英くん通信

英くん通信 No.1




●坂戸私立千代田小学校 1年2組の吉井英樹です
支えてくれる人達がいる
地域で普通のくらしがしたい、同年代の子供たちと育ちあう中で自分自身の障害を受
けとめ、そして乗り越え、社会の中でどう生きていくべきかを考えられるようになっ
てほしいという願いを込め、またそういう可能性があることを期待して地域の小学校
の普通学級を選びました。
何回もの教育委員会との話し合いの結果、車椅子での移動の介助をしていただく先生
は付いたものの、親も学校で待機しなければならなくなり、母親だけでは大変と3名
のボランティアの方が交代で介助にいって下さることになりました。
●4月8日 はれ 入学式
前日まで続いていた雨がウソのように雲ひとつない晴天。久々にベランダから見える
真っ白い富士山も”がんばれよ!”と勇気付けてくれているようでした。
親子三人正装姿で学校へ。
一年生になったら〜♪の曲にのり一年生の最後尾からバギーに乗って入場してきた英
樹は、やはり緊張しているよう。式典が始まりいつ泣き出すかとハラハラ、ドキドキ
している親の心配をよそに、「一同、礼」の掛け声が面白かったらしく、シーンと静
まる中、ケラケラと笑いだす始末。超緊張の約1時間でしたが、無事式典を終えるこ
とができました。
●吉井君 ご入学おめでとう:ボランティアMHさん
地域の友達と一緒に通える学校に入学して本当によかったたと思いました。これから
通う6年間には多くの友達と出会うチャンスが一杯。吉井君が通う後には大きな道が
できてゆく様な気がします。
●1年2組のひでちゃん!:介助者JTさん
1年2組のひでちゃん!ひでちゃんがどういう顔を見せるとYESなのかNOなのか
もうお友達は知っているようですね。これからも大勢のお友達と楽しい経験をたくさ
んしながら笑顔を一杯見せて下さいね。
応援しています。
●4月9日〜11日
登校初日、朝会と朝自習と間違えAM8:20に登校。朝自習中だったため教室には入れて
もらえずAM8:45まで廊下で待っていました。でも教室から楽しい歌声や笑い声が聞こ
え英樹もそれを聞いて笑っていました。ちょっと寂しいスタートでしたが、なんとか
3時間の日課を無事終え、下校班のお友達と一緒に下校。校庭散策や発育測定等々、
毎日がはじめてのことばかり。休み時間に歩行器で外に出ると「どうして歩けないの
?」「どうしてしゃべらないの?」と質問責めにあいひとりひとりに答えるのが大変
だったけど、「歩く練習をしているから応援してね。」と言うと子供たちはみな「う
ん!がんばって」と言ってくれた。
子供たちはとても素直で優しい。
そして、早くも英樹の口から「アイ」という可愛い返事が聞けるようになりました。
今までは何か質問したり、名前を呼んでも「ウ〜ン」だけだったのに。きっとお友達
のことを見て英樹なりに学習しているのだと思いました。
正直、こんなに早く英樹が変わってくれるとは思っていなかったので祖父母も大喜び
でした。
●4月14日〜18日
相変わらず休み時間は子供たちからの質問責め。でも優しい言葉をかけてくれる子供
が先週よりは確実に増えていると感じました。
17日は初めての授業参観。書写の時間でえんぴつを持たせるとニタニタしながらな
ぐり書きをしていましたが、途中から飽きたらしく紙をくしゃくしゃにしたり、少し
声をだしたり、45分じっとしているのはまだまだ難しいみたい。
●4月21日〜28日
クラスのお母さんよりTELがあり、子供が家に帰ってから英樹の話をよくするとい
うこと、昨日何かおせっかいをやいてきたみたいで良い経験をさせてもらってありが
とうと言って下さいました。とても嬉しかったです。
初めての遠足もありました。
場所は近くの公園、レスパイトサービスの方に介助をお願いしました。公園へ着いて
自由遊びの後、昼食。女の子が2人「一緒に食べよう。」と言って英樹の側へ座って
くれたり、男の子がお菓子を「食べて。」と言ってくれたり楽しい遠足でした。
3週目にもなると子供たちは質問から応援の言葉に変わってきました。そして遊びに
誘ってくれたり、歩行器を引っ張ってくれたりと自然に関わりを持ってくれるように
なりました。そして英樹もお友達の声かけに笑顔やときには声が出るようになりまし
た。
◎編集後記
これまで沢山の人々に支えられ、元気づけられてきました。支えてくれる人達がいた
から地域の小学校へ入学することができました。でも、英樹のまわりの環境は決して
整っているわけではありません。
母としてこれでいいのかな、といつも不安がつきまとう中、この通信を通して多くの
方にハンディキャップについて、教育について考えていただき、一緒に英樹を育てて
頂きたいと思い、月に1回発行することにしました。
何かお気づきの点がありましたら、遠慮なくご連絡頂ければと思います。
(英樹の母より)

