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<燃えるジラフ>



デュシャン、現代美術、ときて、シュールリアリスムと続いたので、 まるで美術全集みたいになっちゃってますが、 ダリとかマグリットとかに目のない私に、ちょっとおつきあい下さい。

さて、私が初めてダリを見たのはたぶん「小学校の美術の教科書」だったと思います。
「燃えるキリン」という題で、キリン(に見えなくもないもの)が 平原で燃えているキタナイ色の絵でした。 「なんじゃこりゃ??」  という感じでした。

で、図書室に行ってそのあたりの美術全集みたいなものをひっくり返していると、 この「なんじゃこりゃ??」 な画風の物がけっこうあるのであります。

この「なんじゃこりゃ??」 は、シュールリアリスム(超現実派)と呼ばれる物で、 20世紀初頭のフロイドの心理分析の流行などをバックボーンにして、 抑圧された深層心理や性衝動の表現−−−などを目的として盛り上がった 美術運動らしいのですが、できあがった絵は結果的に 「なんじゃこりゃ??」なものになっていて、 その真っ黒焦げのキリンは、 幼いサカタヤスコの心をとらえてしまったのであります。  人生至る所に青山あり、人間万事塞翁が馬です。 (引用例がちがうって・・・)

さてシュールリアリスムの作家には、 エルンストやミロのような、心象風景のような一種の風景造形をする人と、 ダリやマグリットのような、 現実の風景の中にとんでもない物をとけ込ませるタイプの人がいます。

エルンストは、自分がトシくってから見るとなかなかよくってハマるんですが、
(フロッタージュ(えー・・・木目のある板とか百円玉とかを机に置いて、 その上に紙のせて上から鉛筆でゴシゴシすると、 下の模様が紙に写るヤツ・・・あんな、こすりだしタイプのやつです) の作品も、キレイで悪くないのですが、コラージュ (雑誌の好きなとこ切り抜いて、貼って組み合わせて勝手に別の絵にしちゃうやつ) で作った「百頭女」などのシリーズがスバラシイです!) とりあえず最初に一撃くらわせてくれるのは、 やっぱりダリとかマグリットの「一目でびっくり!」タイプのほうです。 (デルヴォーなんかも、狙いそのものは違うみたいですが、  実際の風景の中に不思議な物が参加している絵 という点で、 半分こちらに入れていいかもしれませんね)

というわけで、その時からワタシはダリとマグリットに ハマりまくりまして、今でも好きなのですが、 その ダリとマグリット のお話はいかがでしょうか?





<ダリ的偏執狂論な青空>



さてこのダリという人。 本人は 「自分は偏執狂で完全に狂っている!!」  と言い張ってたんですが、 単に自己主張の強い長生きな脳天気じいさんでした。

この人は、とても芸術家に見えないほどお金が大好きで、 どんどん描いてどんどん売っていたので、 この人の全作品集をまとめて刊行するのは (あまりに数が多すぎて)まずムリだろうと私は思います。

おまけに、どうも偽作作家(代理で絵を描く人)を雇っていたらしく、 それが、ものすごくキレイなまつげの長い美形のおにーちゃんで、 テレビの取材に応じて、 サラサラとダリタッチの絵を描いて「ほらね」とみせてくれていました。

で、その人が言うには 「後年の版画(リトグラフ)はボクが描いてました」  というのですが、ホントかどうかでけっこーモメていたようです。 (ワタシは本当だろうと踏んでいるんですが・・・)
(どーでもいいけど、ダリといい、パバロッティおやじといい、 どーして私の好きな人はみんなして美形の青年をコレクションするかな・・・)

それはともかく、ダリはリアルな絵のうまい人で、 写真のような風景を描きます・・・ っていうか、 あまりにきれいな雲の色とかがあるので、すごいなぁ・・・と思っていたら、 この人の住んでいた住宅のあるスペインの海岸沿いの風景が、 ロケで写っていたらほんとにそんな空で・・・ 「そのまんまかよっっ!!」  と思わず突っ込んでしまったのですが、まぁとにかくカメラがなくても、 そのまんまキャンバスに再現できたタイプの人のようです。 (もしくは、写真を見てそのまんま描いてるのかもしれません。  どっちにせよ ”そのまんま” です。)

