立原道造



・//風の中の詩人//・

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詩をあまり読まない私が思わず本を買い集め、 雑誌の特集号まで買ってしまった人が一人います。
立原道造 という・・・一般には、どちらかというと 「甘い少女趣味」  みたいな軟弱なイメージでとらえられている詩人のひとです。

最初は、「日本の現代詩」という丸山薫氏編纂の分厚い新書版の本に、 いくつか収録されているのを見ただけだったんですが、 読み返すたびに非常に気になったので、ついに本人の詩集を買ってしまい、 「うーーーーんーーーー!!」 と、 ひたすら頭を抱えて、その場にひれ伏してしまったのであります。

ご本人は本業は建築家でした。 楽しい話と冗談の好きな快活な人で、 背が高くてハンサムなので女の子にはモテたらしいのですが、 気が弱くおとなしいため、女の子が寄ってくると真っ赤になって逃げていたようです。 (・・・)

詩人仲間や先輩にも好かれて、かわいがられていたようなんですが、 酒が飲めず、甘い物が大好きで、 すぐあんみつを食べに行こうとか言い出すので(・・・) 酒好きの先輩や仲間達は、その扱いにちょっと困っていたようです。

−−−で、その人の書く詩なんですが、 「普通、人に見せるのが恥ずかしいから書かないよな・・・」 というような、 俗に「少女趣味」と揶揄されてバカにされるようなタイプの詩を、 この人は平然と書いていました。
いや、「平然と」 というのは違っていて、「堂々と」 というのでもなく、 「これ以外に書きたいものはないんだ!」 という、 ものすごい戦闘姿勢で書いていました。

−−−で、この人の詩には、そうして書かなければいけないほどの、  (「甘い」だの「少女趣味」だのという批判にかまっていられないほどの)  ものすごくしっかりした骨組みがあるのであります。  (私は何となく、”さすがに建築家だな・・・”と思いました。  建築家というのは頭の中にある 夢の風景 を、実際に現実に、 しかもものすごく頑丈に具現化する、大変珍しい種類の職業です。)

私はセンチメンタルなタイプの人がちょっと苦手で、 女性だと、頭の中が現実的な人が多いのか、目立つ人はあまりいないのですが、 男性側はけっこうロマンティックな人が多くて、 戦場に落ちている釦を見て涙ぐむ森鴎外とか (いや、その兵士が死んだのは上官である君のせいじゃないのか・・・???  ちなみに奥さんが結婚に破れて国に帰るハメになったのも、 君のせいだと思う・・・などとつっこんでしまったり)
母を背負って”軽きに泣きて”三歩歩けなかった石川啄木とか (泣いてないでとにかく先に仕事してきなさい!  酒とグチは労働の後だ啄木君!)

−−−というような、 けっこう 「おいおいおいおい!」 と突っ込んでしまう人がいるのですが、 この立原道造氏は、こういう 「自分に同情的になる」 という部分が許せないらしく、 徹頭徹尾、ものすごくハードに自分を追いつめて行ってます。  こんなに肉をそいで作品を作っていったら骨しか残らんがな・・・ と思うのですが、 「命にカンナをかけて作品を作る」タイプの人のようです。(時々いる・・・)
で、あんまり自分を追いつめてったら生命力が危ない・・・ と思ったら、 20代で結核で死にました。(・・・やっぱりなぁ・・・)



で、この人はたしかに一般人から見ると、ちょっと「ヘンな」人で、 詩作の友達に 「オバケって、ほんとにコワイよね!」 とマジな顔で言って 絶句されたりしています。

本人も 「自分の趣味は軟弱なのかもしれない・・・」  と思うことがあったらしく、芸術論を戦わせた友達に影響されて、 社会派とか思想とかいうものをベースにしなければいけないのではないか・・・ という事も考えてみたらしいのですが、いかんせん、 この人がそういうものをとらえた場合、完全に的はずれになる傾向があって (もともと思想とかには向いてないんだと思いますが) 友達と同化できないのではないかと不安になったり、 友達におもねっているだけではないかと自身を考え込んだりして、 かなり揺れていたようです。