英くん通信 No.2




●はじめに
5月・6月と気温の差が激しく、変な気候でしたが皆様お変わりありませんでしたか。
ここ数年、四季の移り変わりが今一つすっきりしないような気がします。
自然破壊や増え続けるゴミ等、人間達の身勝手さに自然界からのしっぺ返しがきてい
るのかも………?!
●予想外の反響
No.1を100枚印刷したところ、足りずに100枚増刷しました。予想外の反響があ
りびっくりしています。実際の印刷枚数の何倍もの人達に読んで頂いているのです。
<東松山市長様より>
市長室直通の『よろしくファックス』へ送信したところ、すぐに電話を頂き「ありが
とうございました。感動いたしました。私も東松山市をノーマライゼイションの町に
するため頑張っています。また送ってください。」と温かいお言葉。
市内・外に関わらず細かい気配りをされる誠実さに私の方が感激しました。
<長崎市の理学療法士様より>
里帰りの度にお世話になるリハビリの先生からはお手紙が届きました。
ベテランのT先生と若くてきれいなM先生、「就学はどのようになっているのだろう
と案じていました。普通学校に入学できて良かったですね。このことは我々から見る
と当然のことですが………」「訓練に来ている子供たちがそれぞれ通っている保育園
・幼稚園・小学校の先生たちが時々訓練の様子を見にいらっしゃった時にお話をする
のですが、皆さんが言われることはその子が来て他の子供たちが優しくなった、積極
的になった、大変良い影響を与えている。クラスが明るくなったなど、その子にも他
の子にもプラスになっているなんて、すばらしいと思いました。」
遠くにいる英樹のことを心配していただき、有り難いと思います。通信を訓練室に貼
って下さっているそうです。
<入間市の教育と福祉を考える『どろんこの会』様より>
毎月発行している(約400部)「どろんこの会つうしん」の中に連載して頂くことに
なりました。
<騎西町の地域福祉在宅支援グループ「あみ」様より>
「広報あみ」7月号に掲載して頂きました。
●5月
さて、学校生活も月日がたち、だいぶ雰囲気にも慣れたのか英樹や周りの様子も少し
ずつ変化してきました。
授業中つまらないと副担任が迎えにくることを期待し「アー」と声を出し、教室を出
て気分転換をする回数が段々と増えてきました。困ったものです。
25分休みには、英樹がウォーカーで校庭へ出るのを待っていてくれるお友達もでき
母が言わなくても「足動かして」「顔あげて」と声をかけてくれます。特にお気に入
りの女の子から「吉井くん」と声をかけられると背筋をピンとのばし「アイ」と返事
をして、その女の子も「お返事が聞こえたよ」と喜んでくれます。
下校時は散歩等していると上級生の子供達が声をかけてくれるようになりました。
<5月28日 7歳の誕生日>
同級生の女の子4人と近所のお友達がきてくれて、ケーキとジュースでお祝いをしま
した。おもちゃのキーボードで、ハッピーバースデーの大合唱に終始ニコニコ、デレ
デレの英樹でした。
●6月
すっきりしない気候と4月からの環境の変化に少し疲れが出たようで、体調を崩して
しまいました。軽い風邪症候群でしたが、ゆっくり休養することにしました。
そして、慌ただしく過ごした4月・5月を振り返り、登校・朝自習・給食・授業中等
々、他の友達と違った対応について、英樹自信はどう受け止めているのか?
月に1度専門家に相談することにしました。
<臨床心理士さん>
「英ちゃんは、明るくしたたかさを持っている子、大丈夫ですよ。」
父母が心配するよりずっと心の強い子に成長しているみたい。
<ST(言語療法士)さん>
「文字を覚えてきていますね。」
嬉しい評価。毎日の授業が少しずつではあるけれど実になっているようです。
不随運動で思うように動かない手でもSTの先生には英樹が書こうとしている文字が
ちゃんとわかるようです。
●7月
1日より教室でお友達といっしょに給食を食べるようになりました。
よほど嬉しかったのでしょう。ボランティアのTさんと一緒に帰ってきた英樹はいつ
になく上機嫌で、お友達と一緒に食べたんだと私に訴えているようでした。
下校後は上級生のお友達も家に遊びに来てくれるようになり、学校外でのお付き合い
も広がってきました。
◎編集後記
たまごっちが7歳で死んでしまいました。おもちゃとはいえ罪の意識を感じながら、
リセットボタンを押しました。今度こそは……。英樹の中にもリセットボタンがある
ならば、押して発病前に戻したいと思いました。でも、それは今のままの英樹を否定
していることになるのでしょうか。治療入院していた4ヶ月半の間に何人もの幼い尊
い命が、天国へ召されていきました。人として一番大切なものは何か、そしてありの
ままの英樹と今を生きていける喜びを教えていってくれたのは、その幼い宝物達です。
なぜ働くのか、なぜ勉強するのか皆さんは考えたことありますか?
(英樹の母より)