一度ダリ展を見に行って、目の前にある絵が、やっぱり画集の絵そのまんま だったので、 (大きさまで・・・! ・・・普通、 元はデカイ絵だと思うじゃないですか・・・ 知ってる絵が美術全集と同じサイズであの細密画に仕上がってたんで、 私は驚くのを通り越してあきれかえってしまいました。  ほとんどミニアチュール(工芸的細密画)の世界です。)  見ていてなんかクラクラしてしまいました。

で、このダリの魅力は、のたーーーっ とした素晴らしい空の色です。
時々、その空の下、土の広がる大地(これも のたーーっ としてます)に、 何か巨大な訳のわからんものが、つっかい棒か何かで支えられながら、 やっぱり のたーーっ と立っています。

ご本人は性的衝動の偏執狂的何とかだと言い張っているんですが、 単にこういう、のたーーっ としたものが好きなだけだったんだと思います。 (私も好きです)

もう一つこの人が好きだったのが、奥さんのガラ夫人です。
この奥さん、見た感じは普通の奥さんで、特に美人というわけでもなく、 ダリと一緒に年取っていくので特に若くもなく、どこからどこまで、 我々第三者には何の興味も湧かないのですが(それよりは、 ダリが趣味で雇ってくる、ものすごく美形のお兄ちゃんのモデルさんの方が、 普通の人にはよほどアピールすると思うのですが)、 ダリ本人は、「ダリは奥さんが好きだ! 何が何でも好きだ! とにかく素晴らしい!  女神様のようだ! ダリのインスピレーションの源だ!  愛してる愛してる愛してる!」  と、めちゃくちゃうるさい上に、かなりお年を召したガラのヌードまで 描いて見せてくれる(それもあの写真のような筆致で!!)ので、 イヤでも我々は、よその中年おばさんのヌードを拝見するはめに・・・(ううう)

「ぜったいそれ、キミの単なる自己演出だろう!!」 と思うんですが、 とにかく言い張ったら後に一歩も退かないダリ。  何が何でも 「ダリは熱烈に奥さんを愛している」 と言って聞かない!  (ちなみに、この人は自分のことを「ダリ」と呼びます)
このガンコジジイには何を言ってもムダなので、もうみんな諦めて、 そういう事にしておいたようです。

さて、上にも書きましたが、ダリは趣味的にはのたーっとした風景と、 のたーっとした肌を持つきれいな青年が好きで、それにルネッサンス期の 名画やギリシャ彫刻(これも大理石の質感がのたーっとしてますね) などのイメージが、絵の中によく参加しています。

美しい青や緑系の色の、自然からイメージしたグラデーションや、 パステルトーンの淡いぼかしなどが入ると、ほれぼれするくらい美しく、 多重イメージ(騙し絵の一種で、風景に見える絵が、別の見方をすると 人間の顔に見えたりするやつ。 あまりに馬鹿馬鹿しい手法なので、 真面目な芸術家でこれを描く人はあまり多くありませんし、 作例も普通はモノクロが多く、近代以降にダリのようにカラーでやる人はものすごく珍しい) を多用したり、球体やキューブの3D分解のような、 訳の分からないヘンテコな手法(しかも発想が単純!)を多用するので、 見ていてとても楽しい絵です。

で、ダリの素晴らしいところは、 普通なら恥ずかしくて出来ないような手法を平気で使うことで、 上記の「多重画法(ダブル・イメージ)」もそうですが、 写真のようなきれいな風景の描き方や、きれいな細密画のような夢幻的風景を、 ウケたとなると、何回何百回でも平気で描く(たははは)。
途中でそろそろ本人も飽きただろうと思っても、まだ描いていて、 自宅の天井にまで3D化した天井画を同じ手法で描いたりして・・・ (これがまたとってもキレイなんですが・・・)

とにかく、「芸術家として恥ずかしいだろう!」と言われそうなことを、 片っ端からやっては、何か言われると 「ダリは偏執狂である!」  で全部片づけてしまうのであります。(時々その「偏執狂的理論」を、 延々と説明してくれるのですが(本まで出していたような気がするが・・・)、 何がなんだか全然わかりません。  私は一度、理解してみようかなと思ってカケラにチャレンジしたのですが、 内容が分からないだけではなく、意味をわからせようという気配も ないのでやめました。 絶対、他人に 「意味が分からない」と思わせるためだけに説明していると見た!)

