2006/4/29高校

1月から本格的に始まった、我が家の受検戦争、何回県庁に足をはこんだことか? 

何人の人たちに応援してもらったことか?「公正公平」を繰り返す、県教育局と高校長、でも

やっていることは差別的。

本当の公平・平等を知らない人が「思いやり」なんて教えられるはずもなく…。

まずは、浪人の身となったヨッシーとこの1年間どう暮らしていくか。

来年度の受検に向けての運動も、もう始まりました。

 

2006/9/22高校

浪人中のヨッシーは昨日、県庁デビュー、県教育局へ要望書を提出のためです。

どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会という団体で定期的に要望を出し、教育局と話し合い

を続けています。

20数年前 養護学校義務化とともに分けられたくない人たちから運動が始まり、現在に至って

います。

毎年変わる担当者を相手に4月になると「振り出し?」県はそれが狙いなのかもしれませんが、

人の人生に関わる大切な問題を1年きりで終わって、どこかの校長となって栄転なんて、県民

に失礼じゃない、そんなんで教育が良くなるわけないし、ほんとに子どもたちのことを考えてい

るとはとても思えない、昨日も1時間以上かけて県庁まで行ったのに、私たち大人には丁寧に

挨拶する担当者は、肝心の主役であるはずのヨッシーには声もかけてはくれませんでした。

誰のためにお仕事しているのかな…?

 

2006/9/25その他学校

昨日は県内の関係団体で県議会に請願書を提出し、障害のある子が分け隔てられることなく

共に学び共に育つためのイベントがありました。

衆議院議員をはじめ、県議会議員が各派5名の出席でディスカッションが行われました。

昨年、ヨッシーの高校問題で夜遅くまで教委と話し合いをしたときに出席してくれたY議員が

しっかりと自分の意見をもって発言してくれたことに感激しました。

まだ若いのに昨年無理やりお願いをしてから、久しぶりにお会いしたのですが、きっとたくさん

勉強してくださったのだと嬉しく、力強く思いました。

その他の議員も「障害児の教育問題はわかっている、養護か普通か自由に選べるようにした

いとか一般の県民健常者の理解が必要、少しずつゆっくり時間がかかるかもしれないがやって

いきたい。」が大方の意見でした。

なぜ障害のある子だけが学校を選べるのでしょうか?その子に合った教育なんてほんとに 

実現できているのでしょうか?

健常者の理解が必要だって、そんなものを待っていたら歳をとってしまうでしょ。

子どもたちは日々成長しているのだから、なぜ理解してもらわなければそこにいけないの? 

障害者より健常者がえらいの?健常者になぜ支配されなければいけないの?その前に

「完璧な健常者」なんてこの世にいるのかしら???

理解なんて一緒にいなければ深まらないもの! これは実感です。

 

2006/10/8 高校

いよいよ学校説明会が始まりました。

ある県立高校の説明会に行ってきました、制服のないヨッシーはパパのネクタイを借りて。

県教育局の主席より「4階でありますが、学校の職員が協力しますから…」

という電話を頂いていたのですが、どうも信用できない(>_<)私。(だって学校なんだもん)

ヘルパーさんも一緒に4人で出かけました。

案の定、教頭先生だけがところどころ手伝ってくれただけ、教員らしき人はヨッシーには声も

かけずまたもや〜〜〜(やっぱり学校の先生)

説明会が始まり 初めに校長先生のご挨拶「……それでは皆さんがんばってください!」

ヨッシー一人だけ「ハイ」(^.^)でも、一番後ろの席(スペース)だから校長先生には聞こえて

ないけど。

 

006/10/26高校

近隣のH高校を見学に行きました。

校長は不在でしたが、教頭・教務主任の先生が学校の説明や校内を案内してくださいました、

中間テスト中で校舎はシ〜ンと静か、一年生のある階を見学していたら、チャイムがなりテスト

終了、ドドッと生徒たちが教室からあふれ出てきました。

その中に中学の同級生の女の子の姿が…女の子「アッ! おばちゃ〜ん、ヨッシー、なんでど

うして来ているの?」賑わう廊下で手を取り合い再会を喜びました。

とっても嬉しかった!!