英くん通信 No.3




●夏休み
待ちに待った夏休み
久しぶりにひどい風邪をひき、これは肺炎かもしれないと思い入院セット(情けないけ
ど我が家には5〜6年前から常備してあるのです)をもって医大へ。幸い大事にはいた
らず回復したので、1年振りに実家(長崎)へ里帰り。
●長崎で会ったステキな人達
<長崎県立整肢療育園で>
夏休みだけの飛び入りの英樹を園長先生はじめ職員の皆さんは優しく受け入れて下さ
います。そして、今回はハイハイをする道具クリーピングカーを作って頂くことにな
り、ドクター・理学療法士・業者と三者の力の結集で英樹に合ったものができました。
勝手に名付けて『ダンボ』英樹は今これが一番のお気に入りです。
<県央地域サービスセンターのUさん>
ゆっくりお話することはできませんでしたが、お手紙をいただきました。
「…私も障害のある人が、地域の中で普通に暮らすためのお手伝いをしているのです
が、学校で変わっていく英樹君と、一緒に学びながら変わっていく学校の仲間達が目
に浮かぶようです。私が支援している方々は、地域の事業所で働く人がほとんどです
が、学校の児童と違って大人は簡単には変わってくれません。英樹君と共に学ぶ子供
達は、本当の意味での地域を作ってくれるものだと確信します。……」
Uさんは、乗馬のインストラクターもされていて、来年の夏休みは、絶対に乗馬!と
決めました。
<たくま君の初バイバイ>
重複障害を持つたくま君(4歳)は、お母さんと一緒に週1回、近くの保育園に遊びに
行っています。園では人気者のようで、どうしてお昼寝をしていかないのかと文句を
言われるそうです。
そんなたくま君に、帰り際「来年までバイバイ」と言うと、不自由な手を一所懸命あ
げてバイバイをしてくれたのです。愛情豊かで周りを楽しませてくれるお母さんの社
交性をしっかり受け継いでいるのですね。でも、ほんとはもうとっくに保育園のお友
達にバイバイやっていたのかも。
●『障害児を普通学校へ』全国連絡協議会
『障害児を普通学校へ』全国連絡協議会の全国交流集会へ行ってきました。
8月22日〜23日に大分県別府市で行われ、初参加の私は英樹を長崎の実家に預け
初めての一人旅。高速バスのほうが速いという家族の忠告を無視し、どうせ行くなら
と前から乗ってみたかったJR「湯布院の森」号でのたびを選びました。
会場となったビーコンプラザは温泉町にはどこか不釣合いな、昨年できたばかりの展
望台まである近代的な建物。中に入るとすでに石川憲彦先生(神経科医)の講演が始ま
っていました。
若い頃、専門家ゆえに見えない部分があり、もっと普通に考えていれば重症児の命を
救えたかもしれなかった。というお話が印象深かった。
それから分科会に分かれ、私は勿論小学校の部に参加。全国から約100名程の参加。
意外だったのは学校の先生が半数以上いたこと。先生方の貴重な体験談もたくさん聞
くことができました。やはり、いじめや不登校の問題も切り離しては考えられないよ
うです。そして、大阪の牧口一二さんの話の中で「思い出が多いことが生きていく力
につながる」ということ、とても説得力のあるお話でした。
有意義な2日間を終え高速バスで長崎へ。そしてタクシーで実家へ向かう途中、[XX
ゼミナール]の送迎バスが横を走っていました。PM10:30、若者らしくない疲れきった
顔にみえました。楽しいはずの夏休み、1997年の夏は一度きりしかないのに…。
●夏休みのビッグニュース
何と寝返りが出来るようになりました。家族で大喜びです。
●帰京
長崎空港の搭乗口ではじめてグズリました。大好きな飛行機に乗らないというのです。
余程楽しかったのでしょう。なんとかなだめて機内に入ると、もうケロッとして離陸
の瞬間を待っているのです。
英樹、7歳の夏が終わりました。
◎編集後記
私はローカル列車が大好き。以前、友人と二人で宮崎県を旅行したとき、延岡から高
千穂へ向かう列車の中から、五ヶ瀬川にかかる梁場を見つけ途中下車、側の桟敷小屋
でとれたての鮎を肴に、女二人真っ昼間から熱燗を飲み干し幸せに浸ったこともあっ
たっけ。ゆっくりだから気づくこと、ゆっくりだから感じる素晴らしいこといっぱい
ありますよね。早期療育・英才教育という言葉についつい乗せられ子供の成長を待て
ない大人たち。
私は超のんびりの『ひでき号』というローカル列車で人生の旅を続けます。
次はどんなステキなことにめぐり会えるかワクワクしながら。そして、それが一日で
も長く続くことを祈りながら……。
(英樹の母より)