だいたいこの人は金儲け主義で(ウワサされているだけではなく、 本当にお金が大好きらしい、 確信がないけど、「お金(ドル)の絵」を描いていたような気がする・・・)、 ふつう芸術家で 「あいつは金のために絵を描いている」 と言われると、 堕落したみたいでとっても恥ずかしいのですが、 この人は 「ダリは偏執狂だ!」 と言い張って、どんどん乱作して どんどん版画(リトグラフ)を印刷して、 この間描いたのと同じだろうが、単なる似た絵だろうが、 どんどん作ってどんどん売ってお金にしました。(すごいなぁ・・・)

何を言われても 「だってダリは狂ってるんだもん!」 で、すべてを 振り切って解放されたダリは、好きな絵を好きなだけ描いて、 好きなだけお金を儲けて、好きなスペインに住んで好きなだけ長生きして、 わりと最近に亡くなりました。
作風は最後まで、カッコつけてるように見えて、単純で、明るくて、 わかりやすくて、いかにも何か難しい意味がありそうに見せかけていて、 そしてキレイだったです。

私が心残りなのは、ダリが奥さんとは別の場所に(ダリ記念館のような場所に) 1人で葬られていることです。  あれだけ「ダリは奥さんを愛して止まない! 奥さんと一時も離れられない!」 と言い張っていたのですから、最後も彼の希望通り、 奥さんと一緒に埋葬してあげて欲しいものです。
ま・・・奥さんにはちょっと迷惑かもしれませんが・・・(やはり、 「いいかげんにしないかこのオヤジは」と思う事があったようです・・・  ほんとに、ごく普通の奥さんなんですね。)



なお、ダリの画集を買うときは(なにしろ安いのから高いのまで、 掃いて捨てるほどたくさん出ています)どれか好きな絵が入っている きれいな印刷のを選べば、それでいいような気がします。
(なにしろ、全作品はとても見られないし、おまけに同じようなモチーフのが 山のようにありますのです)

私の好きなのは青空と広がる地平のところに「のたーーとした何か」が つっかえ棒と一緒に立っているタイプのやつや、「蜂鳥の夢(女性が寝ているところに トラとかいろんなものが出現している図)」や 「聖アントニウスの誘惑(足のひょろ長いゾウが地平線近くを行進しているヤツ)」 タイプのものですが、 スペインの綺麗な入り江の風景を描いている、ほとんど風景画のような一連の 絵があって、風景画と違うのは遠くに小さく天使がいたりするだけ・・・ みたいな、かなり自然な印象の絵が多いのですが、 その中に、海の水が少し持ち上がってるやつがあります。
あんまりキレイだったので、「時間を我らに」の中で「海をめくる話」を 描いてしまいました。 時々、自分でも海をめくってみたいなぁと思います。

さて、ダリの本として、ちょっと変わり種でダリの写真の本があります。
ダリが撮った写真作品ではなく、ダリ「を」撮った写真の本です。
ダリという人は、非常に写真の被写体にピッタリの人で、 撮られている写真はどれも素晴らしいのですが(私が特に気に入っているのは、 かなりご老体になってからスペインの自宅の庭らしい場所で撮られたもので、 ものすごくきれいなシャツを着て下半身はハダカ(・・・)で、 お気に入りの杖持って、腰掛けてポーズを決めてるヤツです。  「何やってんだこのオヤジは!?」全開モードの写真です。)  この本は、かなり若い頃・・・人気絶頂の時期に撮られたらしいもので、 猫や金魚鉢と一緒に空中を飛んでいる、ものすごく有名な写真も入っています。
わりと値段の安い洋書で、 いまでもまあまあ手に入りやすいのでご紹介しておきます。  写真とダリ本人に興味のある方にはオススメです。