 

2006/11/20高校

志望校の半日体験入学に行ってきました。

ヨッシーパパとヘルパーさんに付き添ってもらったせいか先生方の協力が得られなかったと

パパがっかり(T_T)でも、こちらから「手伝ってください」と声をかけなかったパパもよくない、

だって世の中の多くの人が障害のある人と関わったことがないんだもん。

学校が分離教育をしている以上、どんなにすばらしい福祉教育を受けたって、必要なときに

当たり前のように手を出せる人なんて育たない。

だからヨッシーは今年も受検するのです、同じ時代を生きる人たちに少しでもわかってもらう

ために。友達をつくるために…。

 

2006/12/9 高校

11月21日に県教育局との話し合い(高校問題)が行われました。

千葉や東京、大阪の方も参加していただき、貴重な意見を述べてくれて、心強かったです。

内容は特に進歩はないのだけれど、要望書の回答を今回始めて文書で出しました。

これはずっと要望していたことだったのですが、いつもは読み上げるだけ、こちらは必死

でそれを筆記するのですが、完璧とはいかず、それより何より障害で手の不自由な人・耳の聞こえない人には、その間の話し合いについていけないという不利益があり、今回初めて文書を出し

てくれたのです…が、話し合いが終わったら回収でした(^.^)。

話し合いの最後に出席していた5人の教育局の方に一言ずつ発言を求めました。

その中の一人(男性)が、高校の教員をやっていたときに体の不自由な女子生徒を担任した、

設備もなく教室は4Fだったので、「俺でもいいか」と了解をもらい、背負って階段を

上り下りしたが、それは1週間で終わった、なぜなら他の女子生徒が「先生は男だから

よくない、(障害のある子が)かわいそうだよ!私たちがやる」といって、

女子生徒だけでやってくれるようになった。それを言い出した女子生徒はその後

地域でボランティア団体を立ち上げ、福祉の専門大学に進学し、今は福祉の仕事に

携わっているということを涙を流しながら話してくれました。

 

2006/12/22 高校

昨年度ヨッシーが受検したTu高校(前期・後期・二次)とTa高校(欠員募集)に行き、

『保有個人情報開示請求』とやらをやってまいりました。

ヨッシーは未成年なので、母である私が法廷代理人になり、役所で戸籍謄本を取り(面倒くさい)行きました。

受検に際しては、

○ 障害による不利益があってはならない

○ 定員内不合格は可能な限り出さない

○ 不合格の理由を明確にする

等等、いくつかの規則があるにもかかわらず、ヨッシーの受検体制は不利益そのものでしたし、

不合格の理由も「障害」が理由以外の何者でもなかったのです。(私たちが聴いた範囲では)

それで、情報開示をしてみたいと思ったわけですが、Tu高校へ行くと事務の人もよくわからないらしく、

すぐに新任の教頭が出てきました。

教頭「どうぞ、会議室へ」私『いえ、ここで結構です』教頭「私たちも慣れていないので、ちょっと県に聞い

たりしないといけないので…」ということで会議室へ。

開示してもらいたい書類名を相談、県に問い合わせするとのことで退室、しばらくすると校長(会いた

くなかった)を伴って入室。

校長「見たいものがあれば、今見てもらっていい」私『今日は手続きをしに来ただけなので…写しが

欲しい、情報開示とはそういうことでしょ?夫も見たいと言っているし』校長「ではご主人も一緒に改め

て来ませんか?」(まあ、なんて自己中)私『夫は土日しか休めなし、来られない、写しが欲しい、そう

いう制度でしょ?』校長「土曜日に都合つけてもいい」(そういう問題じゃないでしょ!)

私『制度に従って書類を用意してきたので、そのとおりにして欲しい』この間に欲しい情報が〔入試選抜

資料・試験の解答用紙・選抜会議録〕だということが分かったので、それを記入したら、校長「会議録は

他の生徒のことも書いてあるからダメだ」私『息子のところだけでいい』校長「県に聞いてくる」退室の間、

教頭「お母さん、この会議録というのは個人情報そではなく公文書になるんですよ、ですから公文書開

示請求書が必要になると思います」と教えてくれたので、私『あっそうですね、じゃその分はまた後日持

参します』そこへ戻ってきた校長「不合格の理由は何度も説明しているとおり、総合的判断により……」

私『待ってください、今日はそういう話を聞きにきたんじゃありません、制度に沿って手続きをしていただけ

れば結構です(>_<))謄本を提出し免許書をコピーしてもらい、やっと帰れました。所要時間約1時間半

まったく、人生を狂わせるような判断をしておいて、今更うろたえるな!!と怒鳴りたかったけど。

次の日Ta高校へ、PCから「公文書開示請求書」をダウンロードできることを発見し書類をそろえて行きました。

ここでは、事務の方がしっかり対応してくれて、「2年前から県まで行かなくても現場(学校)でも開示でき

るようになったんですよね」と、書類だけ受け取ってもらいました。

 