英くん通信 No.4




●2学期
2学期が始まりました。
久しぶりに会う友達とどんな思い出をつくったのでしょうか。
2〜3日は何か落ち着かないような、よそよそしさを感じ、こちらも少し戸惑ってし
まいましたが、週末が近づくと子供たちもペースを取り戻した感じで、今までと同じ
ような優しさで接してくれるようになりました。
夏休みの余韻も覚めないうち、学校では運動会の練習に入り慌ただしい雰囲気に。
そして、初めて腕を通した体操着に母はうっとり。カッコイイと言うと英樹もニッコ
リ自慢気な顔をしていました。
●運動会
当日はお天気にも恵まれ、父と登校。遅れてグランドへ行ってみるとすでに1年生は
60メートル走のためスタンバイ。青いハチマキ姿の英樹はとても凛々しく、いつも
よりひとまわり大きく見えました。
そしてコースの中程からスタートした英樹は数歩あるいたものの緊張で思うように足
が出ず、後は先生におしてもらいゴール。でも少しでも自分の力を発揮でき良かった
と思いました。
前に通っていた通園施設の担任の先生やボランティアの方も応援に来て下さいました。
●元担任 M.S先生より
1年2組の子供たちが参加するすべての競技に一緒に参加した英樹君でした。一番驚
いたのは、以前より体力がついたという事です。朝からSRCウォーカー(歩行機)に
のった姿勢で、9月の太陽がじりじりと照りつける中で、自分の出番では足を前進さ
せてかけっこをしたり、ヘッドをあげたり、友達の応援をみたり、時にはヘッドをさ
げてゆっくりやすんだり、と本当に驚きました。でもやはり、これは毎日1年2組の
中で生活しているからですね。とても残念だったことは、英樹君のいる位置がいつも
最後列だったこと。いつも友達の顔ばかりみているのですね。私も、つい出すぎたこ
ととは思ったのですが、5・6年生の組体操の時、側に寄って話かけると大きな声で
何かを要求。ヘッドを少し保持してあげると、視線はじーっと組体操の方を見ていま
した。いつも少しだけの介助で英樹君の思いは満たされ、さらに興味を広げていくの
ではないでしょうか。
卒園してからも色々と気にして下さって、何よりも英樹の成長を喜んで下さるのです。
来年は歩行機で走れる(歩けるかな)距離が少しでも長くなると嬉しいなと思います。
でも何よりも全ての競技に参加できたことが嬉しく、英樹自身の自信にもつながった
と思うのです。学校ではまだまだ感情をだせない英樹、家に帰ったとたん、ハイテン
ションになりひとしきりさわいだあと、ちゃっかりお昼寝。とっても嬉しかったので
しょう。
●ある日の休み時間
1年と2年の子供たちが英樹の歩行機を押して、「吉井くん吊り橋に行こうね。」と
言いながらどんどん歩いて行くのです。「吉井くんはね吊り橋が好きなの。」と側に
いる私に教えてくれます。そして、吊り橋に揺られてケラケラ笑っている英樹を見て
「アッ吉井くんが笑ってる。」と周りにいる子供たちも笑って。「今度はどこに行き
たい?」「ジャングルジム・うさぎのとこ・ブランコ」の質問にブランコのところで
「ウーン。」と返事。「ブランコだって。」とまた歩行機に乗って移動。少し離れて
見ているとブランコの側で子供たちは英樹をどうやってブランコに乗せるか相談をし
ているのです。本気で知恵を出し合っている姿、とても微笑ましく、母としてはとて
も嬉しく、それだけで一日ハッピーでいられるのです。
●ある日の下校時
下校班は英樹も含め6人。女の子が「たまには吉井くん班長やれば。」と英樹が一番
前になり2番目の男の子にバギーを押してもらうことになった。私が最後列だったの
で「じゃ、おばちゃんが副班長ってことになるの。」「そうだよ。」裏門を出るとす
ぐに別れる友達がいて皆でバイバイと挨拶をかわす。バギーを押していた男の子は直
ぐに英樹の手をとりバイバイさせていました。そして、マンションに到着すると「吉
井くん解散って言って。」、英樹「アー。」「言った言った、じゃバイバイ。」少し
ずつではあるけれど子供たちは確実に英樹のことを受け入れているのです。
子供たちの姿を見ていると大人になって忘れていた何かを思い出すような気がします。
◎編集後記
多くの感動と遺産を残して、マザー・テレサが亡くなりました。どうして全てを捧げ
てまで貧しい人のために尽くすことができたのか。幸せって人が決めるものではなく
自分自身の中にあるものだと思います。自分で考え自分で選んだ人生を幸せだと思え
る人に、英樹にもそんな大人になってもらいたいな。
(英樹の母より)

