください」
という説明が入ればカンペキだったんだな・・・ と思いますが、
なかなか過不足のない説明というのは(大勢相手には、
おまけに小学2年生相手では、いくら教師は説明するのが本業といったって)
難しいもんです。
それにしても、私以外にそういう行動をとった生徒はいなかったんですが、
はたして、ホントに火事や地震や何かの災害の時、
かばんを持って出ようとするやつはいないのか・・・??? というのが
私の頭に浮かんだギモンでした。 大事な物入れてたりしたら、
ぜったいひっつかんで来るやつとか、とりに戻るやつとかいるんじゃないかな
・・・ 実際的な訓練をやるならそれを何とかしないと・・・
( << いや、べつに、もう小学校に通うわけじゃないので、
こんなに真剣に考えなくてもいいんですけど・・・)
<不正を暴く>
駄菓子屋さんに「あてもん」と呼ばれている商品がありました。
簡単な「くじ」で、ずいぶん楽しそうな豪華賞品が下がっているので、
小学校に上がる前、子供のサカタヤスコは、
わりと熱心にこのゲームにいそしんでいました。
さて、この「あてもん」ですが、豪華賞品が下がっているわりには
いつも最後の最後まで景気よく1等や2等がぶら下がっていて、
それが当たるところをまだ見たことがなかったのであります。
「一度あの豪華賞品を手に入れたいものだ・・・」 と、
幼心に思っていた私は、ある日有力な情報を母親から聞き出しました。
「あてもん」の残りのくじが少なくなったところで、
その残りくじ全部ぶんの金額を支払えば、「買い切り」といって、
残っている景品は全て自分がいただく権利ができるというのです。
私は手ぐすね引いて、くじの残りが少なくなるのを待ちかまえました。
ちゃんと「一気買い」ができるよう、おこづかいも使わずに貯めておきました。
さて、しょっちゅう店先をチェックしていた私は、
残りのくじの数がついに6つくらいになったのを見計らって店に入り、
貯めていた軍資金を放出して、残りのくじを全部買い切りました。
普通に考えるとここで「あたりくじ」が出るはずですが、
駄菓子屋のくじにはそんなものは出やしません。
(最初から、1等2等の当たりはくじの中に入れてないのであります)
だからといって、駄菓子屋のオヤジさんは残った”当たり”の商品もくれません。
どうも、母の住んでいたところでは「買い切り」という「当たり放出」
システムが確立していたらしいのですが、
私の育ったところには、そのシステムはなかったらしいのです。
駄菓子屋のオヤジさんは、さっさと「当たり」と書いてあるデカイ袋を
自分の部屋に持って入ってしまいました。
サカタヤスコの手の中に残ったのは、すべてが「ハズレ」の
くじの山だけ。
「うぬぬ、ダマされた! けっきょく”当たり”はなかったのだ!
単なる客引きのエサに堂々と吊してあるだけなんだな?!
どおりで、途中で1等が出て、賞品がなくなるという事がなかったはずだ!」
・・・と、集客方法の学習はしたものの、
マヌケな事に、このサギに関してどう対処していいかわからず、
ムッとしながらも、けっきょくそのまま帰ってきてしまいました。
「対処方法も考えずに不正を発見したってダメだ」
と、その後はいろんな場合を想定してから行動するようにはなって、
お勉強にはなったんですけど、それにしても黙ってただ帰ってきたのは、
どうもやっぱりマヌケだったとしか思えません。
なお、これで懲りたのでその後「くじ」はやめて、夜店などでももっぱら
「結果本意」の「輪投げ」とか「型抜き」なんていう、
向こうがトリックを仕掛けられない方法にだけチャレンジしました。
一度、きれいな彩色をした「雄鶏」の焼き物がどうしても欲しくて、
輪投げゲームで輪を10個だか雄鶏の首に引っかけるまで粘ってとってきた事があります。
もちろん絶対に取る気でいたので、
財布の全財産を賭けての執念のチャレンジです。
小学4年生くらいの時だったと思いますが、
「絶対成功させようと思えば、できるもんなんだな・・・」
と思いながら、お気に入りの雄鶏を抱えて帰った事を覚えています。
・・・・・・・・・夜店の輪投げで人生を学習してドーする!