Dali’s Mustache

BY
SALBADOR DALI

PHILLPPE HALSMAN

発行元 Flammarion 発行国 France
ISNBN:2−08013−560−0

それから、ダリは宝飾工芸作品も作っています。
これは、作品としてはほとんど本に収録されないのですが、 ルビーで作られた唇とか、ダイヤの心臓とか、彼らしいモチーフが、 お金のかかった高価な宝石と一緒にキラキラと輝いていて、 ちょっとグロテスクで素晴らしい出来です。
私はダリの宝飾展の絵はがきを少し持っているだけなのですが、 もしどこかで実物を見る機会があったら、すばらしいクオリティなので、 興味のある方には、一見されることをオススメします。






<隠れるマグリット>


ルネ・マグリットという人は、シュールリアリスムの画家でしたが、 ずっと市役所に勤めていました。  シュールリアリスム界の小椋径みたいな人です。

ダリと違って人前に出たり、目立ったりするのが苦手で、 黒い背広に黒い山高帽を被った「笑うせぇるすまん」のような自画像で、 しょっちゅう自分の絵に登場はするのですが、顔はムリヤリ隠されています。
(ある意味では自意識過剰の裏返しのような行動ですが、 どちらにしても、これがマグリットの大きな特徴の1つになっています。)

この人の作品はダリと同じくらいわかりやすく、 有名な「ピレネーの城」という作品では、きれいな海岸の波打ち際に 巨大な岩が重力を無視して空中に浮かんでいます。
「こんな風景、あるわけねーだろー!」 と、即座に驚ける、 非常にストレートな斬り込みの作品です。

この人の作品はこういう「ぱっと見てその場でウケる」面白い路線が多く、 マグリット展のポスターで使われた「大家族」も、 空中に巨大な鳩の形のシルエットがあって、 鳩の形の中が「白い雲の浮かんだ空」で塗りつぶされている・・・という、 幻想的で大変きれいな作品です。

で、純粋絵画で芸術ですから、 あまりにわかりやすいのではマズイと思ったのか、 題名はなるべく意味のないものをつけて、 見る人に多少混乱してもらおうという意図はあるようなのですが、 このマグリットさん、どうも根本的にサービス精神のある、 根っから親切な性格らしく、あまりその企みは成功してなくて、 やはりみんなにストレートにウケてしまったようです。

ちなみに、この人はバイトでグラフィック関係のお仕事もしてたらしく、 「芸術家」としては、「サイドワークで稼いでる」 という評判は、 外聞的にマズイと思ってたようで、 そういうバイトしてる事はわりとナイショだったみたいなんですけど、最近、 どうもその上に 「贋作」 までやってたみたいだ、という話が出てきてて、 ご本人的には、いよいよヤバイことになってるようです。
(私は、絵のうまい人なので確かに 「贋作」  の技量があったのではないかと (本当に絵がうまい人でないと、 バレないようなスゴイ「贋作」は描けないようです) ナットクしてしまってるんですが・・・)

ともあれ、私が好きなのは「光の王国」というシリーズで、 わりと有名なシリーズなので画集に収録されていることも多いのですが、 明るい昼の空の下に真っ暗な夜の街があるかなり美しいシリーズで、 大きな木の胴体部分がチェストの扉のように開くようになってたりして、 木の胴体の中に「夜の街(家)」が入ってたりします。
外の世界が明るい真昼で、地上や内部の空間だけが夜の街 というこの作品は、 夜空の星と夜の窓の明かりがとてもキレイで、 日ざなかの光の中に闇の世界のミニチュアがある、 まるでボトルシップか手のこんだ細工の入った飾り棚のような、 嵌め込まれたきれいな世界を作っています。