英くん通信 No.5




●昨年を振り返って
だいぶさぼっているうちに、新しい年が明けました。通信を読んで頂いている皆様は
どんな一年だったでしょうか。昨年は我が家にとっては正しく激動の年でした。
辛いことも確かにあったけど、それにも増して素晴らしい人達との多くの出会いがあ
り、今年はそういった人達に少しでも近づけるよう決意も新たに頑張ろうと思います。
遡りますが、昨年の秋の行事から少し紹介しましょう。
●3週続きの運動会(小学校・以前通っていた通園施設・地域の自治会)
自治会対抗の運動会で
同じマンションのお友達と一緒に”おやつですよ!”に参加。並んで待っていると場
所が狭いため列からはみ出さないようにと押しくらまんじゅうが始まりました。
歩行機に乗っている英樹を同学年のしづかちゃんは両手を広げ「押さないで下さい。
ここに英くんがいます。押さないでくださ〜い。」と一生懸命かばってくれていまし
た。そして、6人ずつ並ぶよう指示があると、2年生のあやのちゃんは係のおじさん
に「英くんも数えて下さいね。」と何回もお願いしてくれました。
●授業参観
初体験のパパはドキドキしていたようでしたが、大好きな国語の授業。
「おじさんのかさ」のところで先生の質問に英樹も手をあげようとしているのがわか
りました。そして「アーアー。」と声を出していたので、先生は英樹の側へ来て「吉
井くん、今はお勉強中だから静かにしなさい。」と言われ、英樹はすぐに「アイ。」
と返事をしていました。
きっと「ぼくもわかるよ。」と言いたかったのだと思います。わかっていても言葉で
伝えられないもどかしさ、でも自分で伝える努力を英樹自身にしてもらいたい、そし
て伝えられたときの喜びを味わってもらいたいのです。
●社会科見学
久しぶりの大型バスに大はしゃぎ。教頭先生や副担任のY先生、T先生等に付き添っ
て頂き、自家用車で使っているカーシートをつけてもらい単独で参加。帰宅後、お弁
当箱を開けてみると殆ど空っぽ。とても機嫌よく私に何かを伝えようと一生懸命話し
ていました。学校へ入るまでは殆ど一緒だったので、私に報告するという行動はあま
り必要ではなかったのです。
●ある日の休み時間(その1)
歩行機で校庭へ向かっていると、4〜5人の1年生の男の子が「吉井くんは吊り橋が
好きだよ。」と言って皆で押してくれることになりました。その中の一人が早く押そ
うとしたら:Aくん「やめろよ。Bくんの責任だからね。Bくんが責任とらなくちゃ
いけないんだよ。」そしてBくんは、歩行機から手を放しました。
7歳の子供の口から責任という言葉が出たのにびっくりしました。
「責任って、どういうこと?」と聞いてみたかったけど。責任がとれないから関わら
ない、人に迷惑をかけないという教育が子供たちを自立ではなく孤立させていってい
るのだと思いました。
「責任」の重さよりも、まず、皆で成し遂げる「喜び」を
「迷惑」を意識するよりも、まず、「信頼」しあうことの素晴らしさを
まず、まず先に学んでほしいと思いました。
●ある日の休み時間(その2)
広い校庭に出てみるとクラスの男の子が二人、歩行機を押しはじめました。そして、
段々とそのスピードが速くなり、母はハーハー言いながら後を追いかけているのに、
英樹はやはり男の子。そのスピードが嬉しくてケラケラ声を出して笑っていました。
一人の男の子が「吉井くん、もっと笑って笑って。」、それに答えるように英樹はも
っと大きな声で笑っていました。
最近、子供たちはよく「吉井くん、笑って。」と言います。「笑顔」は心を癒します。
子供たちには、何故笑顔がみたいかなんてわからないと思うけど、知らず知らずのう
ちに競争を強いられている今、英樹の笑顔が多くの子供たちの心を癒すことができる
ならば、英樹がここにいることの意味を、存在をそして、皆と一緒だから「いい笑顔」
ができることをいつか理解してくれることと思います。
●校内持久走大会
天気が悪く順延で学年別に行われました。英樹は副担任のY先生に付き添われ、歩行
機でスタートラインから少し歩いた程度でしたが、下校時頂いた『37』(男子37名
だったので)の番号札を嬉しそうに握りしめ帰りました。
●この頃の子供たち
英樹に対して「あいさつ」だけというのが多かったけど「吉井くん、あしたも来る?」
「寝坊するなよ。」「吉井くんって、どんな食べ物が好き?ハンバーグ、プリン、ケ
ーキは?」等々と色々な言葉を自然にかけてくれるようになっていました。
そして、その度に英樹も私が促さなくても、友達の質問に「ウーン。」とかニコッと
笑顔で答え、下校時に「バイバイ。」と声をかけられると、左手を上げバイバイをし
ていました。英樹が言葉を理解していること、私を仲介しなくてもいいことを子供た
ちはわかってきたようです。
●乗馬体験
また一つ、大好きなことが増えました。初めて乗馬を体験。ボランティアの方に両脇
を支えてもらい馬の背に股がった英樹は、途端に大喜び、馬場を2周する間ずっと声
をあげて喜んでいました。これからも乗馬を続けたいと思います。
○乗馬療法のはじまり
ポリオの患者であり、車椅子生活をしていたデンマークのエリザベス・ハーテル夫人
が乗馬療法を受け、1952年のヘルシンキオリンピックの馬場馬術で銀メダルを獲
得したことでヨーロッパで注目を浴び、本格的に研究されるようになった。
○乗馬療法の意義
(1).医療的意義
馬の動きを利用して、乗り手(ライダー)の身体的、知能的、心理学的な治療に生かし
ていく。馬に乗って歩くことが自力歩行体験のシュミレーションになり、楽しく刺激
的で持続した理学療法となる。
(2).教育的意義
馬を自由に操作しようとする練習を通し、ライダーと馬そして周りに関わる人とのコ
ミュニケーション能力の向上を促す機会になる。
(3).スポーツ的意義
ストレス・運動不足の解消や気分転換として、また技術の向上に応じた競技会への参
加など。
(4).交流的意義
障害のある人もない人も、共に乗馬を楽しむ仲間として自然な付き合いの中から、互
いの優しい心づかいや態度を学び、理解を深めていくことができる。
●1997年…秋・冬
長野へ初めてのリンゴ狩りやマッキントッシュを購入し、お友達と一緒にゲームを楽
しんだりと盛り沢山の秋が過ぎ、3回のクリスマス会に参加し、2学期も終わりホッ
としたところで体調を崩してしまいました。大晦日、医大へ駆け込みそのまま入院、
病院でお節を食べるはめになってしまいました。婦長さんはじめ、前からいらっしゃ
った看護婦さんは、英くん大きくなったねとびっくりされたよう、また新人の若い看
護婦さんは「英くんて、英くん通信の英くんですか?」と聞かれ、英樹もちょっと有
名人(?)。婦長さんへお渡ししている『英くん通信』を皆さん読んで下さっているよ
うです。
ほんとに豊かな1997年でした。
大きな環境の変化も、したたかに乗り越えていく英樹の強さも知りました。
政治が教育を支配していることや、科学や医療の進歩に比べ教育が大きく遅れている
ことも。成績の良い順に幸せの順番が決まるわけじゃないこと。
戦後、貧しかった日本の経済を急成長させるためには、同学年で5%のエリートを作
りだせば、国は急成長するというデータをもとに作られた教育システム。そうして選
び抜かれたエリート官僚たちの金まみれの不祥事。企業戦士と言われ、お金を稼ぐた
めに働きずくめだったお父さん方の収めた税金はどこえやら、どこもかしこも財政難。
そして真っ先に削られるのは、福祉と教育の予算。つい先日も新聞で坂戸市の保育園
が土曜日休園になるという記事をみました。
「効率的運営のために、働く親に負担をかけるのはおかしい。」
「保育園を移らなければならない子供の身になって。」
と言う保護者側の声に対して「子供の気持ちまでは理解できない。」との児童福祉課
長のコメントがのっていた。
誰のための児童福祉?
そう言えば3年前、英樹を特殊な通園施設ではなく地域の保育園に入れたいと相談し
たときにも「保母の力量がない」「設備が整っていない」「お宅のお子さん(重度の障
害児)を受け入れるとどんな子でも受け入れなければならなくなる」などと言われたこ
とを思い出した。
●3学期
さて、3学期に入り1月は大雪にみまわれたりで、登校できない日が多かったけど、
2月に入り、体調も整いいつもの生活リズムが戻ってきました。1〜2学期を通して
学校生活にもだいぶ慣れてきたこと、親がいつまでも付き添っていては自立につなが
らないことから、2学期の終わりに夫からその旨を伝え、英樹は今、他の子供たちと
同じように一人で学校生活を送っています。今年も豊かな一年であるように、そして
英樹を取り囲む輪が少しでも広がるように努力していきたいと思います。
◎編集後記
先月の入院のとき、付き添っているお父さんが多いことにびっくりしました。
24時間付き添っているお父さんも2名ほど見かけ、7年前のときにはなかったのに
、夜中ぐずる子供をあやし疲れて子供と二人、朝方寝入っているお父さんの寝顔もま
たステキに見えました。これも時代の流れかな?
(英樹の母より)

