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2泊3日奈良・京都の旅
3年生になり新学期が始まってから、すぐに学校側から話し合いをということで夫とでかけました、その際「きっと修学旅行に誘われるよね」と話していたのですが、お誘いはありませんでした。小学校への就学のとき以来(息子は重度の重複障害のある子です)市の教育委員会とは「共に学ぶ」ことについて相当な話し合いを重ねて来ました、時には激しく時には笑いを交え和気あいあいと…。そのため教委から「あの親は絶対付き添わないよ」と言われたのでしょう。
第1回目の話し合いは約1時間半ほとんどを入浴についての話で終わりました。抱っこの仕方を身振り手振りで確かめながら「たぶん男風呂に入ると思うので…」学年主任「当たり前じゃないですか校長先生!」と校長みずから入浴の介助をすることになっているようでしたが、私からは落とさないようにという以外特別な説明など思いつかず、今でも1時間半何を話していたのか思い出せません。
ただ私としては息子はもう3年生、今更抱っこの仕方はどうこうと聞かれても、今まで何をしてきたのか、おそらく介助員任せだったことは想像がつきますが、修学旅行があることは最初から決まっていることなのに、もっと積極的に関わっていれば心配などしなくてすんだのにと思いました。そのほかに食事のこと見学場所の移動のこと就寝のこと等等、どうするのかと思いましたがそれから約1ヶ月学校からはなんの相談もありませんでした。
私も心配でしたが、学校に通って9年目、生徒たちもいるし(生徒たちのほうが信頼できるかも)こちらからは不安をみせないようにしようと思っていました。
修学旅行1週間前(金)、市役所の福祉課で車いすの申請の手続きをしていたら、携帯電話から学校の校歌が鳴り出しました(学校からの着信音は校歌です)、役所の職員に断って電話にでると、校長先生から『修学旅行の話し合いをしたいのですが』「いつがよろしいですか?私はいつでも結構ですが」『○○日は出張で、△△日はダメで、学年主任とも相談してまた連絡します』「???お願いします!?」 でもこの電話でかなり緊張が高まっていることを感じました。
6日前(土)、留守電に2回、携帯に着信暦3回話し合いの日時と服用している薬のことを話していました。
5日前(日)午前、やはり携帯に「薬のことで主治医の指示書が欲しい」とのこと。なぜ医師の指示にこだわるのだろう、主治医とはいえ病気のことはわかるけど患者の全てを把握しているわけではないし、薬のことであれば親である私の説明で十分ではないか。何か変わったことがあったらすぐに連絡を取り合うか、近くの病院に運んでもらうしかない。それは障害があろうがなかろうが同じことなのではないか。今更ながらこんなやりとりをしていることが悲しくて、あ〜今夜も眠れそうにない。
4日前(月)やっと話し合い。その前にまた電話があり、「医師の指示書が欲しい」とのこと。連日の電話攻撃で私は冷静さを失いかけていたので、話し合いには以前から支援をしてくれている方に付き添ってもらいました。
校長をはじめ他に5名の教員が参加しての話し合いの中で、薬のこと、連絡が取れるように携帯の電源を24時間入れておくこと、現地で看護師を派遣してもらうこと(なんとVIP待遇)、バスタオルを何枚か持たせること、旅行中は校長か教務主任が常に付き添うこと、出発の日は最寄の駅に6時集合などを言われました。私のほうからは、朝6時集合は肉体的にきついので、東京駅9時03分発の新幹線には間に合うように私が送って行きたいとお願いしました。すると、先生方から「東京駅で会えなかったら困る」「若葉駅(最寄の駅)出発時、池袋到着時、山手線出発時、東京駅到着時に電話を入れてください」「切符を班でまとめて買うので、いつ渡しましょうか」「新幹線入り口は団体入り口しか入れない」など口々に…もう私には『人質の命が惜しかったら私たち言うことを聞きなさい』と聞こえてしょうがない。(あ〜今夜も安定剤か)
切符は自分で買って行きますから、新幹線入り口は入場券で入れますし…などと言っても、皆納得しないのでこうなったら一生に一度きりの修学旅行がんばって早起きするしかないか!この日のために体調を整えて来たので乗り切れれば自信にもつながるし、私「わかりました、じゃ予定通り6時に駅に行きます」。集団を重視するあまり個人のニーズにも応えられないということは弱いものにとっては辛いこと、「共に」の認識のズレを実感させられるのでした。
3日前、息子を迎えに行くと介助員から「今日は元気がないんですけど…熱はないけどいつもとは違う」と言われたので、鼻かぜでも引いたかと思い、近くの耳鼻科へ行きました。医師にもうすぐ修学旅行で学校の様子を話したら「先生たちの緊張が伝わってんじゃないの」と一笑されてしまいました。帰りには夕立にあいズブヌレ状態、あ〜なんで空まで意地悪なんだろう。
2日前、校長からの電話は続く…もう何の話だったかも覚えていませんが、私は精神的にピークの状態で夫に修学旅行行くの止めさせようかなどと言い出していました。この日学校に息子を迎えに行くと、JTBの名札を付けた若い男性がやってきました。「JTBの方ですよね、私は車いすの息子の…」というとすぐに『あっ、吉井君のお母さんですか?』「はい、いろいろとお世話をかけますけど、よろしくお願いします」『こちらこそ、精一杯やらさせていただきます。車いすの方はお世話させていただいたことがありますので、大丈夫です』ととっても感じのいい返事が返ってきました。たったこれだけの会話で私はどれほど救われたことか。なにも私たちは完璧を望んでいるのではなく、心配なのは最愛の息子を3日も他人に託す私たちのはずなのに、JTBの職員のように『精一杯やります』の一言がもっと早くに学校から聞けていたら、こんなに辛い思いはしなかったでしょう。
宿泊先に下記のようなお願いも致しました。