「闇(夜)」の中に「光(灯り)」がある場合はわりと当たり前なのですが、 「光(昼間)」の中に「闇」があると、とても不思議で幻想的な感じがします。

この人の絵は、リアルではあるんですけど、 ダリみたいに写真みたいなテラッとしたところはなくて、 まるでチョークでこすったように画面のタッチがミョーにザラついてて、 全体に、「ロマンチック」というのとちょっと違う、 いくぶん乾いて、ガサッとしてゴツッとした印象を受けます。

絵の内容の方は、夜とか海とか青空とかかなりロマンチックな要素(アイテム) で構成されている事が多いので、 カサついて湿気がない画面とミックスされた時に、 ちょっとうまくかわした「引き方」というか、 うまいことごまかしたなというか(こらこら)、 「ロマンチックだけじゃない、 ちょっと複雑な味付けも加えてみました」 みたいなふうに仕上がってます。
もしこれが、うんとリアルでしっとりしてて、 単にただただロマンチックだったら、 絵の印象はもっと単純になって、見てたらすぐ飽きちゃったかもしれない・・・  という気もするのですが、そういう「甘い」部分を、 この乾いた愛想のないタッチで、うまく隠した感じにも見えます。

・・・で、モンダイはその「隠した感じに見える」 というとこでして、 「−−−感じに見える」 という事は、 実は「見える=見えてる(隠してない/むしろアピールしてる)」  という事なんですけど(本気で隠したいなら、 最初から人前に出さずに見えないようにしておけばいい訳ですから)、  このマグリットさん、さっきも言ったように、 なんか、とにかく、 隠れたり隠したりナイショにしたり  するのに、こっそり熱中してたらしいんです。(いちおうテーマなのかな???)

人の目の前で、わざと隠したのが見えるように何かを隠したら、 「何を隠したのだ??」と思わせる事ができる訳で、つまり、「隠した」 んじゃなくて「隠してない(むしろ興味を引く)」事に成功する訳ですが、 マグリットはこれに人生を賭けてるようなところがあります。

「見て見て見て! 私はこんなに見せたがりやなんだー!」 とアピールして 誰も見たがってない奥さんのヌードまでゴーインに見せに来るダリとは 非常に対照的なスタンスですが、どちらも 「おもいっきり見せまくりたい!」  という 「見る人に外向的な(見せるためには手段を問わない)」  タイプであって、サービス精神たっぷりである事にはかわりありません。
これと対照的に 「内向的」 な印象なのはデュシャンの作品で、 通る人の首根っこをつかまえて引き留める というようなところがみじんもなく、 ふと足を止めて見ていると、奥から出てきて 「面白いですか? そうですか。  奥にもいろいろありますよ」 というような、どっかの古本屋のオヤジ みたいな(こらこら)ところがあります。

そのマグリットの作品で、見たときけっこう大ウケしたのが、 例によって黒い山高帽と黒いコートに身を包んだ自画像なんですが、 何もない画面に、ぽつんと本人だけがこっちを向いて立ってるのであります。
なにしろ画面に人物1人しか描いてないので、こちらとしてもそれ以外に 見る物なんかないんですが・・・

その人物(たぶんマグリットご本人ですが)、画面で正面を向いてまして、 で、顔のど真ん前にべたーーっと 「青りんご」 が描いてあるんです。  (えー、つまり、アレです。 「えっち画像」のモザイクというか、 黒ベタ塗りつぶしというか、顔が”前貼り状態”になっちゃってる訳です。)

−−−で、えっち画像を思い浮かべていただけばわかるのですけど、  「なぜ隠してあるのか」 というと、「みんなそこを見るから」 です。 (もうちょっと正確に言うと、「そこをみんなが見てるだろうと (ぼかしたひと本人が)思うから」 です)

ここで、思わず 「オヤジの顔なんか見たいかー!!」  とつっこんだのは私だけじゃないと思いますが、 本人にとってはそれが「最重要事項」なのでしょうがありません。  他人には何の興味もないことも、 本人にとって死ぬほど重要な問題だったりするのはよくある事です。
他人に何の興味もなくても、本人はずっと「みんなに見られる・・・」 と思ってて、「視線恐怖」とか「先端恐怖症」とか「赤面恐怖症」 とかと同じ原理で「誰もあなたの事なんかそんなに気にしてないし、 顔も見てないよ」 と、他の人がいくら言ってもダメです。 本人が意識しまくっている限り・・・