英くん通信 No.6




●早いもので
色々なことがあったけど、早いもので2年生。
3学期の終わり頃、下校時にクラスのお母さんに会い、たまたま別の人に渡すつもり
で持っていた『英くん通信』(No.1〜No.5)を渡しました。夕方、電話があり「どうも
有り難うございました。良かった。」と感想を述べられ、「来年度も一緒のクラスだ
といいですね。」と言って下さいました。どんな励ましより元気の出る一言でした。
学校は教室が2階になったこと。担任と副担任は昨年度と同じ先生でしたが、新任の
校長先生がいらっしゃいました。何度かの話し合いの度に養護学校を進められますが
、少しずつ解って頂くしかないのかな。
●春休みに二組の家族の訪問がありました
<長崎より>
はるばる長崎から親友が二男一女と姪っ子、甥っ子を連れて遊びに来てくれました。
英樹は彼らのパワーに圧倒されつづけた3日間でした。中でもとびっきり元気の良い
次男の貴文くん、最近の子には珍しく骨折して入院するほどの元気振り。でも英樹に
対しても一番気を使ってくれる(本人は意識していないよう)のは彼。近くの動物公園
に遊びに行ったとき、入場門で皆チケットを買ったのに英樹は赤い手帳(身障者手帳)
でパス。「どうして、英くんはお金ば、払わんと?」私は巧く答えることができませ
んでした。貴文くんにとっては、英樹は同じ2年生の男の子、哀れみとか同情の対象
ではないのです。
そんな感性をいつまでも持ちつづけて大人になってほしいと思います。いつか、矛盾
だらけの日本の福祉について語り合える日もそんなに遠くないよね。
<横浜より>
昨年、横浜へ引越していかれた、あっ君の家族。千代田小学校へ入学してしばらく、
同じマンションだったのにそれまでお互いを知りませんでした。
(英樹は隣の市の通園施設に通っていたので)その頃、あっ君のお母さんは子育てに自
信を無くし疲れていました。でも、私の目に写るあっ君はとても感受性が強く、7歳
にしては深く考える事のできる子供だなと思いました。
そんな事を話している内に意気投合。移られる約4ヶ月の間、英樹に対しても家族ぐ
るみで自然に関わってくれて、今でも電話や時には横浜の様子を教えてくれるのです。
まるで、ずっと前から知り合いだったように。
どちらの家族も我が家の良き理解者、良き応援団。これからも末永いお付き合いを
○お手紙紹介
ヒデくん、お元気ですか。
彰史は、横浜の小学校に来て、9ヶ月になりました。
6月2日は、創立5周年記念の”川和東まつり”を
子ども達の手で、計画し、開きましたよ。
彰史のクラス2年4組は、おばけ屋しきとコンニャク投げを
やったよ。
この学校には、車イスの子が2人います。体育館でも、2階
3階へも、どこへでもスロープで行けるようになっています。
彰史たちもスロープが使いやすいみたいだし、”コミュニティスクール”
といって、地域の人がサークルなどで学校を利用する時にも
おとしよりがとても助かっているよ。
PTAが出来て丸一年。車イスの介助の事で、会長さんと
校長先生が”お気持ちのある方”を声がけしたら、
お母さん方が11人集まりました。この6月から交代で
お手伝いしています。
あっくんは、どうしてるって?
うん、ぼちぼち元気にやってるよ。
そうだ、あっくんはヒデくんに教えられた事があるよ。
この間、テレビで、よだれをたらしちゃう子が出ていたんだ。
「汚いね」
って、誰かが言ったら、あっくんがこう言ったよ。
「よだれは汚くないんだよ。すごく大切な
役目をしてるんだよ。」
これは、千代田小にいた時、ヒデちゃんがきっかけで
覚えた事なんだって。
彰史には、いろんな人と出会って欲しいと思っています。
”世の中には、こんなステキな人がいるよ。こんな生き方が
あるよ。こんな事に困っている人がいるよ”って気づく為にだよ。
そして、勉強する意味を考え、進路を自分から求め出して
くれたら、うれしく思います。
ヒデくん、彰史の心を育ててくれてありがとう。
彰史の母より
●ボランティア紹介
4月より理学療法士をめざすMさんと介護福祉士をめざすTさん
お二人とも健康的でとってもチャーミング。週に1度、学校が終わってから2時間く
らい、我が家へ来て英樹と遊んでくれます。とかくモラルのない若者が多い今の時代
に、しっかりと自分の考えを持ち自分自身で人生を切り開いているという感じがして
、とても頼もしく、素晴らしいご両親に育てられたのだろうと思いました。
若い、ノリのいい会話で英樹は初日から楽しそう。すっかりお姉さん達のファンにな
ってしまいました。
○ボランティア日誌より
5/26(火) 雨
今日でひでくんの家に来たのは3度目。いつも天気が悪くて、外でひでくん
と遊びたいのに残念……。今日は、近くのイイズカまで明日のひでくん
の遠足のお菓子を買いにひでくんといきました。そこでクラスの女の子に会って
「何で吉井くんいるの!吉井くんのプレゼント買ってるから見ちゃだめ!」と言われた。
ひでくんモテモテですね!明日は、いい天気になりそうなので、楽しい遠足に
なるといいですね。それから誕生日プレゼントをあげました。ひでくんは
とても喜んでくれました。ひでくんお誕生日おめでとう!!また遊んで
下さい。
●市内在住の主婦Oさん
英樹の世話は体力的に無理なので、他に何かお手伝いできることはないかしら、と声
をかけていただき、週に一度家事を手伝っていただけることになりました。鼻歌まじ
りにテキパキと家事をこなしていく姿に、家事の苦手な私はただただ頭が下がるばか
り。色々な生活の知恵を教えて下さり、時にはおしゃべりに夢中になることも。
とってもステキでちょっとおちゃめな主婦Oさんを英樹も大好きです。
3人とも坂戸市内のかた。今年の春のすばらしい出会いに感謝です。
●5月11日 学校での話し合いで
要望 改善されたところ
・洋式トイレの設置 ……………
・時差登校の問題(登校班で登校したい) ……………
・授業中の問題
(副担任に教室へ入ってもらい必要な介助を
して、皆と同じ経験をさせてもらいたい)
普通学級では特別な配慮はしない
英樹くんには別室で個別の対応がよい。
(今でも副担任は隣の空き教室で待機)
・行間休みには外に出て、友達と一緒に遊ば
せてもらいたい。
……………
・2階への上下移動の問題。
(登下校時は親がしなければならない)
昇降機を用意して頂き、副担任が機械の操作を
全てして下る
・プールに入りたい プールについては何度も話し合いを重ねたが、
安全の確認(?)ができない、オムツをしている、
他の父兄の了解も得なければならない等の理由
で許可してもらえなかった。
●ある日のこと
2年生になって間もなく、2階の階段のところを私が英樹をおぶっていると女の子が
二人、じっとみていて、ランドセルと手提げを持って階段を下りようとすると「おば
ちゃん、大変そう、持ってあげる。」とランドセルと手提げを持って下りてくれた。
有り難い、みんな成長してるんだね。
●5月28日 8歳の誕生日
思い思いのプレゼントを持ってお友達が集まってくれました。みんなでケーキをつく
り、おおはしゃぎ。今年も賑やかなお誕生会でした。
◎編集後記
初めて市議会を傍聴しました。環境問題と教育について一般質問している議員に対し
て、ヤジをとばす議員がいました。自分が座っている場所がわかってないのかな?
政治は誰のため?もっと市民のための品格のある議会であってほしいですね。
(英樹の母より)