2007年01月16日高校

願書の提出が迫ってきました、昨年受検したT高校は統廃合のため、今年度は募集
停止です、そのため、近隣の高校への志願者数に影響が出ます
ヨッシーのように障害のある子は競争に勝てるわけもなく、定員割れを狙っても、近場
の高校では定員を割らないかもしれないという厳しい状況になってきました。

(昨年度は定員割れでも不合格だったわけですが)
しかし、考えれば考えるほど障害のある子(特に知的な)にとっては学力で大方選抜
される受検というシステムは不利、どんなに配慮を受けたとしても同じ試験問題では、
健康な生徒に勝てるわけもなく…ですから埼玉連絡会では「公平公正」についての理解
を求めて毎回話し合いをしているのです。
それでも、学力重視の価値観を変えることは、並大抵のことではありません。
子どもたちが何も求めているのか、教育に何がかけているのか、真剣に子どもたちに
向き合っているとは思えない政策です。
でも、中には「共に学ぶ」価値観をもった教員もいるのですが、その教員たちが力を
発揮できる環境にないことも確かです。
世の中は特殊教育から特別支援教育へ。また軽度発達障害の児童生徒にも支援をと手
厚くなりそうですが、それで社会で生きていく力が養えるのでしょうか?とにかく、
付き合ってみなければ理解なんてできません。

2007年01月27日高校

25日(木) T高校に願書を提出しに行きました。
障がいのある生徒は、希望により受検上の配慮のため事前協議を行います。
こちらから配慮のお願いの書類を中学に出し、それを元に中学校長が高校側に副申
(中学ではこうしていましたよ)を添えて提出します。
その書類を持って、事前協議となるのですが、数年前から埼玉県では保護者も同席
してよいことになっていますので、同席したいことを伝えました。

 高校へ到着し、校長室で願書と必要な書類を提出し、まず高校の校長から「試験会場
は1階で(他の生徒は4階です)別室受検ということで、介助者に付き添っていただいて、
保護者の控え室、介助者の控え室と用意させていただきます。
昨年と同じような形になりますが、それでよろしいですか?」ヨッシー「ハイッ!」
  即答(>_<) 皆《笑》
実は私は昨年度の経験から、短時間での面接でどうこうなるものでもないということを
実感しているので、今回は皆と同じように雰囲気を味わってもらいたいこともあって
集団面接を希望しようと思っていましたが……先に返事をされてしまいました。
今回受検する高校へ行ったのは、3回目。

 

2007年02月02日高校

昨日は、前期入試の日 受検でした。
3年前から自己推薦で誰でも受検できるようになったため、倍率も上がります。
希望は薄いのですが、昨年同様チャレンジ。
昨年受検した高校は統廃合の波にのまれ、今年度は募集停止、そのため近隣の高校の倍率
に影響がありました、年々厳しくなります。
今年は、県の担当者や志願先の高校長が真摯な態度で、対応も昨年よりはよかったです。
(人によって変わるのもなんか変ですが)
でも、受検そのものが障害のある子にとっては差別的な制度、何回話し合いをやっても
「可能な限り公平公正に…」を繰り返すのです、公平公正って一つだけでしょ。
可能な限り…というのは不可能な部分もあるということで、そしたら公平公正にはならないはず。
教育者がこんな言葉使っていいのでしょうか?

2007年02月20日高校

2月8日は前期入試の発表の日でした、「さくら 散る〜」
予想はしていたので、ヨッシーは家に残し、母は一人で発表を見に行きました。

2007年03月01日高校

後期入試がやっと終わりました。
一日目 学力検査 : 途中退室することもなく今年もがんばりました。
しかし、言葉で伝えることも文字を書くこともできないヨッシーは今年も全体の40%
の選択問題しか応えることができないのです。
代筆代読を県の職員がやってくれましたが、初めて会った人にヨッシーの意思表示を
どれくらい読み取れるというのでしょうか?
それで、公正公平だと言われても、じゃ〜
残りの60%の問題はどうするのよ!?「どの子も公立高校へ・埼玉連絡会」では20年
以上、交渉をしているのです。

2007年04月10日高校 
高校はまたまた不合格でした。昨年とは違う高校を受検したのですが、埼玉県の西部地

区は統廃合の影響で募集しない高校が何校かありそのため、今年はかなり厳しく、その

ため二次募集もなかったので後期入試で今年はあきらめなければなりませんでした。