さてこのように、この人はしょっちゅう頻繁に顔を隠すんですけど、 思い出して欲しいのですが、彼はシュールリアリスムの作家です。
シュールリアリスムというのは、冒頭にも書きましたけど、 「精神分析などをイメージソースにして、 人間の深層心理や欲望などを画面に表現してみせる」 のが基本です。

ルネ・マグリットさんの場合、 「こ、ここんとこが、自分でちょっと 意識過剰かなぁ・・・っていうか、なんかこう、 つい自分で意識しちゃうんだなー・・・ みたいな、 なんて言うのかなー、  ここんとこあんまりハッキリさせちゃうとヤバイな、みたいな・・・  そのあたりの意識を作品化してみてるんですけどね・・・」  みたいなフンイキがあって、「なるほど、確かにシュールリアリスムって、 そういう精神分析的テーマを追求する芸術運動だったかな?」 と、 いきなりナットクしたりはするんですけど、でも、 そーゆー分析とか心理描写とまったく無関係に、 顔を隠しているオジサンの絵は、股間や胸を手で隠しているビーナスの絵 と違って(いや、これだってなんだかヘンなんですけど・・・) とにかくミョーにおかしいんです。 (こらこらこら、 せっかくの本人の努力を無にするなーー!!)

という訳で、「頭隠して尻隠さず」を、文字通りそのまんまやってくれてる この自画像、どっちかってゆーと、”顔にサッカーボールを直球で食らった”  みたいな感じなんですけど、ミョーに哀愁があって笑えて印象が強くて なかなか好きな作品です。 (私は絵はがきまで買ってしまいました・・・  こんなオヤジのえっち画像なんか買ってどーするんだ・・・ ってゆーか、 こんなものを、子犬や猫やマリリンモンローや暑中見舞いの絵はがきと一緒に売る ファンシーショップの売り場っていったい・・・???)


えーさてそんなわけで、「隠れる」 ことで思いっきりアピールに成功した マグリットさんなんですが、
「こっ、この絵には何か深い意味が???」 とか、みんなに質問されまくって、 けっこう困ったんじゃないかと勝手に推測してて・・・、 私の好きな作品の1つに 「証明」 というやつがあります。  画面にビール瓶のようなものが描いてありまして、瓶の上半分が生の  ”にんじん” になってるやつです。

この人の作品タイトルは、作品とあまり関係がない意味を わざとつけてあるみたいなんですが、たまに ”「これはパイプではない」  と書いたパイプの絵” みたいなものもあって、 タイトルと絵が連動してるみたいなケースがあります。

で、この「証明」なんですけど、私の頭に浮かんだのは、 マグリットさんと、彼の作品を見た人との、下記のような状況でした。

「マグリットさん、あなたの絵を拝見したのですが、難しくてよくわからないのですが・・・」
「そうですね、つまり、 ”雨傘とミシンがアイロン台の上で遭遇するように、 ビール瓶はニンジンに似ていた・・・” というような事でしょうか」
「そっ・・・ それはどういう事なんですかっっ?!?!」
「つまりこういう事です」 (「証明」の絵を見せる)

−−−証明になっとらんわっっ!! (自分で想像しておいてつっこまないように)


ちなみにこの「めたもるふぉーず」という手法(というものなのだそうです。 半分がなんとかで、半分が別の物に変化しちゃってるというヘンテコな絵です)
マグリットの得意技の1つで、ダリの「ダブルイメージ(多重画像)」 と同じくらい安っぽくケレン味たっぷりなので、やっぱりふつう、 あまり芸術家と呼ばれる人は使わないテクニックだと思うんですけど、 マグリットはふんだんにこれを使って楽しませてくれています。

この「メタモルフォーズ」の系列で、 北の冷たい砂浜に人魚が打ちあげられているヤツがあるんですが、 この人魚−−女性なんですけど−−普通の人魚とは逆で、  魚のアタマと人間の下半身(若い女性で、人魚だからハダカ)です。

普通の人魚の場合、上半身の方が人間の女性(美女)で、 下半身が魚のシッポですね。 これはこれで、美女だからと人間の男性が ナンパしたりしても、最終的にいろいろ困るような気もするんですが、 かといって、上がブリみたいな魚で、下半身が若いなまめかしい女性で、 だからウレシイかというと、うーーーーん・・・・・・ (一種、 実用的な気はすることはするんですけど・・・ ミもフタもないでしょうか?)

