マスコミも政党も政府も日本中がこぞって企業のリストラを絶賛している。某一流商社3割人員削減!、某一流メーカー1万人員削減!等など。
何か間違ってないか。構造改革としてのリストラならば賞賛に値するが、人員解雇と誤用されているところに問題がある。解雇された人々はどうなるのだ。そしてその家族どうなるのだ。余りにも資本家よりの考えに立ってないだろうか。経済政策の第一目的は雇用の確保にあるはずである。
1985年ソ連に誕生したゴルバチョフ政権は、次々と改革政策を打ち出し西側各国の賞賛を浴びたが、世界の誰もが予想しなかった思わぬ結果に終わってしまった。1991年のあっけないソ連崩壊である。ソ連の成立もドラマチックであったが、崩壊もまさに事実は小説より奇なりである。それまで強力に支配していた衛星国に対してもすべての権利を放棄し、各国の自由の選択を尊重したといえば、聞こえは良いが実態は実に無責任な責任回避であったといえよう。
フランス革命(市民革命)、ロシア革命(共産主義革命)そして今回のソ連崩壊は近代史に残るビッグイベントといえよう。この世界史に残る場面にいくらかの立会える機会を持った者として少し経験を述べてみたい。
私はソ連崩壊直後の1992年5月モンゴル北部の銅山付近の出力事情の現地調査に行くチャンスを持った.そこに見たものは開放と自由の到来を喜ぶ姿ばかりでなく、産業面では途方にくれるモンゴルの人々の姿であった。なぜそうなのか、ソ連はモンゴルにいくつかの工場、鉱山、製鉄所等を開発しそれに必要な発電設備を建設したが、すべてソ連の機材、ソ連から連れてきた技術者、技能者で建設を行いモンゴルに対する技術移転は行わなかったからである。衛星国に対する植民地政策を行ったのである。
ソ連崩壊と共にソ連はモンゴルに建設したすべての工場から技術者を引き上げ、さらにシベリアから供給していた電力の送電を停止してしまったのであった。
かってソ連邦はユートピアともてはやされ、わが国ににも多くの信奉者が学者、進歩的文化人とよばれ人々を中心に存在した。しかしソ連の崩壊は共産主義の資本主義に対する明白な敗北であった。
すべての価値観が変わってしまった。あれほど共産主義を絶賛していた人々も、共産主義を口にしなくなった。我々の身近では経済学部のカリキュラムから計画経済論がなくなってしまった。モンゴル出身の旭天鵬の大相撲での活躍などモンゴルの人々の日本での活躍も目覚しい。しかしソ連の崩壊ですべてが良くなったのだろうか。計画経済の失敗原因は、結果として一部の特権階級を生み、多くの人々の勤労に対するインセンティブを失わせ、国全体の活力が消滅したことにあるだろう。だが貧しくとも皆平等という社会をある程度実現したのは事実だし、資本主義社会における生存競争に疑問を抱く人々にとっては魅力ある存在だったといえよう。
ソ連崩壊の直後アメリカは、それまでやりたくてもできなかったキューバ侵攻を堂々と行っている。日本政府もマスコミもそれを非難してはいない。
労働組合は労使協調路線でデモ、ストライキを含む抗議行動さえしなくなった。社会党は180度路線を転回し、自民党と連合し存在意義を失ってしまった。
長引く平成不況の中で、企業のリストラをマスコミは絶賛している。その実態は人員解雇なのにである。労働組合や社会党の全盛時代であれば社会問題として国会でもマスコミでも取り上げられたはずなのに。弱者に厳しい社会が到来しているのではないだろうか。