・   アーノルド・ベックリン   ・
・       死の島     ・






アーノルドベックリンは、 19世紀末に活躍した象徴派の時代の画家です。

迫力のある人魚(男を死に誘うサイレン)の絵などもあって、 ウロコがブキミに光っていたりしてなかなかコワイのですが、 この人の絵で 「死の島」 という作品があります。

「死の島」は、バリエーションを変えて描かれたものが何作かあるらしいのですが、 どれも、波一つない海に浮かんだ岩だらけの深閑とした小島の風景で、 墓所らしい入り口の側の船着き場に、 死の世界の舟守らしい人物と舟が描かれている程度で他に人影はなく、 生き物らしい気配もなく、黒々とした糸杉だけが空に向かって立っている・・・ という、そんな絵です。

”糸杉”というのは、西洋では墓地に植える植物らしく、 これだけでそこが墓地であるという説明になるくらい一般的な象徴物のよう なのですが、「死の島」では、 糸杉がそのまま「死」を象徴するものとして画面に描かれていて、 動くものもなく、「死」の引受人だけが仕事をしています。

ベックリンが死を描いたものとしては、他に「ペスト」をテーマにした有名な作品があって、 ペストの流行によって凶暴な死が町を襲うという、 こちらはかなり恐ろしい感じの絵です。
恐怖や死や暗黒を現す竜にまたがった死神が、 大斧をふるいながら町を襲っていて、 「訪れてくる」死や「襲いかかってくる」死という、こちらはいわば「死ぬ」という 行為や、その瞬間に対する恐怖感みたいなものを描いた絵ですが、 一方「死の島」のほうは、墓地の中を開くと、もはやそこには何もないかもしれない・・・ という、「死」=「無」 みたいなものに重きが置かれていて、 すでに「死者」や「遺骸」すらないのかもしれず、 そこにあるのはただ「無」のみ・・・ という、静まりきった世界です。

この 「塵のように消え果てて、やがてなくなっていく、死というものの存在」  というイメージは、私の中の「死」というイメージと大変近いものがあって、 いままで自分で都合3回ほど描こうとしたことがあります。
1つは「死の島」(”くされ縁”/”文庫版 村野”に収録) というそのものズバリのタイトルで、 ベックリンの「死の島」をテーマにした作品を 描こうとしていたのですが、ページ内に話がまとまらなかったので、 (4頁連載だったのです)急遽、島の核実験ネタにシフト (確かに「死の島」には違いないんですが・・・)してしまいました。  だから、内容的にはほとんどベックリンとは関連がありません。

もう1つは「手紙」(”半熟少年”/”文庫版 月と博士”に収録)で、 空気の中に拡散してしまう意識と存在みたいなイメージ を描きたかったんですけど
(注>> 読んでみて、 あまりそう見えなくても気にしないでください。  本人がそういう気分のつもりで描いた・・・というだけで、 それが<わかるように描いてある>というわけではありませんのです。  いわば、話の中の”隠しアイテム(??)”です)  この主人公の部屋に 「死の島」 のポストカードがピンナップしてあります。  消滅することに対する旅立ちのようなものです

あとの一つは、直接 「死の島」 が出てくるわけではなくて、  「糸杉」 という、死をテーマにした作品です。
存在が消滅するという事を意味する「死」の中には、 関心が失われることと、生命が失われることの、 二種類の「消滅」があると思いますが、消失したものは、 どちらにしても元に戻りません。

「糸杉」では、 姉に恋人ができた事をきっかけに主人公の少年が水死するのですが、 主人公の姉は、やがて恋人と結婚して新しい家庭を築き、 死者についての関心を薄れさせていくことで、 死んだ主人公をもう一度殺すことになります。
死んだ人はまわりにどんな事情があってどう変化し、あるいは変化しなくても、 とにかくもう死んでしまっていて、 二度と状態の変更を受け付けない訳なのですが、
(つまり、「状態」の永遠の確定が「死」というものだと思うのですが) 肉体という物体も塵になって、 やがてはかつてあった人間の「存在」そのものが消えてしまう、 そういう消失を司る場所 (墓地>>糸杉のある場所) の物語です。


さて、ベックリンの「死の島」では、「恐怖」とか「哀しみ」とか、 そういう人間的な感覚はもうすべて風化してしまっていて、 もっと乾いた、寂寥感のようなものが漂っています。

ロゼッティ
(この人はベックリンとほぼ同時代の画家で詩人です)の場合なんかだと、  「少女の妻が妊娠して、 初めてのお産の時に、産褥熱で死んでしまったらサイコーだなぁ・・・」  というヘンな、処女>出産>死亡願望シュミとか、  「何年も前に埋葬した妻の遺骸を墓から掘り起こしてどうこう」  したがるような、生身の死体にかなり執着する種類の感覚があるんですけど、 そういう肉体のつきまとう「死」みたいな感触は、 ベックリンにはなかったんじゃないかと思います。

少なくとも「死の島」には、そういう「肉体を伴った死体」よりも、 むしろ、形の無くなった「消失そのもの」みたいな「死」が描かれていて、 非常に美しくて忘れられない静かな絵になっています。


ベックリンの他の絵を見ると(特に人物画がそうなんですが) どれもグロテスクでダイナミックな迫力があって、 町を襲うペストや戦争の死神さえもパワフルな底力がありそうで、 もしかしたらこの人、 本来はこのダイナミズム満載の方が本領じゃないかと思う事があるのですが、  「死の島」 は、そのダイナミックさを下敷きにした犯しがたい静寂感を描いていて、 ベックリンのほとんど代表作になってしまいました。

もしかしたら彼はこの時、自身の最高の傑作を描いていたのではなく、 描かれた絵の中にみんなが見ずにはいられないもの、 足をとめて確かめずにはいられない画材を選んでしまっただけなのかもしれません。

それも、画家としての才能だったんだと思います。




2002.8.4.


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