「まぁ・・・男性の場合、こういうのが浜辺に打ち上がってたら、 多少ウレシイ事はウレシイかなぁ・・・」 という結論には達してみたんですけど、 ホントのところはどうなんでしょうか。 ちょっと興味がないわけでもないんですけど。 (・・・って、本気で考えるなよ!)


という事で、この人の絵は、「もしほんとにこうだったら・・・」  と思うと、いろいろ真剣に悩まなきゃいけないくだらない問題を提示してくれます。
たとえば、「瓶の半分がにんじんだったら、そのにんじんはいったいどこまで 食べられるもんだろうか」 とか(私は、瓶とのつなぎ目2センチくらいの ところで切り離せばOKじゃないかと思うのですが・・・ そこより下は 食べると口の中切りそうだし、めちゃくちゃ固そうな気もするし・・・)

「ピレネーの城(海の上に巨大な岩が浮かんでいるヤツです)」で、 台風とか嵐が来たときに、あの岩はどーなるのかとか(海上で揺れてたら コワイですよ! あまり風が強いと、翌朝は吹き飛ばされて別の場所に 移動してるかもしれないしね。 港の近くで船の航行があるところかなんかに、 水面と至近距離で浮かばれちゃった日には手に負えないと思います。  港が閉鎖になるかどうかの瀬戸際だな・・・)

「アルンハイムの領地(アルプスみたいな山の頂が猛禽類の鳥になっていて、 巣の中に卵があるヤツ)」 は、どー見てもあの鳥は移動できそうにないので、 卵はとれそうだとか、きっと、生まれた雛は最初は山にくっついてないんだけど、 飛べるような成体になったらパタパタと移動してべつの山にくっつくんだろうとか、 山にくっつくのは雌だけで、雄はうんと小さくてあっちこっち飛び回るんで、 昔は雄しかいない種類だと思われてて、単体生殖だと信じられてたんだけど、 ほんとはあのデカイ鳥の雄だというのが最近分かったとか(・・・)、 成体になって親元から飛び出したのはいいんだけど、 もうどこの山頂にいっても先に鳥がくっついてて、自分がくっつけるところがないし、 エサ (きっと地中のマグマとか、そーゆーやつを山の下から吸収するんでしょう)  もとれないし、めちゃくちゃお腹が空いてきて、しょうがないので うんと高い山にくっついてるやつの山腹の下の方に自分もこっそりくっついて、 なんとかやっとマグマをちゅーちゅーするんだけど、 栄養が足りないのであんまり大きくなれなくて、 みんなに 「山の腹についてるやつはほっとけよ、 小さい上に骨しかなくてまずいからな、やっぱり山頂のヤツが肉もたっぷりで でかくてジューシーだぜ」 とか言われたりして・・・(食うのかよっっ!)


現実だと仮定すると、いろいろ大変であります。(一番大変だと思ったのは、 暖炉から汽車が出てくるやつです・・・ ゆっくり居間で本も読めないしなぁ  ・・・っていうか、中に乗ってる人達が駅だと思って下りてきちゃったら、 改札もないしどうしたもんだろうか・・・???)