あ ず ま や 御中
はじめまして、私は26日より修学旅行でお世話になる、埼玉県坂戸市立千代田中学校の
保護者で吉井真寿美と申します。
私の息子(英樹)は重度の重複障害を負っていますが、小学校より地域の学校に通っております。
今回は2泊3日ということで、学校の先生方もかなり緊張していらっしゃるようです。
もちろん私ども親も心配でなりませんが、小学校のときより他の子どもたちと同じように親の付き
添いなしで、色々な学校行事に参加させていただきました。今回の修学旅行についても息子の自立心
を育てるため同じようにさせていただく予定です。
しかし、重度の障害のため食事がスムーズにできません。
家ではすべてきざみ食(細かいみじん切り)にしています。
学校での給食は、すり鉢とすりこぎでつぶしていただいているようです。できましたら、そちらでの
食事の際、大変ご面倒だとは思いますが、できるだけ細かくきざんで出していただけると助かります。
また、入浴に際して横になって着替えをしますので、学校側からは大きなバスタオルを用意するように
言われました。もちろん持参するつもりですが、もしお風呂マットのようなものがありましたら、貸して
いただけると助かります。
HPを拝見し、とても良い場所で落ち着いたお部屋のようですね。
来年は家族旅行でお世話になれたらいいなと思っています。
突然ぶしつけなお願いをしてしまいましが、できる範囲で結構です。三日間どうかよろしくお願いいたします。
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出発前日、登校の際に荷物を宅急便で送るために学校に持っていきました。すると「お母さん、明日の朝駅で検温をするので、15分早めに来ていただけますか」と言われました。その場は始業まえでもあったし「努力します」と一言だけ言って帰って来ましたが、収まらず。またまた電話をかけてきた校長に「体力がないから皆より遅くに出発(新幹線まで)したいとお願いしたにもかかわらず、15分早く来いとはどういうことですか?しかも駅で検温なんてセクハラ行為だし」と一気に怒りをぶつけてしまいました。(昨日、私のハートをつかんだJTBの若いお兄さんがますます偉大な人に思えてくる)
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さて、いよいよ出発当日、朝5時15分にヘルパーさんに来てもらい着替えや朝食の世話をしてもらい、慌しくなんとか6時の集合時間に駅に到着。息子はまだ人気も少ない駅ですでにハイテンション。「あ〜あ〜」と大声を張り上げていました。今からこれじゃ京都までもたないよ…とみんなになだめられても静かにならず、同じ班の生徒と付き添いの先生方と出勤で途中下車する夫と一緒に電車で出発しました。(やれやれ)
一生のうちに何度もない早起きをした私は午前中だけでも眠ろうと思いましたが眠れず、時計とスケジュール表を見比べながら落ち着かない時を過ごしていました。ずっと前から久しぶりの一人の時間をどう過ごそうかと楽しみにしていたのに、結局なにも手につかず、電話がなるたびに電話機に飛びついているのでした。こうなったら出かけるしかない!と夫と東京ドームへ。ホームラン弁当(夫はジャビット弁当)を食べながらも、野球観戦の合間に時計を見ては、「もう晩御飯食べたかな? 旅館はキザミ食にしてくれたかな? お風呂入ったかな?」・・・・
旅行2日目何の連絡もない。便りがないのは元気な証拠か。そう言えば小学校5年生の林間学校の時(1泊2日)に夜7時頃だったか入浴中に電話がなり、もしかして???でも学校からだったらすぐに携帯がなるしと思っているところへ携帯が鳴り出し、裸で飛び出したところ教頭先生から「あっお母さん元気にやってるから心配しないで、今ねゲームやって盛り上がってるところ」。だったらほっといてくれればよかったのにと思いながらも嬉しかったことを覚えています。次の年、小学校の修学旅行(日光)でも同じ教頭先生を中心に支援体制が出来ていたにも関わらず、風邪をこじらせ1週間の入院となり参加できなかったのです。
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あっという間の最終日、あんなに待ちに待った旅行も終わりです。どんな顔で帰ってくるのか、きっと疲れきってぐったりして帰るんだろうと想像しながら夕方5時学校へ迎えに行きました。東京駅からはクラス別に貸し切りバスです、予定の時間より早く着いたためリフト付きの大型バスから降りてくるところを見ることはできませんでしたが、天候に恵まれ日に焼けて少しだけ成長したようにも見えた息子の顔はとても穏やかで、先生方も無事に帰って来た安心感からか、〔行きは京都に着くまでハイテンションだったこと、奈良公園でリュックにぶら下げていた英語の単語帳を鹿に喰いちぎられたこと、初日はなかなか眠らなかったけど、2日目はよく眠ったこと、旅館がキザミ食にしてくれて助かったこと、帰りの新幹線でお弁当をたくさん食べたこと、抹茶アイスを介助員の分まで食べたこと、お小遣い(2万円)はほとんど使ったこと〕などなど口々に報告してくれました。息子から言葉で聞くことはできませんが、付き添ってくれた教務主任のI先生から後日写真をたくさん頂きました。その中の息子はとても穏やかで中には家では見せたこともない、いい笑顔の写真もありました。どんな障害があっても必要な支援があれば、同じ時間を共有し思い出を作ることができるのです。
それが同じ時代を生きる者同士、「理解」と「生きていける自信」につながるのだと思います。
学校がこれからもそういう場でありますように……。
中学校生活最大のイベント「修学旅行」を無事に終えることができました。
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