英くん通信 No.7




●嬉しい悲鳴
日々の生活に追われ、なかなか通信にまで手が届かず、何人もの方に「通信まだ?」
と催促されました。とてもうれしく思います。
しかし、一方ではある保護者から批判の声が上がり、講演活動を始めました。
●6月
「英樹の一年を振り返って」…坂戸市
英樹の出生時から発病、幼少期、そして普通学級へ入学するまでの経緯を1時間ほど
話しました。
木村俊彦さん(元教員、新座市ふくしネット事務局)を招き、障害があっても普通学級
で学ぶことは、将来の社会生活につながっていくこと。
埼玉県内には約3000名の障害児が普通学級で学んでいること等々を話して頂きま
した。
●7月
『エンジェル』東松山市の親の会に招かれ、子育てや教育に対する考えを話してきま
した。
●9月
”みんな一緒がいい”…坂戸市
青木道代氏(調布市「共に歩む」ネットワーク主事)をお招きし、22年間幼稚園の教
員として統合保育を実践されたこと、スウェーデンの心を訪ねて等々
●9月
『ともに育ちあう学校を考える会』…東京都武蔵野市
シンポジウムに招かれ、学校での介助について
●11月
”みんなちがって、みんないい”
山崎晃史氏(臨床心理士)をお招きし、カウンセラーの立場でお話して頂きました。
○お手紙紹介(抜粋)
2回目の講演会(青木道代氏講演)を終えてから、お手紙を頂きました。
吉井様ご家族へ
前略、先日は貴重なお話を拝聴させて頂きまして、お礼を申し上げます。
私達、夫婦はこれまでも「障害者」や「健常者」という言葉が嫌いでした。
お話をお聴きする中で、これまでよりも更に「障害者」や「健常者」という
言葉が不自然、不条理なものであるかを感じました。
自然であるということを再認識すると共に、それが如何に難しいことである
かをつくづく思い知らされた気がします。
自然であるために、ほんの少しの勇気が必要であることも知りました。
その勇気をほんの少しだけ、出してみようと思います。
どれだけのお役に立てるかはわかりません。お力をお借りすることもあるか
かと思います。できる限り、無理なく自然に、マイペースでやって行こうと
思っておりますのでよろしくお願い致します。
さて、先日お貸し頂いた本(WE'LL net)についてですが、このような雑誌
があることさえも知りませんでした。内容も思ったより充実していて、生活
から行楽に至るまで、様々な情報に驚きました。
皆がそれぞれに、それぞれの問題について、それぞれの価値観や考え方、
方法で前向きに取り組んでいることに、少し羨ましささえ感じました。
さっそく本に明記してあったホームページをインターネット上(Internet)上
で検索して見ました。
・・・省略・・・
早々
平成十年 九月 十四日
憲ちゃんのパパより
同じマンションに住む、憲ちゃんのパパさんは「何かお手伝いすることは?」と開演
直前に現れてビデオ設定に手こずっていたところでしたので、挨拶もそこそこに「じ
ゃ、ビデオ係を」と準備をして頂きました。『渡りに船』でした。システムエンジニアの
憲ちゃんのパパさんは、ひできのホームページ作りにも協力して頂いています。
こうして手探りで始めた、地域との関わりを色々な人達に支えられています。
●ひでくんへの応援句(運動会にて)
しんがりに 車椅子ゆく 運動会
車椅子の 子の旗たなびく 運動会
近くに住む民生委員の方から、運動会の後に頂きました。
来賓席から見守っていて下さったのですね。
●昨年度を振り返って
色々な事があったけど、早いもので四月には三年生。随分とたくましくなりました。
2年になったときは、教室が2階になったため、移動(昇降)をどのように行うか学校
との話し会いが大変でした。
教育委員会と幾度と無く交渉し、階段昇降機(キャタピラー式)車椅子取付けタイプを
購入してもらう。
しかし、これがまた大変な物でした。小学二年生になったばかりの体躯の発達の遅れ
た障害児に大人用の車椅子と昇降機の組合わせ、安全ベルトもサポート用クッション
も無い代物。
当初、教育委員会は「英樹君だけが使用する為に購入出来ないし、また予算もない」
と回答。
購入前に、業者・学校・委員会・英樹が参加して現場において使用条件の確認を行っ
ているにも関わらず「事前確認をしていてもいくら委員会の方が未経験だといっても」
その後幾度と無く話し合い、病院の先生に御意見を頂きながら改善方法を確認し会い、
安全ベルト・とサポート用シートを取付ける・・・・取付けが終わったのは11月になっ
てから。
それまでは、お風呂用マットと段ボール箱で作った足乗せ。
一つの問題解決にこれだけの時間・・・・・・・
◎編集後記
(英樹の母より)