問題提議としてワタシがとても好きなのは、 「人間の条件」とか、「ユークリッドの散策」とかの、 外の風景が広がる窓の前に、その風景と続いてる風景の「絵(キャンバス)」 が立ててあるヤツ。

キャンバスをどけると、窓の外の風景は絵と同じなんだろうか・・・ というギモンの他に、窓の外の風景そのものが全部「絵」であるかもしれないし、 実のところ、この絵丸ごとそのものも「絵」なので、まるで合わせ鏡の、 永遠に続く鏡像のように 「でも、これも絵だよ」 「でも、 そのまわりもほんとは絵だろう・・・」 と、ずーーーっとこっちに向かって  「だってホントは絵じゃないか」 という種明かしがやってきて、 じゃあそのこちら側にいる私たちも実は「絵」だったりして・・・?−−−  というあたりまで、移動してきてしまうところが、なかなか怖くもミステリアスです。

ワタシは職業がまんが描きですから、  「絵は現実のリアルな描写に見えるけど、 けっきょくタダの絵でしかないから ウソ事 だろ」  「じゃあ ”描かれた世界” は、1つの世界として認めないのか?」  とフィードバックしてくる”現実と絵の区別と近似点のコワサ”みたいなあたり、 ちょっとゾクっとするテーマです。









<シュールリアリスムには地平線がある>

ダリの絵が非常に視覚的で、絵そのものを見るのが面白いのに対して、 マグリットの絵は、どちらかといえば「思考的」というか、 描かれている絵そのものよりも、描かれてる状況をいろいろ考えたり、 余計なことを連想するのがとても面白いタイプで、どちらも  「ぜったいにないけれど、あったら見てみたい」  光景を、私たちの目の前に見せてくれます。

私には、ダリはサーカスで、マグリットは手品師のような印象があります。
片方はカラフルで華やかで、 タネも仕掛けもなく鮮やかなワザをふんだんに見せてくれるし、 もう片方は黒ずくめの衣装で黒いマスクまでして、 「タネも仕掛けもないんですよ、ほら、何も怪しいところはないでしょう?」  と言いながら見る人を引っぱってって、 いかにも見えないところにナゾがありそうに、 いっぱい隠してる事や秘密がありそうに思わせる事で、 見る私たちを楽しませてくれます。

この、サービス精神の豊かなシュールリアリスム界2人の巨星のおかげで、 ずいぶん20世紀の美術は華やかになった気がします。
王侯貴族や特権階級が美術家芸術家の直接のパトロンになる事が 難しくなった現在、これは非常に重要なことで、少なくともかなりの数の人が、 ポスター買って絵はがき買って画集を買って、展覧会があれば見に行って、 みんなけっこー「美術」に馴染んで、 美術界の振興にもすこしは貢献したのではないでしょうか・・・




ところで、むかし学校で、美術の時間に「遠近法」 というのを習いました。
ルネッサンスの時代、平面上の絵画を現実らしく見せるために発明された 「遠近法」は、絵の中に 地平線 の位置を設定することで、 ”描かれた平面のウソの風景”でしかない「絵画」に、 現実っぽい奥行きを出すという秘術に成功したんであります。  これは当時の大発明大発見でした。

このシュールリアリスム界の2人の絵、 どちらも絶対にあり得ないウソの風景ですが、絵の風景の遙か向こうに、 「虚構の世界」である絵を、現実と重ねるために使われる 地平線  が設定してあります。
ルネッサンスの画家達が遠近法を使おうとした執念と同じく、  「虚構のものでしかない絵の中の”描かれた世界”を、 現実を見るみたいな実感で味わってもらう」 ための、 作者の強い意図の現れです。

現実にはないんだけど見られたら嬉しいな・・・ という不思議な光景を、 まるで現実の風景みたいな手法で目の前に見せてくれるお楽しみは、 シュールリアリスム絵画のほぼ独壇場です。
非現実的な状況であればあるほど伝え方は精密に、 リアルに、そして丁寧でなくてはいけないのです。

こんなヘンな事に命賭けてくれる人達がいて、 とても嬉しいワタシなのでありました。







<注>  サカタヤスコは、ダリやマグリットの絵が好きなだけで、
研究が出来ているとか詳しいとか、そういうのではありませんし、
説明もごく個人的な解釈です(カン違いや覚え違いもあるかも?)
これを読んで、シュールリアリスムの絵に興味を引かれた方は、
ダリやマグリットに関する本がとてもたくさん出ていますので
書店や図書館で探してみると、もっと楽しめるかもしれません。


2001.7.23.




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