この人はもともと基本的に優しい・・・というか、非常に親切な人で、 友達の考えを否定することが出来ないし、友達が好きでしょうがない。
かといって、自分の追い求めるものを曲げて作るという器用でテキトーなことも、基本的に全く出来ない。
友達にはウケたいし、認めてもらいたいんだけど、 自分の好きなものはみんなに理解できない。
だけどこれがいいんだ、自分はこれを追求したいんだというのを、 自分は何よりもよくわかっている・・・
という極端なアンビバレンツに陥ってしまい、苦しんでいたようなのですが、 そういう心の葛藤の展開とは全く無関係に、 作る詩の方は
(悩みの内容に何の影響も受けず) ひたすら透明感のある、立原にしかできない強烈な仕上がりで 次々と構築されていくのであります。

この人を見ていると 「天才」 というのは、 自分自身、自分の才能の内容すら理解できず、 しかも、捨て去ることも解放されることも許されないんだ・・・  という事がしみじみわかります。

この人は極端にマジメな人だったので、 作る詩の内容が非常に硬質で、骨組みのかっちりした印象を受けます。
それと同時に、この人は日本の言葉遊びとか、短歌などに強い興味を持っていて、  「本歌取り」 という手法を自由詩の中に復活させています。

「本歌取り」 というのは、 元の有名な歌をキーワードに使って自分の歌にダブルイメージのように組み込む手法で、 パロディというのとはちょっと違って、 昔 「いちご白書をもういちど」 というタイトルの歌が ありましたが、言ってみればああいう感じです。

「いちご白書」というのは、 学生運動をテーマにしたアメリカの青春映画で、 「いちご白書をもう一度」は、その映画タイトルをキーワードとして 歌詞に組み込んで、 「いちご白書が封切られていた時代に 君と過ごした学生時代。自分たちの青春の日々」  みたいな追憶を歌った歌なんですけど、  「いちご白書」 という映画を知っている人には、 どういう青春時代だったかがハッキリとわかる、 すばらしいイメージ描写になっていて、こういう使い方が、 伝統的な 「本歌取り」 のテクニックにあたるものです。

で、立原はこういうテクニックを縦横に使っていて、 歌(詩歌)の組み立て方も、かなりテクニカルで構築的な面を発揮していて、 見ていてもすごく面白いのですが、(なにしろ建築家だけあって、 組み立て方がやけにしっかりしている印象なんであります) そうこうしているうちに、結核が悪化して亡くなってしまいました。

いくら体力と気力の限界(たぶん・・・)だったとはいえ、 もうちょっと生きていて、もう少し見せて欲しかったなぁと思います。

ともあれ、残されている詩は強烈な印象があって、 どれもものすごく完成度が高く、 私なんかが読むと、本人が困っていた「甘くて軟弱な」印象は ほとんど感じられなくて、甘い人だと側にもよれないような、 そういう厳しい印象を受けます。

”ノヴァーリスもヘルデルリーンも風になれ”  とか、「僕は歌えない踊れない、病んで草に横たわり、 あてどなく夢にふける・・・」 と歌っていく立原は、 冷徹な観察者の目で自分を見つめてしまっていて、  「そこまで自分に厳しくなくていいよ・・・」  と思ったりするんですが、・・・
結局、この人は最後まで感傷とか自己憐憫に浸ることができなかったみたいで、 「甘たるく感傷的な歌」というタイトルまでつけたりするので、 まいったなぁ・・・ と思ったりします。  (自分で気がついてしまってたら、感傷もクソもないと思う)

突きつめて孤独だし、感傷に陥ることのない、 冷徹な、自分に対して冷たすぎるくらいの観察眼の鋭さを持ったこの詩人の詩は、 非常に多くのファンを持っていて、ロマンチストだとか少女趣味だとか言われながら、 ちょっと冷や汗のにじむような印象を、人々に与え続けています。



なお、立原道造はパステル画を非常に多く残しています。
趣味や手慰みという感じではなく、ほとんど画家というかプロ並みの腕前なんですが、 よく考えたらこの人は建築家ですので、もともと絵についてはプロだった訳ですね。

以前に画家の人が、日本のパステル画の作例に、 立原道造のパステル画を代表例として紹介していたのがとても印象的でした。


     
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