英くん通信特別報告




  
●普通学級で共に
私の息子は現在中学1年です。
地域の学校に通っている。もちろん、小学校は地域の通常学級に学んだ。
子供が七ヵ月半の時に障害があることが分かり、私は何が何でも、普通の子に近づけ
よう、どんなことこわしても、より歩けるように、一人でなんでもできるように、
そのことばかりを考えて、あっちこっちいろんな療育を探しては、飛び回っていた。   
けれども、疲れて、ふと気がつくと周りには誰も・友達もいない、近所で誰かが公園
で喋っていても、そこの中に入っていけない、その日々の暮らしの中で、私たちが地域
で住んでいるってことが、誰も知らないんじゃないかというすごい孤独感にかられた。   
でわ、幸せってなにかなと考えた時に、やはりいろんな人と?がっていくとということ   
が私としては一番大事かなと考えた。   
息子がまた同じくらいの子供の声がすると、そちらの方を向いたりということに気づいた   
時に、療育はやめて、普通に生きることにしようと決めました。   
  
当然普通に生きるためには、普通の暮らしの中に入っていかなければならない。   
最初の大きな壁は就学時検診という仕組みでした。   
障害のある子をお持ちのお母さん、親御さんは誰でも経験するように「その子に合った   
教育、その子のために」って言われます。   
そこで、「合った教育ってどの様なものですか」って聞いても、答えは返ってきませんで   
した。「では、その子のためってていうのはどういうためですか」って聞いても返事は無   
かった。   
では答えが分からないんだったら、普通学級、通常学級に入れてみようということで大変   
な思いをして、もう気が小さく、体も弱い私が寝込みながら、教育委員会と闘って、やっ   
と通常学級籍を勝ち取りました。   
  
だかいざ学校に入ってみると、やはり本来ここにいるべき子ではない、というその前提が   
ずっと付きまとってきた。   
そこで何をするにも、行事の度になぜ普通学級にいるのか「共に生きたほうが良いのか」   
という事を、校長・担任・が変わる度、又教育委員会の課長・教育長が変わる度に繰り   
返し繰り返し話しをしてきた、現在もそれは同じです。   
何故か、やはり本来ここで、ここにいるべき子ではないという前提が、小学校六年間の   
実績を積み重ねても学校側は評価せず又経験の積み重ねにも出来なかったというところ   
に問題が存在するように思われる。   
本来ここにいるべきででないという前提が有る訳ですから、学校というのは子供たちが   
学ぶ所で、先生は何も学なんでくれない所なのです。   
それで同じ話を繰り返し繰り返し話し、それでやっと居続けることが出来ている。   
では、同じ学級に居る子供たちはどうかというと、子供たちは息子が最初から居るので   
差別することを知らない。なぜ歩けないのか・なぜお勉強が出来ないのか・なぜ喋らな   
いのか、そういうことは聞いてきますが、それは子供たちにとって障害にはならない。   
どうにかしてコミュニケーションをとろうという、子供たち態度を見た時に、大人達   
はたくさん学ぶべき事があると思いました。   
小学校一年のときからじゃんけんをして息子の乗った車椅子の押す順番を決めたり、   
ある時には、ある子供が「おばちゃん募金をしようよ。募金を募ろうよ。」と言う。   
「何で?」と言ったら「リフトカーを買おうよ。おばちゃんも楽だろ」と言われて、   
これが共に生きる。子供たちも一緒に考えてくれているのだという、親だけが頑張る   
のではなく又家族だけが頑張るのではなく、周りに居る子供たちも何かをしなくては   
、その弱い子供のために何か自分達も役に立てるんじゃないか、ということを考え初   
めてくれている。   
これが共に生きるっていうことなんだなと思った時には、これが通常学級に居る意味   
だと思いました。   
大人はできないことをいっぱい見つける。これが出来ない、あれが危ない。だけど   
だけど子供たちは逆で「こういうふうにしたら出来るよ、こういうこともやったよ、   
こうしたら喜ぶと思うよ」と。   
大人と子供の違い、学校に通い続けてそれはすごく実感しています。   
地域の親たちはどうかというと、最初はいろいろな反応が有りました。   
「規定のルートを蹴って普通学校に来たんだから、それなりの覚悟はあるんでしょう   
」なんて言われたりしたことも有りました。「規定のルートって何?」といつたら   
何もいえない、「養護学校に行くことじゃないの」などと言われましたが、障害が有る   
と養護学校に行かなければならないと決まっているように思っている。   
そうじゃないんですよと、説明すると、あ、そうなんだと判ってくれる人のほうが多い。   
  
中学になって、校区が二つに分かれましたが、あるとき、別の校区にいった子のお母さ   
んと電話で話す機会があって、「どうですか」って聞かれたのですが「今は介助員の方   
も良い方に恵まれ、現場の先生方も色々な工夫をしていただき、充実した学校生活を送   
っていますよ」と伝えたら、「ああよかった。うちの子も心配していたのでこれを聞く   
とすごく喜ぶと思いますよ」と言って下さいました。   
とても嬉しく思いました。   
  
なんでこんなにまでして普通学級にいたいのかということを常に考えてきましたが、   
やはり、社会の矛盾や、差別を数多く受けますが、やはり普通の中にいることが幸せ   
いっぱいです。   
  
それは一般の方たちが普段意識しない幸せ、もう忘れてしまっている幸せかもしれな   
い。でも私はうちの息子がいることで、周りの子供たちがこうゆうことも幸せなんだ   
よということに気づいてもらいたい。物があふれ忘れかけたものを、もう一度取り戻   
してもらいたいと思っているのです。   
あと二年しかない義務教育期間ですが、子供たちと共に歩いていきたいと思う。
    やっぱり普通にいることが、幸せがいっぱいあるんですよ